日々読書、時々一杯、折々投資

モグパクです。都内で働くサラリーマンです。 新書・文庫を1日1冊読むのを日課にしてます。あと、酒(主に日本酒)を飲むこと、投資をすることが好きです。

「大学出」、「ヤンキー」、誰でも、ムカついて不機嫌になり考えたくなくなったときに読む本

「知性の顚覆ー日本人がバカになってしまう構造ー」

著者 橋本治朝日新書615

2017年5月第1冊発行、同年8月第4冊発行

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橋本氏が自ら書いているとおり(226ページ)、この本は「むずかしい本」です。私自身、読み終えても、この本の言いたいことはこれです、ってはっきり言うことができない。でも、ふと思いました。「この本は何を言いたいんだろう?」と読者に考えさせること自体が橋本氏の狙いなのではないかと。

 

だから、何を言いたいのかという「何」に当たる部分を読者がどう思うか自体はあまり重要ではないし、人によってその答えはばらばらでよく、さらには、橋本氏が思う「何」と違っていてもかまわないのかもしれません。私がそう思った部分をご紹介します。

不機嫌になると、人の言うことなんか聞きたくなくなる。そういう状態を「反知性」というのだろうと思う・・・不機嫌な人間は、「自分の考え方を検討する」なんてことはしないで、「不機嫌エネルギーで自分の正しさを押し通す」という方向に進むのだと思う(65ページ)

 

種々の問題の整合性を考えて、そこから解決策を導き出そうとするというのは、とても面倒な作業だから、そういうことをしていると「なんにもしないでグズグズ言っているだけ」という非難を呼び起こしたりもする。日本でだって、一時期「決断力」だの「実行力」だの「行動力」だのという勇ましいことが言われて、思考自体が嫌われてしまった。ヘイトスピーチのような短絡は、そういう持久力のないせっかちなじれったさが育ててしまったのだろう(205~206ページ)

 

反知性主義の根本にあるのは、「ムカつくんだよ」という不機嫌な感情なのだと、私は思う(207ページ)

橋本氏はおそらく、自分だけの基準でスパッと決めてしまわずに、もっといろいろ考えてものごとの結論を出そうよ、ということが言いたくて、そういうことをしない姿勢を「反知性主義」と言っていると思います。こんなことも言っています。

自身の経験値だけで物事を判断してしまう人は、経験値から離れた知識を取り入れることによって、狭い檻のような経験値の世界を広げればいいし、知識だけあって経験値というものの使いようがなかったり、あるいは経験値を持たないままでいる人は、「自分の人生これでよかったのか?」と考えてみる必要がある。どっちにしろ珍しいことでもないし、そう考えることが「知性の本道」なんだから、「そういう考え方をしなかった方がおかしかったんだな」くらいのことは考えてもらっていいんじゃないかと思う(11~12ページ)

勉強すればいいとか、知識を持っていればいいということを橋本氏が言っていないことは、この記述から明らかです。また、この本では、勉強しない人の例としてヤンキーが登場します。一見、ヤンキーが反知性主義の例であるかのようにも見えますが、橋本氏がそうは言っていないのは明らかで、では反対に、ヤンキー礼賛かと言えばそうでもありません。

知性とモラルは本来同居しているものだ。しかし、今や知性とモラルは分離している。「大学出は言いわけする」というのは、「知性を取った者はモラルを捨てる」ということで、その代表となるのは・・・元東京都知事舛添要一氏でしょうね・・・対して、ヤンキーにはモラルがある。ヤンキーと呼ばれる人達は、親や社会に不満を持って「不良」(ヤンキー)になる・・・「勉強する」という路線に素直に乗れた人は、不良なんかにはならない。体制化した知性は、理屈で話を流したり人を騙したりするが、体制化した知性と無縁に育ったヤンキーは、理屈なんかに流されない。彼等は「彼等の知るモラル」の中に生きて、そこから逸脱することを「アブナイ」と理解している・・・心に「不幸」を抱える人は、「わけの分からないこと」をいろいろ並べ立てられると、ムカつくんだ。そういう人達を納得させられるような言説じゃないと、知性は顚覆したままで終わりだと思いますね(220~221ページ)

 

「少数の人間の頭がよければいい」という時代は、「なんで俺達を置いていくんだよ!」という人達の声によって終わり、「なんで俺達を置いていくんだよ!」という人達は、その「俺達」のレベルに合致するような人間を選ぶ。「それじゃ困るでしょう」というところで2017年の世界があるわけだから、知性の方も尖鋭で複雑なことばかりを相手にせず、少しは「人に説明する」ということの必要に目覚めたらどうでしょうか?私の言っていることが複雑すぎるというのは重々承知しているけど、既に世界は、「みんなの頭がもっとよくなければ困る」というところに行っているんですから(222~223ページ)

知性のある大学出にはモラルがないのが問題であると指摘し、一方でヤンキーにはモラルがあるとして、その点は評価していますが、同時にヤンキーのモラルの狭さも指摘しています。両者を超越するものが「知性」であり、それはモラルと同居したものであるものということでしょう。

 

この本の言いたいことがよく分からないままブログを書き始めましたが、ここまでくると、なんか分かったような(?)ことが書けてしまいました。この本を通じて見事に橋本氏に考えさせられてしまいました(笑)。