人生つまらない、楽しくないと悩んでいる人、自分にコンプレックスを感じている人に読んで頂きたい本
さよなら自己責任 生きづらさの処方箋(著者:西きょうじ)、新潮新書、2018年12月20日発行、
ーーーーーーーーーーーーー
著者の西きょうじ氏は予備校講師。予備校で英語を30年以上教えている大ベテランです。その風貌は、予備校の人気教師というよりは、哲学者を思わせる風貌です。たしかにとても哲学的な本ですが、その内容は決して固い一方ではないし、難しすぎる一方ではない。予備校で多くの生徒を教えているだけあって、その語り口は読み手の目線にたってとても分かりやすいものとなっています。
サブタイトルにもあるとおり、今の世の中はなにかと生きづらい。なぜ生きづらいのかという原因はうまくいえないけど、その気持ち悪さだけは確かに感じます。この本は、そんな生き方に苦労している人に、そっと肩の力を抜いて楽にさせてくれるような本です。
〇 自分にできることには限界がありその限界はけっこう近い
生きづらさを感じしまうのはどういうときでしょう?そのひとつが、自分ができるはずのことをしない、あるいはしたけどミスしてしまい、その結果何らかの問題を起こしてしまったときでしょう。でも、自分ができることってどこまでなのでしょうか?そんなにその範囲は広いのでしょうか?
この本では、アインシュタインの話が紹介されています。天才物理学者ですからアインシュタインの頭脳はすごいレベルなのでしょう。しかしアインシュタインでさえこう言います。
「理詰めで物事を考えることによって、新しい発見をしたことは、私には一度もない」(138ページ)
であれば、アインシュタインには到底頭脳レベルの及ばないふつうの人々が考えたところでそれはたかがしれている、言い換えれば、できることはそうとう限りがあるのでしょう。つまり、失敗したとしても、それを回避することは不可能であったと言えます。そう思えれば、だいぶ生きづらさはなくなるでしょう。あの時なぜああしなかったのかと自分を責めることもなくなります。
このことは頭で考える前段階にも当てはまります。人は目や耳などからさまざまな情報を得て、それを頭の中で処理して行動に移します。しかし、そもそも目や耳などから得ている情報がすべてではないとしたらどうなるでしょう?どんな頭脳でも、あるいは最近はやりのAIであっても間違えてしまうのではないでしょうか?この点については、科学者からも主張されています。
mogumogupakupaku1111.hatenablog.com
西氏はこの本で、人の目に見えないもの、認識できていないところにこそ価値があるということを力説しています。であればなおさら、認識が及ばないところがありその結果間違えてしまっても、それは避けられないことだし、むしろ普通のことなのでしょう。認識できないことにこそ価値があるという主張を西氏だけでなく、過去の歴史をさかのぼると昔から言われているということがこの本で紹介されており、この点はとても興味深いです。
ひょっとして、文明が発達し人は自分の力を過信するようになったがため、それが逆に人の生きづらさを(とくに近年)招いているかもしれず、そうであれば、なんとも皮肉な話です。
〇 人生を構成するいろんな要素の本質に触れることができる
生きづらさの問題を考えると、これまで何気に行ってきた行為に何の意味があるのだろうと考えてしまうのは必然でしょう。その行為自体が生きづらさの原因かもしれず、また、原因ではないとしてもそれをすれば生きづらさは解消されるのか、という意味において、行為の意味がとても気になります。
この本を読んでいると、ところどころで、人生を構成する行為の意味を教えてくれるところがあります。行為の意味を説明するために記述しているところもあれば、そうではなく話しの展開上必要なので触れているところもありますが、いずれにしても、その内容はとても本質的です。
たとえるなら、雨雲のせいで薄暗い日にとつぜん雷がとどろきピカッと光ったような感じでしょうか?なんかいままでいちおう何となく見えていたものが、本当はこうだったんだと確認できた気分です。私がこの本を読んでそんな気分になれたのは、
「なぜ人は愛を求めるのか」(P47)
「本を読むのはなぜ楽しいのか」(P109)
「どういう時に人は笑うのか」(P36~40)
ということについて、答えをこの本に見たときです。
〇 けっきょく、思ったまま感じるまま行動するのが生きづらさのない人生への近道
生きづらさを感じないで生きたいと誰しもが思いますが、じっさいにそれができている人はけっして多くない。そう聞くと、生きづらさを感じないで生きるということはけっこう難しいことなのかもしれません。
でもこの生き方の難しさは、じつは、ではどうすればいいのかということを自分自身がなかなか気付けないということでしょう。でもこれは当然のことです。そもそも自分が考えて分かることなんていうのは相当限られているからです。だから、自分はこういう人生を歩みたいと思ってそのとおり進めたところでそれが生きづらさ無しの人生であることを常に意味するわけではありません。
であれば、思いつくまま感じるまま、とりあえずやってみる、行動してみる。そして、生きづらいかどうかはそれから考える、というのが生きづらさを感じない人生を得るための、遠回りのようでじつは近道なのかもしれません。西氏はこの本の最後にこう言っています。
過去の偶然性を積極的に受け入れると、現在を肯定しやすくなるだろう。また、未来を確定したがるよりも、未知の世界に足を踏み入れていく方が楽しいだろう。ランダムな、予測を超えた出会いを求めて、偶然性に満ちた世界に飛び込んでいこう(217ページ)