日々読書、時々一杯、折々投資

私の趣味をそのままタイトルにしました。 趣味のことでこれいいなあと思ったことを書いていきます。それが少しでもみなさまの参考になればさいわいです。

週刊誌なんていい加減で嘘ばかりと思っている人がこんど週刊文春を読んでみようかなあと思ってしまう本

文春砲 スクープはいかにして生まれるのか?(著者:週刊文春編集部)、角川新書、2017年3月初版発行、

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「文春砲」といえば、週刊文春のスクープ力を象徴する言葉として、有名です。この本は、なぜ週刊文春はすごいスクープをとれるのかという、週刊文春にとってはさいこうの企業秘密とも言えることを、週刊文春編集部じしんが語るという、ちょっとあり得ないスタイルの本です。だからこそ、誰もが興味のあることです。

 

2016年のスクープは、いずれも現場の記者やデスクたちの入念な下準備と粘り強い取材の成果です。膨大な資料を集め、「物読み(資料分析)」し、「地取り(聞き込み)取材」に駆け回り、張り込み、直撃し、ようやく着地点が見えてきます。こうした地道な作業の積み重ねがあるからこそ、最後の最後に迷いなくフルスイングできるのです(5~6ページ)

 

警察の犯罪捜査についての説明として聞いても、なんの違和感も感じない内容です。本人にとって知られたくないことを対象としているという点では、警察も週刊文春も同じということなのかもしれません。週刊誌というと、あることないことを適当におもしろおかしく書いている、だからこそなんでも書けるし面白く書けるというイメージがありますが、それとはまったく対照的です。

 

橋下氏がぶら下がり会見で「バカ文春とは言えない」と言った瞬間、編集部では快哉が叫ばれたものでした。最後にものをいうのはファクトの力です。橋下氏に本気で反論させないだけの裏付け証拠を揃えられていたということです(47ページ)

 

橋下氏とは、大阪市長(当時)で現在は弁護士の橋下徹氏のことです。橋下氏といえば弁護士らしく、主張すべきことは相手が誰であろうと堂々と主張しかつとても議論に強い人というイメージですが、その橋下氏に白旗をあげさせた週刊文春の取材力はすさまじいものがあります。

 

今野はまず、一色氏と甘利事務所の接触を追い始めた。ほとんど毎週のように一色氏は、清島氏と鈴木氏に会っているという。それと同時に一色氏の周辺取材も進めていった。「告発」は、恨みや思い込みなどから、話が大きくなったり、告発者の不利になる情報を隠していることも少なくない。証言だけを鵜呑みにして記事化を進めると、相手方から思わぬ反撃を受けることがある。一色氏がどんな人物なのかをしっかりと把握することは絶対に必要だった(中略)何より、記事にしたくても、その段階には至っていなかった。一色氏のメモや録音データはほとんど提供されておらず、証言だけで客観証拠が足りない。訴訟リスクが大きすぎた(133~134ページ)

 

甘利明TPP担当大臣の金銭授受疑惑をめぐる取材の時の話です。非常にしんちょうに調査していることがよく分かります。情報提供者が情報源として信用できるかどうかも含めて調査しているとはおどろきです。最初に、まるで警察の犯罪捜査のように聞こえると書きましたが、ここまでくると、まさに犯罪捜査そのものです。

 

川上伸一郎の出身高校も調べ上げていた。出身地とされる熊本の高校の卒業名簿を片っ端から見ていくことで名前を見つけたのだ。このときは熊本の高校のなかで最後の一冊になってようやくその名にたどり着いた。気が遠くなるほど地道で時間がかかる作業だった(191ページ)

 

「川上伸一郎」とは、「ショーン・マクアードル川上」通称「ショーンK」と呼ばれ、国際派経営コンサルタントとしてテレビに出演していた人物です。この人物の本当の経歴はどうなっているのかを調べるため、出身高校を特定する調査が、この記述です。ウィキペディアで調べたところ(2018年1月)、熊本県には高校が78校あるそうで、この調査当時の高校数は、おそらくほぼ同じでしょう。78冊の卒業アルバムを読むというのは、文字通り「気が遠くなる」ような作業です。週刊文春編集部に目をつけられたら、もはや逃れられないと観念するしかないようです。

このように週刊文春編集部の調査能力の高さはよくわかりますが、一方で、情報収集力、人脈づくりの能力もはんぱではありません。

 

ドラマや映画に出てくる情報屋のような人たちも実在します。ネタ元の中には、カタギとはいえないようなグレーゾーンの人たちもいます。そういう人たちと付き合う際にもやはり接し方が問われます。誰が相手であっても態度を変えない。媚びる必要はありませんが、男にも愛嬌は大事です。気に入ってもらうところから信頼関係を築いていくのです。一方で、情報屋のような人たちも、単なるネタ目当てなのか、どれだけ本気で自分と付き合っているのかはしっかり見ています。あまり杓子定規なことばかり言っていては、「水臭いな」と信頼してもらえません。人と人として向き合っていると感じてもらえてはじめて、とっておきの情報を教えてもらえるものなのです(51ページ)

 

おそらくいろんな人と付き合いがあるのだろうというのは想像できますが、愛嬌が大事、気にってもらうことが大事というのは、一般の人間関係と同じで、ちょっと意外です。単純に情報を金で買うというような世界ではないようです。

 

二月に二度会って、編集部から企画のゴーサインが出されたあと、ぱったりと連絡が取れなくなってしまった。このとき今野は、一色氏が告発から降りたのだろうと考えた。それでも、定期的な連絡は続けた。電話をかけても出ない。メールを送っても返信はない。それでも、呼びかけを絶やさずにいた。半年近くが経った。翌日にプラン会議を控え、企画に困っていた今野は、出ないだろうなと思いながら、一色氏の携帯を鳴らした。「・・・・・・はい」そして、久しぶりに会った一色氏は、二月の段階よりも具体的に話し始めた。今野の粘りによって、再び取材が動き出した(130~131ページ)

 

連絡に反応しなかった一色氏がとつぜん反応するようになったのは、一色氏にとってなんらかの事情の変化があったのでしょう。でもそれだけではないような気がします。電話にでない、メールに返信しないということが繰り返されたら、ふつう連絡は途絶えます。今野氏はそれでも連絡を取り続けたということに、一色氏の気持ちが反応したところもあったと思います。もちろん、今野氏は情報が欲しいという事情があったからなのは間違いありませんし、一色氏もとうぜんそれは分かっていたはずですが、そうだとしても、連絡と取り続けた今野氏の「粘り」に一色氏の気持ちが反応したのだと思います。

ここまででも十分週刊文春の実力は分かりましたが、一方で、週刊誌というと、興味本位で面白おかしく報道しているというイメージがあるのは否定できません。しかし、そうとも言えないようです。

 

SNSの発達にしたがって、政治家も芸能人もスポーツ選手も自らがメディアとなって情報を発信できる時代になりました。ただし、それは当然ながら、彼らにとって都合のいい情報だけです。アメリカのトランプ大踏力の例を挙げればわかりやすいでしょう。大きな権力や社会的な影響力をもつ人たちに関して、彼らに都合のいい情報ばかりで世の中が埋めつくされるようになると大変危険です。最近の傾向として、情報を「本人がそう言っているんだから間違いない」と妄信する人が増えているように思います。そうした状況では、権力者が世の中をミスリードすることは簡単です。彼らにとって人に知られたくない「不都合な真実」を、世の中に伝えていくメディアも必要なのです(43ページ)

 

たしかに。ファクトがすべてというスタンスで報道するということは、都合のよいこともわるいことも報道するということになります。

 

最近のメディア界は、先にポジションが決まっていて、記事が作られることが多い。産経新聞であれば安倍政権礼賛。東京新聞はその逆でしょう。ファクトを見る角度が決まっていて、都合の悪い真実は見ない傾向が強まっています。週刊文春においては、右、左まったく関係ありません(167ページ) 

 

これはわたしも実感しています。さいきんわたしが読んだ本にも、同じ話がありました。興味あればお読みください。

 

mogumogupakupaku1111.hatenablog.com

 

一連の取材と報道について、大山は振り返る。「今回の取材に限らず、人を傷つけているという自覚はありますけど、それに対して記者は、すいません、申し訳ありませんって言ってはいけないんだと思っています。ただ、こういう記事に関わったことで、自分は不倫をしてはいけない人間になったんだとも思いました。いままで一回も不倫をしたことはないですけど、こういう記事をつくった以上、しちゃいけない人間になっちゃったなって。自分がそれをしていたら、人のことを言っちゃいけないし、説得力がなくなってしまいますからね。何かの記事をつくるたびにそうして背負うものが増えている気はします」(89~90ページ)

 

大山氏はベッキーの不倫疑惑の取材を担当した記者のひとりです。発言からは、とても繊細な人という印象を受けます。そんな繊細で、悪く言えば弱くて週刊誌の記者がつとまるのか?と不安に思ってしまいますが、記者の等身大の気持ちなのでしょう。ただの興味本位では週刊誌の記事はかけないということがよく分かります。