日々読書、時々一杯、折々投資

私の趣味をそのままタイトルにしました。 趣味のことでこれいいなあと思ったことを書いていきます。それが少しでもみなさまの参考になればさいわいです。

選挙でどの政治家に投票しようか迷ったときに読んで頂きたい本

決断のときートモダチ作戦と涙の基金(著者:小泉純一郎、取材・構成:常井健一)、集英社新書、2018年2月第一刷発行、

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著者の小泉氏といえば、総理時代に、郵政民営化など、自民党政権ではまずできないと思われた改革を成し遂げた政治家です。この本は、そんな小泉氏が何を考えていたのか、政治家時代、さらには、政治家引退後の現在について教えてくれる本です。

 

元総理はいつも原発ゼロについて「日本の総理が決めたら、アメリカは文句言ってこないよ」と言い張る。それは本当なのだろうか。野田佳彦政権は、原発事故後の脱原発世論を警戒するアメリカ政府筋の「ご意向」を忖度し、2030年代脱原発方針の閣議決定を見送っている。小泉に持論の根拠を問いただすとこう答えた。「私は5年5か月もブッシュ大統領と話していろんなやりとりをしたから、アメリカだって日本の意向を尊重するものだとわかっている。アメリカの立場と違うものがあっても、こちらの意向がはっきりしていれば尊重するんだ」(36ページ)

 

日米の話ではありませんが、絶対できないと言われていた郵政民営化を成し遂げた政治家の発言ですから重いです。米国の意向が・・・、とか、対米配慮とかいってやろうとしない政治家、役人の発言は、一度は疑ってみる必要があります。自分がやりたくない言い訳のためにアメリカを持ち出しているだけではないかという可能性を。

 

アメリカ軍の友達作戦のおかげで、日本人の救援活動にも弾みがつきました。なのに、なにもお礼を言わないほうが変だと思っています。しかも、アメリカに返ってから病に苦しんでいるという。彼らに感謝の気持ちを伝え、お見舞いをするのは常識人の感覚ならば、当然のことでしょう。それを見て見ぬふりをするのは、日本にとっても不名誉なことです(55ページ)

なかには「アメリカの虎の尾をふむぞ」という言い方をする人もいるようです。そういう恐れみたいなものは、まったくありません。アメリカにも原子力村があって、彼らからすれば、「小泉は面倒なことをやってくれるな」という思いがあることも察しがつきます。しかし、病気にあった兵士たちに感謝の気持ちを伝えるというのが一番の目的だから、日米関係に波風を立ててしまうとかは関係のない話です。そもそも波風の立てようがありません(51~52ページ) 

 

小泉氏は東日本大震災の時に被爆した米軍兵士を援助する活動をしています。米軍兵士は、米国政府からも日本政府からも何の援助も得られない状況にあるそうです。こういう活動ができる小泉氏は、並みの政治家ではないということがよく分かります。米国の意向も恐れないという点もふくめて、まさに有言実行の政治家です。しかし、なぜ小泉氏にそれができて、他の政治家にそういう人がいないのでしょうか?

 

私は若い頃から、「業界の支援は受けますが、代弁はしません」という姿勢をはっきり打ち出してきました。私を応援してくれるかたのなかには選挙区内の特定郵便局長さんがけっこういましたが、それでも、選挙となれば、私は政策議論として郵政民営化論を展開していました。そのうち、特定局長さんたちは私を応援しなくなってしまいました。「なんでも一生懸命やりますから」と言って、みんなから資金をかき集める、そういうやりかたが、嫌いでした。だから、金集めは苦労しました(97ページ)

 

なぜ小泉氏は異色の政治家なのか?この話を聞くと納得です。なかなか簡単にできるものではありませんし、最近の〇〇チルドレンと呼ばれる政治家にどうしても小物感をぬぐえないのは、ここでしょう。最近の政治家は、国民(選挙区の皆様)の声に耳をしっかり傾けてというようなことを、与野党とわず言いますが、小泉氏とはぜんぜん違います。小泉氏のお父さんも衆議院議員をしており、小泉氏はいわゆる世襲になりますが、しかし、お父さんの死後に衆議院選挙に初出馬したときは、落選しています。つまり、世襲で地盤が安泰だから勝手なことを言えたというような話ではないということです。

 

また、小泉氏の総理時代の功績のひとつとしては、2002年9月に北朝鮮を電撃訪問し、北朝鮮拉致被害者5名を連れて帰ったことがあります。これについて、こう述べています。

 

北朝鮮側は総理が会いに来ないなら、なにも話さない、相手にしないと言う。総理が行けば、拉致について明かす可能性がある。でも、金正日総書記に会えたとしても、本当のことを言うかどうかわかりません。なにしろ、国交がないのです。政府のなかでは「国交のない国に日本の総理大臣が行っていいのか」という意見もあれば、「結果がどうなるかわからないのに行くのはどうか」という意見もありました。それでも、私は北朝鮮に乗り込む決断をしました(91ページ)

 

北朝鮮電撃訪問を支持率アップのための行為だなんていう解説がよくマスコミにでますが、この事情を聴いてしまうと、とてもそうは思えません。支持率のためにとるリスクが大きすぎですから。

 

私が現地を訪問した結果、わずかならが5人の拉致被害者を日本に帰国させることができました。また、北朝鮮の最高権力者は拉致を認めて謝罪しました。しかし、その後は進展していません。まだまだ帰ってこられない人もたくさんいるようです。あのときに交わした日朝平壌宣言には、「国交正常化交渉を再開する」と明記しました。私は、帰国したらすぐにその準備に入ろうと思っていました。向こうも交渉が再開されれば、日本から多額の支援を得られると期待していたようです(中略)北朝鮮ブッシュ大統領に「悪の枢軸」と名指しされたことに危機感を強めていたので、私は首脳会談の席で「核の開発をしないで、戦争の準備をやめれば、経済的に豊かになれる」と金正日氏に直接決断を迫りました。あのまま日朝交渉が再開されたら、対話のなかで拉致問題も全面解決に持っていこうと考えていました。ところが、日本に返ったら、「5人の帰国では少ない」と厳しく批判されました(中略)当時のマスコミでは「拉致問題も解決しないのに国交正常化なんてとんでもない」という論調が強く、とても対話で解決を促せる状況ではなかった。そのうち、北朝鮮も対話の窓口を閉ざしてしまいました(94~95ページ)

 

いま、米朝交渉が始まるかもと言われていますが、いまの米国の立場は、当時の日本の立場に置き換えることができるでしょう。日本では、マスコミの論調のためその後の日朝交渉につなげることができませんでしたが、米朝はそうはならないかもしれません。いまこのタイミングで、こういった当時の事情が聞けるというのは、とても興味深いです。

それにしても、当時の日本のマスコミの罪は大きいです。やはり、国民(マスコミ)の声が常に正しいとは限りません。こういう話を聞くと、単に国民の声を聞きますみたいなことを言っている政治家は、ぜんぜん頼りにならないことがよく分かります。

小泉氏は2009年に政界を引退していますので、もう10年近くになりますが、いま読み返してみても、小泉氏はすごい政治家だったんだなあということが、あらためて分かります。