日々読書、時々一杯、折々投資

モグパクです。都内で働くサラリーマンです。 新書・文庫を1日1冊読むのを日課にしてます。あと、酒(主に日本酒)を飲むこと、投資をすることが好きです。

学者・研究者もふつうの人なんだなあという安心感と不安感を同時に感じる本

科学研究とデータのからくり 日本は不正が多すぎる!(著者:谷岡一郎)、PHP新書、2015年10月第一版第一刷、

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科学研究の不正というと、おそらく、STAP細胞の小保方氏の事件を思い出す方がおおいのではないでしょうか?しかし、著者の谷岡氏によると、そうでもないようです。

 

一般に信じられているよりも、不正は頻繁に行われている。プトレマイオスの観測を2000年知くも疑う者がいなかったように、理論上あるべき数値が示され、最終的にその理論が正しかった場合、その基になる数字までは誰もチェックしようとしないことが一因である。しかし、ほかにも不正が発見されない原因はいくつもあり(19ページ)

 

2000年間不正が発覚しなかったのであれば、STAP細胞の事件は、氷山の一角にすぎず、まだまだ世間には知られていない不正がたくさんあってもおかしくない、ということになります。

 

研究者や学者の世界には、基本的に性善説的前提が存在する。高等教育に携わる最高レベルの頭脳をもつ人びとが「不正に手を染めるなどありえない、あってはならない」という思い込みである(中略)日本の研究制度はとくに不正に走るインセンティブが多分にあり、逆に(発覚したときの)ペナルティが少ないのではないか、というのがこの問題全般についての筆者の意見である(35~36ページ)

 

不正をするインセンティブはあるのに、不正は行われないだろうという前提があれば、ある意味不正し放題という状態になるのは、ふつうのことです。わたしは、研究者が学者が、一般の人とくらべてはるかに高い頭脳レベルを有していることは間違いないと思いますが、最高レベルの頭脳を持っていることは能力の問題で、不正をしないあるいは不正をするインセンティブに負けないということは倫理の問題なので、そもそも関係がないと思います。

谷岡氏は不正といってもいろいろレベルがあるとし、悪質さも大分ちがいがあるとしていますが、中には、こんなのもあるので、おどろきです。

 

「1903年、フランスの理論物理学者ルネ・ブロンロが新たな放射線を発見し、「N線」と命名したと発表した。権威ある科学誌で発表されたこの結果は多くの学者によって追試されかつ確認されたにもかかわらず、のちにN線は存在しないことが判明した、という事件である。最終的に確認した(つもりだった)100人以上の物理学者やその弟子たちは、ウソと知ってウソをついていたのではなく、「理論上はあってしかるべきだ」とか「みんなに見えるのだから存在するはず」と考えて目をこらした結果、実際に見えた(ような気がした)というだけの話。専門用語で「予想効果」(expectation effect)と呼ばれる現象で、信じる者には本当に見たいものが見えてしまう現象である(43~44ページ)

 

「信じる者には・・・」という部分は、思わず、宗教かよ!とつっこみたくなります(笑)。ある意味、人間臭い話とも言えますが、これでは、詐欺商法にだまされる一般人となんらかわりません。

 

図やグラフをわかりやすく見せるために工夫することは許されるが、意図的に(本来は本当でない)結論を導いたり示唆し足りするための作成は許されない。加えて、自分の都合の悪い部分をあえて隠すのも、同様の行為に含まれる。じつを言えば、広告の世界では、この意図的ミスリードは日常茶飯事的テクニックとして行われている。たとえば、50歳くらいに見える人に「私は70歳なんです。この健康食品を毎日飲んでいます」と言わせたりする新製品の宣伝を思い出してもらうとよい。ずっと使用していなら新製品ではありえないので、たまたま若く見える人を宣伝に起用したにすぎないことは明らかであるが、この製品の効用と信じてしまう人々もいる(56ページ) 

 

こういうことがいけないというのは当然だと思いますが、しかし、こういうテクニックにかんたんにだまされてしまうということもよくわかります。広告の例は、いかにかんたんにだまされるか、なにも疑問を感じないということがよく分かります。

 

研究が論文のかたちになったときの査読さえきちんとしていれば、少なくともゴミやデタラメが出版物として世に出ることはない。査読も仲間(仲よしクラブ)による評価が中心ではあるものの、その分野のエキスパートに依頼するのが前提であるから、あまりに荒唐無稽なものはそこでハネられる。はずである(中略)論文の著者も査読者も建前は匿名であるが、文体や内容によって、お互い、相手が誰かはすぐわかる。というより、知っている。狭い分野のかぎられた研究者どうし、あまり過激な批判や質問は避けようとする力学が働くのは当然である。あれやこれやで、頭から(たとえクズ論文でも)拒否することはあまりない。とくによく会う仲間なら、なおさらである(85~86ページ)

 

そんな正直に告白しないでください、という感じです(笑)。わたしの知る研究者、学者のイメージは、一般の人に比べれば思ったことはズバズバ言うというタイプというものでしたが、それは、サークル外の人に対してのようです。サークル内に対しては、一般の人と同じような感覚をもっていることがわかります。

変な言い方ですが、学者は研究者の人たちに、ふつうの人と同じなんだという、みょうな親近感を感じましたが、同時に、日本の科学技術だいじょうぶかなあ?という心配も感じました。