日々読書、時々一杯、折々投資

私の趣味をそのままタイトルにしました。 趣味のことでこれいいなあと思ったことを書いていきます。それが少しでもみなさまの参考になればさいわいです。

じぶんが知らないことを知らないことが世の中に存在する、ということを分からせてくれる本

ピアノはなぜ黒いのか(著者:斎藤信哉)、幻冬舎新書、2007年5月第一刷発行、2008年1月第三刷発行、

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タイトルがちょっと意表を突きます。わたしもそうですが、黒い理由をすぐに応えられる人はまずいないのではないでしょうか。

 

「ピアノとは黒いもの」は、日本ではなかば常識になっているというわけです。ところがこの常識、実は日本だけのものといったら、びっくりされる方が多いのではないでしょうか。ヨーロッパやアメリカ、あるいはそれ以外のほとんどの国では、ピアノといえば木目が当たり前になっているのです(17ページ)

 

びっくりです。わたしもとうぜんピアノは黒いと思っていました。でも海外では木目が当たり前といわれても、疑問が生じます。

 

「テレビで見る外国の演奏会のピアノもみんな黒いのでは」という疑問がわいてくるでしょう。でもあれは黒でなくてはならないんです(中略)ステージ上の主役はあくまでもピアニストです。ピアノはけして主役ではありませんから、そのピアノが目立ってはならないのです。だから演奏会のピアノは、主役のどんな衣装をも引き立たせてくれる黒でなくてはならないのです(27ページ)

 

なるほど。なっとくです。著者の斎藤氏の博識ぶりがうかがえます。

 

ヤマハとカワイ、今では累計生産台数で世界第一位と第二位のメーカーは、競い合う中で、手間のかかる木目ピアノより、黒いピアノのほうが製造時間を短縮できることを確信したはずです。木目ピアノをつくるのには、化粧版という、うすく削いだ木目の板をピアノの表面に貼りつけていきます。しかもピアノ全体の木目模様を合わせなければなりませんから、とても手間がかかります。一方、黒いピアノでは木目を合わせる必要はありません。しかも石油化学が発達したおかげで、ポリエステルなどの塗料の価格もとても安くなりました。こうして高度成長期の急速な需要の増加に応えるべく、二つのメーカーがコストダウンのために採用した黒塗りのピアノは、その後、あっという間に普及していった(27~28ページ)  

 

本題のピアノの色の話です。黒色のほうが製造が簡単なので普及していったということですが、いかにもありがちな話です。手放しで喜べる話ではありませんが、でも、多くの人がこのおかげでピアノに触れることができるのであれば、良い面もあると思います。

 

私は会社の反対を押し切って、輸入ピアノの展示と販売をはじめました。たくさんの先生方、音大生など、いわゆるピアノの専門家の方たちに輸入ピアノを案内し、弾いてもらいました。何十人、何百人もの専門家を相手にしました。ところが、どうも音の違いが分からないとしか考えられないような方が多いのです。音の違いが分からなければ、ピアノに高いお金を派なるはずはありません。これではヤマハがいくら高級なグランドピアノを発売しても売れるはずがありません(中略)ピアノの専門家でいろんなメーカーのピアノに通じている人は、ほとんどいません。なぜでしょう。それは、いろいろなメーカーのピアノに接する機会がないからです。楽器店に行ってもヤマハしかない、カワイしかない、あるいはスタンウェイしか展示していないというのが、日本では当たり前の光景です。音楽大学でもヤマハかカワイ、外国のメーカーではスタンウェイだけ。有名コンサートホールに至っては、スタンウェイばかりです(48~49ページ)

 

ヤマハやカワイのピアノが広く普及したことは、良い側面もありますが、悪い側面もあります。日本の音楽家のレベルという意味では、決して良い影響はなかったようです。それにしても、ピアノの専門家でさえ、ピアノの音の違いが分からないというのはおどろきです。いったい専門家として何にこだわっているのか?疑問に感じてしまいます。これは、ヤマハ、カワイのピアノが広く普及したことの副作用です。

 

1709年の誕生から150年ほどの間に、ピアノの音は飛躍的に大きくなりました。現代のピアノの音の大きさは80~100デシベルです(中略)地下鉄の電車内が80デシベル、そうぞうしい工場の中が90デシベル、そして100デシベルとは電車通過時のガード下に相当します(62ページ)

 

ピアノの音はそうとううるさいですね。聞かされたほうからすれば、ピアノの音がうるさいとクレームのひとつも言いたくなるのは、とてもよく分かります。いまの住宅事情からすると、家から大きな音を出さないというのはとても重要ですが、その対策として、電子ピアノがとても普及しています。でも、斎藤氏は、電子ピアノはピアノの代用にはならないと言っています。

 

ピアノ、バイオリン、ギターなどのアコースティック楽器は、楽器全体が共鳴箱なので、楽器のどの部分にも、音をひびきやすくするための材料が慎重に選ばれて使われています。だから演奏者は耳からだけでなく、楽器の振動を直接、身体で感じることになるのです。たとえばピアノの鍵盤を押すと、押さえた指に振動が伝わってくるのを感じることができます。指の骨を通じて伝わってくる振動は、からだ全体の骨を振動させ、耳から入ってくる音といっしょになります。それによって、私たちはそのピアノの音の好き嫌いを感じるのです(71ページ)

 

同じピアノでも、電子かそうでないかは、ぜんぜん違うことがよくわかります。電子ピアノの音は、とてもピアノの音と近くなっていますが、それでも同じではないと感じるのは、この骨を通じて感じる振動の有無なのでしょう。とてもわかりやすい説明です。この文章に、斎藤氏のピアノのプロとしてのプライドを感じます。でも、いまの住宅事情を考えると、ほんもののピアノを置くのは難しいのも事実。

 

もちろんこんな話をしたからといって、ピアノがどこの家庭でも置けるわけではありません。重さや値段の問題があるからです。でも何にもまして置けない一番の理由、それがピアノの音の大きさの問題です。だからこそ再度言いたいのです。こんなに大きな音の出る必要があるのかと(77ページ)

 

とても鋭い提言ですね。ヤマハ、カワイはぜひとも採用して欲しいものですが、おそらく、しないのでしょう。これはわたしの推測ですが、おそらく、本物のピアノよりも電子ピアノの方が簡単に製造できるというのが理由と思われます。過去の木目のピアノを作らず黒いピアノばかり製造したヤマハ、カワイなら十分あり得る話です。

 

たとえば100年ほどもたったヨーロッパの一流品だと、アップライトでも100万~200万円、グランドピアノなら400万円以上の値段がつきます。たんに数が少ないから、頑丈だからではありません。楽器の生命である音が100年たってもすばらしいのです。だからこそ、これほどの高い値段がつくわけです。これに対し日本製のピアノは、40年以上経過したものは、残念ながら中古としての価値はほとんどありません(84~85ページ) 

日本製ピアノの人気の高さの理由は、楽器としての信頼性の高さにあります。温度や湿度の変化で調律やメカニズムの調子が変わりやすいヨーロッパのピアノに比べ、ヤマハやカワイは狂いにくくて安定しているのです。ではなぜ日本製が安定しているのでしょう。大量生産による各部品の加工精度の高さも理由の一つですが、一番は何と言っても木材の乾燥です。日本の大手メーカーのピアノに使われる木材は人工乾燥をほどこされます。人工乾燥は、木材に熱や蒸気を加えて、短時間に水分をとり除いてしまう方法です(中略)それに対して、ヨーロッパのピアノの木材は自然乾燥をメーンにしています。自然乾燥とは、何年もの時間をかけて、天日干しで乾燥させる方法です。人工乾燥と自然乾燥とでは、変化しにくさという木材の安定性から言えば、人工乾燥に軍配があがります。ならばなぜ、ヨーロッパのピアノメーカーは人工乾燥をしないのでしょう。それは、木材を急速に乾燥させてしまうと、繊維組織が劣化してピアノの美しいひびきを損なうことを、彼らは経験的に知っているからなのです(86~87ページ)

 

同じピアノでも、日本とヨーロッパでこんなにちがうのですね。斎藤氏も書いていますが、どちらが良くてどちらが悪いという話ではなく選択の問題だと思います。でも、ここまでちがうものについて、同じ「ピアノ」という名前でひとくくりにして良いのか、ちょっとためらいを感じます。少なくとも、ヨーロッパから見たら、あの日本のピアノは「ピアノ」ではない、と言いたくなるのではないでしょうか。ましてや電子ピアノなど比べる価値もないというぐらいの勢いでしょう。

ぜんぜん分野はちがいますが、寿司の話を思い出しました。海外では、ノリを外側ではなく内側に巻いたり、中身に日本ではあまり見かけないようなものを入れたものが寿司として販売されています。日本からみると、あんなの寿司ではないと言いたくなるところですが、ヨーロッパが日本のピアノに感じる違和感は、この海外の寿司に対して日本が感じる違和感と同じようなものではないかと思いました。

 

でも、高度成長期ならばともかく、いまは、もっとちがうピアノつくりをヤマハやカワイがしてくれても良いような気がします。

ピアノは学校の音楽室や体育館にはたいてい置いてあり、小学校のころから触れる機会もあり、楽器の中ではなじみがあり、私自身、子供のころはピアノを習っていたこともあり、しょうじき私はピアノのことを知っているつもりでいましたが、ぜんぜんですね。この本を読んで初めて知ることばかりでした。無知の知とはこういうことを言うのでしょう。