日々読書、時々一杯、折々投資

モグパクです。都内で働くサラリーマンです。 新書・文庫を1日1冊読むのを日課にしてます。あと、酒(主に日本酒)を飲むこと、投資をすることが好きです。

どんな悩みや辛いことも大したことないと思わせてくれる本

「鋼のメンタル」百田尚樹新潮新書679、2016年8月発行、同月2刷

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百田氏は、ときどきその発言が炎上することがありますが、それでも本人は特にそれに負けることなく、発言し続けている方というイメージで、まさにこの本のタイトルの「鋼のメンタル」を持っている方の代表とも言えます。しかし、百田氏はあっさりこう言います。

「私は生まれつきメンタルが弱くてー」と言う人がよくいます。これは大きな間違いです。メンタルというのは実は鍛えられるものなのです(3ページ)

この本では、そんなメンタルの鍛え方を紹介しています。

皆さん、想像してみてください。子供の頃から一度たりとも競争で負けたことがなく、挫折など味わったことのない者が、大人になって、初めて致命的な敗北を味わった時の絶望感を・・・皆さん、挫折はどんどん味わうべきです。そのためにも、どしどし闘争を挑もうではありませんか(43~44ページ)

ようは慣れましょうというのが鍛え方なのでしょう。とってもシンプルであるのでわかりやすく、効果的なのは分かりますが、挫折を味わいましょうと言われて、分かりましたと答えられる人はなかなかいないと思います。というか、答えられる人は、すでに鋼のメンタルを持っているとも言えます。

本当は負けることは結構楽しいのです。実はこれはほとんどの人が無意識にわかっていることです・・・常に敗北が潜んでいる戦いだからこそ、リスクのある戦いだからこそ、人は燃えるのです。でもそうした戦いに挑むには、敗北に耐えうる強い精神力が必要です。皆さん、負けることを楽しめるだけの心を持ちましょう(48~49ページ)

こう言われるとすごいハードなことを求められるような気がしてしまいますが、そうでもありません。

すぐに泣きごとや不平を口にする人は、意外に倒れたりしません。私の周囲にいる人は、私がすぐにへこんで弱音を吐くことを知っています・・・その代わり、ちょっとでも売れると途端に有頂天になり、天下を取ったような気分になるのですからまた厄介です・・・若い時は、この気分の変化の激しさに自分を持て余していました・・・最近は高層ビルも免震構造というものを採用しています。頑丈な鉄筋コンクリート地震の揺れに立ち向かうのではなく、その揺れを受けてビル全体が揺れることによって、その衝撃を逃がしてしまう構造です。人間もこれを取り入れるべきです(52~53ページ)

百田氏は自分がまさにそれであると告白した上で、弱音や愚痴をどんどん吐くことを勧めています。鋼という言葉のイメージとは反対ですが、こう言われると気が楽になります。

世の中の成功者もこれと同じなのではないかという気がします。過去の失敗に後悔することなく、今、何をやるのがベストかを判断して、それを行動に移す。おそらく実業の世界でも、スポーツの世界でも、成功した人間はこういうタイプだと思います(60~61ページ)

「後悔」は何の役にも立ちませんが、「反省」には大いに意味があります・・・「なぜ失敗したのか」「どこが悪かったのか」「それを回避できる方法はなかったのか」そういうことを考えることは非常に大事なことです。これは「後悔」と似ているようで全然違います。後悔はただ「あんなことをしなければよかった」「なかったことにしたい」と過去の行為を全否定するに等しいものですが、反省は過去の行為を肯定したうえで、次の人生に生かすものだからです。もちろん、反省した上で、「もうあんなことはしない」という結論になることもあるでしょう。それはそれで意味のあることです(61ページ)

 先ほどの弱音や愚痴は「後悔」に当たるものと思われます。なので、さっさと「後悔」をし気持ちを切り替え「反省」し次のステップに進みましょう、というのが百田氏の言いたいことでは、と私は思いました。それにしても、「後悔」と「反省」の違い、意外と難しいですが、こうスパッと言えるところはさすがです。

 

とはいえ、頭ではこう分かっていても、そもそもメンタルが弱いのですから、そう簡単に「反省」し次に進むなんて切り替えができるとは限りません。なにか後ろから押してくれるものが必要です。

恋の告白をしてふられても、それは全然失敗ではない、ということです。実は恋は告白した時点でスタート地点に立ったようなものです・・・恋の対象として見ていなかった男性から告白されて、「はい、喜んで」という女性はまずいません。彼女はまず断ります。それでナイーブな男性は、「一世一代の告白をしたが、ふられてしまった」と大いに落胆します・・・しかしこれは全然ふられていないのです。女性はただすぐにOKしなかっただけのことです。そしてこの告白以降、彼女はその男性を見る目が変わります。それは当たり前のことです。自分に真剣に恋してくれた男性が、周囲にいる男性たちと同じに見えるはずはありません。昔からある「思えば思わるる」という言葉通りです。私が告白することで恋のスタートラインに立ったというのは、そういうこどです。つまり、ここからが本格的な勝負です(70ページ)

なるほど、こう言われれば、告白して断られても早く立ち直れそうです。

「病気にかかるのは環境や生活の影響もあるけど、それでもまあ半分は運みたいなものでしょう。百田さんは黄斑円孔になって不幸だと思っているようだけど、じゃあ、 黄斑円孔と筋ジストロフィーと取り替えられるとなったら取り替えますか?あるいは肺ガンと取り替えられるとなったらそうしますか?」畳みかけるように言われて、さすがの私も何も言い返せませんでした。そうなのです。私は黄斑円孔を健康な状態と比べて不幸だとか運がないと思ったわけですが、彼女は健康な状態と比べるなら、他の病気とも比べるべきだとほのめかしたのです。多くの患者を診てきた医者ならではの哲学だなあと思いました。それ以来、どんな病気になっても、それもまた自分の運だと思えるようになりました(89ページ)

なかなか普通はここまで言えません。でも、この医者の言葉の方が、言われた方にとってもためになります。病気になった人に、大変ですねえと同情する言葉を言っても、相手はすこしも気持ちは楽になりません。こう言われたことで実際に百田氏の心は楽になっています。

よく一流会社でリストラしたい社員を会社がいじめるという話を聞きます・・・一日中便所掃除をやらせたりといったものです。そういう屈辱に耐えかねて、多くの人が職場去っていくようですが、私に言わせれば、精神力が弱すぎます・・・ハローワークに通ってもなかなか仕事がみつからず、嫁がパートで働いても子供の塾代も出ない、家のローンも払えないというような生活に比べれば、会社のいじめくらい屁でもありません。私なら、毎日鼻歌をうたいながらトイレ掃除をするでしょう。しかし多くの人はプライドを傷つけられて退職するようです。プライドって何でしょう・・・トイレ掃除を本職にしている人は世の中に山のようにいるのです。彼らはもっと安い給料にもかかわらず、黙々と仕事をしています。要するにそれで耐えられないというのは、実に薄っぺらいプライドなのです(96~97ページ)

百田氏の考え方は、職場にも応用されています。

日本は七十年前、世界を相手に戦った末に、何もかも木端微塵にされました・・・何十万戸という家が焼かれ、戦後は着るものや食べるものさえ満足に手に入れられないという人が何百万人もいました。進駐軍三国人たちによる殺人、略奪、暴行は日常茶飯事でした。今から見れば想像を絶する世界です。でも、自殺者は現代よりもはるかに少なかったのです。なぜなら当時の人たちは、生きる喜びを実感していたからです・・・もう戦争で殺されることはないーそれがどれほどの喜びであったことでしょう・・・私はそういうことを考えると、少々の苦しみなんかで死ぬことはとてもできないと思います。この本の読者の中に、もしも、時々、死にたいと思うことがある人がいたら、発想の転換をしてください。それができないという人は、東北や熊本の被災地に行ってみてください。不幸は人を打ちのめすことはできますが、完全に打ち倒すことはできないということを知るでしょう(81~82ページ)

言われてみればそのとおりです。今までなぜ気づかなかったのだろうと思うと、一言もありません。

世の中には、非常に恵まれたように見えるのに、自分は不幸と思い込んでいる人がいます。悩みを聞いても、それのどこが苦しみなのか、周囲の者には理解できないこともあります。もちろん苦しみや悩みは極めて個人的なもので、数値化して誰にでも当てはめられるものではありません。でもここで正直に言えば、現代人の苦しみのハードルは随分下がっているような気がします。おそらく現代人にとって、生きることが当たり前になったからではないかと思います。人は当たり前のことには感謝しません。高度経済成長以降は、その上、快適に裕福に暮らすことさえ「当たり前のもの」となったような気がします。ところがここに落とし穴があります。人は当たり前のものには感謝しないけれども、当たり前のものすら手に入れられなかった時には、激しい怒りと悲しみを味わいます(87ページ)

ここの直前までで紹介した部分とあわせて読むと、失恋、病気、職場の人間関係・リストラ圧力、悩みはいろいろありますが、どんな悩みにも、悩むほどの価値はないとも言えます。

百田氏の言いたいことと多少ずれていることを承知で、あえて一言でまとめると、そんな悩みは贅沢だ、ということでしょうか。たしか、以前読んだ「お前なんかもう死んでいる プロ一発屋に学ぶ「生き残りの法則50」 」(有吉弘行双葉文庫)に、辛いときは自分より下と比べろ、という話があったと記憶していますが、それに近いと思いました。

私は辛いことや悩みごとがあったりすると、「こんな悩みも、百年後には幻のように消えているんだろうなあ」と考えます。そして百年前の人たちもいろいろと悩んできたのだろうなあと思います。そしてきっと百年後の人たちも、今の私と同じようにささいなことで悩んだり苦しんだりするのだろうなあと思うと、おかしさとも悲しさともつかぬ何とも言えない気持ちになります。すると、今、私が悩んでいることさえ何か素敵なことのように見えてくるから不思議です。悩んだり悲しんだりできる人生がとても愛おしいものに思えてくるのです(135ページ)

同じ悩みをもつ人が他にもいるという気持ちが心を落ちつかせるのでしょうか?その人がいま目の前にいるわけではないのに、不思議としか言いようがありません。百田氏は一方で、どんな悩みとか辛いことも何とかなるとは言っていません。

もし、十中八九負けるだろうなと予想したり、負けた時のダメージはきついかもしれないと思うと、とっとと逃げます。戦っても得なことは何もないからです。自慢じゃありませんが、私は逃げ足には自信があります(99ページ)

皆さん、いざとなれば、会社なんかどうでもいいのです。どうで会社は他人のものです。それに周囲の人はあなたが本当に苦しい時には助けてくれません。そんな会社や人間のために限界を超えて頑張る必要はありまえん。そして逃げると決めたら、とっとと逃げましょう。そしていざとなれば、人間関係なんか全部ぶっとばしてしまえるだけの「メンタルの強さ」を持ちましょう(104ページ)

 逃げることも強さ、いい言葉ですね。こういうことを述べる百田氏は、よく分かっているなあと感心します。あえて苦しみを受け続ける必要はまったくありません。

自分は他人にどう見られているかーこれを気にしない人はいないでしょう。もし、そんな人がいたとしたら、かなりの馬鹿です。人は社会的な動物ですから、他人とうまくやっていることはとても大切です。それには、自分が他人からどう見られているかを客観的に認識できるかが重要です(106ページ)

よく逆のことを述べる本は見ますが、これは珍しいです。また、鋼のメンタルの持ち主らしからぬ発言に見えますが、おそらく、それとは別のことでしょう。生活の様々な場面において自分だけで成り立っているわけではなく周りの評価が影響する、という現実を言っているのだと思います。それゆえ、こうも述べています。

出世したあなたの同僚が上司にお世辞を言うような人間なら、そのお世辞は、「見え透いたお世辞」ではなく、「上手なお世辞」なのです・・・一般的な会社組織に属する会社員の仕事は総合的に評価されます。すなわち交渉力、営業力、アピール力、マネージメント能力、人心掌握力、プレゼン能力、管理能力、などなどです。そして、これらの多くは言葉に頼るものが大きいのです。つまり適宜にお世辞も使いこなせない会社員は、前記の様々な能力において劣ると見做されても仕方がない面もあるのです(119~120ページ)

また、こんなことも言っています。

口論で言い負かされると惨めな気持ちになりますし、敗北感に打ちのめされる時もあります。ですが、勝ったところで、せいぜいがちっぽけな優越感を味わえるというくらいのものでしょう。そんなものを味わいたいがために口論のテクニックを磨くのは、人生の無駄と思います・・・口論になれば、一歩引けばいいのです・・・ただ、それが自分の生き方の本質に関わることや仕事に関わることなら、そういうわけにはいきません。その時は堂々と自分の考えを述べればいいのです。小手先のディベートテクニックなどを使う必要はありません。相手の挑発に乗る必要もなければ、質問に答える義務もありません。自分が正しいと思うことを堂々と述べればいいのです。そして相手の言い分に正しい部分があると思えば、それを認めればいいのです。さらにもし自分の考えが間違っていたと思えば、それを改めればいいのです。口論に勝つことよりも、そのほうがずっと人生にとっては大切なことです(158~159ページ)

口論が得意な百田氏らしく、この部分より前では、口論に強くなるテクニックを紹介していますが、そんな百田氏がこのように述べると、単なる負け惜しみを言っているのではないということがよく分かります。

ここでは、一歩引くだけでよいのか、それとも、自分の考えを述べるべきことか、自分で選ぶということが求められます。百田氏はこの本の一番最後でこう述べています。

どんな人の人生にも、「優先順位」の選択を迫られる瞬間は常にあると思います。それを間違わない人が、「人生の成功者」になれるのではないかという気がします。もちろん何度も言うように、社会的な成功だけが幸福ではありません。本当の幸福の前には、そんなものはたいしたことではないと思っています。でも、社会的な成功以外にも、人生における優先順位の選択は非常に大切なことだと思います(203ページ)

「優先順位」の選択の基準として、自分にとっての利害得失があるのは明らかです。でも、利害得失だけとは思えません。この直前で紹介されている、百田氏が小説家としての第二の人生を歩むことができた百田氏の妻による選択(200~203ページ)は、何か選択しなければいけないとき、利害得失だけでなく他の大事なこと(それが何かは選択の対象が何かにより様々ですが)も忘れてはいけない、ということを伝えているような気がします。