日々読書、時々一杯、折々投資

モグパクです。都内で働くサラリーマンです。 新書・文庫を1日1冊読むのを日課にしてます。あと、酒(主に日本酒)を飲むこと、投資をすることが好きです。

ついついイメージ先行で思い込んでいないか、比べてみてはじめて分かることがいっぱいあることが分かる本

「昔はよかった」病(著者:パオロ・マッツァリーノ)、新潮新書、2015年7月発行、

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この本のタイトルにある「昔はよかった」という言葉、ときどき聞きます。あることについて現在と「昔」を比べて、「昔」の方が良かったという意味ですが、本当に「昔」の方が良かったのか?というのが、この本のテーマです。読んでみると、意外なことの発見の連続で、とってもおもしろいです。

 

年の瀬の平和な夜のしじまに拍子木の音がこだましますと、たいていの日本人は「火の用心やってるな」と思うのです。拍子木を叩く夜回りを「火の用心」と表記しても差しつかえないでしょう(16ページ)

夜回りの拍子木がうるさい。迷惑だ。やめさせる方法はないのか。町内会の当番制でやらされるのはイヤだ。悲鳴に不平に恨み節。ネットには人々の生の声があふれています(中略)おさまらないのが、拍子木信者のみなさんです。「むかしは拍子木がうるさいなんていう人はいなかったのに」「ひとの善意をなんだと思ってやがる」「ああ、世知辛い世の中になった」(18~19ページ)

 

年末によく見る拍子木を叩く夜回り。時代劇なんかみると江戸の町でも行われていたイメージがあります。たしかに拍子木信者の言う通り、昔は何も問題がなかったというイメージです。

 

「こどもに夜回りをさせる意味があるのか」「夜回りの当番が不愉快。翌日の仕事に支障があるし、出ないと罰金を取られる」「拍子木なんか叩いたらかえって泥棒に夜警の居場所を知らせるようなものだ」「町会費を払った上でになぜ夜警までやらされるのだ」などなど、不平不満を訴える投書は、昭和20~30年代を通じて、朝日・読売両紙で頻繁に見られます(29ページ)

 

なーんだ、今の日本人だけが文句を言っているわけではないようです。どうも当初持っていたイメージは、間違いだったようです。

 

こどもに関しては、元気であればいい、みたいな短絡的な価値観が浸透しているのが気になります。落ち着きなく動き回るこどもを「ウチの子、やんちゃだから」とかいって嬉しそうに自慢する親がいます(150ページ)

 

こどもは元気が一番、というのは当然なのではと思っていましたが、どうもそうではないようです。

 

銭湯に集まるさまざまな人たちの会話から江戸の庶民生活と庶民のホンネが浮き彫りになる滑稽本の名作『浮世風呂』。このなかで、奥さんたちがこどものケンカについて話す場面がありますので意訳します。「男の子は悪ふざけやケンカがすぎるから大変よ」「よその子にケガでもさせたら申し訳ない。ケンカに負けて帰るほうがいい」「弱虫なくらいが世話なくていいわ」(中略)渡辺崋山の有名な一掃百態図など江戸時代の寺子屋を描いた絵では、こどもたちが手習いの最中にも元気に暴れてて、学級崩壊さながらだった様子が伝わります。お師匠さんも、こどもの親が払う授業料でかつかつの生活をしている身としては、正当が減ると死活問題だから強く叱れなかったんです(中略)江戸時代までは、こどもは元気すぎて迷惑をかけるいきものであり、いかにおとなしくさせるか、親の関心はそちらにあったようなのです(中略)日本のこどもに元気の押し売りをはじめたのは(中略)どうやら明治政府だったようです(151~152ページ)

 

こうして昔と比べてみると、いままで当然、常識と思っていたことがそうでもない、ということがよーくわかります。電車の中などで子どもが騒ぐのはどうか、ということがときどき話題になります。いぜんは、子どもが騒がしいのは当然であり構わないと思っていましたが、この本を読んでしますと、どうも怪しい気がしてきました。

子どもの声がうるさいという理由で、近所に保育園を建設することに反対している住民がいて、そのため保育園の建設ができなかったということが以前ありました。当時このニュースを聞いたときは、声がうるさいという理由で建設に反対するのはおかしいと思っていましたが、果たして本当にそうなのか?この本を読むと、よくわからなくなってきました。保育園の騒音対策が不十分だったとすれば、建設できなかったのは保育園の責任ではないのか、という気がしてきます。

 

明治以降、日本各地で自警団が組織された時期は何度かあります。一例をあげると、昭和30年代(中略)当時の人々がなにを恐れて自警団を結成したのか?愚連隊です。愚連隊に正確な定義はありません。10代から20歳前後の暴力犯罪集団といったところ(中略)昭和30年代に未成年者が起こした犯罪は、殺人が現在の6.3倍。強盗が2.5倍。放火が5.7倍。暴行・傷害が3.7倍。強姦に至っては28倍という金字塔を打ち立ててます(中略)昭和30年代に日本中で大暴れしていた凶暴な若者たちは、いまどうしていらっしゃるのか。当時から少年法はありましたから、殺人や強盗を犯しても数年で釈放されてます。3700匹の少年殺人犯や3万7000匹の少年強姦犯や26万匹の少年暴行傷害犯は、現在60代後半から70代前半になって、あなたのご近所で普通に暮らしていらっしゃるのです(中略)歴史を踏まえれば、近年、高齢者による暴力やストーカーが増えているのは不思議でもなんでもないことがわかります。彼らは若いころから悪かったのです。人間、歳をとると丸くなるなんてのはウソです。ワルは死ななきゃ治らない(96~98ページ)

 

恐ろしい話です。暴走老人の問題の背景には、高齢者が社会から疎外されているからとか、孤立しているからなんていう分析を聞いたことがありますが、この話を聞くと、ぜんぜん信じられません。かつて愚連隊を警察が徹底的に取り締まったように、暴走老人にも警察が厳罰をもって対処するしかありません。先ほどの騒ぐ子どもの話にもつながります。時々、高齢者が子どもが騒ぐのは当然のことと言って子どもやその親を擁護しますが、自分が若いころ暴れていたのであれば、子どもが騒ぐぐらいなんでもないのは当然でしょう。別に高齢者の心が広いわけではないです。

 

現代の東京は、人と人との絆やふれあいが薄れたコンクリートジャングル。マンションやアパートの隣の部屋にだれか住んでるかも知りやしない。ああ、星も見えない東京砂漠。かたや、江戸時代のイメージといえば、長屋の住民たちはお互いみんな顔見知り(187ページ)

 

こんなイメージ、わたしもこれまで持っていました。まさに「昔はよかった」というやつです。「下町風情の残る・・・・」という褒め言葉も同じ意味でしょう。時代劇とかでも近所づきあいの盛んな和やかなシーンを見ます。しかし、比べてみるとそうでもないようです。

 

芝神谷町の弘化元(1844)年から3年までの年平均転出率はどうかといいますと、23.5パーセント。続けて弘化3年から嘉永2(1849)年の年平均転出率は、なんと58パーセント。1年で半数以上の住民が入れ替わっていたのです(中略)東京都の統計によれば、平成23(2011)年の東京23区内の転出率はおよそ6パーセントです(中略)実際の江戸の町は、地方からの流入民が多く、住民の入れ替わりが非常に激しい匿名性の高い町でした。1年で住民の半数が入れ替わることもあるんですよ。そんな状況で、近隣住民と深いつきあいなどできるわけがない。近所づきあいはほとんどなく、長屋のとなりの部屋に住んでるヤツとは口をきいたこともない、なんてことも珍しくなかったのが江戸の町の真実。大店の商店主たちは互いに顔見知りで、町の運営にも協力してましたけど、裕福でない江戸庶民の人間関係は、現代の東京に住む人たちと大差なかったと考えるべきです(186~188ページ)

 

こうしてデータに基づき比べると、とてもよくわかります。これまで持っていたイメージがぜんぜん間違っていたことが。江戸時代も今も変わらないとわかれば、なにも、地域とのつながりがないとか、近所に顔見知りがいないなんてことは、まったく悩む必要のないことだと思え、とても気分がスッキリします。むしろ、現代はネットが普及していて、ネットを通じていろんな人とつながれるので、江戸時代よりもむしろつながりは深いという考え方もできます。