日々読書、時々一杯、折々投資

私の趣味をそのままタイトルにしました。 趣味のことでこれいいなあと思ったことを書いていきます。それが少しでもみなさまの参考になればさいわいです。

1000円にも満たないお金で周りの人に差をつける方法を習得できる本

理科系の読書術(著者:鎌田浩毅)、中公新書、2018年3月初版、同年4月再版、

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著者の鎌田氏は火山学、地球科学を専門とする大学教授です。仕事柄、大量の文書や、分厚くて難しい専門書を多数読んでいることになります。そんな鎌田氏が述べる読書術に「理科系」とついているのも納得です。

では、この本はそういった難しい、専門的な本を読む人のための読書術の話かというと、そうではありません。読書の上級者である鎌田氏が、若い人が読書に対して苦手意識を持っている現状を何とかしようということで、読書を苦手とする人向けにわかりやすく入り易い読書術を紹介してくれています。

 

〇 徹底的に読書の視点、立場に立った読書術を紹介。読書が苦手なのは読者自身の責任ではない。

 

 

「難しい本を読まないと意味がない」、「本は最後まで読みきらないといけない」、「本が理解できないのは読者の理解が悪いから」といったイメージを、読書が苦手な人ほど読書に対して持っていることがあります。この本は、そういった読書に対するイメージをことごとく壊してくれ、読書に対する苦手意識、ハードルを引き下げてくれます。

 

さらに素晴らしいのが、そういった苦手意識、ハードルを引き下げてくれる読書術の説明が、とっても分かりやすく端的です。たとえば、「本を読んでみたはいいけど内容が難しくて何が何だか分からない」ということから読書に苦手意識を持っている人に対しては、

 

これに対して私は特効薬を持っている。それは「難しい本は著者が悪い」と考えるのである

 

とアドバイスしてくれています。どうしても「本は難しいのが当たり前」、「難しい本だからこそ読む価値がある」と考えてしまいがちな人の読書への苦手意識を吹き飛ばしてくれます。ほかにもいろんなアドバイスがこの本では述べられていますが、共通しているのは、徹底的に読者の視点、立場にたった読書術を紹介しているところです。

 

それはふつうのことではないかと思う方もいると思いますが、そうとう画期的なことだと思います。

鎌田氏は、専門の火山学、地球科学に関する本だけでなく、仕事術、勉強法といったビジネス書もを何冊も執筆しています。この本の著者紹介によると、この本以外に15冊執筆しています。つまり鎌田氏は著者の立場に立つ人です。著者の立場からすると、自分の書いた本が難しいとか分かりにくいと言われると、「このぐらいの内容であればがんばって読者の人に理解して欲しい」、「これ以上分かりやすく説明するなんて到底無理」とついつい、読者に責任を転嫁したくなってしまいます。

つまり、本を読む読者のことは一切責めずに著者が全面的に自分の責任であると言っているのが、鎌田氏の「著者が悪い」という言葉であり、なかなか言えない言葉だと思います。

 

〇 「読書ブログは読書術として超オススメ」と、おそらく鎌田氏は言うはず

 

鎌田氏は読書の重要性、意義をこの本で主張していますが、一方で、本の読みすぎはよくないとし、

 

読書と思索のバランスを上手に取ることによって、人生の達人になれるのだ

 

と述べています。たとえば、ビジネス書とか仕事で必要な本を読む場合を考えてみると、ただ本を読むだけでは意味がありません。本を読むことは手段であって目的ではなく、目的はそれとは別、例えば、「何かについての新しい知識を身につける」、「仕事術を上達させる」といったことが目的になります。言い換えれば、本を読むのはいいけれど、その内容を理解し消化し自分自身に定着させるプロセスが必要です。

これはよく分かります。私の場合、本を読むのは好きですが、読んだはいいけど、ただ読んだだけでちゃんとその内容が自分の身についているのか、ということが時々不安になります。つまり、どうすれば、読んだ本の内容を着実に自分のものにできるのか、ということを考えてしまいます。

 

鎌田氏は読書と思索のバランスが大事とは延べているものの、どうやってバランスをとればいいのか、ということについてこれ以上具体的には述べていません。しかし、わたしが思うに、本を読みその感想をブログに書く、つまり「読書ブログ」は、鎌田氏の言う「読書と思索のバランス」をとるのにとっても良い方法です。

 

もともとこのブログをわたしが始めたのは、せっかく本を読んだはいいけど、内容をすぐに忘れてしまうしもったいないから、ブログにメモをしようと思ったのがきっかけです。そしてこのメモの内容を考える時、それがすなわち「思索」のときに当たると思います。

この本を読んで、読書ブログがとっても意味のあることだと実感することができました。ブログを読まれる方は、自分自身でもブログを書いているケースが多いと思います。読書ブログをしている方、この本を読むともっとブログをがんばろうという気持になります。もっとも、鎌田氏はブログについて何も言っていないので、わたしが勝手に感じているだけですが(笑)

 

〇 読書離れの今だからこそ、読書で周りに差をつける

 

この本によると、大学生は「本は高い」と思っているようです。たとえばこの本の値段は、820円+税、つまり1000円未満ですが、これでも高いのでしょうか?わたしは高いという評価に疑問を感じますが、「高い」と思う人は、金額自体ではなく、「コスパが悪い」と思っているのでしょう。

 

このことは、読書をすることで、どれだけのパフォーマンスを引き出すことができるか、というまさに読書術の差が評価の差に現われていることを意味します。つまり、同じ本を買って読んでも、その本からどれだけのものを得られるのか、というのは、人によって、持つ読書術によってぜんぜん違い、したがって、人によっては、値段以上のパフォーマンスを引き出すことも十分可能ということです。つまり、読書術を習得することは、周りに差をつけることにつながります。

 

「人と同じことをしていてはだめ。違うことをしろ」ということは、よく言われることです。たしかにそのとおり。

その意味では、いま読書離れが進んでいる以上、読書をすること自体が周りに差をつける有力な方法ですが、さらにこの本を読むことで読書術を習得し、読書をしている周りの人に対しても更に差をつけることができます。

 

1000円にも満たないお金で周りに差を付けられるとすれば、これほど「安い」、「コスパの良い」方法はなかなかないでしょう。

 

これからは自分の「ライフワーク」を持つ人が活躍できる、つまり誰もが活躍できる時代が来たことを教えてくれる本

2022-これから10年、活躍できる人の条件(著者:神田昌典)、PHPビジネス新書、2012年2月3日第1版第1刷発行、同年2月22日第1版第4刷発行、

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著者の神田氏は、この本の著者紹介によると、累計出版部数は200万部を超えるそうです。わたしも神田氏の名前はもちろん知っていましたが、なぜか今まで本を読む気になれませんでした。はっきりした理由はないのですが、失礼ながら、何となく本のタイトルからして怪しいなあと感じていたからです。しかし、こんかい神田氏の本を読んだのは、この文章を読んだのがきっかけです。

 

わたしの尊敬する神田昌典さんは『非常識な成功法則』という形で、それまでの正論・根性論的な成功法則から、「やりたくないことを見つける」「お金を溺愛する」といったような、成功した人たちが、ほんとうは知っているけれども教えてくれなかったものを明記して本にしました。わたしはその本を手にしたときから、もう、神田昌典さんの虜になりました(「有名人になる」ということ(著者:勝間和代)ディスカヴァー携書、2012年4月第1刷、同年6月第4刷)

 

あの勝間氏がここまで絶賛するのであれば、きっとすごい人に違いないということで、わたしもさっそく本屋に行き、ぐうぜん見つけたこの本をこんかい読んでみました。

 

〇 いま世の中が大きく変化していることを、ここまで分かりやすく説明してくれる本はない

 

「はっきり言って、この本を読んでもまだ、世の中が変わっていることが理解できない人は、おそらく、こんご何を読んでも理解することはできないでしょう」というぐらい分かりやすいです。 

 

神田氏は、70年周期説を主張しています。つまり、日本は70年単位で大きく変化し、そして、70年単位で歴史は繰り返されるというものです。例えば、明治維新と太平洋戦争敗戦との間は72年、つまり約70年です。そして、70年単位の変化は、その前後で価値観が180度変わるような大きなものとなるというものです。

70年周期説と言われると、この本は、未来予測、予言の本なのかと受け取られてしまいます。たしかに、予測、予言はしていますが、わたしは、この本の価値は、予言・予測ではないと思います。言い換えると、70年周期説に基づく予言・予測が当たっているかどうかは重要ではありません。当たったかどうかではなく、日本の社会が大変革を繰り返していくという流れの存在、そして、その流れは大まかにどういう方向なのか、ということが重要で、それをこの本は説明してくれています。

 

いまは2018年です。1945年から数えると73年目ですが、現在、終身雇用、正社員といった戦後日本で重要な役割をはたしてきた制度、もっとも重視されていた価値観が、大きくではありませんが、少しづつ崩れかけています。ここで、この変化についていけない人、あるいは、変化により不利益を受けそうな人は、この現実を受け止めきれず、「もう数十年は大丈夫だろう」という根拠のない判断をしてしまいますが、この70年周期説に立てば、「数年の誤差はあるにせよ、この流れが止まることはあり得ないし、むしろさらに変化が加速し、正社員という立場・地位は消えてしまうだろう」と受け止め、対策を立てることができます。

 

神田氏はこの本でもうひとつとても興味深いことを指摘しています。70年周期説により変化していくとして、変化した後の姿はどうなるのか、という点についてです。わたしたちは、「こんご、こうなるだろう」と予測を立てますが、神田氏は、その予測はことごとく外れるだろうと言っています。神田氏は、こう言っています。

 

1945年、焼け野原で途方にくれている人々に、「40年後には、ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われるようになるんです」と予見したものは、頭がおかいいと思われるだけ。だからいま、あなたが、日本の未来を正しく答えられるとしたら、それは、お笑いにしかならない

 

つまり、どう変化するかはいまの時点で誰にも分からないということです。分からないことに何の意味があるのかという話になるのですが、意味は大ありです。つまり、予想もできないほど大きな変化になるということです。

わたしなりに考えてみると、どういう状況になっても頼りになるのはさいごは自分自身しかいないということで、自分1人でも食べていけるようにしなければいけない、ということが求められると思います。食べるということに文字通り着目するなら、自分で農業するのもありでしょう。いま、耕作放棄地が問題になるように、農地は余っているようです。

 

〇 読書ブログを書く意義

 

 

読書といえば、個人の趣味の代表的なものです。イメージとしては、自分の関心、勉強のために本を読み、読むことで新たな知識を得てそれに満足するという形で、あくまでも、読書をする人個人の中で完結しています。

しかし、神田氏は読書にもっと積極的な意義を認めています。キーワードは「イン・フォメーション」から「エクス・フォーメーション」(情報発信)への発展です。単に自分の自己満足、お勉強として読書をとどめるのではなく、それをベースにして自分の意見や感想を発信していく形に発展させていくことです。

 

じつは、ここで神田氏が言っていることは、多くの読書ブログがやっていることです。これは、勇気づけられます。

ブログを書くという行為、読書に限らずですが、自分の感想、思っていることを書いているだけなので、どうしても自己満足にすぎないと思ってしまいますが、神田氏は、そこに情報発信という意義、言い換えれば、自分のだめだけでなく読者のためにもなっているという意義を認めています。その意味で、ブログを書くという行為は表現する行為ですので、ブログを書くこと自体にも勇気が求められます。

 

〇 この本は、私たちにこんごどうしろと言っているのか?

 

 

神田氏は「ライフワーク」を各人で探すことが必要と言っています。「ワイフワーク」はその人が情熱を持つことができるものです。個人としてすることなので、定年などは関係なく、一生続けることができます。

わたしは元々、読書が好きなので、このブログも書いていますが、この本のおかげで読書ブログを「ワイフワーク」とすることも十分あり得るということを感じることができました。

でも、みんな読書好きというわけではありません。わたしは子どものことから読書が好きで、それだけは、いまも変わりません。わたし自身の話がベースになっていますが、そうすると、「ライフワーク」とは、意外と、自分が子供のころ、学生のことに熱中していたことと重なるような気がします。そう考えると、誰にも、この本のタイトルの「活躍」の条件はそろっていると思います。

日本という国、自分が日本人であるということを強く自覚させ、また、それが良かったと思わせてくれる本

デザインが日本を変える 日本人の美意識を取り戻す(著者:前田育男)、光文社新書、2018年5月初版第1刷発行、

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著者の前田氏は、マツダのデザイン本部長として、デザインコンセプト「魂動」を確立し、2016年、世界で最も優れた車に贈られるワールド・カー・オブ・ザ・イヤーと、同賞のデザイン部門のダブル受賞という史上初の栄誉に浴しています。つまり、いまの日本の自動車メーカーのデザインの最先端を走る人物と言えます。

前田氏のデザイナーとしての実績はすばらしいものだと思いますが、一方で、タイトルの「デザインが日本を変える」という言葉にはとまどいを感じました。わたしはデザインの専門家ではまったくありませんが、失礼ながら、「たかがデザインにそんな力があるのか?デザインはしょせん見栄えの問題にすぎず本質ではないだろう。」と思ってしまいました。しかし、そんな思いは、この本を読み進めていくにつれて、まったく的外れだったことに気付かされます。

 

〇 デザインの現場

 

前田氏がマツダのデザイン本部長に就任したのは2009年。それ以後、全車種のデザインプロセスを一新させるなど、容赦なき改革を進めますが、同時にそれは、社内の関係者との様々なあつれき、反発をもたらします。この本では、それをどう前田氏が乗り越えていったのかが丁寧に描かれています。

 

なぜこんなに社内のいろんな部門と揉めてしまうのか?改革の内容がドラスティックだからというのもとうぜんあります。しかし、そもそもとして、デザインはデザイナーが絵を描いて終わり、というものではないということがあります。

デザイナーが素晴らしいデザインを描くと、芸術作品ならそれで終わりかもしれませんが、ビジネスの場合、それで終わってはまったく意味がありません。それを実際の商品として製造するところまで到達して初めて意味があります。でも、デザイナーが自分で実際の車を製造することはできない。社内のいろんな部署の理解・協力なしには全く何も変わらない、それゆえ、前田氏の改革はいろいろ波紋を呼び起こすわけです。この本には、デザイン部門以外のマツダの社員が登場しますが、プレス、金型、カラーデザイン、塗装、クレイモデル、チーフデザイナーといった各部門の社員が登場します。

 

前田氏がどのようにして反発する各部門を説得し理解を得、そして「共創」関係へと変えていったのか、紹介されている様々な苦労、エピソードが、まさに企業組織ではいかにもありがちなことばかり。少しでも似たような経験を持つ方なら、まさに「ある、ある」状態でしょう。

 

困難を乗り越えた前田氏の努力は素晴らしいと思います。それは間違いありません。

 

しかし、ちょっと感じたのが、「ここまで時間や労力をかけないと新しいことができない組織というのはどうなのか?」という疑問です。前田氏のようなパワフルな人ばかりではありません。

一方で、「そのぐらいを乗り越えられないような人は、そもそも新しいことはできないから、ある意味、試練として当然。」、という考え方もあるでしょう。どっちが正しいのか、よくわかりません。

 

〇 いいデザインとは何か?しょせんは人の好みの問題?

 

初めてある車を見たとき、デザインについて、「かっこいい」、「かわいい」、「自分はこのデザイン好き」、「自分は嫌い」といった感想を持ちます。同じ車に対する感想であっても、その中身はとうぜん人それぞれです。それは当たり前。

 

でも、だからといって、「いいデザイン、わるいデザインなんて決められず、あくまでも人の好みである」と言ってよいのだろうかと思います。ふつうはこういう意見が支持されるのですが、前田氏はこう言っています。

 

私もある部分ではYESと思う。おおまかなデザインの方向性、テイストについては個人の好き嫌いが左右する。これカワイイ。これカッコいい。これ美しい。これキライ・・・そこに他人は口を挟めない。好き嫌いでは個人の感覚こそ絶対である。しかしテイストの違いとは別に、デザインの質についてはプロしか作れない領域というものがある。クオリティの絶対値というものは確かに存在する 

 

プロとしての自信、誇りにあふれる言葉だと思います。この言葉の具体的行動と私が思うのが、前田氏が、おそらくどの自動車メーカーも実施していた「市場調査」を廃止したことです。「市場調査」とは、新しい車を出す前に、いくつかのプロトタイプをユーザーに見てもらい、そこでの反応を商品に反映させる手法です。これを廃止するということは、ユーザーの好みに合わせないということを意味します。

 

でも、そうすると、1つ疑問が出ます。デザイナーの判断でデザインするとしても、「それもその人の好みに過ぎず、何が違うのか?」という疑問です。あるいは、「あるデザインをめぐって、デザイナーの間で評価が分かれてしまった場合、どうするのか?」という言い方もできます。

前田氏は、デザインを前提とした上で、言葉による表現を非常に重視しています。デザイナーに限らず、求められる能力だけどなかなか持つことができない、あるいはその必要性が意識されていない能力のひとつに「言語化能力」があると私は思います。デザインという感性とか直観が重視され、もっとも言語化から縁遠い世界に見えても、前田氏が言葉を重視しているというのは意外です。

しかし、デザインに人の好みという相対的な領域だけでなく絶対的な領域の存在を認めるのであれば、言語化は不可欠です。絶対的な領域は、少なくともプロの間では、それについての見解を一致させることができる領域を意味しますが、それを実現させるためには、「かっこいい」、「自分は好き」という表現では不十分で、なぜそのデザインが良いのかということの理由、根拠が必要となり、ここに言語化が登場します。そして、言語化は同時に、デザイナーの単なる思い付き、気まぐれによるデザインを排除することにもなります。

 

〇 iPhoneは日本人が作るべきだった

 

この本の内容の中で、もっとも印象的でした。おそらく、これを読んだ瞬間、ほとんどの人が「えーっ?何言ってるの?」とか「それは、単なる日本人のデザイナーとしての願望に過ぎないのでは?」という感想を持つのではないでしょうか。

 

たしかに、この種の発言はよくあります。「じっさいは外国に先を越されたが、ほんとうは日本が〇〇すべきだった/〇〇であるべきだった」といった類の発言です。この種の発言をする気持としては、単なる願望の表明だったり、自分が日本人であることを誇りに思っているというアピールだったり、といったものです。他にもあるのかもしれませんがいずれにしても、共通しているのは、発言している本人が本音では、日本が本当にそれが実現できるはずとは信じていない点でしょう。

 

しかし、前田氏は違います。なぜ日本人が作るべきだったのか、という理由・根拠が具体的かつ明確にこの本で述べられています。つまり、前田氏はそれが十分可能だと思っているからこそ、日本人が作る「べき」だったと述べています。なぜそういえるのか、それは、前田氏が日本文化の伝統、オリジンとは何かという点について、具体的かつ本質的に理解しているからです。これを象徴するエピソードが紹介されています。

 

ローレンスは「日本の自動車メーカーであるマツダは日本的なデザインを標榜すべきである」という考えの下、「NAGARE」というデザインシリーズを発表した。彼が着目したのは日本庭園だった。中でも枯山水の砂利に描かれた模様にいたく興味を引かれ、「流(NAGARE)」「流雅(RYUGA)」「葉風(HAKAZE)」「清(KIYORA)」といったコンセプトカーでは、その水の流れるような模様をキャクターデザインとしてボディの側面に表現した。これが私には我慢ならなかった。日本の自動車メーカーとして日本的なデザインを取り入れることに関しては私も賛成である。しかし日本的な要素を取り入れるといっても、枯山水の砂紋をそのまま車に刻むというのはいささか表面的すぎるように思えたのだ

 

「ローレンス」とはオランダ人で、マツダのグローバルデザイン本部長であり(2006年)、前田氏の上司に当たる者です。

この話し、ローレンス氏が外国人だからこんな変なこと言っていると笑って済ませられるでしょうか?いまの日本にもローレンス氏と同じようなことを言っている日本人多いのではないでしょうか?前田氏が、日本文化を表面的ではなく本質的に理解しているからこそ、上司に反論できたのだと思います。前田氏のほかとは違う秀逸ぶりが際立ちます。

 

 

〇 デザインが日本を変えるなんて大げさ過ぎない?

 

さいしょに感じた疑問に戻ります。

ここまでもおそらく伝わったのではないかと思いますが、前田氏は、具体的に根拠、理由のあることしか述べていません。そして、前田氏の話しは、単にマツダでの車作りの話しにとどまらず、日本のモノ作り全般にも及んでいます。そして、なぜ日本のモノ作りにデザインが大事なのか、ということを、新興国との競争を特に意識しながら、明確にその理由を述べており、デザイン、モノ作りのしろうとの私でも納得です。それゆえ、デザインが日本を変えることは十分ありだと読後には思いました。

 

また、この本を読むと、いつのまにか、日本もこれからまだまだ何とかなるのだという希望や自信を与えてくれると同時に、日本という国をあらためて見直し、そして誇りを持たせてくれます。「外国にはない日本のこれが良い。」といった単純な比較論、表面的なものではなく、今日まで続く長い日本の歴史・文化の中で現代の日本において何を大事にすべきかということを分からせてくれます。言い換えれば、日本人としての価値観を認識させてくれると言えます。

 

わたしなりにこの本の良さを説明してみました。ざんねんながら、まだ個人の好き・嫌いという相対的なレベルでしか説明できていないようです。わたしの言語化能力はまだまだのようです(笑)

 

 

 

人生にとって大事なものは何かという普通考えないテーマをいつのまにか考えさせてくれる本

「世界征服」は可能か?(著者:岡田斗司夫)、ちくまプリマー新書、2007年6月初版第一刷発行、2007年10月初版第十刷発行、

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 とってもユニークなタイトルです。たいへん失礼ながら、この本を読むことでなにが得られるのか、まったく想像できない本です。でも、第10刷と大増刷している本ですから、期待大です。ということで、読み始めてみるのですが、さいしょに思った感想はこんな感じです。

 

〇 まじめに読むべきか、どう読むべきか、迷ってしまう

 

そもそも「世界征服」なんて、どう考えても自分の人生に関係があるとは思えない話しがテーマですから、読む前からどまどっている上に、なんと、さいしょは、アニメに出てくる世界征服の目的を4タイプによる分析です。

 

どこまで真面目に読めばいいのか、単なるアニメ論として読めばいいのか、かなり読み方に戸惑ってしまいます(笑)。でも、最後まで読んでみるべきです。

 

〇 悪とは何か

 

もちろん本である以上、ちゃんと目的はあります。この本は200ページ弱にわたって、世界征服についてのあらゆる角度からの考察をし尽くし、最後には、「何が悪なのか」ということについて結論を出しています。

 

世界征服というどうみても悪にしか見えない行動を題材として、「世界征服=悪」という単純な二元論に陥ることなく、「悪とは何か」ということについて考え、人それぞれの価値観に左右されない絶対的な定義を結論付けています。「戦争は悪か否か」という議論ととても似ていると感じます。

 

この本は、読者をアニメというとっても入り易いものから入らせ、いつのまにか深遠な哲学の世界に導いてくれます。例えると、入り口はとても小さくせいぜい10人ぐらいしかは入れない居酒屋かと思いきや、実際には入ってみたら、うなぎの寝床みたいに長く、50人ぐらい入れる居酒屋だあったことに気付いたときの驚きに似ています(笑)。

  

〇 この本を読む価値はあるのか?

 

ルパン三世の映画に「1$ マネーウォーズ」というのがあります。この映画は、ヒトラーとかの過去に世界を征服しようとした指導者が持ったことがあり、それを手に入れたものは「世界の王」になれるといわれている「幸運のブローチ」をめぐって、ルパンと銀行頭取シンシアとの争奪戦を描いています。そんな中、相棒の次元大介が、そんなブローチを手に入れてどうするのか疑問に感じ、こう質問します。

 

次元「ルパーン帝国でも造ろうってのかあ?」


ルパン「そンなアホじゃねーよ」 

 

このやりとりを見たとき、わたしはちょっと不思議に思いました。「世界征服って現実味は確かにないけど、でも、本当にできたらそれはそれで楽しいのでは?なぜアホなんだろう?」 と私は思ったからです。

 

そんな疑問があったので、その疑問が解消するかもと思い、「世界征服」というタイトルに惹かれてこの本を読みました。読んでみて、疑問は解消しました。この本で分かったことは、

 

世界征服しても大変は大変、世界征服は割りに合わない

 

ということです。ルパンが「アホ」と言った理由がよーくわかりました。ということで、世界征服を夢見る人、実行する前にぜひこの本を読んで欲しいです(笑)。

 

言い換えます。

 

世界征服を実現した人とは、この世の中をすべて支配する独裁者です。独裁者とはすべてを思いのままにできるので、世界征服って悪くないのではとおもってしまうのですが、意外と独裁者の人生はそれほど幸せにも見えないというのが現実です。「北朝鮮金正恩は幸せか?」という話しです。人生は単純ではありません。

独裁者の大変さを知ることを通じて、自分の人生にとって何が大事なのかということを気付かせてくれたり、自分はどういう人間なのかを見つめなおさせてくれます。

 

さすが第10刷を達成した本です。

 

すべての会社員、いやすべての社会人が知り、そして習得すべき応酬話法

禁断の説得術 応酬話法ー「ノー」と言わせないテクニック(著者:村西とおる)、祥伝社新書、2018年3月初版第1刷発行、同年4月第2刷発行、

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著者の村西氏といえば、AVの帝王として有名です。こう聞くと、村西氏はずーっとAVの仕事をしてきたかのような印象がありますが、そうではなないんですね。学校を卒業後、さいしょは水商売をし、結婚を契機に転職した仕事が、英語の百科辞典のセールスです。 この本のテーマである応酬話法は、そのセールスマン時代に村西氏が掴んだ手法です。

 

〇 応酬話法とは

 

お客さまから投げかけられる疑問・質問・反論の答える ためのセールストークのことです。実は、お客さまの反応には一定の型があり、その型ごとに答えを用意するのです。誤解されやすいのですが、けっしてお客様を論破するものではありません。むしろ、お客様に自然に納得していただく、「ノー」と言わせない説得術です

 

「ノー」と言わせない説得術とは、なんとも魅力的です。わたしたちは、相手が自分の思い通りにならないからこそ、人間関係において苦労します。ましてや、営業のように、モノを売りお金をもらうとなれば、なおさら思い通りにならないのが普通です。村西氏はこの応酬話法により百科辞典をセールスした結果、多いときは、月40万円(現在の価値にすると200万円)以上の収入があったそうです。

 

〇 モノ消費からコト消費へ

 

村西氏は高卒。英語が得意なわけでもない。なのに、なぜ、村西氏は英語の百科事典をお客さんに買ってもらうことができたのか?

 

お客さまは、そうした英語を学ぶノウハウは学生時代に食傷していました。今さら、学習テクニックを熱く語っても興味を示すことはなかったのです(中略)私は、お客さまが英語の実力を身につけることで、いかに明るい未来を築けるかの説明に徹しました。英語で啖呵を切ることの実力を身につけることで、どれだけ企業戦士としての将来が有望になるか、を語ったのです

 

日本大百科事典(ニッポニカ)によると、コト消費とは、

 

ある商品やサービスを購入することで得られる、使用価値を重視した消費行動。コト消費ということばは、消費者の価値観やお金の使い方が、従来のモノ消費から大きく変化したことを印象づける意味で、2000年(平成12)ごろから使われるようになった。典型的な傾向は、所有のためではなく、趣味や行楽、演芸の鑑賞などで得られる特別な時間や体験、サービスや人間関係に重きを置いて支出することで、それが購買の判断基準となっている 

 

だそうです。村西氏のセールス、まさにコト消費のセールス手法です。そして、驚きのなのが、コト消費という言葉は2000年から使われるようになりましたが、村西氏が英語辞典のセールスをしていたのは、1970年代です。30年も先を行っていたことになります。

 

〇 笑顔は社会人の最低限の要件

 

応酬話法という言葉のイメージ、あるいは、お客さんの質問・疑問・反論にどう答えるかというのが応酬話法であるとすると、どうも硬い印象がありますが、まったく違うようです。村西氏はこういいます。

 

営業マンに限らず、人前で笑顔を見せることのできない者は社会的失格者です。笑顔を見せることができないのは、自分のことばかりを考えている自己中心的な考え方の持ち主であることを白状しているようなものです。他人の前で無防備に笑う、ということは相手を無条件に信頼しています、裏切りません、という意思の表明なのですから

 

笑顔にここまでの高い意義を認めている人をわたしは知りません。

村西氏は百科辞典のセールス時代に培った応酬話法をもって、AVの仕事を始めた後、「この人が!」と世間が驚く女性をAVに出演させています。しかし、ここまで笑顔を大事にする村西監督であれば、さいきん問題となっているAV出演強要問題とは無縁であったと思います。

 

〇 すべての会社員、いやすべての社会人に必要な応酬話法

 

ひょっとして、「自分は営業の仕事はしていないし、AVの仕事をしていない。だから、応酬話法は自分には関係がなく役に立たない。」なんて思っている方いないでしょうか?

とんでもありません!応酬話法は会社員、社会人すべてが持つべき技術のひとつです。営業担当でないとしても、社内で上司を説得しないといけない、あるいは、家庭で妻をあるいは夫を説得しないといけない、ということは、かならず起こります。そんなとき、この応酬話法が役に立ちます。

なぜなら、応酬話法は、「お客様(相手)に自然に納得していただく、「ノー」と言わせない説得術」だからです。

 

自分ひとりでできることには限度があります。しかし。応酬話法により、周りの人が自分の考えに賛成してくれたり、あるいは、協力してくれたりするようになれば、その人の人生が幸せなものとなるのは間違いないでしょう。

じっさい村西氏は、AVの仕事で50億円の負債をかかえ事業に失敗しますが、その後、様々な仕事をすることで、借金を完済しています。このときにも、応酬話法が大いに役立ったのは間違いないでしょう。

世の中意外と知らないことばかりだし、知ってる方がトクすることもあるということが分かる本

「価格」を疑え なぜビールは値上がり続けるのか(著者:吉川尚宏)、中公新書クラレ、2018年5月発行、

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誰もがより豊かな生活をしたいと願っています。

 

では、豊かな生活とは何か?ひとつの考え方として、どれだけ自由に好きなものが買えるか、というのがあるとわたしは思います。そして、どれだけものが買えるか、それは、その人の持っているお金つまり収入と、ものの値段つまり価格のバランスで決まります。

 

この本は、豊かな生活を大きく左右する「価格」についての本です。経済学では価格について、市場における需要と供給のバランスによって決まると教えています。しかし、この本によると、日本の価格の中には、そうでないものがある、つまり「官製価格」です。

 

こんな仕組みがあるなんて知らなかった

 

バターの話しです。少し古い話しですが、2014年にバターの品不足が大きな問題となったそうです。「バター不足?そんなの自分の生活に関係ないなあ。」と思うかもしれません。わたしもさいしょそう思いました。バター不足で一番困るのはケーキ屋さん、つまり洋菓子業界だそうです。2014年のバター不足はクリスマスシーズンに起こったのでより問題となったようです。

 

ふつうなら、品不足になればバターの価格が上昇し、それにより生産量が増えたり、あるいは、輸入が増えたりして価格も落ち着くというのがふつうの市場ですが、バターはそうではないんですね。

 

なんと、バターの輸入は国が一元的に管理しているんです。昔のソ連のような社会主義経済ではあるまいしという感じです。これが、安全保障とか軍事機密みたいな話ならまあ分からんでもありませんが、言い方悪いですが、たかがバターのためになんで国がここまで関わる必要があるの?と思います。

 

もっと驚きなのは、そういう制度があることをいままでわたしが全く知らなかったことです。この本、勉強になります。

 

日本の鉄道は海外より30年以上遅れている

 

意外ですよね。むしろ逆では?日本の鉄道はほとんど遅れず時刻表どおり運行しているんだからとふつう思います。問題は、運賃です。

 

東京には、JR東日本、私鉄、東京メトロ都営地下鉄と4種類の鉄道会社があります。そして、中には同じようなところを走っているところもあります。しかし、A駅からB駅まで移動するとき、鉄道会社によって運賃が違うことがあります。また、鉄道会社間での相互乗り入れや乗り継ぎ制度も充実していますが、その場合でも、初乗り運賃は2回取られます。

 

ようは、日本の鉄道は、運賃が各鉄道会社ごとに決まっているということですね。「それって当たり前でしょ、何が問題なの?」と思った人、じつは30年遅れています。

 

なぜなら、海外では通算制があります。これは、同じ距離の利用であれば、鉄道会社が違っていても同じ運賃になる制度です。つまり、鉄道会社単位での運賃設定にはなっていないということです。

驚きなのが、ヨーロッパでは、1970年代前後から議論が行われ、導入が進められたという事実です。ヨーロッパだけではありません。韓国、シンガポールといったアジアの国でも導入されています。

 

日本の鉄道、遅れていると思いませんか?

 

当局が無能だから物価が下がらない

 

こんどは携帯の話しです。携帯料金が高いと言われることが多いですが、なぜ高いのか?安倍総理は以前携帯料金の水準を問題とする発言をし(2015年9月)、監督官庁総務省は料金引き下げの政策をやっています。でも、うまくいっていません。料金が下がったという実感はまったくありません。

 

この本では、監督官庁である総務省、さらに、監督官庁ではありませんが公正取引委員会がいかに失敗をしてきたか、そして、そのせいで、携帯料金を下げるチャンスが失われてしまったのか、を説明してくれています。当局の無能ぶりを堪能することができます(笑)。

 

ただ、わたしたちとしては、携帯料金は下がって欲しいですから、当局にはほんとうはがんばって欲しい。当局の無能さを笑っているだけでは、いちばん困るのはわたしたちです。ではなぜ当局は無能なのでしょうか?

 

政策を決定している役人がシロウトだから

 

「マーケットデザイン」という言葉、聞いたことありますか?わたしはこの本で初めて知りました。経済学の一種だそうです。

 

大阪大学大学院経済学研究科准教授の安田洋祐氏によると「経済学(特にゲーム理論)で得られた最新の知見をいかして、現実の経済制度の修正・設計を行う新しい研究分野」として注目されているのがマーケットデザインである

 

その分かりやすい例が、携帯分野における電波オークションです。日本では導入されていませんが、じつは世界では常識的政策のようです。最初に導入したのはアメリカで、以後各国の導入が続き、この本によると、日本以外のOECD加盟国はすべて電波オークションを導入しています。つまり、日本だけ未導入です。

 

なぜそんなことになるのか?日本の役人は経済学の知識・感覚が乏しく、マーケットデザインといった学門を使いこなす能力がないためということです。それゆえ、価格を下げようと政策を出しても的外れな政策になってしまう、ということでしょう。

 

この話、役人だけではありません。経済学の知識がないのはわたしたちも同じです。では、わたしたちは、ふだんの生活や仕事をする上で知らなくて良いのかというとそうではないと思います。

 

mogumogupakupaku1111.hatenablog.com

 

 

大人になっても勉強は大事だなあとつくづく痛感し、また、これまでのわたしの不勉強を思うと、冷や汗ばかりです(笑)。

これさえわかっていれば人生で失敗することはないという大事なことを教えてくれる本

逃げる力(著者:百田尚樹)、PHP新書、2018年3月第1版第1刷、5月第1版第3刷、

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「逃げる」というと、いぜんはとても良くないイメージの言葉でした。困難や難しいことにぶつかっても逃げずに立ち向かう人、それが、日本人にとっての尊敬できる人のひとつでした。

 

さすがにさいきんは少しずつ変わりつつあります。たとえば、学校でいじめにあってしまった子供に対して、「無理して学校にいかなっくてよい」と言われることが増えていると思います。これは、逃げることを勧めていることになります。

 

しかし、日本人は逃げるのが下手というのは、意外と根深いもので、そう簡単には変わらない行動原理であるようです。たとえば、自分の働いている会社がブラック企業なのでさっさと辞める(逃げる)ことができるか、と考えてみると、できる人もいると思いますが、できない人も多いでしょう。逃げられない人が多いから、ブラック企業が存在するし、社会問題になるわけです。

 

いや、そんなことはない、わたしはちゃんと逃げることができると思っている方、本当に逃げることができるのか、この本を読んでみるとそれがわかります。わたしは、読む前には自分は逃げる力があると思ってましたが、この本を読んでみて実はそうでもないということが分かりました。この本では、こんな人が逃げる力の弱い人とされています。

 

今はうまくいかなくてもそのうち何とかなると思う人

 

この人は、逃げる力の弱い人です。仕事、投資、事業、なんでも一緒です。もちろん、一時的に苦境になるのが始める前から予想していたのであれば話しは別ですが、思ったようにうまくいかないときにそのうち何とかなると思っている人は、キケンです。おおごとにならないうちに逃げるべきでしょう。

この本では、分かりやすい例が紹介されています。強い碁打ちは形勢不利なときはじっと我慢して損失を最小限にし勝負には出ないでチャンスをうかがう一方、弱い碁打ちは形成不利なときに一か八かの大勝負をしてたいてい負けてしまうそうです。また、大東亜戦争のとき日本は約300万人が亡くなりましたが、もし1944年、つまり実際よりも1年早く戦争を終わらしていたら、約200万人が亡くならずにすんだと言われているそうです。

この話し、単に「諦める」とは違います。単に「諦める」のは逃げっぱなし、ここで言う逃げは、次につなげる、次は勝利するために力を温存するための「逃げ」です。

 

自分は責任感が強いので仕事から逃げ出さないと思っている人

 

職場の人に迷惑をかけたくないので、無理してでも自分がかんばるって思っている人、あるいは、それが良いことと思っている人、逃げる力が弱い人です。周りのことを気にしている暇があったら、自分のことを気にしましょう。

この本によると、じつは、このタイプの人の本音は責任感ではなく、単に周りの人に「嫌われたくない」という感情がベースになっていると指摘します。そうだとすると、そういう気持を「責任感」という言葉でごまかしていることになります。ちょっと偽善的です。

 

ほかにもこの本では、いろんなことから「逃げる」ことの大切さを述べています。人の生死に関わるような場合を除けば、最終的に、何からその人が「逃げる」のか、それは人により異なるということになります。だから、会社から逃げないからダメという単純なものではありません。また、百田氏は、何でも逃げていいとまでは言っていません。では、何か逃げて何から逃げないのか、それを各人はどう考えればよいのか、というのが問題になります。

 

自分なりの幸せの絶対的基準を持つ

 

何が自分にとって大事なのか、何が大事ではないのか、ということの基準です。そういわれると「そんなすぱっと割り切れない。家庭も仕事もみんな大事なんだ。」という声が聞こえてきそうですが、その悩み方はちょっと違うと思います。

 

この質問に対して、いまであれば、「自分にとって大事なのは家族である」と答える人が多いたと思います。昔であれば「仕事」という答えが多かったのではないでしょうか。こうすると、昔の人は家族を大事にしていなかったと見えますが、そうではないと思います。「仕事」と答える昔の人は、家族が大事ということは分かっていて、家族を大事にするためには仕事(お金)が必要なので「仕事」と答えるのではないでしょうか。今の人も同じです。家族が大事だからといって、仕事をないがしろにするということはないと思います。家族がちゃんと生活できるだけのお金を手に入れるためには仕事も大事にしないといけません。

 

何か1つを選ぶという話ではないんです

 

この話、目的と手段という言い方もできると思います。つまり、絶対的に大事なもの(=目的)を明確にし、それを達成するためにどうすればよいか(=手段)という関係です。家族と仕事の場合、「自分は家族が大事なので、そのために家族が生活するために必要なお金を仕事で稼ぐ」ということです。

「なーんだ、けっきょくどっちも大事ということでしょ。そんなの当たり前だし、この質問の答えを考えても意味ないのでは?」と思うかもしれませんが、意味は大いにあります。何から逃げるべきかがはっきりします。

 

例えば、自分の働く会社がブラック企業なのに辞められない人は、この目的と手段が見えなくなっている状態です。会社の人に迷惑かけられないから無理してでも働くというのは、仕事の目的である家族の存在は消えてしまってます。もし家族が大事と分かっていれば、「この会社は辞めて他の会社を探す」というふうに判断できます。

 

何から逃げるべきか、これは、人生を左右する大問題です。