日々読書、時々一杯、折々投資

私の趣味をそのままタイトルにしました。 趣味のことでこれいいなあと思ったことを書いていきます。それが少しでもみなさまの参考になればさいわいです。

人間関係で悩んでいる方にぜひ見ていただきたい。気持が楽になります。

葵徳川三代(NHK大河ドラマ、2000年放送)

 

豊臣秀吉死去から江戸幕府成立にいたる徳川家康、秀忠、家光の徳川三代の歴史を描いた大河ドラマです。徳川三代はもちろん、徳川家譜代家臣、豊臣家、豊家恩顧の諸将、それを取り巻く女性が織り成すさまざまな人間模様が丁寧に描かれています。

 

〇豪華俳優陣の登場。これぞまさに名優。百聞は一見にしかず

 

「名優とは何をもって言うのか?」と聞かれて、その道の勉強を専門的にしたこがある人ならともかく、いっぱんの人が回答することは難しいでしょう。また、自分の考えを述べたとしても、それが周りの人の賛成を得られるとは限りません。つまり、名優の定義は、回答する人の数だけあるということです。

 

しかし、「葵徳川三代」は違います。これを見れば、100人中100人が「名演技である」と言うと思います。まさに「百聞は一見にしかず」ということわざは、このドラマにためにあります。それもそのはず。登場する俳優を少しだけ紹介します。

 

徳川家康役:津川雅彦

徳川秀忠役:西田敏行

お江(秀忠正室)役:岩下志麻

石田光成役:江守徹

春日局役:樹木希林

 

登場する多くの俳優のうちから一部を紹介しただけでも、これだけの名優がそろっています。なんとも豪華です。既に亡くなった人もいます。これだけの豪華俳優陣の競演はいまでは見られないのではないでしょうか。

西田敏行氏はこのドラマでは、家康の子である秀忠として、家康には時には叱られ、一方で恐妻家のため、正室のお江にはまったく頭があがらないという、なんとも武将として頼りない役を演じています。わたしは、西田氏の「アウトレイジビヨンド」のでの強面ぶりがとても印象に残っていますが、同じ人なのにここまで全く違う役を演じ、かつ、どちらの役も、まさに西田氏が演じるためにあるかのような見事なはまりっぷりで、俳優という職業の奥深さを感じました。

 

〇迫力の戦闘シーン。本では絶対分からない臨場感

 

このドラマの見所の一つは、なんといっても、天下分け目の合戦「関が原の戦い」でしょう。東軍、西軍あわせて、20万人に近い大軍が、天下を競って闘う、日本の歴史においてもそうそうない巨大なスケールの戦です。

 

この見所の特徴のひとつは、詳細な戦闘シーンの描写です。鉄砲隊の発砲、騎馬隊の突入、名のある武士同士の一騎打ちの戦いなどなど、よくぞここまでと言うまでの戦闘シーンの連続です。実際の戦はこのように行われていたのだと実感できます。とくに歴史の本を読んで戦闘シーンを理解していた人には、特におすすめです。これも「百聞は一見にしかず」です。

 

わたしが特に印象に残ったのは、関が原の合戦当日の東軍の先陣争いです。東軍先陣は福島正則ですが、家康は四男松平忠吉に先陣をきるようひそかに命じます。しかし「言うは易し行うは難し」とはこのこと。先陣を他の武将に譲る武将はいるはずもなく、ましてや福島正則が相手ではなおさら無理というもの。そこで、忠吉の舅である井伊直政が一計を案じ、見事に忠吉は先陣をきることに成功します。わたしはこの経緯を本では何度も読んでおり知っていますが、映像で見たのは初めてですし、どうやって先陣を忠吉がきることができたのか、よーくわかりました。

 

〇人間関係はよくわからない。でも何とかなる

 

 

関が原の戦いでは、西軍つまり石田三成は豊臣家のために徳川家康と討つと宣言します。そして、この石田三成の宣言の正しさは、後の歴史が証明しています。しかし、それにもかかわらず、なぜ、西軍につくべきと思われる武将が東軍についてしまったのでしょうか?

 

豊家恩顧の諸将、福島正則黒田長政藤堂高虎細川忠興池田輝政浅野幸長などは、さいしょから東軍につきましたし、小早川秀秋などはさいしょは西軍につきますが、戦の途中で東軍に寝返ります。

これを、徳川家康の謀略のためであると結論付けることは間違いではありませんが、それだけとはとうてい思えません。また、戦国武将特有の考え、気性もあり、現代のわたしたちにはちょっと理解しがたいところもないわけではありません。

ひとつ言えるのは、理屈・正義は石田三成にあったが、しかし人々は理屈・正義のとおりには動かなかったということです。そして、石田三成の理屈・正義を否定して東軍についたのならわかりやすいのですが、実際はそうではありません。とくに、豊家恩顧の諸将は豊臣家のために働く意思は十分にあり、その意味で、石田三成の理屈・正義には賛同するはずですが、行動はそうなっていません。

じっさい上杉景勝はドラマの中でこう言っています。

 

正義が勝ち負けを決めるのではない、勝ち負けが正義を決めるのだ 

 

一方、徳川家康はドラマの中で秀忠にこう言っています。

 

桶狭間の合戦で今川義元が敗れ、わしが人質の身を解かれたとき、三河再興を目指し相呼応して戻ってきた将兵はみな、いったんわしを見限った家臣だった。わかるか、時には味方が敵になり、敵が味方となる。これが戦国の習いと心得よ。こたびは、敵の敵を味方とする。

 

わたしはこの徳川家康の言葉を聞いて、「人間心理は変わり得るもの。いまは難しくてもいずれは理解できる時もくることがある」と思いました。いま何を考えているかわからず苦手な人がいても、それほど気にすることはないということです。ぜったいの敵もいないしぜったいの味方もいない、いままわりに苦手な人がいてもずっと苦手ということはないということです。そう考えると、少し気が楽になります。

 

大河ドラマはいわば時代劇の一種。さいきん時代劇は元気がありませんが、それはワンパターンの内容だからです。この大河ドラマはまったく違います。しかも、とても見る人の身になります。さすがNHKという感じです。

 

病院で長時間待たされるぐらいで医師をバッシングするのは本当に不毛。バッシングは何も解決しないと私が思うようになった理由

さいきん、病院の待ち時間の長さに怒るこの記事が話題になっています。

 

gendai.ismedia.jp

 

病院での待ち時間が長すぎる、事務員などの態度がサービス業にふさわしくない、といった病院のサービス業としての意識の低さを批判しています。そして、何の改善もしない病院は淘汰されていくであろう、と結論付けています。

 

この記事で紹介されているような経験を病院でした経験のある人はおおぜいいるでしょう。わたしもあります。でもだからといってここまでいう話なのか疑問があります。

 

解決法は簡単で、

 

近所の個人病院に行く。

 

です。でも、誰でも思いつくこの解決法をとらない人が多いのはなぜか?考えてみました。

 

〇大病院の医者の方が個人病院の医者よりも優秀?

 

大病院の方が優秀な医師やスタッフがそろっているから大病院にいくという人は多いと思います。わたしは専門家ではないので、その意見が正しいか間違っているか、判断できません。少なくとも、大病院か個人病院かということと、そこで働く医師のレベルの高低に関係はないと思います。

 

近所の個人病院の医師の経歴を読んだことありますか?ほとんどの病院で、ホームページに医師の顔写真と経歴を載せていると思います。大病院で経験を積んで独立した人が多いんです。というか、そういう医師でなければ、いくら近所でもその個人病院にわたしはいきません。

 

「去年医師国家試験に合格して今年病院を開きました」と言っている医師の診察を受けるのはさすがに怖いです。おそらく、そういう患者の心理を分かっているので、ホームページに経歴を紹介しているのですし、また、大病院で経験を積んでからでないと独立しないのでしょう。ひょっとしたら、大病院であなたを診察してくれている医師は、去年医師国家試験に合格したばかりの医師かもしれません。もちろん、大病院の場合、経験豊富な医師がサポートするはずですので問題はないと思いますが、それでもあなたは、近所の個人病院を避けてあえて大病院に行きますか?

 

〇大病院の方が個人病院よりも高度な治療ができる

 

医師が病気を治療するときの治療法は、学会が作成するガイドラインに決められています。ガイドラインに拘束力はなく最終的には担当医師の判断だと思います。でも、一般的な方法はガイドラインに書いてあるんですね。

 

つまり、大病院にいっても個人病院にいっても、同じ患者、同じ病気であるなら、おそらく同じ治療がされるということです。

 

もちろん、100万人に1人という難病なら話は別かもしれませんが、あなたの病気はそんな病気ですか?カゼ、頭痛、腹が痛い、足が痛い、といったようなものではないでしょうか?

 

カゼで大病院に行くのは、小学生が算数を勉強するために大学に行くようなものだと思います。

 

 

〇医師の主張も聞いてみよう

 

それでもやはり大病院に行きたいという人もいるかもしれません。かつ、長時間待たされるのはイヤだという人もいるでしょう。そういう人には、大病院に行く前に医師の主張を聞いてみることをおすすめします。

 

興味のある方には、この本をおすすめです。いぜんわたしも読んでみて、医師はほんとうに大変なんだなあと、しみじみ思いました。この本を読んでから、病院で長時間待たされることになったら、本を読む時間ができたと喜ぶことにしました(笑)

 

mogumogupakupaku1111.hatenablog.com

 

ふつうの人でも目標を達成できることを示した安田善次郎。凡人に勇気を与えてくれます

成り上がり 金融王・安田善次郎(著者:江上剛)、PHP研究所、2013年10月第一版第一刷発行、

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安田善次郎という人を知っていますか?安田善次郎は、戦前の財閥の一つの芙蓉(ふよう)グループの中核である安田銀行の設立者です。安田銀行は戦後は富士銀行として都市銀行の一核を占め、現在はみずほ銀行となっています。

 

安田氏は、富山藩の安田村に1838年に生まれます。そろそろ江戸時代が終わりに近づいています。安田家は、もともとお金持ちだったわけではありません。武士の家ではあるものの、家はとても貧しく、農作業などをしてやっと食べていけるような家です。しかし、安田氏は、「千両の分限者」になると宣言します。いまの金額で千両がいくらなのかよく分かりませんが、ようはお金持ちになるということでしょう。そう宣言し、江戸に単身行き、さまざまな商売をしながら事業を拡大させ、最後には大成功をおさめます。このことを著者の江上氏は「成り上がり」と表現し、この本のタイトルにもなっていますが、もちろん江上氏は、安田氏を軽蔑しているのではなく敬意を込めてこの言葉を使っています。

 

この本は、そんな安田氏の波乱万丈に満ちた人生を江上氏が描いています。安田氏の波乱万丈の人生自体も読書対象としてとても面白いのですが、それを描く江上氏の筆がとてもさえています。まるで、本を読んでいる自分が江戸時代から明治時代の安田氏のそばにいて、安田氏の成功をじっと見守り、あるときはハラハラしてしまうかのような臨場感あふれる文章のため、一晩で一気に読んでしまいました。

 

〇出世する人とは、着実に歩む人だ

 

安田氏の人生は波乱に富んだのものですので、いろんな出来事が起こります。そして、さまざまな出来事からはいろんな教訓を得ることができますが、安田氏の人生を一貫しているのは、このタイトルの言葉の精神です。

 

この言葉から求められる行動は具体的かつ明確ですし、それほど難しいものではありません。こう言ったからといってこの言葉の価値が下がるものではありませんが、「当たり前のこと」を言っているだけです。

とはいえこれは頭で理解している程度にすぎず、「当たり前のこと」を当たり前にやるという言葉は、頭で理解することと実際に行動することの間に大きなギャップのある言葉の典型でしょう。

 

安田氏は、文久銭投機にチャレンジします。これは、江戸と地方の文久銭の価格差を利用して儲けるという話しなのですが、安田氏は、この話を聞いて、一気に儲けようとチャレンジしましたが、結果はかんぜんな失敗に終わります。「着実に歩む」という日頃の行いからは外れてしまった結果です。

 

「着実に歩む」というのは意外と難しいです。

 

〇どうすれば「着実に歩む」ことができるか

 

「着実に歩む」と聞くと、やるべきことを毎日着実にこなす、というイメージにも聞こえ、とても勝負事とは無縁に感じます。しかし、成功するためには、時には、大きく勝負に出ないといけないこともあり、勝負に出るときに出られないようでは、成功することはできません。

そうすると、どういうときに勝負に出ればいいのか、言い換えると、この勝負は「着実に歩む」から外れているのかいないのかをしっかり見極めなければ、「着実に歩む」ことはできません。

 

じつは安田氏はその後に、さらに大きな勝負に出ています。明治新政府が発行する太政官札(通貨の一種)の価値が、これまで江戸幕府が発行していた小判に比べて低下する一方であるときに、太政官札に不安を持つ人から太政官札を積極的に預かり、買い入れました。その後、太政官札の価値は回復し人々の信任を得られるようになり、安田氏は多額の利益をあげることに成功します。

 

両者の間の違いは何かというのは、「着実に歩む」ことと勝負に出ることの関係を考える上で、とても面白い題材です。もちろん、費やした金額の多寡でもなく、成功したかどうかという結果論でもなく、

 

「その勝負に勝つことでこんご地道な努力をしなくて済むようにすることを目指しているのかどうか」

 

という違いではないかと思います。目指していない勝負が「着実に歩む」勝負です。その場合は、それが勝負であるのはたまたま関わるお金の額が大きいかどうかということの反映にすぎず、それに勝ったからと言ってその後「着実に歩む」ことが不要となることはあり得ません。安田氏が文久銭投機にチャレンジしたのは、確実な儲け話と考えこれで一気にお金を稼ぎたいと思ったからでした。

 

〇安田氏の人生はいまの私たちに何を教えてくれるのか

 

安田氏ほどではいにしても、誰もが、こうしたい、こうなりたいという目標を立て、それに向かって努力することがあると思います。しかし、目標が高いほど、あるいは、その目標の実現を自分が強く希望すればするほど、どうしても、日々やっていることが無意味なような気がしてしまいます。

 

たとえば、「1億円持つ金持ちになる」という目標を立てたとして、そのために、今日から毎日貯金を始めたとします。1日100円としたら100万日(2739年)、1日10000円としても1万日(27年)もかかってしまいます。そうするとつい人は、「こんなちまちました貯金など意味ない。一発大きく当ててやるんだ」とか思って、たとえば、宝くじを買ったり、株をやったりしますが、ほぼ間違いなく失敗するでしょう。

目標が高すぎてその達成を思うと絶望感しかないとき、人はついつい焦ってしまい、一攫千金を狙ってしまいますが、そのような気持ちになってしまったときは、安田氏の話を思い出すべきでしょう。

 

いまの1億円の場合、もちろん貯金だけではぜったい達成は不可能です。しかし、毎日お金を貯める以外にもできることはあるはずですし、そうやっていろいろ努力していると、助けてくれる人がきっと現れます。安田氏はそうでした。江戸に出てから、いろんな人に出会い助けられ成功しています。

 

「師は、弟子にその準備が整ったときにあらわれる」

 

いまできることをしっかりやればいいとも言えます。凡人でも目標を達成することができるのであり、安田氏の人生は凡人に勇気を与えてくれます。

目からウロコが落ちるとはこの本のためにある言葉です。自分の生活をいまより良くしたいと思っている人に読んでいただきたい本

競争の作法―いかに働き、投資するか(著者:齊藤誠)、ちくま新書、2010年6月第1刷発行、2011年2月第4刷発行、

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タイトルの「競争の作法」という言葉にどんなイメージを持つでしょうか?「競争」という一種の争いごとについてルールがあるといわれると、「いくら争いでもやっていことといけないことがある」ということについての本かなあというイメージを私は持ちました。しかし、じっさいの本の内容はかなり違います。

齊藤氏はマクロ経済学などを専門とする経済学者ですので、経済政策や経済全体について、今まで常識と思われていたことがいかに誤っているのかという話がこの本の内容のメインです。しかしそこから、個人の人生をどのように生きればよいのか、まさにサブタイトルの「いかに働き、投資するか」ということについてのとても貴重なアドバイスが導き出されています。

 

〇「リーマン・ショック」、「戦後最長の景気回復」は何か?

 

どちらも経済ニュースにおいてよく出てくる言葉です。「リーマンショック」とは2008年9月にアメリカの投資銀行リーマン・ブラザーズが経営破たんしたことを契機に起こった金融危機を指します。この本によると、2009年の日本の失業率は5%台に達し、過去最大の上昇幅であったと当時報道されました。しかし、齊藤氏はこの報道について誤りではないとしつつも、こう指摘します。

 

もし、2009年の失業率が2002年や2003年の失業率を下回っていることが伝われば、リーマン・ショック後の労働市場が「未曾有の雇用危機」に見舞われたと、賢明な新聞購読者はよもや思わなかったと思う

 

驚きです。じつは、リーマン・ショックの前の方が雇用状況は悪かったとは・・・。そうであれば、たしかに、リーマン・ショックについてそんなに大騒ぎする必要はなかったのでしょう。言い換えれば、すくなくとも日本はそれほど影響は受けなかったと言えるのではないでしょうか。

 

しかし、驚くのはこれだけではありません。リーマン・ショックが世界経済に大きな影響を与えたのは事実で、ではなぜ日本は軽い影響にとどまったのか、その理由は何かという話しです。

「日本経済は強いから」と言いたいところですが、そうではありません。じつは、2008年より前に日本は「戦後最長の景気回復」と呼ばれる時期を経験しています。時期は2002年から2007年です。ではこの時期の雇用状況はどうだったのかというと、齊藤氏はこう述べます。

 

実質GDPをおよそ1割も引き上げた「戦後最長の景気回復」の5年間で、就業者数は、たった82万人、1.3%しか増加しなかったのである

 

つまり、「戦後最長の景気回復」期でさえ、日本企業は雇用を絞りギリギリの水準でやってきたので、リーマン・ショックが起こっても、失業者が大して増えなかったということです。これがリーマン・ショックの日本への影響が軽かった理由です。

と同時に、「戦後最長の景気回復」とは、雇用増なき景気回復であったという事実も浮かび上がってきます。これにはさらに驚きです。それでは、一体何のための景気回復なのか、と言いたくなります。これらをまとめて齊藤氏はこう評価します。

 

「戦後最長の景気回復」期やリーマン・ショックの前後では、豊かさと幸福に大きなずれが生じて、これらの時期には、人々が「幸福なき豊かさ」をめぐって空騒ぎしていただけだったことを、読者にぜひとも知ってもらいたかった 

 

たしかに、このように具体的数字をあげて言われてしまうと、空騒ぎしていたと認めるしかありません。しかし、ちょっと思うのは、空騒ぎしていたのは自分だけではありません。政府もマスコミもみんなそうでした。

 

齊藤氏は政府、マスコミ(評論家も)のいい加減さもこの本で痛烈に指摘しています。齊藤氏の批判の鋭いのは、単に「政府、マスコミは分かっていない」と言うのではなく、政府、マスコミの発言がいかに時々に応じて一貫性なく変化しているかと言う点を、簡潔に端的に指摘しているところです。

これを読んでしまったら、政府、マスコミの言うことを明日から疑って聞くしかないでしょう。まもなく自民党総裁選が始まります。アベノミクスの評価が争点のひとつになると思われます。下馬評では安倍氏の三選確実といわれており、おそらくそうなのでしょうけど、アベノミクスの成果は本当にあったのか、よーく考えてみるいい機会です。

  

〇競争原理に反したがゆえに生じた格差問題

 

「「リーマン・ショック」はあったけど、じつは失業率の上昇はそれほどでもなかった」とすれば、それはそれで良かったのではと思ってしまいます。それは間違いではありませんが、実は、それではすみません。

実際に失業してしまった人にとっては大問題だからです。この後、格差問題が社会的に大問題となり、現在にいたっています。

 

通常、このような話の原因としては、厳しい国際競争に勝つために企業は解雇せざるを得なかったという説明が一般的です。しかし、齊藤氏の考えは違います。リーマン・ショック後の雇用調整が生産性の向上に結び付いていないことを指摘しつつ、こう言います。

 

競争原理を大きく踏み外したので、所得分配上の深刻な問題が生まれた

 

リーマン・ショック」、「戦後最長の景気回復」に対する齊藤氏の分析は極めてユニークでしたが、ここにも齊藤氏の分析のユニークさが存分に発揮されています。

 

齊藤節、絶好調です。

 

〇 齊藤節は、私たちの生活に役立つのか?

 

齊藤節はおもしろいのですが、テーマが、経済政策とか経済全体の話しなので、いまいち私たちの生活に関係があるのかはっきりしません。つまり、それが私たちの生活にどのように役に立つのか、ということです。わたしは2つの示唆、教訓があると思います。

 

齊藤氏は、「リーマン・ショック」、「戦後最長の景気回復」に対する分析に際して、ことさらに難しい理論は使っていません。また、データも特殊なデータではなく、政府統計など一般に入手可能なデータを用いています。でも、一般には指摘されていない鋭い指摘をしています。

ともすれば、小難しい聞きなれない用語を用いた理論や考え方がもてはやされ、単純な理論、考え方はシンプルであるが故に軽視されます。どうも、難しいものをありがたく思ってしまう習性が人にはあるようですが、この本で齊藤氏が示した分析は、それが誤りであること、言い換えれば、基本が大事ということを示唆していると思います。これが1つ目です。

 

齊藤氏はこの本ぜんたいを通して、競争を避けるのではなく競争に向き合うことが大事であるということをメッセージとして発信しています。競争をすれば、良いときもあれば悪いときもあります。人はこの悪いときに耐え難いがために競争を避けてしまうと、齊藤氏は指摘しますが、この悪いときとちゃんと向き合う、言い換えれば、悪いときともうまく付き合っていくということは、私たちの人生においてとても重要です。

 

齊藤氏によると、銀座にエルメスなどの海外高級ブランドが旗艦店を出店したのは、2000年代初め、つまり、日本が不況の真っ只中にあった時期ですが、なぜそんな時期なのかというと、不況のため銀座の地価が大幅に下落し割安になったためです。

ここに悪いときとの上手な付き合い方が書いてあります。つまり、悪いときであっても、むしろ逆にそういう時だからこそ良いことを探すというのが、ここでいう上手な付き合い方です。これが2つ目です。

 

そして、この教訓と1つ目の教訓とセットで考えると、これは、私たちの資産運用、投資においてとても貴重な教訓になるのではないでしょうか。

たとえば、株式投資をしている人であれば、どういうタイミングで買いどういうタイミングで売ればいいのかは、最大の難問ですが、齊藤節はこれに対する答えを示してくれています。

この本は、投資術の本ではないので、一般的な投資術の説明をしているわけではありません。しかし、それよりもっと大事な、瑣末なテクニックではない、また政府やマスコミの言うことに惑わされて買い時売り時を間違えないために必要な基本を教えてくれています。

 

この本のサブタイトルにはまさにこうあります。

 

「いかに(働き、)投資するか」

いちど失敗するとばん回が難しい年代のサラリーマンは人生後半をどう生きるべきか。40代、50代のサラリーマンにおすすめの本です

 会社人生、五十路の壁 サラリーマンの分岐点(著者:江上剛)、PHP新書、2018年7月第一版第一刷、

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江上氏といえば、元々は第一勧業銀行(現在のみずほ銀行)の行員で、そのときに「非情銀行」で作家デビューした方です。いまでこそ人気作家ですが、元々はサラリーマンだった方です。

この本は、自らのサラリーマン体験も踏まえ、おそらく40代、50代のサラリーマンに江上氏が送る、こんごどのように人生を過ごすべきかについてのメッセージです。江上氏は、49歳で銀行を退職し執筆生活に入っています。まさに五十路の壁を意識して行動されています。

 

〇五十路の壁はみんなある。優秀な人こそぶつかる壁

 

「壁」という言葉、ふつうはマイナスイメージで使う言葉です。「壁にぶつかる」なんて言い方をします。では、「五十路の壁って何の壁なのか?」というのが大事なのですが、この本においては、サラリーマン人生における壁を指します。たとえば、「ずーっと働いてきたけど、会社での出世も先が見えてきた」、「出世どころか後輩が自分の上司になった」といったような壁です。会社ではよくある話です。

 

こういう話を聞くと、「自分には関係ない」と思われる人もいるでしょう。

「自分は30代、40代と仕事をがんばってきたし、実際に成果も出していて、同期の中でも順調に出世してきた。そんな壁にぶつかるのは、これまで大して実績をあげてない奴の話だろう」と思っている人です。

 

でも、江上氏によるとそれは違います。本人の自己評価が過大評価だからかというとそうではないんです。自己評価が適切だったとしてもです。なぜならば、会社は優秀な人ほど出世させないからです。正確には、ある程度は出世させますが限界があります。

 

「これだから、人事はダメだ、上層部はダメだ」と言いたくなるところですが、江上氏によると、これにはちゃんとした理由があります。その理由自体、なかなか興味深いですが、いずれにしても現実は現実です。そうすると、若い頃、優秀ではない人はとうぜんとして、優秀であったとしても、五十路の壁にぶつかる備えをしておく必要があるでしょう。つまりこの本は、すべてのサラリーマンにとって必読です。

 

〇みんな、「のに」病に気をつけよう

 

「のに」病。わたしは、はじめて聞きました。それもそのはず。この言葉は、江上氏の母が江上氏に言った言葉だからです。

 

〇〇したのに、と人は「のに、のに」と言いたくなる。努力したのに報われない、尽くしたのに分かってくれないなどだ。この「のに病」にかかると苦しくて仕方がないというのだ。きっと相田みつおさんか誰かの言葉なんだろうが、私はいい言葉だと思う。人生、「のに」が報われることはない

 

これが「のに」病の定義です。おそらく誰もがいちどはかかったことのある病気でしょう。もちろん私もあります。「のに」病は、具体的には、愚痴という形ででる病気とも言えます。

たしかに、愚痴をいくら言ったところでそれが報われることはないし、なにか自分に利益を生み出すことはないし、下手すると、愚痴を聞かされた周りの人が自分から離れてしまうかもしれない。まったくいいことがありません。「のに」病にかかると、本人はそうとう苦しいです。でもよくかかってしまうから、なんともやっかいです。この本では「のに」病にかかった人の実例を紹介しています。

 

この人も東大出身だったが、出向先でまったく腰が定まらなかった。彼はエリート意識が強烈で、銀行員時代、企業との懇親会などに行くとアメリカ留学と東大時代の先輩、同輩、後輩などが大蔵省(現・財務省)や日銀でいかに重要な地位に就いているかを必ず話題にした

 

かなり重症です(笑)。

この例を読んで、自分は東大出身でないから関係ないと思った人、キケンです。東大出身かどうか関係なくよくあります。職場で後輩を捕まえてはやたら過去の成功体験を述べたり説教をしてくる人、なんかはその典型ですし、お店で店員とかにクレームをつける暴走老人なんても同じでしょう。

共通点は、自分は周りから認められて当然なのに実際はそうなっていない、いわば自己承認の欲求が満たされないので、自分よりも弱い立場の人にそれを無理やり求めるというところです。東大出身かどうか関係なく、誰もが「のに」病にかかってもおかしくありません。

 

〇では、どうすればよいのか?

  

誰もが五十路の壁にぶつかり、誰もが「のに」病になるかもしれない。そうならないためにはどうすればよいのか?

 

江上氏は、自らの壮絶な苦労、体験も踏まえ、具体的な方法をこの本で紹介してくれています。とうぜん方法によっては自分には無理というのもあるでしょう。たとえば、五十路の壁を目前にして作家に転職するなんていうのは、ふつうできないでしょう。江上氏の場合は、学生の頃に作家の井伏鱒二先生に師事しており、その経験が役立ったのではないかと思われます。

 

この本が述べる内容から、そういった特殊な事情を捨象して、すべての人に共通すると思われる部分を私なりに抽出すると、こんな感じになりました。

 

・ いまやるべきことを全力で取り組む

・ その結果がどんなものであれ気にしない

・ こんご自分がどんな利益を得られるのかだけを考える

 

あたりまえ過ぎる内容になってしました(笑)。でも、そうだからといって、この本の価値が下がるということはまったくありません。

 

当たり前のことは誰でも知っている。同時に、当たり前のことをやったからといって常に結果が出るとは限らない、ということも誰もが知っている。だからこそ、当たり前のことをしないあるいはできない人もいる。

しかし江上氏は、とてつもない苦労をする中、当たり前のことを当たり前にやり、そしてちゃんと結果を出すという、誰でもできることではないことを成し遂げ、それに基づきこの本を書いています。そこが大きく違うところです。

 

言い換えれば、その発言に説得力があるということです。修羅場をくぐり抜けた人の言葉には重みがあります。

医者なくしては健康に生きることはできません。そんな大事な医者と上手に付き合い幸せな人生を送りたい人におすすめする本

患者は知らない 医者の真実(著者:野田一成)、ディスカヴァー携書、2016年4月第1刷、

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著者の野田氏は現役の医者です。医者の立場から患者に知って欲しいと思う「医者の真実」を書いたのがこの本です。こう聞いても特別の反応はふつうないと思います。

しかし野田氏はふつうの医者とはちょっと違うかわった経歴の持ち主です。もともとはNHKの記者として医療問題の取材などをしており、どちらかと言えば、医者に対して批判的な立場にあった人です。そんな野田氏ですが、取材を通じて自らが理想とする医療をやりたいと思うようになり、NHKを辞めて医学部に入学し医者になっています。

医者の立場は当然分かり、それだけでなく、医者以外の人から医者はどんな風に見えるのかということも分かるという、野田氏のふつうの医者にはない目線が、この本の特徴です。

 

〇こんご医者にクレームを言うのはやめようと本気で思う

 

大病院に受診しにいくと、「予約をしても予約した時間よりもかなり遅れてから診察が始まる」、「やっと診察してくれたとおもったら5分でおしまい」という経験をすることがあると、よく言われます。患者としては勘弁して欲しい、医者に文句の一つでも言いたくなります。

 

でも、この本を読むと、なぜそんなことが起こってしまうのか、そして、それは医者や看護師が悪いのではなくどうしてもそうなってしまうものである、ということがよく分かります。

 

また、病院で働く医師、看護師、事務職員といったスタッフの言動に腹が立った経験のある人は、一定程度いると思います。あるいは、医者に純粋に善意で「つけ届け」を渡そうとしたら頑なに拒絶されて気分を害したという経験のある人もいると思います。

 

野田氏は、なぜそういうことが起こるのかとてもわかりやすく事情を説明してくれています。この本を読んで事情を聞いてしまうと、病院でクレームを言うのは明日からやめようと本気で思います。それに、そういうことをしないことで病院のスタッフがより気持ちよく働けるのであれば、それは患者にも利益になることだと私は思います。

 

〇後医は名医

 

聞きなれない言葉ですが、同じ患者、同じ病気を最初に診察した医者よりもその後に診察した医者の方が、その患者から高く評価されるという意味だそうです。これは、患者が「セカンドオピニオン」を求めた場合に当てはまる言葉です。

この「セカンドオピニオン」という言葉、「最初に診察してもらった医者の診断結果に不満、疑問があるので、他の医者に診察してもらう」という意味だと多くの人は理解しているのではないでしょうか。私もそう思っていましたが、野田氏によるとそいうものではないそうで、この「セカンドオピニオン」という言葉の誤解が、「後医は名医」という状態をもたらすようです。

 

複数の医者が同じ患者の同じ病気を診察した場合に、もちろん最初に医者が誤診したというのであれば論外ですが、この話しはもちろんそういう話しではなく、治療としてはどちらの医者も間違っていない、場合によっては、同じ治療しかしていないのに、患者は後に診察してもらった医者を高く評価してしまうこともあるようです。

なんともマヌケな話しです。なぜそんなマヌケな話しになってしまうのか、野田氏はそのメカニズムをとても分かりやすく説明してくれています。

 

〇では、どうすれば適切な医療を患者は受けられるのか?

 

 

「後医は名医」という言葉は医者の世界で言われる言葉だそうで、わたしには、「セカンドオピニオン」という風潮に対する医師の不満が表れている言葉と聞こえました。

一方で患者からすると、「では患者は医者の言うことをなんでもはいはい聞けと言うのか?」という疑問が生じます。医者の説明や回答を聞いた結果、患者が疑問を持った場合はやはり「セカンドオピニオン」だろうという気もします。

 

しかし、何を根拠に疑問を持ったのかが重要だとわたしは思います。ひょっとしたら、自分がネットで調べて得た情報と違うということではないでしょうか?そうだとすると、これは、誰も正しさを保証していないネットの情報を、実際に診察した上で医者として説明してくれている内容よりも重視するということになるわけで、どう考えてもおかしな話です。

 

こういう患者の行動の背景には、医者と患者を対立関係でとらえる受け止めがあるとわたしは思います。医療事故の問題が大きく報道され、また、医療情報がネット、雑誌などで溢れる中、対立関係をより激しくさせる状況だけはそろっているのが現状ですが、双方の気持を理解する野田氏の本は、この対立関係を緩和、解消させてくれる本だと思います。

対立関係において患者が適切な医療を受けられることはまずないでしょう。医者と上手に付き合い、そして適切な治療を受ける、そのためにはぜひとも一度は読んでみるべき本だと思います。

京都ずきな人も京都ぎらいな人もぜひ読んで頂きたい本。より京都がすきになり、より京都がきらいになります。

京都ぎらい(著者:井上章一)、朝日新書、2015年9月第1刷発行、2016年2月第9刷発行、

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発売当時、とても話題になった本です。京都についての本といえば、京都の歴史、伝統、さらには、それらに裏打ちされた、建築、工芸、料理などを至上なものとして紹介するスタンスが一般的ですが、この本はそれとは全く逆のスタンスの本です。

 

〇 京都市と京都は別物

 

多くの人にとって、「京都」という言葉は「京都市」という言葉を短く省略しただけ、つまり、地理的に同じエリアを指すと考えます。しかし、京都人にとっては、それは全く違うことであり、かつ、その区別は非常に重要です。

 

著者の井上氏は花園、嵯峨で生まれ育ち、自らは嵯峨の子として育ったという強い自意識があると述べています。花園、嵯峨とは、京都市右京区に属するエリアつまり京都市の一部ですが、京都人に言わせると、そこは京都ではないということになります。

それでは、「京都とはどこなのか?」という話になるのですが、この質問に対する答えは「洛中洛外図」という屏風にあります。京都の町のすがたや、そこで生活する人々の模様が、高いところから眺めている目線で描かれている絵です。これ、いまの京都市と呼ばれるエリアを描いた絵なのに、なぜ「洛外」という言葉がタイトルに入っているのでしょうか?京都国立博物館の「洛中洛外図」の説明文では、こう説明されています。

 

京都は中国の唐(とう)の都の長安(ちょうあん)をモデルとして築かれたのですが、いつのころからか、西半分の右京(うきょう)を長安城(ちょうあんじょう)、東半分の左京(さきょう)を洛陽(らくよう:同じく中国の古都)城と呼ぶようになります。けれども右京は湿地帯が多かったために早くにさびれてしまい、長安城という名は有名無実(ゆうめいむじつ)となりました。それに対して左京は発展していったため、「洛陽」が京都 の代名詞となってゆき、それを略して「洛」が京都を意味するようになります。

都の中心線の頂上にあるべき内裏(だいり)も、14世紀には大きく東へ移動して、現代の京都御所の位置になってしまいます。
洛中洛外とは、京都の町なかとその郊外といった意味のことばです。 

 

ようは平安京が置かれていたエリア、御所とその周辺が「京都」であり、それ以外は「郊外」であって京都ではないということです。

 

井上氏の本では、このような意識を吐露したさまざまな京都人の言動が紹介されています。井上氏はこのような言動を「京都人の中華思想」と呼んでいます。京都人以外の人が読めば、おそらく、京都人、京都に対するイメージがいかほどかは変わることは間違いないでしょう。

 

〇 日本国内なのに「外資系」

  

先ほどの話しは、京都市の中の話しです。しかし、京都市の中でも洛中洛外の「厳格な」区別があるとすると、京都市京都府ですらない、つまり、京都府以外の都道府県は、京都人にはどう見えるのでしょうか?

 

井上氏によると、京都に東京や大阪の資本のお店ができると、京都人は「外資系」と呼ぶそうです。もちろん陰でしか言わないようですが。つまり、同じ日本のはずが、意識の中では外国扱いということです。このような種類の話しは他にもあり、「近江」とは琵琶湖を、「遠江」とは浜名湖を指すと言われています。京都の中華思想が見事に表現されています。

 

ところで、「平成29年京都観光調査結果」(京都市産業観光局)によると、京都を訪れた観光客数は5362万人(うち外国人は743万人)だそうです。京都人は、「外国」からやってくる大勢の観光客(本当の外国人も含まれますが)をどのような思いでを持ちながら「おもてなし」しているのでしょうか?もちろん、商売は商売ですから愛想よく接すると思いますが、その深層心理をのぞいてみたいという、意地悪い興味がわたしにはあります(笑)。そして、この本は、そんな深層心理を見事に描いてくれています。

 

一方、このような話を聞いても、なお京都に対するあこがれを持たれる方はいると思いますし、考え方は人それぞれですので、正しい間違いという話しではありません。

この本によると、京都の多くの由緒ある神社仏閣のほとんどは、江戸時代になって徳川幕府によりたてなおされた建物だそうです(井上氏は建築史・意匠論を専門とする学者です)。別に千年の都だからといっても、いまの京都があるのは京都自身の力ではなく「外資系」の江戸(東京)の力だということです。そうすると、京都以外の他の都道府県の人が京都をあこがれるというのも、ちょっと不思議な構図です。

 

〇 京都人の面目躍如

 

ここまでは京都人に対して否定的なトーンでした。しかし、さすが京都人と思わずわたしが思ってしまったこともあります。一言でいうと、歴史認識です。

 

歴史認識というと、戦争責任、靖国参拝の是非、植民地支配への反省といった話しが一般的ですが、京都人の歴史認識はそんな100年弱の話しではありません。

ときどき言われることですが、京都人が「このあいだの戦争」と言うとき、それは第二次世界大戦ではなく応仁の乱のことを指しているという話しがあります。井上氏は、いまの政治での歴史についての議論は、せいぜい明治以降の話ししかしていない点に失望を示しています。

たしかに、日本の長い歴史の流れの中でいまの人々の意識、社会があるのに、それを明治という150年の期間だけを切り取って歴史の議論をすることに違和感を感じる井上氏の主張は理解できますし、京都人でなければ気付かない議論であると感心してしまいまいした(これは文字通りの意味です)。

 

京都人はまだ日本の首都は京都であると思っているそうです。なぜそう言えるのかというと、平安京が置かれて以降、首都を移すという遷都の勅が発せられていないからだそうです。この話を聞くと、冗談かなにかと思ってしまいそうですが、意外とそうでもあいようです。参議院法制局の法制執務コラム(「立法と調査」NO.288・2009年1月)には、首都は東京であるとする法律の規定は存在せず、また明治維新のときも首都を東京にするという声明は出されていないと述べられています。

天皇がいるところが首都であるから、いまは東京が首都である」なんて単純に考えていると、大恥かきそうです。南北朝時代天皇が2人並立していましたから、京都人の歴史認識からすれば、当然の議論でしょう。

 京都人やりますね。