日々読書、時々一杯、折々投資

モグパクです。都内で働くサラリーマンです。 新書・文庫を1日1冊読むのを日課にしてます。あと、酒(主に日本酒)を飲むこと、投資をすることが好きです。

「おもてなし」が若者を疲弊させる、と感じた本

ブラック企業VSモンスター消費者」今野晴貴・坂倉昇平、ポプラ新書021、2014年2月第1刷発行

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ブラック企業、モンスター消費者の存在は、ときどき報道をにぎわしており、いまでは、とてもなじみのある言葉となっています(悪い意味で)。一方、企業から商品やサービスを購入するのが消費者ですので、企業と消費者は対極的な位置にいますので、ブラック企業とモンスター消費者、それぞれ別々の問題であるように私は思っていましたが、この本は、じつはつながっていることを指摘します。それは、どちらの存在も、それによる被害者は企業で働く社員(労働者)であるという点です。

消費者によるやりすぎたクレームは、近年珍しいことではない・・・こうしたクレームを「労働問題」としてとらえる声はあまりにも少ないように思われる(18~19ページ)

労働問題ってどういう意味だろう?と、私はすぐには分かりませんでしたが、じっさいの例を聞くと、その問題の深刻さ、悪質さにぞっとします。

1つ目の事例は、クリーニング店で受付業務をしていた30代女性Aさんの場合。以前からAさんにクレームをつけられているある客が、ポイントカードを作ろうとしたことがあり、その客の近隣店舗がほかになかったためポイントカードはその店舗でしか事実上使えない(もちろんルール上は全店舗で使えるが)ことからAさんは気を利かせたつもりで、それでも大丈夫か、と確認したところ、その客が怒ってしまった。その後その客はクリーニングのフランチャイズの本部にまでクレームを電話で入れてしまい、本部はフランチャイズ契約を解除すると言い出した。そして店長はAさんに対して、退職をほのめかしような発言をし、結局Aさんは退職を選んだ。(20~22ページの内容を私が要約)

2つ目の事例は、IT企業に勤務する20代男性Bさんの場合。会社からすでに退職勧奨を受けていたところ、あるとき上司から、顧客からクレームが来ておりこの仕事に向いていないのではないかと、退職を仄めかされた。しかし、Bさんについてのクレームの内容は具体的には確認できず、そもそもクレームはなかった可能性もあり、会社が退職勧奨の理由として架空のクレームを捏造したらしい。(22~23ページの内容を私が要約)

 Aさんにクレームをつけた客はいわゆるモンスター消費者ということでしょう。まさに、モンスター消費者の被害を労働者が受けている事例そのものです。

Bさんの場合、架空のクレームを捏造して退職させようとするとは、まさにブラック企業です。そして、この場合、モンスター消費者は存在しませんが、一般にそういう消費者がいるという事実をブラック企業が利用している事例で、ブラック企業とモンスター消費者の被害者は労働者であり、ブラック企業とモンスター消費者のコラボとも言えるでしょう。

 

モンスター消費者はまさか自分の行動が労働者の退職につながるとまでは思っていないのかもしれませんが、意図していないとしても、あるいは、善意であったとしても、それが労働者を苦しめているということがあります。

この時代以降、「非正規雇用」は「貧困」と同義であるという認識が広まっていった・・・その結果、何が起きたかというと、「なにがなんでも正社員にならなくてはいけない」という強迫的な論調であった。それは、家庭にも学校にも広がっていった・・・中学、高校の教育現場では、生徒に生涯年収のグラフを見せて「正社員になることの大切さ」を教え込もうとさえした。「非正規だと生涯所得は5000万円、正社員なら2~3億になる。さあ、どっちがいいか」というわけだ。しかし、いくら日本中で「若者は正社員にならなくてはいけない」と叫んだところで、企業が採用しなければ、その願いはかなわない。正社員にを求めるプレッシャーはますます強くなり、そこで激しい競争が巻き起こった。どんな労働条件でもいいからとにかく「正社員」でさえあればいい、という状況すら起きてきたのだ。こういう状況のなかで増えてきたのが「うちは正社員だから」と言って若者を採用し、非常に劣悪な条件で雇用し、過酷な労働を課す企業だ・・・これがのちに「ブラック企業」と名指しされることになる。ブラック企業は「正社員」という言葉だけをエサにして若者を雇用し、育成をほとんど放棄して短期間に使い捨てて利益を出そうとする企業のことを言う・・・ブラック企業は若者の頑張ろうとする気持ちを逆手にとって、過剰な働かせ方で、使い捨てにするのだ(35~39ページ)

ブラック企業の悪質さはいまや常識となっていることではありますが、この記述の鋭いところは、若者の味方であるはずだし、また本心からそう思っているはずの学校や家庭、つまり、教師や親が、結果的にブラック企業の付け入る隙を与えてしまっているということです。ブラック企業の体質が糾弾されるのは当然ですが、ブラック企業と親や教師がコラボしているようにも見えてしまうところが、この問題の根の深さを感じます。一方、ブラック企業の被害者はそこで働く若者にとどまりません。

ブラック企業は労働者ばかりか、消費者をも食い殺していく、という事実だ。典型的な例は、IT企業、外食、介護、小売といった分野である。こうした業界では、労務管理がしっかりと確立していない新興企業が多く、ブラック企業が目立つ。同時に、こうしたブラック化しやすい企業が消費者に与える影響は計り知れないものがある(41~42ページ)

このように指摘した上で、IT企業の長時間労働がシステム障害につながる(43~44ページ)、新入社員に店舗をまかせいい加減な授業をするパソコン教室(47~48ページ)、過剰労働が招く飲食店の食中毒リスク(49~54ページ)、ブラック介護が招く虐待、放置、死亡事故(54~58ページ)といった事例、可能性を指摘しています。抽象的に、ブラック企業が消費者を食い殺すと言われてもよくわかりませんが、このように具体的に言われると納得です。もし自分がブラック企業の商品やサービスを利用していたらと思うと、ぞっとする気分です。ブラック企業は消費者のために社員を酷使せざるを得ないなどという主張は、単なる言い訳、口実にすぎないということがよくわかります。

 

ここまでの記述は十分衝撃的な内容ですが、この本はさらに、こういうことがなぜ起こるのか、という背景についても踏み込んでいます。

日本の労働契約の一番の問題は、契約が「職務」に基づかないということなのだ・・・とにかく「入社して言われたことを全部やる」ことの対価が賃金である、という考え方が労使ともにあり、雇った以上はどんな仕事をどれだけさせてもいい、入社してしまったのだから何を要求されてもこなさなくてはならない、という意識の人がほとんどだ。だから「社会性がない」と叱責されたり、それを根拠に責められたり、解雇されるようなことも起きてくるのだ(65~67ページ)

なるほど、おもわずうなってしまいました。「社会性がない」という叱責、会社で受けたことのある方は多いと思います。でも、ちょっと疑問があります。このような状況は、日本の企業のほぼすべてに当てはまると思いますが、では、日本の企業がみんなブラック企業かというと、そんなことはありません。

かつては「甘い!」と叱られることはあっても、頑張って仕事を続けていけば、実際に能力や技能が身につき、管理職になれたり、「その道のプロ」になるということも多かった・・・しかし、今日本のブラック企業は、育成するために「甘い」と責めているのではなく、単に若者を使い潰すだけだ(67ページ)

ブラック企業と非ブラック企業の違いが端的に指摘されています。一方、企業だけでなく労働者の意識についても指摘しています。

日本人はサービスや品質に責任を負うような「仕事の仕方」、すなわち「職務」に対する自律性が高いわけではない・・・勤める企業からの命令に対する主体性はあるが、消費者を含めた社会に対する自発性、責任感が高いのかといえば、必ずしもそうではない。仕事の仕方を業界ごとに決めていない、しっかり交渉もしていないから、消費者にとってマイナスになるような「無理な命令」も受け入れてしまう・・・「自社企業本位」の社会性に欠けた、身勝手な労働である。下手に企業の命令にだけは「責任感」を覚えているのだから、一見すると「まじめ」には見えてしまうからやっかいだ(70~71ページ)

最初の1文に対しては違和感を感じる方が多いと思います。通常、仕事に対する誠実さ、丁寧さは日本人の長所と言われていますから。しかし、続きを読むと、たしかにと思わざるを得ません。とくに、次に紹介する事例を読めば、否が応でも納得するしかありません。

典型的な例だが、2010年、ある航空会社で、体調が悪い乗務員の交代を外国人機長が求めたところ、社長が激怒し、機長交代を命じ、そのままの乗務員で離陸、しかも機長は契約が残っていたにもかかわらず1週間後に解雇されたということがある。機長は、チーフパーサーであった乗務員が風邪で声がほとんど出なかったため、非常脱出時に乗客の安全を保つための誘導指示ができない可能性があるとして交代を求めたのだ。結果的に外国人機長が乗客の安全のために飛ばすべきではないという期待を、経営陣は飛ばせと強要し、日本人機長は交代要員として飛ばさざるを得なかった(72ページ)

ところで、以前であれば「お客様は神様です」、「お客様のため」といった言葉が使われ(「お客様は神様です」という言葉は、歌手の三波春夫氏が1961年に言い始めた言葉ですが、それが元々の意味と違った意味で使われているとして、三波氏の遺族が抗議していることが紹介されています(78ページ)。)、最近は、それに代わって「おもてなし」という言葉が、企業の商品サービスの品質維持・向上のためのお題目として言われることがあります。「おもてなし」について面白い指摘があります。

一気に「おもてなし」が一種のブームになるのは2000年代・・・それから、銀座のホステス、生保の営業、広告、IT系の起業家からスタバ、ピエロ、商業施設の案内係まで、ありとあらゆる業界・職種の「おもてなし」を学べ、みたいな本が花盛りになるのも2000年代中ごろからです(127ページ)

それが「自分磨き」になっている・・・90年代までは少なくとも、非常にハイエンドなホテルや料亭といった、庶民とは縁遠いいわゆる高級店にまだ限定されていた・・・事務的な「サービス」を超えてプライベート感覚さえ抱かせる「おもてなし」は、特別であったがゆえに超高級ホテルや料亭のものだったわけです。もちろんそこにはサービス料も心づけもある。それが、2000年代以降は、あらゆる業態・価格帯の店がそれを学ばなければいけないみたいになってきた。こういう状況になると客の側の要求レベルもどんどん上がって、どんなお店に行っても「もてなされる」のが当然になってくるわけですよね。それが「モンスタークレーマー」の一因にはなっているのかも(129~130ページ)

ゲームセンターまで「おもてなし」を要求されて、じゃあ、従業員はそれだけの「おもてなし」の対価を得ているのだろうか(135ページ)

 著者の今野氏、坂倉氏、それから、五十嵐泰正氏の3者の対談から紹介しています(135ページの部分は今野氏の発言、他の2つは五十嵐氏の発言)。いまやすっかり定着した「おもてなし」という言葉が、対価以上にある意味際限なく高品質のサービスをモンスター消費者が要求する根拠に、社員(特に若者)にそれが自分のためであるという幻影を与えて無制限、無定量の労働をブラック企業が要求する根拠になってしまっていることを、鋭く指摘しています。

 

もともと「おもてなし」という言葉は2020年の東京オリンピック誘致のときに使われたことをきっかけに、幅広い業界でのサービス向上のお題目として使われるようになりましたが、ブラック企業とモンスター消費者に政府までもが加担して(もちろん意図的ではありませんが)、日本の若者を搾取しているという、冗談にもならない状況が出現しているようです。

これから「おもてなし」を求められたら、それに見合う対価を自分は貰えるのか、ということを意識する必要がありますね。「おもてなし」と言われたら「搾取」と読み替える、ぐらいの警戒心がなければ自分の身は守れないようです。