日々読書、時々一杯、折々投資

私の趣味をそのままタイトルにしました。 趣味のことでこれいいなあと思ったことを書いていきます。それが少しでもみなさまの参考になればさいわいです。

分かってはいたけど、世の中はやっぱり矛盾だらけということをあらためて感じてしまう本

禁煙ファシズムと断固戦う!(著者:小谷野敦)、ベスト新書、2009年10月初版第一刷発行、

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かなり激しいタイトルです。著者の小谷野氏のスタンスは明らか。そういえば似た本をいぜん読んだなあと思っていると、

 

本書に少し先だって、室井尚の「タバコ狩り」(平凡社新書)が出たが、室井はどうも弱腰で、あとがきで、禁煙反対運動をするつもりはない、などと書いている。運動といったって、デモをするわけではない。言論だって十分に運動である。なのにわざわざこういうことを書くところに、弱腰を感じる(205ページ)

 

そうそう「タバコ狩り」でした。そのときのことを思い出してみると、室井氏の迫力ある主張にけっこう納得していた自分がいます。

 

mogumogupakupaku1111.hatenablog.com

 

室井氏を「弱腰」と言ってしまう小谷野氏はそうとう激しいようです。この本の裏表紙に小谷野氏の写真があるのですが、煙のでているタバコを片手にもち一服している小谷野氏の写真をのせています。もちろん、わざわざ載せたのでしょう(笑)。世の中の禁煙派を写真からも挑発しています。ここで写真を引用できないのがとても残念です。

 

私もまた、もはや紳士的に語っている段階ではないと考えているから、「口汚い」といった批判に関しては、一切反省していない、それほどに禁煙ファシズムはひどいものなのである、と言っておく(29ページ)

 

「はじめに」の部分で、小谷野氏、このように宣言しています。ふつうは逆ですね。内容は間違っていないが言い方はよくなかったので(イヤイヤ)お詫びする、というやつです。小谷野氏は内容が間違っているとは全く思っていないので、これの逆というのも違います(笑)。言い方が間違っていたとしてお茶を濁す言い訳を自ら断ったところに、小谷野氏の潔さを感じます。

 

一昨年、東大総長小宮山宏は、「喫煙対策宣言」を総長策定し、キャンパス内の喫煙所をさらに減らし、キャンパス内でのタバコの販売を禁止した(38ページ)

さらに許しがたいと思ったのは、東大で、ブランドものの焼酎を販売しているということだ。タバコについては構内での販売も禁じながら、酒は自ら販売するとは、何という不公平な措置だろうか。大学が酒を販売するなどということは、西洋では考えられないことで、酒と自動車に甘いところが、日本の禁煙ファシズムの特徴である。実際西洋では、屋外での禁煙に対する規制などというものは、日本ほどひどくはない。小宮山総長は、自動車が趣味だそうだが、排気ガスを撒き散らすのがよくてなぜ喫煙がいけないのか、ぜひとも説明してもらいたい(44~45ページ)

 

思わず唸ってしまいました。たしかに、言われてみればそのとおりで、なぜ排気ガスが良くて、タバコの煙がダメなのだろう。もちろん、生活する上でどうしても必要な自動車の運転はあります。パトカー、救急車、消防車が排気ガスを出すことをタバコと比べるのは比べること自体おかしいことです。一方、趣味がドライブという人はいますが、そういう車の運転がよくてタバコがダメ、というのはなんとも不公平な話です。この部分にかぎらず、この本のぜんたいを読んで感じるのですが、小谷野氏は、すごい議論に強い人なのだと思います。学者なので、一般の人よりは議論に強いのは当然ですが、学者の中でもぬきんでているのではないかと思われます。

 

今年の二月、妙なニュースがあった。神奈川県で、喫煙規制の条例を作ることに賛成か反対か、インターネット上でアンケートをとったところ、最初は賛成が優位だったのに、終了間際に反対が上回り、調べたら、日本たばこ産業の職員、たばこ販売店などの「組織票」が動いていたという。松沢成文知事は「残念だ」などと述べて、アンケートのやり直しをすることにしたという(「朝日」「読売」「毎日」が報道)。おかしな話である。もし「組織票」がいけないなら、なぜ禁煙団体の組織票も排除しないのか(72~73ページ) 

 

これも小谷野氏の言うとおり。さいしょに正直に告白します。わたしはこの記事をよんだとき、恥ずかしながら、まったく「妙なニュース」とは思いませんでした(泣)。「組織票」がいけないのなら、国政選挙のとき、業界団体や労働組合が特定の候補を支持し当選させるようにする行為も問題ということになります。松沢知事は無所属かもしれませんが、それでも、松沢氏をぜひ知事にと願う団体や組織がいて、その支援のおかげで知事に当選したのではないでしょうか?喫煙派の組織票だけ排除されるのは、たしかにおかしい。

 

現在の「禁煙ファシズム」の背後に大きく広がっているのは、この「死なない感覚」だろう。健康に留意しさせすれば、タバコや酒を控えれば、永遠に生きられるような感覚。それは、言ってしまえば、病んだ感覚であり、古代の皇帝が抱いたような永遠の生に関する妄想だ。最近ベストセラーとなった「健康本」に、タバコを吸いながら九十歳まで生きた人もいる、という意見に対して、吸わなかったら百歳まで生きただろう、とあった。なんという愚かさだろう(83ページ)

 

これは愚かですねえ。こんどばかりは、わたしも最初からそう思いました。「人はどうせ死ぬ」のです。ある程度の年齢(これが何歳かは一概に言えませんが、70とか80歳ぐらいでしょうか?)になったら、もう関係ないんですね。本人の尊厳を無視した延命治療を思い出します。

 

日本は世界の潮流から遅れているという、禁煙運動家らのいつものたわ言があったが、こういう、世界中がやっていることは正しいという、愚劣な思考はどうにかならないものか。世界の潮流などというものは、先進諸国、つまりキリスト教国が広めているものに過ぎない。では松沢は、それらの国が帝国主義を押し進めていた時に、それに乗り遅れまいとした日本は正しかったと言うのであろうか(114ページ)

 

小谷野砲がさくれつしています。松沢氏がこの批判にどう答えるのか、ぜひ知りたいものです。おそらく「それとこれは話が違う」と答えるのでしょうけど、「ではどう違うのか?」とさらに聞かれたら、松沢氏はどう答えるのでしょうか?少なくとも、「世界の潮流」だから、という理由は主張できなくなります。

 

いったい、缶ビールやカップ酒の入れ物に、「酒の呑み過ぎはあなたの健康を害します」とか「肝硬変などの原因になります」とか「肝臓がんの原因になります」とか、タバコの箱のように大書してあるだろうか。やっぱり日本はおかしな国である(124ページ)

 

日本が、ちゃんとした理由もなく、酒に甘くタバコに厳しいのは間違いないです。わたしは酒好き人間なので断言できますが、仮にビール瓶とかにこのように書いてあっても、それを理由に飲むのをやめるあるいは飲む量を減らすということは、ぜったいありません。むしろ飲むペースが上がるだけでしょう。なので、タバコの箱に書いてあったとしても、喫煙者にはなんにも響いていないと思います。おそらく、タバコによる健康被害を受けた人から裁判で訴えられたときに備えて、タバコ会社が責任を逃れるために書いているのでしょうけど、喫煙者になにも響かない以上、そもそも責任逃れの言い訳にすらなっていません。無駄なことです。

 

最近、敷地内を禁煙にしてしまう病院が増えている。実に困ったことだ。病院なのだから当然だと思う人もいるだろうが、実はそうではない。病院こそ、喫煙の場を確保しておくべき場所なのだ。大きな病院へ行くとき、人は不安を抱えている(中略)もしかするとそこで、大きな病気を告げられたり、その治療が困難であると知らされたりするのだ。喫煙の習慣がない人は関係ないだろうが、喫煙者にとって、そこで受けた打撃は、喫煙によって、とりあえず癒したいものだ(中略)慶応大学付属病院では、病院の庭に喫煙所があり、点滴の機械を引きずってそこまで吸いにくる入院患者が何人もいる(76~77ページ)

 

この小谷野氏の話を読んで思うのは、社会にはいろんな人がいるのに、禁煙という嗜好を持つ人の主張のみが取上げられているということです。ダイバーシティという言葉がさいきん言われます。日本語で「多様性」という意味だと思いますが、禁煙者も喫煙者もともに多様性の一つに入ると思うのですが、どうなっているのでしょうか?

わたしが思うに、喫煙者の人がいま、サンドバックにされているのだと思います。喫煙者ということに本人自身が多少の引け目を感じていて(小谷野氏はまったく感じていませんが笑)、そこを敏感に感じ取った禁煙者がここぞとばかり、いちばん攻撃しやすい人、言い換えれば反撃してこない人を見つけて、みんなで攻撃しているという構図を感じます。一方、お酒や自動車は、それを制限しようとすれば、相当な反撃を覚悟しなければいけません。そこが、タバコにだけ厳しい理由かなと思いました。もうちょっと言えば、禁煙を主張する人はじつは、健康への害など本気では信じていないのではないか?とさえ思います。