日々読書、時々一杯、折々投資

モグパクです。都内で働くサラリーマンです。 新書・文庫を1日1冊読むのを日課にしてます。あと、酒(主に日本酒)を飲むこと、投資をすることが好きです。

自分は「バカ」だからと思って自分を否定してしまう方に読んで頂きたい本

バカの壁(著者:養老孟司)、新潮新書、2003年4月発行、同年6月12刷、

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発売開始と同時に、大ベストセラーになった本です。わたし自身はまだ読んだことがありませんが、それでも、タイトル自体は当時から知っていました。それから10年以上もたった今でも覚えていて、こんかい読む機会にめぐまれました。

なぜ今まで読んでいなかったのか?「バカの壁」というタイトルに原因があります。養老氏は学者ですので、世間のやつらはバカだから何も分かっていないというようなことをこの本で述べているのかなあという印象があって、読まずにいました。こんかい読んでみて、そういう印象は間違っていたことがよくわかりました。

 

この本を読んでいてまず感じるのは、社会にさまざまな価値観、考え方が存在するという多様性を養老氏が重視していることです。言葉の上ではかなり距離感がありますが、そのことがこの本のタイトル「バカの壁」に通じています。

 

あるていど歳をとれば、人にはわからないことがあると思うのは、当然のことです。しかし若いうちは可能性がありますから、自分にわからないかどうか、それがわからない。だからいろいろ悩むわけです。そのときに「バカの壁」はだれにでもあるのだということを思い出してもらえば、ひょっとすると気が楽になって、逆にわかるようになるかもしれません。そのわかり方は、世間の人が正解というのと、違う分かり方かもしれないけど、もともと問題にはさまざまな解答があり得るのです。そうした複数の解を認める社会が私が考える住みよい社会です。でも多くの人は、反対に考えているようですね。ほとんどの人の意見が一致している社会がいい社会だ、と(4~5ページ)

 

さいしょにこの本では、「わかる」ということについて述べています。あることが「わかっている」ということは、そのことについての「常識」(コモンセンス)が人々の間で共有されていることを意味します。しかし、じっさいはこの「常識」についてのスタンスが人によって違うので、「わかる」と本人は思っていてもじつはそうではないということが生じる、それゆえ、説明すれば「わかる」「わかってもらえる」とは言えないと述べています(15~20ページ)。「わかる」「わかってもらえる」と思うことは、同じ「常識」があることを前提、強い言い方をすれば、それを押し付けているということを意味します。決め付け、思考停止ともいえます。

 

現実はそう簡単にわかるものではない、という前提を真剣に考えることなく、ただ自分は「客観的である」と信じている。だから政治家の汚職問題、たとえば鈴木宗男氏の疑惑が生じれば、「とにかくあれは悪いヤツだ。以上。終わり」で結論付け、断罪して報道する。そこには、明らかに一種の思考停止が起こっているのですが、本人たちにはその自覚がないわけです(中略)膨大な「雑学」の類の知識を羅列したところで、それによって「常識」という大きな世界が構成できるわけではない。しかし、往々にして人はそれを取り違えがちです(22ページ)

 

みなさんは、「君子豹変」という言葉の意味を知ってますか?わたしはこれまでこの言葉を、すぐに態度が変わることを非難する意味の言葉と思っていましたが、じっさいは逆なんですね(57ページ)。こう思ってしまうのは、人の態度とか行動がころころ変わるのはよくない、という考えがあるからです。しかし、養老氏は、自分は変わらないという考え方が間違っていると言います。

 

本当は常に変化=流転していて生老病死を抱えているのに、「私は私」と同一性を主張したとたんに自分自身が不変の情報と化してしまう。だからこそ人は「個性」を主張するのです。自分には変わらない特性がある、それは明日もあさっても変わらない。その思い込みがなくては「個性は存在する」と言えないはずです(55ページ)

 

わたしも「私は私」と思っていましたが、こういわれると、考えてしまいます。たしかに、昨日の自分と今日の自分、考えていることが同じかというとそうとは限らない。昨日と今日で言うことが変わっていることもあるでしょう。まさに「豹変」です。この話は「知る」とは何か、ということにもつながってきます。

 

知るということは、自分がガラッと変わることです。したがって、世界がまったく変わってしまう。見え方が変わってしまう。それが昨日までと殆ど同じ世界でも(60ページ)

 

何かを「知る」ことになれば、自分の考え方や見方、意見が変わる、ということは日常的に経験します。たしかに、自分が変わっています。これも本当は「豹変」ですが、そう意識することはありません。「知る」ことと自分が「変わる」ことは同じ意味ですし、ぜんぜん悪いことでもありませんし、当然のことでしょう。自分自身がどんどん変わっていくのであれば、他人との間で「わかる」「わかってもらえる」などと、軽々しく考えることはできなくなります。

 

「知る」ことで「変わる」ことはありますが、「変わる」ときはそれだけではありません。一晩寝て翌朝になったら、昨日の夜はAが良いと思ったけどやっぱりBの方が良いなあと、思うこともあります。つまり、起きているときだけでなく、寝ているときも「変わる」ことがあります。

 

無意識の状態でだって、身体はちゃんと動いています。心臓も動いているし、遺伝子が細胞を複製してどんどん増えて、いろんなことをやっているわけです。それもあなたの人生だ、ということなのです(中略)完全に意識の連続の世界しか考慮に入れていないから、寝る前の自分と、目が覚めた後の自分が連続している同一の人間だ、と何も疑わずに安易に思ってしまう(中略)自分には無意識の部分もあるのだから、という姿勢で意識に留保を付けることが大切なのです(119~120ページ)

 

仕事術としてこんなテクニックが紹介されることがあります。たとえば何かの企画書を作成する場合、一通り書き終えたらそれを最終版にするのではなく、翌朝もう一度読んだ上で最終版とするかどうかを決める方が良い、ということが言われます。これは、寝ている間にも人は変化しているということを前提としています。その前提を明示的に述べている仕事術の本を、わたしはまだ読んだことはありませんが。同じ話を、仕事術という実務的なレベルを超えて、意識・無意識という人の存在そのもののレベルで展開してしまう。養老氏の思考の深遠さを感じます。この話を養老氏は分かりやすくこう述べています。

 

私はいつも脳について話すのです。「あんたが100%、正しいと思ったって、寝ている間の自分の意見はそこに入っていないだろう。3分の1は違うかもしれないだろう。67%だよ。あんたの言っていることは、100%正しいと思っているでしょう。しかし人間、間違えるということを考慮に入れれば、自分が100%正しいと思っていたって50%は間違っている」ということです(193~194ページ) 

 

わたしはこの部分を読んで、なんだか肩の荷が降りたようなとても楽な気持ちになりました。 養老氏はこの本の意図をこう述べています。

 

現代世界の3分の2が一元論者だということは、絶対に注意しなくてはいけない点です。イスラム教、ユダヤ教キリスト教は、結局、一元論の宗教です(中略)原理主義というのは典型的な一元論です。一元論的な世界というのは、経験的に、必ず破綻すると思います。原理主義が破綻するのと同じことです。もっとも、短期的に見ると原理主義の方が強いことがある(中略)バカの壁というのは、ある種、一元論に起因するという面があるわけです。バカにとっては、壁の内側だけが世界で、向こう側が見えない。向こう側が存在しているということすらわかっていなかったりする。本書で度々、「人は変わる」ということを強調してきたのも、一元論を否定したいという意図からでした(193~194ページ)

 

バカの壁」の「バカ」という言葉を養老氏は、文字通りの意味で使っているのではないようです。自分を「バカ」と思っている人ほどじつは「バカ」ではなく、むしろ逆のようです。