日々読書、時々一杯、折々投資

私の趣味をそのままタイトルにしました。 趣味のことでこれいいなあと思ったことを書いていきます。それが少しでもみなさまの参考になればさいわいです。

作家になりたいと思っているけど自分が作家に向いているかどうか知りたい人に読んで頂きたい本

作家の収支(著者:森博嗣)、幻冬舎新書、2015年11月第一刷発行、

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この本の著者の森氏は「すべてがFになる」で作家デビューした人気作家です。

 

小説家になりたい、どうすれば小説家になれますか、というメールを沢山いただく(中略)もう一つ、小説家志望の人から受ける質問の中には、どれくらい儲かるのか、という切実な質問がある(7ページ)

 

森氏に対して小説家志望の人から質問が殺到するのはしぜんなことです。ちょっと意外なのか、収入について関心が高いこと。好きな小説が書ければお金は気にしないという人が小説家になるのかと思いきや、そうでもないようです。同時に、質問がたくさん森氏に寄せられるということは、作家のお金について説明している本がないということの裏返してもでもあり、この本がそれだけ貴重な本ということになります。

 

小説雑誌などでは、原稿用紙1枚に対して、4000円~6000円の原稿料がもらえる。たとえば、20枚~30枚の短編なり連載小説を書けば、20万円~30万円が支払われるわけで、毎月これがコンスタントに書ければ、生活には充分な額になるだろう(26ページ)

 

1枚4000円~6000円というのが、高いのか安いのかちょっとよくわかりません。でも、20枚~30枚を毎月書けば生活していけるのであれば、かなりおいしい仕事と言えるでしょう。このことは時給でみるともっとはっきりします。

 

僕は、キーボードで叩いて文章を書く。1時間当たりに換算すると6000文字を出漁できる(中略)6000文字というのは、原稿用紙にして約20枚なので、1枚5000円の原稿料だと、この執筆労働は、自給10万円になる。ただし、書けば即原稿感性かというと、そうひかない。手直しをする必要があるし、また印刷のまえにゲラ(校正用の試し刷り)のチェックもしなければいけない。したがって、ほぼこの半分くらいになると考えてもらって良い。それでも、時給5万円というのは、数字だけ見れば、もちろんとても良い条件だと思われる。ただし、誰でもが、その条件で仕事ができるわけではない(27~28ページ)

 

やはり作家というのは、相当な好条件な職業と言えるでしょう。もっとも、考え方によっては、5万円よりも低い金額とも言えます。実際に文章にするまでにいろいろと構想を練ったり考えたりする時間が必要な場合もあるはずです。それが書く時間と同じぐらいあるとすれば、時給は3.3万円、倍あるとすれば2.5万円となります。でもはやり好条件と言えるでしょう。しかし、時給数万円という仕事が作家だけということはありません。作家が好条件な理由は、ほかにあります。

 

日常的に本を読む人はそんなに多くはない。小説になると数十万人といわれているほど少ない(中略)たとえば、さきほどの一番売れた「F」でも、20年かけて78万部程度なのだから、日本人のうち0.6%にすぎない。つまり、170人に1人くらいの割合になる。これがTVの視聴率だったら即打切りだ。とにかく、小説というものが、超マイナなのである。それでも、作家は、そこそこ本が売れれば商売としてやっていける(中略)それはひとえに、自分一人だけで作り出せるからで、この要因が最も大きい。経費もかからないし、比較的短時間で生産できることなどが、好条件といえる(56~57ページ)

 

この本のタイトルが、「作家の収入」ではなく「作家の収支」である理由が、ここにはっきり現れています。好条件かどうかというと、ついついもらえるお金の額に関心がいってしまいますが、大事なのは、出て行くお金との差なので、森氏の言うとおり、経費がかからないことはとても重要です。こういう分析の仕方はざんしんですが、とても正しいです。企業経営と同じです。森氏はこうも述べています。

 

小説は、1万人が買えば商売として成立する。10万人が買えばベストセラである。しかし、映画は100万人が見ても、成功とはいえない。もう1桁上なのだ。エンタテイメントは、どんどん多様化していて、昔のように大勢が同じものを見る、という時代ではない。これから、どんどん難しくなっていくだろう。逆に言えば、小説のマイナさは、ここが強みだということ(134ページ)

 

でも、いいことばかりではありません。

 

本が出たというだけで喜んではいられない時代である。しっかりと部数を把握し、それを増やしていくためには何が必要なのかを、作家は自分で考え、戦略を立てなければならない。出版社はそこまで考えてはくれない。それよりも、もっと売れる作家を探す方がずっと簡単だからだ(93~94ページ)

新人は、とにかく良い作品を次々と発表するしかない。発表した作品が、次の仕事の最大の宣伝になる。それ以外に宣伝のしようがない、と考えても良い。したがって、最初のうちは、依頼側が期待した以上のものを出荷する。価格に見合わない高品質な仕事をして、割が合わないと感じても、それは宣伝費だと理解すればよい。最も大事なことは多作であること、そして〆切に遅れないこと。1年に1作とか、そんな悠長な創作をしていては、たとえ1作当てても、すぐに忘れ去られてしまうだろう(72~73ページ)

 

森氏は、よくあるサイン会の宣伝効果には懐疑的ですが(101ページ)、自腹で1000冊本を買い上げて無料配布といった独特の宣伝活動をしています(88~89ページ)。また、1996年のデビューから2015年までの間、1年間で最低3冊(1996年)、最も多いときは27点(2004年)も、新刊を出しています(114ページ)。1発当ててしばらくは優雅な印税生活、なんていうのは実態とはほど遠いようです。どんどん書けといわれても、書けないときもあるのではと思ってしまいます。

 

「書けなくなる」ということがあるらしい。僕は、その心配をしたことがないし、スランプというものを経験したこともない。どうしてかといえば、僕は小説の執筆が好きではない。いつも仕事だからしかたなく嫌々書いている(中略)スランプにならないのは、このためだと思われる。「好きだから」という理由で書いている人は、好きでなくなったときにスランプになる。「自慢できる」仕事だと思っている人は、批判を受けるとやる気がなくなる。つまり、そういった感情的な動機だけに支えられていると、感情によって書けなくなることがある、ということのようだ。それに比べれば、仕事で書いているかぎり、スランプはない(196~197ページ)

 

森氏は考え方が大人だなあとつくづく感じます。