日々読書、時々一杯、折々投資

私の趣味をそのままタイトルにしました。 趣味のことでこれいいなあと思ったことを書いていきます。それが少しでもみなさまの参考になればさいわいです。

読書の大事さ、楽しさ、奥深さを教えてくれる、読書好きな人がますます読書好きになる本

評論家入門 清貧でもいいから物書きになりたい人に(著者:小谷野敦)、平凡社新書、2004年11月初版第1刷、

ーーーーーーーーーーー

「評論家」と聞くと、なにやらとても難しそうなイメージです。もちろん、本物の評論家は難しいですが、いまでいえば、ブログでちょっとコメントするとか、ツイッターでつぶやくとか、テレビで言えば、コメンテーターみたいな人もいろいろいます。評論家は無理でも、コメンテーター的な存在ならなれるかもと思ったりもします。評論家がすこし身近な存在になりつつあるとも言えます。

 

学術論文は、地を這うように書かなければならないのである。よくもまあこんなちまちましたことを、と呆れるようなやり方で、先行研究を調べて検討し、資料を整理し、あたかも縫い物でもするようにちくちく書かなければならないのである。「評論」を読んでいて楽しいのは、著者が直観を閃かせ、鮮やかと見える手際で謎を解き、それを飛躍した文章で読ませるからである。だから読んでいて、はっ、と胸が躍り、目からウロコが落ちた気分になる(31~32ページ)

 

急に自信がなくなってきました。でも、学術論文と比較する形で評論の何が大事かを教えてくれます。「飛躍した文書」という言葉はなかなかおもしろいです。そして端的にこう言っています。

 

評論とは、あくまで、カネになる文章のことなのである(40ページ)

 

続いて、評論家になるために必要なことをこう述べています。

 

評論家を目指すとしたら、とにかく読書が好きでなければならない。作家で、読書が嫌いだという人もいるけれど、作家ならそれでもいいかもしれないが、評論家はそうはいかない。だから、遊ぶのが好きだとか、大酒呑みだとかいう人は、評論家に向いていない。パーティーなどに出ていても、まっさきに帰るようでなければならない(中略)私の場合、とにかく食事をしている時間がもったいない(134ページ)

 

読書が大事。たしかにそうですね。それにしても著者の小谷野氏が、食事をしている字間がもったいないと言ってしまうところはすさまじいです。並みの読書好きではダメということですね。いったい、評論家と呼ばれる人は、一生でどれだけの本を読むのだろうと思います。ちょっと意外なのは、先ほど「評論」について、「直観を閃かせ」といった表現が使われているとおり、知識量というよりは発想で勝負というイメージがあって、読書とはやや反対方向の話に見えましたが、そうではないのですね。「直観を閃かせ」るためにも読書が必要ということになります。かねがね「直観」というものに無縁なわたしにとっては、(ひょっとしたら、万が一の確率で)読書すればそれが身につくかもと思え、ちょっとうれしいです。

 

本を読むにしても、一冊の本にとりかかったら、たとえつまらなくても最後まで読み通さないと気が済まない、というような人がいる。これは、学者・評論家には向いていない。「読む価値なし」という見極めは早くつけて放り出すのがいい。もし、後ろのほうに自分にとって重要なことが書いてありそうだったら、飛ばし飛ばし読むといい(135~136ページ)

 

これは意外。本を読まないといけないというから、てっきり最初から最後まで一冊の本を熟読しないといけないかと思いきや、そうではないんですね。小谷野氏は指摘していませんが、「読む価値なし」という見極めをつけられるようになるためにも、とにかくいっぱい本を読む必要があるような気がします。

さて、この本では、小谷野氏が実際に活躍する学者をA~Fのランクに分類しています。いくつか紹介します。まずは最低ランクのFです。

 

F:元は学者だったのだろうが、いつしか一般向けエッセイを量産する、あるいはテレビタレントのようになってしまった人

というのもいる。岸田秀田中優子鷲田小彌太中島義道といったあたりか(83ページ)

 

またはっきり言い切ってます。わたしが先日買った本の中に、ここにあげられている人の作品がありました(泣)続いて、Eランクです。

 

E:マスコミ的に有名だが、その学問はインチキである

というのがいる。こういう人たちの淵源は、十九世紀末から二十世紀の西洋に現われた連中で、ニーチェフロイトユングといった連中だ。二十世紀最大のインチキ学問が精神分析だったというのが今の私の立場だ(83ページ)

 

日本だけかと思ったら、外国に対しても容赦ないです。そうでないとおもしろくありません。続いて、ランクはDで、それほどわるくないのですが、かなりの有名人ばかりなので紹介します。

 

D:「評論家」として優れていて、マスコミ的にも有名だが、学者としてどうか、と言うと疑問符がつく

というのがいる。柄谷行人蓮實重彦山崎正和梅棹忠夫加藤周一野口武彦といったあたりだ(83ページ)

 

本は読んだとはなくても一度は名前を聞いたことのある人がいるのではないでしょうか?学者としてはいまいちだが評論家としては優れているという評価、学者と違って難しいことを分かりやすく説明してくる人というプラスの意味で聞いていましたが、この本で、学術論文と評論の違いを聞いてしまうと、急にそういう評価を受ける人がうさんくさく見えてしまいます。

こんどこの人たちの本を読んでみるのがとても楽しみです。