日々読書、時々一杯、折々投資

私の趣味をそのままタイトルにしました。 趣味のことでこれいいなあと思ったことを書いていきます。それが少しでもみなさまの参考になればさいわいです。

学校では絶対教えてくれないけど、自分なりに楽しく「生きる」ためにどうすればよいかを教えてくれる本

独立国家のつくりかた(著者:坂口恭平)、講談社現代新書、2012年5月第一刷発行、同月第三刷発行、

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タイトルを読むと、一体何の話なのかよくわかりません。なんか、独立運動みたいな話か?とも思えますが、そういう話ではありません。一言であえて言うと、世の中の当たり前に疑問を抱き、誰もそれを解決してくれないからこそ、自分で解決するために独立国家を作った人の話です。では、著者の坂口氏が抱いている疑問とは何でしょうか?

 

1 なぜ人間だけがお金がないと生きのびることができなのか。そして、それは本当なのか。

2 毎月家賃を払っているが、なぜ大地にではなく、大家さんに払うのか。

3 車のバッテリーでほとんどの電化製品が動くのに、なぜ原発をつくるまで大量な電気が必要なのか。

4 土地基本法には投機目的で土地を取引するなと書いてあるのに、なぜ不動産屋は摘発されないのか。

5 僕たちがお金と呼んでいるものは日本銀行が発券している債券なのに、なぜ人間は日本銀行券をもらうと涙を流してまで喜んでしまうのか。

6 庭にビワやミカンの木があるのに、なぜ人間はお金がないと死ぬと勝手に思いこんでいるのか。

7 日本国が生存権を守っているとしたら路上生活者がゼロのはずだが、なぜこんなにも野宿者が多く、さらには小さな小屋を建てる権利さえ剥奪されているのか。

8 2008年時点で日本の空き家率は13.1%、野村総合研究所の予測では2040年にはそれが43%に達するというのに、なぜ今も家が次々と建てられているのか。(6~7ページ)

 

わたしが共感できる質問もあればそうでない質問もありますが、質問に対する答えを徹底的に追及していくと、世の中がひっくり返るおそれのある質問もあります。たしかに、誰も答えようとしない質問だなあと感じます。坂口氏は、この疑問を子供の時から持っていたそうですから、おどろきです。坂口氏の知性を感じます。

 

「考える」とは何か。これはつまり「どう生きのびるか」の対策を練るということである。「生きるとはどういうことか」を内省し、外部の環境を把握し、考察するということである。匿名化したシステムではこの「考える」という行為が削除される。考えなくても生きていけると思わせておいて、実は考えを削除されている(43ページ)

匿名化した社会システムレイヤーの裂け目、空間のほつれを認識し、そこに多層なレイヤーが存在していることを知覚し、独自のレイヤーを作成する行為。これが「生きる」である(45ページ)

 

8つの質問に対する答えを知らなくても、考えなくても、毎日の生活をすることはできます。でもそれは、生きているのではなく生かされている、つまり、自分の人生を自分以外の誰かにコントロールされているということを意味します。もっと、生きることに自覚的になることが必要で、自覚的になれば、どうしても、世の中で当たり前とされていることに疑問を感じないといけないし、答えを自分で考えるしかない、ということです。坂口氏の文章、とても抽象的ですが、これを読んで、そんなことを私は感じました。

 

なぜ人は試さないのだろう。むしろそんな疑問が沸々と湧いてきた(中略)試せば試すほど、人間はどんどん智慧を身につけてゆく。そして恐怖心が和らいでいき、どんな困難な状態であろうと淡々と生きていくことができるようになる。なぜなら試すことで「知った」からである。自らの生活に必要な「量」を。不安ではなく恐怖の実体を。つまり、生きるとは何かを。自分でゼロから考えてやれば、どんなことだってできる。しかも、実は社会システムですらもそれを許容してくれるように設計されているのである。ただそこで生きる人間たちが勘違いしているだけなのだ。なにもできない、と。お金がないと死んでしまう、と(56~57ページ)

 

8つの質問に対する答えとしてありがちなのが、「そんなのできるはずない」というものでしょう。でも、よく考えてみると、なぜできないのか、その根拠ははきりしません。なぜなら、自分で試したことがないからです。坂口氏の述べることは、とても説得的です。やる前は、難しそう、つまらなさそうとかいろいろ思っていたけど、やってみたら意外と簡単だった、なんとかなったという体験は、多くの人があるのではないでしょうか。それと同じことを坂口氏は言っているのだと思います。

 

普通に考えよう。常識というものは、文句を言わないようにというおまじないである。まずは、そのおまじないから解放される必要がある。おまじないからの解放は、「考える」という抑制によって実現する(63ページ)

 

それは常識だ、というのは、答えとしてはよくありますが、しかし、何も具体的な根拠・理由を言っていません。ようは、みんながそう言っている、そう思っている、というのが「常識」の意味ですが、みんなが言っているから正しいということは、常に成り立つものではなく、イコールではありません。言い換えれば、そういうことにするとみんなで決めたから、というのが「常識」の意味です。みんなが決めたことには文句を言うな、ということになります。そう考えると、法律で決まっているからというのは、一見もっともらしいですが、「常識」と同レベルの説明にすぎません。もちろん、法律を守らなくて良いという意味ではなく、大事なのは、なぜその内容が法律で決められているのか、ということです。

 

「それ」を考えてしまうと、仕事がはかどらない、今まで言ってきたこととぶつかってしまって引っかかる、というような「それ」をやっぱり避けちゃうのが、今の表現になっている(中略)土地所有の問題も放射能と同じで、別に論理的に問題がないのではなく、ただ面倒くさいから考えないだけなのだ(中略)「問題がない」のではなく、「問題」と見なしたら大変だから「問題がないことにしている」だけ(中略)そうやって、自分のまわりの事柄を見ると、そういうもので溢れていることに気付く。それが、僕にとっての「考える」トリガーである。それはお荷物ではなく、僕にとっては「宝」である。磨けば光るよ(75~76ページ) 

 

内容としては、先ほどの「常識」と同じ話ですが、「常識」の背景にあるズルさをまざまざと表現するとともに、それを正面からとらえ、しかも楽しんでいる坂口氏の力強さを感じます。

 

僕はこの「引くわけにはいかない」戦法をよく使う。戦法とは自分に対する戦法である。人間というのはすぐに簡単に諦める。それは疲れるからだ。しかし、それでは自分の使命なんか全うできない。自分というものを操作する必要があるのだ。だから引くわけにはいかない状況をつくり出す(138~139ページ)

 

「背水の陣」という言葉が思い浮かびました。同時に、坂口氏が自分がすごい人間だとか特別な人間だとは思っておらず、自分も欠点だらけの人間であると認識していることがうかがえます。

 

絵を売るときはいつも緊張する。値段を決める時に、適当じゃ駄目なのだ。ちゃんと自分なりに考えないと。そして、既存のマーケットなんかを意識しても駄目だ。それだったら僕の絵なんかは5000円になってしまう。でも、そんなやつは一生5000円だよと僕は自分に言い聞かせている。いつでも自分は一流だと思ってろ、と。無名の時に5000円と言ってしまう人は、有名になったら16億円とかいっちゃうような気がする。態度経済はそうじゃない。50万円と言ったら、もう死ぬまで50万円でいく(144ページ)

 

衝撃を受けました。

 

ノーギャラでやってくださいという依頼が来たときに、大半は適当な注文なので無視していいのだが、中にはかなり気合いが入っているものがある。そういう時は、このオークションの時のように「一番好きなもの」を提供する。つまり対価が0円だろうが50万円だろうが、こちらの態度を変えるなということだ。僕は別に自分の絵が50万円で売れたから嬉しいんじゃない。50万円と決めた自分のレイヤーで仕事ができたことが嬉しい(153~154ページ)

 

自分の評価は自分で決めるということです。自分で考えて決めるという言い方がより正確です。一方で、他人が評価を決めるという考え方をよく聞きます。両者は正反対ですが、お金を払うのは他人である以上、それも一理あるような気がします。自分の評価は自分で決めるが、中途半端に考えず突き詰めて考え、決めた以上は変えない(自分の評価より他人の評価が高くても低くてもどっちの場合も)というのが、私なりの結論です。

 

本のタイトルには「独立国家」という言葉があり、どうしてもそれに意識がいってしまいますが、この本は、「生きる」ことにもっと自覚的になり、そして、自分の考える「生きる」をどうやって実現すればよいのか、ということを教えてくれていると思います。人生の教科書であり、学校ではぜったい教えてくれないことです。