日々読書、時々一杯、折々投資

私の趣味をそのままタイトルにしました。 趣味のことでこれいいなあと思ったことを書いていきます。それが少しでもみなさまの参考になればさいわいです。

いまのITをめぐる動きがなぜ起こったのかが分かり、あるいは今後どんな流れになるのかをイメージさせてくれる本

アップル、グーグルが神になる日 ハードウェアはなぜゴミなのか?(著者:上原昭宏、山路達也)、光文社新書、2015年4月初版第1刷発行、

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「ハードウェアはゴミ」「クラウドは宗教」「人間なんて邪魔。全部機械に任せてしまえ」最初はちょっと「アレ」な人かと思ったのですが、しばらくツイートを追っていくうち、IoTの本質について示唆的な発言をしているということがわかってきました。このツイートの発信者が、上原昭宏氏でした(10ページ)

 

どの発言も、この本で初めてわたしは知りました。というか、ニュースとかで、こんな過激な表現が使われることは通常ありませんので、初めてなのも無理ないとも思いますが、それにしても、過激です。

 

スマートフォンの画面とにらめっこしながら機器を操作するということは、一見便利になったようでいて、実は機器の奴隷になっただけです。便利だというのが謳い文句の機器を使うために、人間が頭を使わないといけないのは本末転倒ですし、そんな機器を使いこなせるユーザーは限られますから、普及にも限度があります。それでは、消費者である私たちが求めているのは、いったいなんでしょうか(中略)高機能なモノや便利なサービスが充実した先進国において、次に求められるのは「経験」や「体験」だと言われます(中略)エレクトロニクスの分野では、昔から多くの企業が「ホームオートメーション」に取り組んできました。これは、ユーザーが置かれた環境を電子機器が把握して、自律的に架橋を調整してくれる仕組みのことを指します。ホームオートメーションとは、エレクトロニクス技術を用いて、より体験を実現しようとするものだともいえるでしょう(71~73ページ)

 

たしかに、スマホの操作に四苦八苦する体験は、どう考えても、消費者がお金を払って求める「経験」や「体験」ではありません。それにより消費者がより楽をできるとすれば、それが消費者の求める「経験」や「体験」ということになります。では、それが、スマホやIoTではどんな形になるのでしょうか?

 

2014年6月、ほぼ同時期にアップルとグーグルから、ヘルスケアデータを管理するための仕組みが発表されました(中略)両者は非常に似通っており、ユーザーが使っているデバイスの中にヘルスケア関係のデータを蓄積していきます(中略)患者からすれば生活習慣などのデータが集約されていることで、どの病院でも最適な治療を受けやすくなりますし、病院側にとっては自分たちが膨大な患者のデータを溜め込むリスクや、整理する手間を回避できます(中略)何年分もの詳細な医療データという究極の個人情報を、ユーザー自身すべて一括して管理し、なおかつユーザー自身がデータの利用を許諾すれば、第三者がデータを活用したサービスを提供することもできるー。ヘルスケア機器のメーカーが自社でこうしたデータ管理サービスを提供しようとしたら、いったい弁護士が何人必要になるのでしょう。アップルやグーグルのような超巨大プラットフォーム企業でなければ不可能な取り組みだといえます(88~89ページ)

 

これはすごい?日本では自分のカルテのコピーを病院からもらうだけでもすごい苦労しているのに。「体験」「経験」というレベルで言える話ではありませんが、消費者に対して、単なる商品、サービスを超えたとてつもない価値を提供しています。

 

スマートフォン活動量計などのBLE機器を使うことで、私たちは自分の健康状態を把握しやすくなりました。ジョギングやサイクリング用には走行距離やペースがわかるアプリがありますし、先に取り上げたアップル・ウォッチでは、長時間座りっぱなしでいると運動するようにアドバイスしてくれる機能もあります。ユーザーの運動や食事の記録を基にアドバイスを行なうサービスも増えており、私たちの姿は少しずつ「ネット側」から見えるようになってきているといえます(96ページ)

 

これも「体験」「経験」ですね。従来なら、いつ運動するか自分で消費者は考えないといけませんでしたら、それをアプリがアドバイスしてくれるのですから。しかも、自分で考えると、ついつい運動しなくていい理屈を探してしまいますが、アプリはそういうことがありません。人間よりも機械に任せた方が良いという一つの例でしょう。

 

今の時代、ハードウェアはゴミである「べき」なのです。例えば、iPhoneは「正しくゴミ」な製品です(中略)新しいiPhoneを手に入れたら、アップルIDを入力してiクラウドとの同期を開始。数十分もすれば、新しいiPhoneは元のiPhoneと区別がつかなくなるでしょう(中略)つまり、かけがえがないのは、iPhoneというハードウェアではなく、「自分のアカウントと紐付けられているiPhone」だということ。だから、使えなくなったハードウェア自体はためらいなくゴミとして捨てることができます。iPhoneの本質はハードウェアではなく、クラウドうえのデータにあるといえます(155~156ページ)

 

ハードウェアがゴミと聞くと、日本のガラ携など、特に使い道もないような高機能が進み、あっさりスマホに駆逐されてしまった製品を思い浮かべます。そういうのは悪い「ゴミ」です。だから、iPhoneも「ゴミ」であるという主張は意外で驚きですが、理由を聞くと納得です。いまはスマホの時代ですが、あいかわらず、スマホの機能がとかいうセールスが携帯電話会社の店頭で行われているのを見てしまうと、とてつもない距離を感じます。

 

この本、2015年4月、つまり3年近く前に発売された本ですが、わたしはこの本を読んで、初めて知ったことがとってもたくさんありました。この本にはAI(人工知能)の話はありませんが、それがなぜ登場したのか、ということは、この本の内容を読むと、当然起こるべき現象ですし、さいきん、自動運転が注目されていますが、それも当然起こるべき現象であることが分かります。さらには、こんごどうなるか、ということも、自分なりに想像、イメージすることもできます。いま直感的に思うのは、昔は個人ではできなかったことが今後、個人でもよりできるようになってくる、という流れだと思います。