日々読書、時々一杯、折々投資

私の趣味をそのままタイトルにしました。 趣味のことでこれいいなあと思ったことを書いていきます。それが少しでもみなさまの参考になればさいわいです。

野球の本ではありません。こんごの世の中をどうやって生き抜くか、シンプルに教えてくれます

なぜ日本人は落合博満が嫌いか?(著者:テリー伊藤)、角川ONEテーマ、2010年5月初版発行、同年6月三版発行、

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タイトルの質問にどう答えるでしょうか?

 

嫌いですとはっきり言い切る人は少ないとしても、好きですと言い切る人は少ないでしょう。落合氏といえば、中日の監督としての落合氏がもっとも記憶にあると思いますが、たしかに、マスコミの報道はあまり好意的ではなかったと思います。でも、落合氏が監督をした2004年~2011年の中日の成績は、リーグ優勝4回となっており、指揮をとった8年間のうち半分優勝しています。これは、監督しては十分立派な成績ですが、名将というイメージはない。元ヤクルト監督の野村克也氏とは大違いです。

 

イメージがどうであれ、成績は成績であり、落合氏が名将であるのは間違いありません。そんな落合氏が何を考えているのかは、その考え方自体もそうですが、なぜ評価にギャップが生じてしまっているのか、とても興味があります。

 

〇 常識を疑え

 

落合氏の監督時代の言動をみると、通常の野球の常識からすると考えられないようなものがあります。たとえば、こんな言葉が紹介されています。

 

落合は2004年に中日の新監督に就任するなり、こう宣言した。

「補強は一切、しません。いまの戦力でも、十分に優勝できます」

 

 

ちなみにそれまでの中日の成績は、2003年は2位でしたが優勝した阪神とのゲーム差は14.5、2002年は3位ですが優勝した巨人とのゲーム差は15.5、2001年は5位でした。このような成績した残していない戦力で優勝できるとはふつう思いません。しかし、2004年つまり落合監督就任1年目、中日は優勝しました。

 

なぜ落合氏にはそんなことができるのか?テリー伊藤氏は「常識を疑え」という考え方があることを指摘します。たしかにそれはそのとおりでしょう。でも、この言葉ほど、「言うは易し、行うは難し」という言葉がぴったり当てはまる言葉はないでしょう。どうすれば、それができるのか?テリー伊藤氏はこう言っています。

 

いつでも冷めているということだ。常に自分を客観的な目で見ることができるのだ。どんなときでも、みんなと一緒にその場に入り込んでしまうことがない。いつも「第三者的視点」を持っているのだ 

 

なんとなく分かってきたような気がします。落合氏がこういう考え方の持ち主であれば、常識を疑うこともできますし、それがゆえに、その言動が、「常識のある」周りの人からその実質ほどは評価されないという評価ギャップが生じてしまうということも理解できます。しかし、それにしても、そういうまわりの評価にめげない落合氏のメンタルはとてもタフです。

 

なんとなく分かってきましたが、ざんねんがら、まだ抽象的、あいまいさがあるのも事実。まだまだ簡単に自分ができるとは思えない。そこで、もう少し考えます。

 

〇 自分なりの目標を持て

 

落合氏の話しではありません。藤原和博氏は元リクルート社員で、民間人から杉並区の中学校の校長先生に抜擢されたことで有名な人です。藤原氏リクルート時代、仕事関係の飲み会を本当は早く帰りたいけど帰れないとこぼしていたが、何年からしたら、途中でさっさと帰るようになったというエピソードがこの本で紹介されています。なぜ変化したのか?藤原氏はこう言っています。

 

「目標ができたからです。いまの自分には、はっきりとした目標があるから、いつまでもダラダラ残ってなんかいられません」 

 

テリー伊藤氏は、落合氏と藤原氏の姿勢が共通していると指摘しますが、わたしはさらにもう一歩踏み込んで、こう考えます。周りに付き合ってダラダラ飲み会に参加しないということは、周りの人の考え方にもあわせないという姿勢に通じます。そして、周りの人の考え方とはそれは「常識」です。

つまり、自分なりの目標を持つことが、常識を疑うという考え方を持つことに通じるのだと思います。「常識を疑え」という行為が少しは、「行うは易し」に近づいてきた気がします。

 

落合氏の場合、目標とは何か?最高年俸、三冠王など、それは野球人生のその時その時で変化していますが、共通しているのは、夫人の落合信子氏が時々で目指すべき目標を示してくれていたそうです。どれも相当高い目標であったようですが、それゆえ落合氏は、周りの常識など気にしている暇などなく、目標達成のみを考えて行動したのです。

 

〇 みんな落合氏の考え方を真似するべき

 

さいしょにも少し書きましたが、落合氏は決して、その能力、実績に見合う正当な評価を日本で受けているとはいえません。テリー伊藤氏はそんな評価しかできない日本人の考えを嘆いていますし、落合氏が正当に評価されることが日本にとって必要と考えています。それは確かに、わたしもそう思います。

 

ただ、わたしは、この本を読むことで読んだ人にとっての最大の収穫は、落合氏の行動をみんなが真似することだと思います。

昔と違いいまは、会社が社員の人生を保証してくれることもなくなりました。会社の言うとおり仕事してもある日とつぜんばっさりなんてことも起こる時代です。であれば、自分の生活を自分で守るためにはどうすればよいか、そのために必要なことを目標化し、その達成に向けて行動するしかありません。周りの常識を気にしている暇はありません。常識は自分の生活を保障してくれません。

 

この本は2010年、つまり今から8年前に書かれました。この本では、年配の野球ファンほど落合氏に批判的な人が多いが、若い世代の野球ファンには、落合氏を支持する人が比較的増えている気がすると指摘されています。ということは、それから8年たてば、ますます落合氏の言動を支持する日本人は増えていることになります。

わたしは40代ですので、年配の方に分類されますが、ウカウカしていられないなと感じました。日本は少しずつですが変わりつつあり、自分も遅れてはいけないと。ひょっとしたら、そのうち落合氏の考え方が「常識」になってしまう日も近いかもしれません。