日々読書、時々一杯、折々投資

私の趣味をそのままタイトルにしました。 趣味のことでこれいいなあと思ったことを書いていきます。それが少しでもみなさまの参考になればさいわいです。

日経平均株価、バブル崩壊後の高値を更新!いよいよ日本株の買い時か?わたしはそうではないと思う。

日経平均株価が上昇しています。

 

 1日の東京株式市場では、円安・ドル高を好感して輸出関連の電機株などを中心に買いが進み、日経平均株価終値は前週末比125円72銭高の2万4245円76銭と続伸、バブル後の高値を更新した。1991年11月13日以来、約26年11カ月ぶりの水準。東証1部全銘柄の動きを示すTOPIXも0.71ポイント上昇の1817.96と続伸した。

 取引時間中に1ドル=114円近くまで円安が進行。米国とカナダが北米自由貿易協定NAFTA)の再交渉で合意したことも株価の支援材料となった。日銀が1日朝発表した9月の全国企業短期経済観測調査(短観)では、大企業製造業の業況判断指数が3期連続で悪化したが、株式相場への影響は限られた。

 米国と中国などの通商摩擦に対する懸念などから、慎重な業績見通しを維持している企業が多いが、市場関係者は「最近の円安を考慮し、10月下旬以降に本格化する決算発表で通期業績見通しを上方修正する動きが出てくる」(大手証券)とみている。(2018年10月1日時事通信

 

ところで、バブル期、つまり、日経平均株価のこれまでの最高値はいくらかといいますと、

 

3万8915円87銭(1989年)

 

なんと、昔はこんなに株価が高かった時代があったんですねえ。驚きです。では、このままもっと株価は上昇するのでしょうか?そろそろ株を買うべきなのでしょうか?

私の結論を先に言いますと、

 

そろそろ株価の上昇も終わりが近づいている可能性が高く、これから株を買うのは得策とは言えない

 

というものです。なぜ、このように考えるのかといいますと、わたしがかなり信憑性が高いと思っている考え方のひとつに、

 

素人が参加しだしたら相場は終わり

 

というものがあります。

 

歴史的に相場というのは、プロが儲ける一方で、その裏で素人が損失を押し付けられる、言い換えれば、素人の損失でプロが儲けるというものです。理由は簡単で、プロしか参加していない相場の場合、あるプロがそろそろ高値が近づいたと思い株を売ろうと思うとそのときは他のプロもみんな売ろうと考えます。ここで売ってしまうと、取引が成立しない、成立しても相当値が下がってしまいます。つまり、プロが高値が近づいたと思うときに逆に今が買い時と思って相場に参加してくれる人が必要で、それが素人つまり個人投資家です。この現象は、

 

素人の高値掴み

 

とも言います。素人は株が相当上昇してから買ってしまうということです。ここまでは同意してくれた人でも、まだ疑問はあります。

 

なぜ、いまがその時期と言えるのか?

 

ということです。厳密には今すぐではなく、もう少し先かもしれませんが、そう思うのには根拠があります。

 

この記事を見たら株を買いたくなる人が多く出てくる

 

ということです。勧誘のための記事とは言いませんが、しかし、効果としては同じです。

私が思うのは、株価がすごい上昇しているなんていう記事が出て、株価に注目が集まる時点で、もう盛りは過ぎているということです。この前の仮想通貨バブルでも、大きく儲けた人は、世間で仮想通貨の暴騰振りが話題になってから仮想通貨相場に参入した人ではありません。まだぜんぜん注目されていない時期から参入していた人です。話題になってから参入した人は大損しています。これと同じです。

ついこの間、あるネット証券のホームページを見ていましたが、

 

日経平均、来春3万円に

 

という専門家の予想を発見してしまいました。素人を株相場に取り込もうという思惑が見え隠れしています。そういえば、バブルの頃、日経平均株価が3万円の大台に乗った時、某大手証券会社は、

 

日経平均、4万円の大台の可能性大

 

なんて言って、せっせと素人に株を勧めていました。歴史は繰り返すとはまさにこのことです。

ところで、4万円台という強気の予想が出た後の実際の日経平均株価は、1990年に、4万円どころか2万円台前半になってしまいました。

 

相場の世界にはこんなことわざがあります。

 

噂で買って事実で売る

 

いま日本株を買うと判断することは、事実で買っていることにならないでしょうか?

 

読書好きな人に読んでいただき、自分の本当の気持を確かめて欲しい本。読書好きでない人にも役立つ本です

勉強法 教養講座「情報分析とは何か」(著者:佐藤優)、角川新書、2018年4月初版発行、

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この本は、冒頭、この言葉から始まります。

 

暗さは暗いと認識して初めて、明るくするための現実的方策を考えられるのだ

 

なにごとも、自分がいま置かれている状況を正確に把握することから始まります。これができなければ、どんな問題も解決することはできません。そして、状況を正確に把握するツールが情報分析です。この本は、情報分析とは何か、そして、そのために必要な勉強法について教えてくれます。佐藤氏は元外務省の役人で、情報分析の専門家ですので、情報分析とは外交、インテリジェンスのそれを指します。この本は、勉強法、情報分析についての本であると同時に、インテリジェンスの世界を垣間見せてくれます。

 

〇インテリジェンスの常識から歴史教育を考える

 

インテリジェンスの世界のものの考え方、見方をこの本で佐藤氏は紹介してくれますが、その内容には、一般人から想像もつかないものがあります。インテリジェンスというと非合法活動のイメージがありますので、想像がつかないのは当たり前といえば当たり前ですが、わたしが感じた想像もつかなさはそれとはちょっと違います。

 

インテリジェンスは常に物語として出てくるということを、認識しなければいけない(中略)ですからインテリジェンスを勉強するとき、いちばん重要なのは、実は文学なのです。

 

驚いたのではないでしょうか?ここでいう「文学」とは文字通りの意味、つまり、一般的な「文学」という言葉つかいと同じつかい方をしています。またここで佐藤氏は、「物語」という言葉を使っています。そしてちょっと意外なのが、歴史も物語であると分類しています。

 

歴史と聞くと、過去の事実の塊であるというのが一般的なイメージではないでしょうか。学校で勉強した日本史や世界史のテキストには、いつどういう出来事があったという事実がならべられています。歴史の歪曲をしない、歴史を直視するみたいなことが話題になります。とくに中国や韓国との間の歴史問題のときに言われます。しかし、この本を読むと、そもそも歴史というのはそういうものではないということがわかります。

 

イギリスやロシアは、国家あるいは社会が歴史の継承を、システムとして埋め込んでいます。教科書の中にそれがよく表れている。日本の歴史教科書は事実載られるだけで、立場がありません。どの国の歴史なのかよくわからない。世界史というのは決して一つではなく、史料選択のところで既に歴史観が入っています。ところが我々は、中立的な世界史があると勘違いしています。

 

「なぜ歴史を勉強しないといけないのか?」という質問に対しては、歴史を学ぶことで過ちをしないで済むというのが答えの一つでしょう。いわゆる歴史問題はこの文脈で語られます。しかし、歴史とはそもそもそういうものではないようです。

そうすると、「なぜ勉強しないといけないのか?」という疑問はなお残ります。わたしも答えはありません。ただ、すくなくとも各国は歴史をとても重視し、その国にとっての「歴史」をしっかり教えています。わたしはなぜ各国のようにすべきかということについて答えは持っていませんが、すくなくとも言えるのは、各国がこのようにして歴史を教えそれにより自国の立場・考え方を承継させている以上、日本も対抗して同じように日本にとっての「歴史」を日本人に承継しなければならないし、理由としてはそれだけでも十分だと感じます。別に愛国教育とかそういう話ではなく、いまがあるのはなぜかという過去との連続性を勉強し、それにより、自分自身、いまの社会を正しく理解するということです。

 

各国に比べると、日本ではなぜ歴史を学ばないといけないのか、ということの理由が明確になっていないようです。それゆえ歴史の勉強とはただの知識の習得にすぎないとされ、だから、知識は多ければ多いほど良いとばかりに何でも詰め込むのでしょう。どう考えても、まだ日本が外国とまったく交渉のなかった近代以前の外国の歴史を学ぶ必要があるのか、さっぱり分かりません。たとえば、古代ローマ帝国の歴史とか、アメリカの独立戦争についてなぜ知らなければいけないのでしょうか?また、日本史でも、縄文時代弥生時代の土器の話しとかをなぜ知らないといけないのか、まったく意味がわかりません。

 

〇勉強法の話しだけど、勉強以外でも役立つ

 

この本は勉強法の話しですから、この本で紹介する勉強法により実際に勉強することが読者には推奨されています。でも、そうはいっても、実行することはなかなか難しいです。

たとえば、世界情勢を正確に理解するには歴史を知っている必要があると佐藤氏は言っています。なので、シリア情勢を正確に理解するには、その歴史を知らないといけないということになりますが、一般人がそれを勉強するのはとても無理です。

では、この本の勉強法は役に立たないかというとそうではありません。自分は勉強していなくても、たとえば、シリア情勢を解説している人が複数いるとき、誰の話を信じればいいのか、というときの判断材料になります。

 

また、別に自分はシリア情勢に興味がないという人もいるでしょう。それでも、勉強法は役に立ちます。歴史が大事ということは、経緯が大事とも言い換えることができます。なにか目の前に問題がありそれを解決しないといけないとき、目の前だけを見ていてもだめで、そうなってしまったこれまでの経緯も見てみるという感じで、勉強法をふだんの生活に応用することができます。

  

〇こんな人になりたい。それが無理でも、こんな生活を送りたい

 

ふだんの生活では、仕事とかにいそがしく、佐藤氏がこの本で紹介する勉強法を実行することはなかなか難しいです。でも、ひとつ確実に言えるのは、佐藤氏が紹介する勉強法をちゃんとやれば、世の中の動きを正確に理解できるということです。ひょっとしたら、テレビに出て解説している人よりも正確に理解できているかもしれません。

別に世界情勢だけではありません。日本国内のことも同じです。佐藤氏はこの本で、山本太郎参議院議員園遊会天皇陛下に手紙を渡した行為(2013年10月31日)について論評していますが、当時一般的に言われていたことと全く異なる論評であり斬新です。それでいてとても説得力があります。佐藤氏の説く勉強法の威力が炸裂しています。こんなことが言えるような人なれたらいいなとあこがれます。

 

ただ、佐藤氏レベルに達するのは容易ではありません。これが現実。

わたしは、それとは別の魅力を感じます。それは、ここで紹介している勉強法をしっかり実行する、つまり、勉強に時間をいっぱいかけられるという、そういう生活を送ること自体に強いあこがれを感じます。渡部昇一氏の本に「知的生活の方法」という本があります。

 

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この本を読んでわたしは、読書に明け暮れる生活にあこがれるようになりました。日常にまぎれて忘れかけていましたが、佐藤氏の本を読んで、そのことを久しぶりに思い出し、また、あこがれに火がついたようです。

読書が好きな人は、ぜひ佐藤氏の本を読んでみて、自分の読書好きがどの程度の強さなのか確かめてみてはいかがでしょうか。そして、それが相当強いものであることが確かめられたならば、その夢の実現に向けて歩む出すことができます。

佐藤氏の本があなたの背中を押してくれます。

人生で失敗せず後悔しないためにかならず身に付けるべき能力を知りたい人におすすめする本

 「未納が増えると年金が破綻する」って誰が言った?~世界一わかりやすい経済の本~(著者:細野真宏)、扶桑社新書、2009年3月初版第一刷発行、同年8月第六刷発行、

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著者の細野氏は、経済のニュースをわかりやすく解説した「細野経済シリーズ」で有名な人です。しかし細野氏は、経済の専門家というわけではありません。では、なぜ細野氏が経済のニュースを分かりやすく説明できるかというと、それは、「数学的思考力」のおかげです。この本は、この「数学的思考力」を駆使して細野氏が、さまざまな事象を解説します。

 

〇 数学的思考力って何?

 

数学と聞くと数式をイメージしてしまいますが、もちろん、そうではありません。言い換えれば、論理的思考力です。これもまだ難しい。さらに言い換えると、物事の原因と結果を正確に把握する能力となります。

しかし、こう言い換えると、とっても理屈っぽい話しに聞こえます。原因と結果の関係の話をするときに、理屈を抜きに話すことはできないのですが、しかし、理屈ばかりではありません。細野氏は、「直感」をとても重視しています。「直感」とは「ひらめき」、「予感」ともいえますが、こういう話しになると、急に身近さを感じます。細野氏は、「直感」から「仮説」を立てそれが本当に正しいのかどうかを論理的思考により「検証」する、という流れを提唱しています。

 

「直感なんて正しいことあるのか?」と疑問に思う人もいるかもしれませんが、これ、意外と当たるようです。この点についてこんな本があります。

 

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この本によると、人間は、無意識のうちに入ってくる情報をカットするなどしており、自分が意識する情報は一部の情報にすぎないのですが一方で人間は、無意識のうちに、カットした情報を含め膨大な情報を処理し、それに基づき判断をします。これを「直感」と言うそうです。自分の「直感」を信じてよいことがあるようです。

 

〇数学的思考力は、誰でも身に付けることができる

 

「数学的思考力=論理的思考力+直感」

 

ではありますが、この能力、誰でも身に付けることはできるのかということが、次の問題です。

結論から先に言ってしまうと、細野氏によると、ふつうに努力すれば身に付けることができる能力だそうです。「ふつう」というのは、なにかすごい難しいことが求められているということではないという意味でして、何もしなくても身に付くものではありません。具体的に何をすれば良いのかということは、この本を読んでいただくとして、それとは別に、数学的思考力を身に付ける上での大敵があります。

 

それは、「見栄」とか「メンツ」です。自分が分からないことを分からないと正確に自分で把握できるかということとも言えます。むかしソクラテスは「無知の知」と言いましたが、この精神を持つことが数学的思考力を身に付ける上で不可欠です。誰もが数学的思考力を身に付けられるとは限りませんが、その機会は誰にでもあるということは明らかです。

 

〇数学的思考力を身に付けると何か良いことがあるのか?

 

この本によると、数学的思考力が身に付いている人は、世の中の動きの原因と結果を知ることができます。

 

たとえば、リーマンショックサブプライムローンが原因となりました。当時、世界の名だたる金融機関が「サブプライムローン」を含む金融商品を優良商品としてどんどん購入したため、これが原因でリーマンショックは起こりました。

このとき数学的思考力のある人は、「サブプライム」つまり「プライム」ではない「ローン」がどうして優良商品なのかと直感で疑問に感じることができます。そうすれば、リーマンショックに巻き込まれることを避けることができたでしょう。

 

そして、年金問題もそのひとつです。年金は危ないと報道で言われ、いまや年金は危ないというのはほぼ常識になっていますが、その常識を疑うことができる人は、数学的思考力を持つ人です。細野氏は、年金問題を勉強するうちに、「年金は本当に危ないのか?」という疑問に達し、この本を書きました。そして、そこからさらに進んで、「なぜ危なくない年金をことさらに危ないと言う人がいるのか」ということも説明しています。細野氏の言うことは、マスコミとかではほとんど報道されていないことばかりで、わたしもこの本を読んで初めて知ったことばかりでした。

 

わたしは今回この本を読んで、数学的思考力の威力をまざまざと感じました。なぜかと言いますと、この年金の話し、サブプライムローンの話しから言えるのは、数学的思考力を身に付ければ、わが身を守ることができます。

たとえば、怪しげな金融商品を銀行から勧められても買わずにすみます。金融商品はうかつに手を出すと人生を大きく左右しかねません。

さいきんはスルガ銀行のアパートローンが大問題となっています。スルガ銀行に進められてふつうのサラリーマンがスルガ銀行から借金をして賃貸アパートを建てたものの、入居者が想定を下回り、スルガ銀行に借金を返すことができず、さいごには、賃貸アパートは抵当にかけられ、サラリーマンは破産してしまいます。そしてスルガ銀行は、「自己責任」の名の下、破産しても知らんぷりです。よく考えてみれば、日本は少子高齢化、アパート市場は供給過剰、このご時世に借金して賃貸アパートを建てるなんてとんでもない話です。もし数学的思考力があれば、スルガ銀行の甘言にだまされないことはなかったでしょう。こういった大きなリスクから、数学的思考力はわが身を守ってくれます。

 

さらに、自分が思っていることが、世間一般で言われている常識とは真逆の内容であっても、自分が信じる道を迷わず(すこしは迷いながらかもしれないが)突き進むことができます。常識にとらわれなければ、大成功することも可能です。島田紳助氏が同じことを本で書いていました。島田氏はサイドビジネスとしてさまざまな飲食業をし、26年間失敗なしという人です。

 

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数学的思考力は「人生で後悔しないために身に着けるべき能力」のひとつと言えます。

人間関係で悩んでいる方にぜひ見ていただきたい。気持が楽になります。

葵徳川三代(NHK大河ドラマ、2000年放送)

 

豊臣秀吉死去から江戸幕府成立にいたる徳川家康、秀忠、家光の徳川三代の歴史を描いた大河ドラマです。徳川三代はもちろん、徳川家譜代家臣、豊臣家、豊家恩顧の諸将、それを取り巻く女性が織り成すさまざまな人間模様が丁寧に描かれています。

 

〇豪華俳優陣の登場。これぞまさに名優。百聞は一見にしかず

 

「名優とは何をもって言うのか?」と聞かれて、その道の勉強を専門的にしたこがある人ならともかく、いっぱんの人が回答することは難しいでしょう。また、自分の考えを述べたとしても、それが周りの人の賛成を得られるとは限りません。つまり、名優の定義は、回答する人の数だけあるということです。

 

しかし、「葵徳川三代」は違います。これを見れば、100人中100人が「名演技である」と言うと思います。まさに「百聞は一見にしかず」ということわざは、このドラマにためにあります。それもそのはず。登場する俳優を少しだけ紹介します。

 

徳川家康役:津川雅彦

徳川秀忠役:西田敏行

お江(秀忠正室)役:岩下志麻

石田光成役:江守徹

春日局役:樹木希林

 

登場する多くの俳優のうちから一部を紹介しただけでも、これだけの名優がそろっています。なんとも豪華です。既に亡くなった人もいます。これだけの豪華俳優陣の競演はいまでは見られないのではないでしょうか。

西田敏行氏はこのドラマでは、家康の子である秀忠として、家康には時には叱られ、一方で恐妻家のため、正室のお江にはまったく頭があがらないという、なんとも武将として頼りない役を演じています。わたしは、西田氏の「アウトレイジビヨンド」のでの強面ぶりがとても印象に残っていますが、同じ人なのにここまで全く違う役を演じ、かつ、どちらの役も、まさに西田氏が演じるためにあるかのような見事なはまりっぷりで、俳優という職業の奥深さを感じました。

 

〇迫力の戦闘シーン。本では絶対分からない臨場感

 

このドラマの見所の一つは、なんといっても、天下分け目の合戦「関が原の戦い」でしょう。東軍、西軍あわせて、20万人に近い大軍が、天下を競って闘う、日本の歴史においてもそうそうない巨大なスケールの戦です。

 

この見所の特徴のひとつは、詳細な戦闘シーンの描写です。鉄砲隊の発砲、騎馬隊の突入、名のある武士同士の一騎打ちの戦いなどなど、よくぞここまでと言うまでの戦闘シーンの連続です。実際の戦はこのように行われていたのだと実感できます。とくに歴史の本を読んで戦闘シーンを理解していた人には、特におすすめです。これも「百聞は一見にしかず」です。

 

わたしが特に印象に残ったのは、関が原の合戦当日の東軍の先陣争いです。東軍先陣は福島正則ですが、家康は四男松平忠吉に先陣をきるようひそかに命じます。しかし「言うは易し行うは難し」とはこのこと。先陣を他の武将に譲る武将はいるはずもなく、ましてや福島正則が相手ではなおさら無理というもの。そこで、忠吉の舅である井伊直政が一計を案じ、見事に忠吉は先陣をきることに成功します。わたしはこの経緯を本では何度も読んでおり知っていますが、映像で見たのは初めてですし、どうやって先陣を忠吉がきることができたのか、よーくわかりました。

 

〇人間関係はよくわからない。でも何とかなる

 

 

関が原の戦いでは、西軍つまり石田三成は豊臣家のために徳川家康と討つと宣言します。そして、この石田三成の宣言の正しさは、後の歴史が証明しています。しかし、それにもかかわらず、なぜ、西軍につくべきと思われる武将が東軍についてしまったのでしょうか?

 

豊家恩顧の諸将、福島正則黒田長政藤堂高虎細川忠興池田輝政浅野幸長などは、さいしょから東軍につきましたし、小早川秀秋などはさいしょは西軍につきますが、戦の途中で東軍に寝返ります。

これを、徳川家康の謀略のためであると結論付けることは間違いではありませんが、それだけとはとうてい思えません。また、戦国武将特有の考え、気性もあり、現代のわたしたちにはちょっと理解しがたいところもないわけではありません。

ひとつ言えるのは、理屈・正義は石田三成にあったが、しかし人々は理屈・正義のとおりには動かなかったということです。そして、石田三成の理屈・正義を否定して東軍についたのならわかりやすいのですが、実際はそうではありません。とくに、豊家恩顧の諸将は豊臣家のために働く意思は十分にあり、その意味で、石田三成の理屈・正義には賛同するはずですが、行動はそうなっていません。

じっさい上杉景勝はドラマの中でこう言っています。

 

正義が勝ち負けを決めるのではない、勝ち負けが正義を決めるのだ 

 

一方、徳川家康はドラマの中で秀忠にこう言っています。

 

桶狭間の合戦で今川義元が敗れ、わしが人質の身を解かれたとき、三河再興を目指し相呼応して戻ってきた将兵はみな、いったんわしを見限った家臣だった。わかるか、時には味方が敵になり、敵が味方となる。これが戦国の習いと心得よ。こたびは、敵の敵を味方とする。

 

わたしはこの徳川家康の言葉を聞いて、「人間心理は変わり得るもの。いまは難しくてもいずれは理解できる時もくることがある」と思いました。いま何を考えているかわからず苦手な人がいても、それほど気にすることはないということです。ぜったいの敵もいないしぜったいの味方もいない、いままわりに苦手な人がいてもずっと苦手ということはないということです。そう考えると、少し気が楽になります。

 

大河ドラマはいわば時代劇の一種。さいきん時代劇は元気がありませんが、それはワンパターンの内容だからです。この大河ドラマはまったく違います。しかも、とても見る人の身になります。さすがNHKという感じです。

 

病院で長時間待たされるぐらいで医師をバッシングするのは本当に不毛。バッシングは何も解決しないと私が思うようになった理由

さいきん、病院の待ち時間の長さに怒るこの記事が話題になっています。

 

gendai.ismedia.jp

 

病院での待ち時間が長すぎる、事務員などの態度がサービス業にふさわしくない、といった病院のサービス業としての意識の低さを批判しています。そして、何の改善もしない病院は淘汰されていくであろう、と結論付けています。

 

この記事で紹介されているような経験を病院でした経験のある人はおおぜいいるでしょう。わたしもあります。でもだからといってここまでいう話なのか疑問があります。

 

解決法は簡単で、

 

近所の個人病院に行く。

 

です。でも、誰でも思いつくこの解決法をとらない人が多いのはなぜか?考えてみました。

 

〇大病院の医者の方が個人病院の医者よりも優秀?

 

大病院の方が優秀な医師やスタッフがそろっているから大病院にいくという人は多いと思います。わたしは専門家ではないので、その意見が正しいか間違っているか、判断できません。少なくとも、大病院か個人病院かということと、そこで働く医師のレベルの高低に関係はないと思います。

 

近所の個人病院の医師の経歴を読んだことありますか?ほとんどの病院で、ホームページに医師の顔写真と経歴を載せていると思います。大病院で経験を積んで独立した人が多いんです。というか、そういう医師でなければ、いくら近所でもその個人病院にわたしはいきません。

 

「去年医師国家試験に合格して今年病院を開きました」と言っている医師の診察を受けるのはさすがに怖いです。おそらく、そういう患者の心理を分かっているので、ホームページに経歴を紹介しているのですし、また、大病院で経験を積んでからでないと独立しないのでしょう。ひょっとしたら、大病院であなたを診察してくれている医師は、去年医師国家試験に合格したばかりの医師かもしれません。もちろん、大病院の場合、経験豊富な医師がサポートするはずですので問題はないと思いますが、それでもあなたは、近所の個人病院を避けてあえて大病院に行きますか?

 

〇大病院の方が個人病院よりも高度な治療ができる

 

医師が病気を治療するときの治療法は、学会が作成するガイドラインに決められています。ガイドラインに拘束力はなく最終的には担当医師の判断だと思います。でも、一般的な方法はガイドラインに書いてあるんですね。

 

つまり、大病院にいっても個人病院にいっても、同じ患者、同じ病気であるなら、おそらく同じ治療がされるということです。

 

もちろん、100万人に1人という難病なら話は別かもしれませんが、あなたの病気はそんな病気ですか?カゼ、頭痛、腹が痛い、足が痛い、といったようなものではないでしょうか?

 

カゼで大病院に行くのは、小学生が算数を勉強するために大学に行くようなものだと思います。

 

 

〇医師の主張も聞いてみよう

 

それでもやはり大病院に行きたいという人もいるかもしれません。かつ、長時間待たされるのはイヤだという人もいるでしょう。そういう人には、大病院に行く前に医師の主張を聞いてみることをおすすめします。

 

興味のある方には、この本をおすすめです。いぜんわたしも読んでみて、医師はほんとうに大変なんだなあと、しみじみ思いました。この本を読んでから、病院で長時間待たされることになったら、本を読む時間ができたと喜ぶことにしました(笑)

 

mogumogupakupaku1111.hatenablog.com

 

ふつうの人でも目標を達成できることを示した安田善次郎。凡人に勇気を与えてくれます

成り上がり 金融王・安田善次郎(著者:江上剛)、PHP研究所、2013年10月第一版第一刷発行、

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安田善次郎という人を知っていますか?安田善次郎は、戦前の財閥の一つの芙蓉(ふよう)グループの中核である安田銀行の設立者です。安田銀行は戦後は富士銀行として都市銀行の一核を占め、現在はみずほ銀行となっています。

 

安田氏は、富山藩の安田村に1838年に生まれます。そろそろ江戸時代が終わりに近づいています。安田家は、もともとお金持ちだったわけではありません。武士の家ではあるものの、家はとても貧しく、農作業などをしてやっと食べていけるような家です。しかし、安田氏は、「千両の分限者」になると宣言します。いまの金額で千両がいくらなのかよく分かりませんが、ようはお金持ちになるということでしょう。そう宣言し、江戸に単身行き、さまざまな商売をしながら事業を拡大させ、最後には大成功をおさめます。このことを著者の江上氏は「成り上がり」と表現し、この本のタイトルにもなっていますが、もちろん江上氏は、安田氏を軽蔑しているのではなく敬意を込めてこの言葉を使っています。

 

この本は、そんな安田氏の波乱万丈に満ちた人生を江上氏が描いています。安田氏の波乱万丈の人生自体も読書対象としてとても面白いのですが、それを描く江上氏の筆がとてもさえています。まるで、本を読んでいる自分が江戸時代から明治時代の安田氏のそばにいて、安田氏の成功をじっと見守り、あるときはハラハラしてしまうかのような臨場感あふれる文章のため、一晩で一気に読んでしまいました。

 

〇出世する人とは、着実に歩む人だ

 

安田氏の人生は波乱に富んだのものですので、いろんな出来事が起こります。そして、さまざまな出来事からはいろんな教訓を得ることができますが、安田氏の人生を一貫しているのは、このタイトルの言葉の精神です。

 

この言葉から求められる行動は具体的かつ明確ですし、それほど難しいものではありません。こう言ったからといってこの言葉の価値が下がるものではありませんが、「当たり前のこと」を言っているだけです。

とはいえこれは頭で理解している程度にすぎず、「当たり前のこと」を当たり前にやるという言葉は、頭で理解することと実際に行動することの間に大きなギャップのある言葉の典型でしょう。

 

安田氏は、文久銭投機にチャレンジします。これは、江戸と地方の文久銭の価格差を利用して儲けるという話しなのですが、安田氏は、この話を聞いて、一気に儲けようとチャレンジしましたが、結果はかんぜんな失敗に終わります。「着実に歩む」という日頃の行いからは外れてしまった結果です。

 

「着実に歩む」というのは意外と難しいです。

 

〇どうすれば「着実に歩む」ことができるか

 

「着実に歩む」と聞くと、やるべきことを毎日着実にこなす、というイメージにも聞こえ、とても勝負事とは無縁に感じます。しかし、成功するためには、時には、大きく勝負に出ないといけないこともあり、勝負に出るときに出られないようでは、成功することはできません。

そうすると、どういうときに勝負に出ればいいのか、言い換えると、この勝負は「着実に歩む」から外れているのかいないのかをしっかり見極めなければ、「着実に歩む」ことはできません。

 

じつは安田氏はその後に、さらに大きな勝負に出ています。明治新政府が発行する太政官札(通貨の一種)の価値が、これまで江戸幕府が発行していた小判に比べて低下する一方であるときに、太政官札に不安を持つ人から太政官札を積極的に預かり、買い入れました。その後、太政官札の価値は回復し人々の信任を得られるようになり、安田氏は多額の利益をあげることに成功します。

 

両者の間の違いは何かというのは、「着実に歩む」ことと勝負に出ることの関係を考える上で、とても面白い題材です。もちろん、費やした金額の多寡でもなく、成功したかどうかという結果論でもなく、

 

「その勝負に勝つことでこんご地道な努力をしなくて済むようにすることを目指しているのかどうか」

 

という違いではないかと思います。目指していない勝負が「着実に歩む」勝負です。その場合は、それが勝負であるのはたまたま関わるお金の額が大きいかどうかということの反映にすぎず、それに勝ったからと言ってその後「着実に歩む」ことが不要となることはあり得ません。安田氏が文久銭投機にチャレンジしたのは、確実な儲け話と考えこれで一気にお金を稼ぎたいと思ったからでした。

 

〇安田氏の人生はいまの私たちに何を教えてくれるのか

 

安田氏ほどではいにしても、誰もが、こうしたい、こうなりたいという目標を立て、それに向かって努力することがあると思います。しかし、目標が高いほど、あるいは、その目標の実現を自分が強く希望すればするほど、どうしても、日々やっていることが無意味なような気がしてしまいます。

 

たとえば、「1億円持つ金持ちになる」という目標を立てたとして、そのために、今日から毎日貯金を始めたとします。1日100円としたら100万日(2739年)、1日10000円としても1万日(27年)もかかってしまいます。そうするとつい人は、「こんなちまちました貯金など意味ない。一発大きく当ててやるんだ」とか思って、たとえば、宝くじを買ったり、株をやったりしますが、ほぼ間違いなく失敗するでしょう。

目標が高すぎてその達成を思うと絶望感しかないとき、人はついつい焦ってしまい、一攫千金を狙ってしまいますが、そのような気持ちになってしまったときは、安田氏の話を思い出すべきでしょう。

 

いまの1億円の場合、もちろん貯金だけではぜったい達成は不可能です。しかし、毎日お金を貯める以外にもできることはあるはずですし、そうやっていろいろ努力していると、助けてくれる人がきっと現れます。安田氏はそうでした。江戸に出てから、いろんな人に出会い助けられ成功しています。

 

「師は、弟子にその準備が整ったときにあらわれる」

 

いまできることをしっかりやればいいとも言えます。凡人でも目標を達成することができるのであり、安田氏の人生は凡人に勇気を与えてくれます。

目からウロコが落ちるとはこの本のためにある言葉です。自分の生活をいまより良くしたいと思っている人に読んでいただきたい本

競争の作法―いかに働き、投資するか(著者:齊藤誠)、ちくま新書、2010年6月第1刷発行、2011年2月第4刷発行、

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タイトルの「競争の作法」という言葉にどんなイメージを持つでしょうか?「競争」という一種の争いごとについてルールがあるといわれると、「いくら争いでもやっていことといけないことがある」ということについての本かなあというイメージを私は持ちました。しかし、じっさいの本の内容はかなり違います。

齊藤氏はマクロ経済学などを専門とする経済学者ですので、経済政策や経済全体について、今まで常識と思われていたことがいかに誤っているのかという話がこの本の内容のメインです。しかしそこから、個人の人生をどのように生きればよいのか、まさにサブタイトルの「いかに働き、投資するか」ということについてのとても貴重なアドバイスが導き出されています。

 

〇「リーマン・ショック」、「戦後最長の景気回復」は何か?

 

どちらも経済ニュースにおいてよく出てくる言葉です。「リーマンショック」とは2008年9月にアメリカの投資銀行リーマン・ブラザーズが経営破たんしたことを契機に起こった金融危機を指します。この本によると、2009年の日本の失業率は5%台に達し、過去最大の上昇幅であったと当時報道されました。しかし、齊藤氏はこの報道について誤りではないとしつつも、こう指摘します。

 

もし、2009年の失業率が2002年や2003年の失業率を下回っていることが伝われば、リーマン・ショック後の労働市場が「未曾有の雇用危機」に見舞われたと、賢明な新聞購読者はよもや思わなかったと思う

 

驚きです。じつは、リーマン・ショックの前の方が雇用状況は悪かったとは・・・。そうであれば、たしかに、リーマン・ショックについてそんなに大騒ぎする必要はなかったのでしょう。言い換えれば、すくなくとも日本はそれほど影響は受けなかったと言えるのではないでしょうか。

 

しかし、驚くのはこれだけではありません。リーマン・ショックが世界経済に大きな影響を与えたのは事実で、ではなぜ日本は軽い影響にとどまったのか、その理由は何かという話しです。

「日本経済は強いから」と言いたいところですが、そうではありません。じつは、2008年より前に日本は「戦後最長の景気回復」と呼ばれる時期を経験しています。時期は2002年から2007年です。ではこの時期の雇用状況はどうだったのかというと、齊藤氏はこう述べます。

 

実質GDPをおよそ1割も引き上げた「戦後最長の景気回復」の5年間で、就業者数は、たった82万人、1.3%しか増加しなかったのである

 

つまり、「戦後最長の景気回復」期でさえ、日本企業は雇用を絞りギリギリの水準でやってきたので、リーマン・ショックが起こっても、失業者が大して増えなかったということです。これがリーマン・ショックの日本への影響が軽かった理由です。

と同時に、「戦後最長の景気回復」とは、雇用増なき景気回復であったという事実も浮かび上がってきます。これにはさらに驚きです。それでは、一体何のための景気回復なのか、と言いたくなります。これらをまとめて齊藤氏はこう評価します。

 

「戦後最長の景気回復」期やリーマン・ショックの前後では、豊かさと幸福に大きなずれが生じて、これらの時期には、人々が「幸福なき豊かさ」をめぐって空騒ぎしていただけだったことを、読者にぜひとも知ってもらいたかった 

 

たしかに、このように具体的数字をあげて言われてしまうと、空騒ぎしていたと認めるしかありません。しかし、ちょっと思うのは、空騒ぎしていたのは自分だけではありません。政府もマスコミもみんなそうでした。

 

齊藤氏は政府、マスコミ(評論家も)のいい加減さもこの本で痛烈に指摘しています。齊藤氏の批判の鋭いのは、単に「政府、マスコミは分かっていない」と言うのではなく、政府、マスコミの発言がいかに時々に応じて一貫性なく変化しているかと言う点を、簡潔に端的に指摘しているところです。

これを読んでしまったら、政府、マスコミの言うことを明日から疑って聞くしかないでしょう。まもなく自民党総裁選が始まります。アベノミクスの評価が争点のひとつになると思われます。下馬評では安倍氏の三選確実といわれており、おそらくそうなのでしょうけど、アベノミクスの成果は本当にあったのか、よーく考えてみるいい機会です。

  

〇競争原理に反したがゆえに生じた格差問題

 

「「リーマン・ショック」はあったけど、じつは失業率の上昇はそれほどでもなかった」とすれば、それはそれで良かったのではと思ってしまいます。それは間違いではありませんが、実は、それではすみません。

実際に失業してしまった人にとっては大問題だからです。この後、格差問題が社会的に大問題となり、現在にいたっています。

 

通常、このような話の原因としては、厳しい国際競争に勝つために企業は解雇せざるを得なかったという説明が一般的です。しかし、齊藤氏の考えは違います。リーマン・ショック後の雇用調整が生産性の向上に結び付いていないことを指摘しつつ、こう言います。

 

競争原理を大きく踏み外したので、所得分配上の深刻な問題が生まれた

 

リーマン・ショック」、「戦後最長の景気回復」に対する齊藤氏の分析は極めてユニークでしたが、ここにも齊藤氏の分析のユニークさが存分に発揮されています。

 

齊藤節、絶好調です。

 

〇 齊藤節は、私たちの生活に役立つのか?

 

齊藤節はおもしろいのですが、テーマが、経済政策とか経済全体の話しなので、いまいち私たちの生活に関係があるのかはっきりしません。つまり、それが私たちの生活にどのように役に立つのか、ということです。わたしは2つの示唆、教訓があると思います。

 

齊藤氏は、「リーマン・ショック」、「戦後最長の景気回復」に対する分析に際して、ことさらに難しい理論は使っていません。また、データも特殊なデータではなく、政府統計など一般に入手可能なデータを用いています。でも、一般には指摘されていない鋭い指摘をしています。

ともすれば、小難しい聞きなれない用語を用いた理論や考え方がもてはやされ、単純な理論、考え方はシンプルであるが故に軽視されます。どうも、難しいものをありがたく思ってしまう習性が人にはあるようですが、この本で齊藤氏が示した分析は、それが誤りであること、言い換えれば、基本が大事ということを示唆していると思います。これが1つ目です。

 

齊藤氏はこの本ぜんたいを通して、競争を避けるのではなく競争に向き合うことが大事であるということをメッセージとして発信しています。競争をすれば、良いときもあれば悪いときもあります。人はこの悪いときに耐え難いがために競争を避けてしまうと、齊藤氏は指摘しますが、この悪いときとちゃんと向き合う、言い換えれば、悪いときともうまく付き合っていくということは、私たちの人生においてとても重要です。

 

齊藤氏によると、銀座にエルメスなどの海外高級ブランドが旗艦店を出店したのは、2000年代初め、つまり、日本が不況の真っ只中にあった時期ですが、なぜそんな時期なのかというと、不況のため銀座の地価が大幅に下落し割安になったためです。

ここに悪いときとの上手な付き合い方が書いてあります。つまり、悪いときであっても、むしろ逆にそういう時だからこそ良いことを探すというのが、ここでいう上手な付き合い方です。これが2つ目です。

 

そして、この教訓と1つ目の教訓とセットで考えると、これは、私たちの資産運用、投資においてとても貴重な教訓になるのではないでしょうか。

たとえば、株式投資をしている人であれば、どういうタイミングで買いどういうタイミングで売ればいいのかは、最大の難問ですが、齊藤節はこれに対する答えを示してくれています。

この本は、投資術の本ではないので、一般的な投資術の説明をしているわけではありません。しかし、それよりもっと大事な、瑣末なテクニックではない、また政府やマスコミの言うことに惑わされて買い時売り時を間違えないために必要な基本を教えてくれています。

 

この本のサブタイトルにはまさにこうあります。

 

「いかに(働き、)投資するか」