日々読書、時々一杯、折々投資

モグパクです。都内で働くサラリーマンです。 新書・文庫を1日1冊読むのを日課にしてます。あと、酒(主に日本酒)を飲むこと、投資をすることが好きです。

人と議論することになんの意味があるのだろうと疑問を感じてしまう本

ダメな議論ー論理思考で見抜く(著者:飯田泰之)、ちくま新書、2006年11月第一刷発行、

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日本人の90%が「正しい」と思っていても、実は誤りだということもあります。また、私たちの周りの人すべてが「有用である」と考えている政策の中には実は何の役にも立たないというものが少なくありません。このような間違った、あるいは無用な議論を上手に避けて通らないことには、無数の情報の中にいる私たちは正しい理解・判断に到達することができないでしょう。安易に納得してはいけない″ダメな議論"を上手に避けて通るためにはどんな方法があるか。その簡便な実践法を紹介したのが本書です(7~8ページ)

 

とても面白いし、役に立つ視点です。さいしょに正直に告白しますと、この文章を読んだとき、自分はまずだいじょうぶ、関係ないと思っていました。

 

なぜ私たちは誤った見解や無内容な主張に納得してしまうのでしょうか?それは、私たちが他の人の意見を聞いて判断をする際の心の動きによると考えられます。社会問題についての言説に出会ったとき、私たちの内部で働いているのは論理やデータによって妥当性を確かめようという理性だけではありません。その意見が自分にとって都合がよいか、自分の気分に合っているかという打算と好悪の感情が必ず働きます。ある言説に対する態度を決めるに際して、このような感情の働きは、しばしば理性を上回る力を発揮します(中略)ひとたびある主張が世の中で「常識」とみなされるようになってしまうと、それに対して否定的な態度をとるのは非常に困難です(18~19ページ)

 

この記述はとても本質的だなあと思います。ある問題に対して、世代によって考え方がきれいにわかれてしまう、その人のいまの収入や置かれている環境によって考え方がきれいにわかれてしまう、ということはよくありますが、その理由の一つがこれでしょう。およそ世の中の意見の対立の原因というのがこれに収れんすると言ってもいいぐらいでしょう。あと「常識」についての指摘もおもしろいです。ふつうは困難ですがそれを乗り越えて自分の意見を発信できる人が、成功するのでしょう。

 

例えば、「次のボーナスでは株を買って、ちょっと儲けてやろうか」と考えている人にとって、『大型景気の到来ー2008年日経平均は30000円になる』と銘打たれた本はなかなか魅力的に感じられるでしょう(中略)ヒルズ族に代表されるようなニューリッチに対して、幾分の嫉妬を込めてかもしれませんが、苦々しい感情を抱いている人は、「現在の景気拡大は幻想であり、より深刻な不況が忍び寄ってきている」という論調の本、例えば『空虚な回復ー新たな経済危機の時代』といったタイトルの本を「ちょっと読んでみたいな」と感じるのではないでしょうか(中略)本に限らず、雑誌やTV等のメディア、セミナーでの講演、さらには仲間内での議論についても事情は同じです。『自分を安心させてくれる言説』を支持する人が多い場合、緻密な論証や丹念な実証分析が正当な評価を受けることはまずありません。むしろ、より多くの瀬在的な読者(顧客)の心情に沿った提言が、高い評価を受けることになります(22~23ページ) 

 

この例えを読んで、自分も「ダメな議論」に安易に納得してしまうことがあるということがよくわかりました。さいしょの自信はあっという間に消えてしまいました。さいきんテレビに出ているコメンテーターが、有名芸能人のように、そのコメントするテーマについての専門家ではない人であるケースが見られます。そういうコメントが視聴者に受け入れられているということですが、その理由は、この記述で説明されています。

 

高所得を得て裕福な暮らしをしている人の多くが「成功するか否かは才能・努力によって決定される」という見解に賛同し、低所得者層では「成功するか否かは運によって決まる」という考え方に支持が集まるといわれます(どちらの見解が正しいのかは、私には分かりませんが・・・)。これは、実際に成功している人はそれが自分の実力によるものだと思いたがるのに対し、成功していない人はそれが自分の実力のせいだと思いたくないという心理によります(25ページ)

 

この話、とってもわかりやすい。どちらの主張も、自分の体験を正当化する見解である点に変わりなく、文字どおり、どちらが正しいとは言えない話です。

 

聞き手の心に沿った話題の設定や必ず当たる予言がもっとも典型的な形で用いられているのが、株価解説・予測の分野です。経済評論家はおおざっぱに「分析型」「風見鶏型」「万年強気派」「万年弱気派」に分類することができます。分析型は経済動向を分析し、理論的または統計的な予想を行うアナリストたちで、いわば正統派のエコノミストといってよいでしょう。その他の3つの分類は、意識的・無意識的に説得術を駆使して信頼を勝ち取る一種のコールドリーダーです。より多くの支持者を集めるひとつの方法は、その時々でもっとも人気のある予想を語ることです。例えば、多くの人が「株価が上昇する」、または「上昇してほしい」と考えているとき、風見鶏型の経済評論家は株価上昇を予想します。その時々の潜在的顧客や機関投資家の運用担当者たちの気分と経済紙・ビジネス書の購買層の雰囲気を読み、それに合わせて顧客の「聞きたい」ことを言うのです(31ページ) 

 

「風見鶏型」の経済評論家の話を聞くのは、自分の姿を鏡で見ているのと同じということでしょう。やはり、自分で考えないとダメということですね。

 

第一に、その言説で中心となっているキーワードの定義が明確であるか否かを確認しましょう(中略)定義に問題がある言説に対しては、安心して「この解釈はほぼダメと考えてよいだろう」との判断を下せます(中略)一連の解釈が「意味のあることを言っている」ことを確認しましょう(中略)無内容な話ほど、一見偉そうな引用や新理論による「厚化粧」がほどこされています(中略)何の必然性があるのか不明なまま新理論の名前や難解なモデルを用いた結論が出てくる場合にはまず、「眉に唾して」かかるとよいでしょう。何らかの内容を伴った、つまりは反証可能な分析であれば、その分析が妥当かどうかは、現実を説明する力の有無で検証できるということになります(中略)明確に定義された用語を用いて、反証可能性のある解釈を行い、単純なデータ観察とも整合的である。この3つの条件がそろうならば、それは「かなり有望」と考えられます。一方、単純なデータ観察が難しいような話題については、議論の展開の際に多くの比喩や例話が用いられていることでしょう(中略)話を分かりやすく伝えるための比喩と例話なのか、それとも無根拠な強弁をごまかすための比喩と例話なのか、考え直してみましょう(78~79ページ)

 

この本の本題である、ダメな議論かどうかチェックするための5つのポイントです。定義、新理論、比喩、例話、このあたりがポイントのようです。人の主張をチェックするときにも使えますが、逆に、自分が言っていることが大丈夫かどうか、ということをチェックすることにも使えそうです。

 

このチェックポイントを使うと、おそらく、テレビとかの議論、あるいは、自分のまわりの議論、だいたいが、ダメな議論ということになってしまうような気がして、そもそも、人とどこまでまじめに議論することが必要なのだろうか、何の意味があるのかと疑問を感じてしまいます。

と思っても、議論自体がなくなることはないと思いますので、せめて、5つのチェックポイントを使って、自分が言っていることがダメな議論に陥らないようにしないといけないなあと思いました。