日々読書、時々一杯、折々投資

私の趣味をそのままタイトルにしました。 趣味のことでこれいいなあと思ったことを書いていきます。それが少しでもみなさまの参考になればさいわいです。

「情報分析」というと縁遠いですが、生き抜くために必要な能力を身に付けるための「勉強法」の話しです

勉強法 教養講座「情報分析とは何か」(著者:佐藤優)、角川新書、2018年4月初版発行、

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著者の佐藤氏は元外務省主任分析官です。それゆえ、佐藤氏が「情報分析」について語るのはよくわかります。佐藤氏は外務省という世間一般から見ると特殊な仕事をしていたため「情報分析」が必要であったのはわかりますが、ふつうに暮らしている一般人からするとどうでしょうか?

「べつに、外務省で外交するわけでもないし、警察、情報収集といった特殊な仕事をするわけでもなく、「情報分析」って関係あるの?」と思ってしまいますが、佐藤氏はこう述べています。

 

講義を聴く前と後では少し風景が違って見える、少しでも得をすることがあればいい、という思いで話しています

 

あいまいな言い方とは思いますが、でも、佐藤氏の言っている意味、まったくわからない訳ではありません。

たとえば、16~17世紀のイングランドの哲学者であるフランシス・ベーコンの言葉に「知(知識)は力なり」という有名なものがあります。佐藤氏の言っていること、この言葉と近いのかなと感じます。また、具体的にその知識が本人に利益をもたらすかどうかは別としても、今まで知らなかったことを知ること自体に人は喜びを感じることもあります。

そして、知るための方法が「勉強法」であり、この本のテーマです。

 

〇 受け入れて良い情報とそうでない情報を取捨選択する

 

インターネットの普及というのはとても大きいです。インターネットのおかげで、いまや誰もが簡単に多くの情報にアクセスできるようになりました。一方で、そういった情報がすべて受け入れて良い情報かというとそうではありません。取捨選択が必要です。

こう言うと、「ネットの情報が怪しいというのは決め付けにすぎないのではないか?」という疑問が出ます。しかし、佐藤氏はこう言います。

 

インテリジェンスは常に物語として出てくるということを、認識しなければいけない

 

その例として、陰謀論が好まれることをあげています。何か大事件とか紛争が起こると、「表には出てこないが、背後で糸を引いているのは〇〇に違いない」といったものです。「〇〇」に何が入るか、アメリカ政府、フリーメーソン、ロックフェラーなどなどいろいろあり得ます。つまり、人々は陰謀説が好きだからこそ、インテリジェンスは物語の形で現われるということです。それゆえ佐藤氏は、ネットやウィキペディアに何らかの意図をもって書き込みをしていけば、人々を誘導することができるかもしれないと指摘しています。

つまり、ネットの情報を鵜呑みにしてはいけないということです。佐藤氏によると、ウィキペディアの精度は国によって異なり、それはその国の文化の反映だそうで、インテリジェンス関係の調べものをするとき、日本語版のウィキペディアは使わないと言っています。

わたしもついついウィキペディア(もちろん日本語版)を使って調べものをし、そこに書いてある内容を読んで調べ終わった気になっていましたが、危ないようです。ネットで調べるのはやむなしとしても、ウィキペディアのみに頼るのは止めます。

でも、どうやって情報を選択すればいいのか、「勉強法」がそこで登場します。

 

 

〇 他人の行動の理由が分からないとき、それは、分からない人に原因がある

 

ある他人の行動が理解できないとき、「あいつの行動は理解できない」と言います。意味合いとしては、「理解できないような行動をとるあいつはおかしい」というのが含まれています。しかし、そういう言い方は、どうも違うようです。

佐藤氏はインテリジェンスでの具体的ケースをあげて、一見理解できないように見える国の行動もじつは、背景事情を丁寧に踏まえればちゃんと合理的な理由があるのであり、それが分からないときは、自分の知識が不足しているか、あるいは切り口を間違えているか、またその両方が原因であると述べています。

 

この話しは、日常生活にも関係します。たとえば、ビジネスにおいて、こんご新しく取引をすることになり、その取引の条件について他社と交渉している場面で、相手が何らかの条件を提示してきたとします。そのとき、その条件を受け入れるべきか断るべきか、あるいは別の案を提示すべきか、ということを選択しなければいけません。

判断基準は、どの選択をするのが自社にとって最も有利であるかという点ですが、それを判断するための材料として、そもそも相手の会社がなぜそんな条件を提示してきたのか、という提案理由があります。このとき、「なぜ提示するのか分からないけど、たぶんこんなとこだろう」といったような中途半端な理解のままでは、とても自社の利益を守ることはできないでしょう。

 

この話し、自分が何を分かっていて何を分かっていないかを分かっているかどうかという話しと言い換えることもでき、そして、このようなミスは自分の知識不足から起こっている可能性があり、そうならないためにも、「勉強法」が大事になってきます。

 

〇 どんな「勉強法」をとればいいの?

 

じつは高校までの勉強が大事です。これに対しては、「自分は学校でまじめに勉強していたから今更いらないでしょう」、「学校の勉強がふだんの生活と関係があるとは思えない」という反応が多いと思います。佐藤氏は、もちろんこういった反応が出ることは十分おりこみ済みで、どの反応に対しても、「それは違いますよ」というのが佐藤氏の答えです。

 

あらためて考えてみると、みんな中学校までは必ず勉強し、そして、ほとんどの人が高校でも勉強しています。そういった勉強で得た知識が直接役立つかどうかは別として、そういった勉強を通じて、特に考える力、というのは形成されていきます。であれば、たしかに、高校までの勉強が、情報の取捨選択や、自分が何を分かっていて何を分かっていないかを分かることについての能力にリンクしていることも理解できます。

 

ただ、今さら教科書なんて読むのかと考えると、ちょっとめんどくさいと思ってしまいます。しかしこんかいは、そんな人のために、根気がなくてもやれる「勉強法」を紹介してくれています。佐藤先生とても優しいです(笑)

であるがゆえに、これを実行する人と実行しない人の間の差は相当なものになるでしょう。