日々読書、時々一杯、折々投資

私の趣味をそのままタイトルにしました。 趣味のことでこれいいなあと思ったことを書いていきます。それが少しでもみなさまの参考になればさいわいです。

職場で評価されていないと感じるときそんな評価に負けないために読んで頂きたい本

左遷論(著者:楠木新)、中公新書、2016年2月発行、

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「左遷」という言葉は、マイナスのイメージを持つ言葉としてよく知られています。しかし、著者の楠木氏はこう指摘します。

 

経営学の専門書やビジネス関係の書籍が、実際の経営やマネジメントにほとんど使われておらず、理論や学説と、現実との乖離が大きいことだった。たとえば言葉で言うなら、「同期入社」や「左遷」などの概念は、会社員が強くこだわっているが、経営学やビジネス関係の書籍ではほとんど言及されていない(ⅷページ)

左遷の用例を見てくると、一般的に仲間内や、上司と部下との個別の間柄の中ではよく使われるが、新聞紙上など公式の場面には、それほど使用されていないことが推測できる(8~9ページ)

 

多くの会社員が実感としては分かっているけれど、一般的な言葉としては使われていない、いわば、会社員にだけ通用する業界用語ということでしょうか。楠木氏は「左遷」とこう定義します。

 

「それまでよりも低い役職や地位に落とすこと。外面から見て明らかな降格ではなくても、組織の中で中枢から外れたり、閑職に就くことを含む。ただしこの場合は、当の本人が主観的に左遷だと理解していることが要件になる」(6ページ)

 

本人の認識が定義に含まれていることからも、左遷が一般的な言葉足り得ないことが分かります。左遷の定義はむずかしくあいまいになってしまいますが、どういう場合に左遷になるのか、言い換えると、どういう場合に本人は左遷だと思ってしまうのかを述べています。

 

2年前に経理部から営業に異動になったのは、社長から「現場の視点を身につけさせるために、一回営業を経験させろ」という指示が出ていたからだというのだ。牧野さんは、その時に初めて自分で勝手に左遷だと思い込んでいたことに気づいたという。この例のように、人事部の中では左遷ではなくても、個々の社員が自分で左遷だと認識することは少なくなさそうだ。こういう誤解が生まれるのは、人事異動の意図や理由を対象者にきちんと説明しないという慣行が影響している(20~21ページ)

 

おもしろいのは、異動の意図や理由を対象者にきちんと説明しない慣行の存在です。会社員の方ならおそらくほとんどの方が、この慣行の存在に同意されるのではないでしょうか。じゃあ説明すればいいのではと思うのですが、話は簡単ではありません。

 

人事異動の大半はその趣旨や細かい理由まではオープンにしない。なぜならすべての異動に意味があるというよりは、空いているポストに人を当てはめるという実務上の理由だけのケースもあるからだ。必ずしも一人一人の希望や適性を見極めて異動を行っているわけではない。また、個人個人に説明する余裕がないという実務上の理由もあるという(18ページ)

 

説明しないではなく説明できないということです。うすうす感じてはいましたが、やっぱりという感じですね。理由を説明しない事情はこのほかにもあります。

 

人事異動の内容は強制力を持っているということだ(中略)厚生労働省のモデル就業規則では、人事異動に関して次のような条文例が示されている。

(人事異動)

第8条 会社は、業務上必要がある場合に、労働者に対して就業する場所及び従事する業務の変更を命ずることがある。

2 会社は、業務上必要がある場合に、労働者を在籍のまま関係会社へ出向させることがある。

3 前2項の場合、労働者は正当な理由なくこれを拒むことはできない。(60~61ページ)

 

第8条第3項は強烈です。厚生労働省は、人事異動の内容が強制力を持つことを認めています。強制であれば、いちいち理由を説明しないのは当然とも言えます。でも、わたしは、異動の理由が単にポストが空いたからというのであっても、説明した方が会社にとってメリットがあると思います。左遷されたと被害妄想をもたれるよりはましです。ちなみにある外資系企業の場合はこんな状況です。

 

日本のある外資系企業の人事担当者に聞くと、転勤や配置転換は、人事運用の最もデリケートな案件であるという。本人の同意を得ない転勤命令を出すと、トラブルになって訴えられる恐れがあるからだと説明してくれた。丸抱えの雇用保障がない反面、転勤にも個人の同意を前提としているのである(62ページ)

 

ここまでの左遷は、結果的には本人にとってOKな左遷ですが、この次に紹介する左遷は、文字どおり不本意な左遷です。

 

中高年になった時に、役職定年で役職から外れたり、ライン職から離れてスタッフ職になると、これ以上の上位職への昇進はないと悟る。そういう感情が、「左遷になった」という発言につながることもある(中略)頭の中では、後輩に道を譲らなければならないし、ポストが削減されているので仕方がないと思っている。しかし実際に低い役職や地位に落ちたり、昇進の望みがなくなると心情的には左遷だという気持ちが上回るのである。そういう意味では誰もが左遷を経験すると言えなくもない(21~22ページ)

「人は自分のことを3割高く評価していると書いた。このことも、人事部や組織が左遷ではないと思っていても、本人は左遷だと受け取ってしまう一つの理由だと思える(27ページ)3割高く評価しているのであるから、自分を振り返る時に、客観的には問題のない異動も左遷に思えてしまう心理がそこにあるわけだ(29ページ)

 

どちらの左遷も、おそらく、ほどんどの会社員が経験することになる左遷でしょう。左遷という言葉をつかわないとしても、不本意な人事異動という意味では、ほぼぜんいんに共通する話でしょう。そうすると、左遷といかに上手に付き合うかが、会社員にとっては重要になります。一つの方法は、左遷をバネにしてさらに仕事をがんばり成果をあげて再起することです。

 

40歳を過ぎた社員が再起することは実際には難しい。この年齢になれば社内の評価はほぼ固まっているからだ(中略)40歳以降になると、自力による敗者復活はないと言ってもいいだろう。左遷を生み出すしくみで述べたように、毎年毎年、ポスト待ちの社員が行列をなして後ろに控えているので、会社はリカバリーを認める余裕がない(168~169ページ)

 

とても厳しい現実です。再起できないからといって食べていけないということはありませんが、厳しい状況が待っていることは間違いありません。ではどうすればいいのか?

 

会社で働く意味に悩み、疑問を持ったり、挫折的なことに遭遇したり、不遇だと思う心理状態に陥った時は、「会社とは何か」「組織で働くとはどういうことなのか」を深く考えるまたとない機会であり、新たな発想を生む可能性を秘めている(194ページ)

 

またとない機会なのは確かですが、それがどのように自分にメリットがあるのでしょうか?

 

会社と一対一の関係になるほど社員は独立していないし、組織にもたれかかり、組織内に自分を埋没させている社員も少なくない(中略)会社の枠組みを客観的に眺めたり、そこから一時的に脱する機会を持っておくべきなのである。そうでなければ左遷に遭遇した時に自らのすべてが否定された気分に陥る(214~215ページ)

 

左遷されたからといって、自分自身、自分の人生が否定されたわけではなく、それとは別のものである(別の価値がある)と思えるようになれれば、左遷はそれを気づかせてくれる、あるいは、それを現実のものとするきっかけになるのです。

 

複数の自分がいる方が柔軟な対応が可能である。こちらの自分ではダメな時でも、あちらの自分なら対応できることもある。くわえて、一生のうちに異なる立場をいくつか経験することは、人生を深く味わうことにつながる。複数の私、複数のアイデンティティを切り捨てないことだ(中略)会社を辞めて独立・起業するわけでもなく、また会社の中の仕事だけに埋没して左遷や不遇をかこつだけでもない。第三の道を目指すことが可能になる。会社を辞めずに、仕事以外に、もう一人の自分を発見するというやり方である。もちろん、いきなり「もう一人の自分」を作り上げることはできないので、コツコツと時間をかけて取り組めばよいだろう(217~218ページ)

 

これを実行するには、ますます仕事に集中しないといけないと思いました。なぜなら、時間が必要だからです。残業時間をすこしでも短くして自由時間を作らなければとてもできないことです。そのためには、仕事をより効率的に効果的にするにはどうしたよいか、ということを考える必要があります。仕事の手を抜くのではなくむしろ逆が求められます。

 

左遷は、人生を輝かすために地中に埋められた原石のようなものだ。それを発見して磨き上げるためには、左遷自体やその背景にある会社組織のことをよく知ることだ。くわえて、自分自身に正面から向き合うことが求められる。それらを通して、左遷をチャンスに転換できる余地が生まれる(中略)左遷ときちんと対峙できれば、人生を充実させ、イキイキした老後にもつながってくるものと信じている(225ページ)

 

こう言われると、左遷が楽しみになってきます(笑)