日々読書、時々一杯、折々投資

私の趣味をそのままタイトルにしました。 趣味のことでこれいいなあと思ったことを書いていきます。それが少しでもみなさまの参考になればさいわいです。

会社が会社員を守ってくれない時代だからこそ会社員が知るべき知識が得られる本

「どこまでやったらクビになるか サラリーマンのための労働法入門」著者:大内伸哉新潮新書、2008年8月発行、2010年4月5刷

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大内氏は労働法を研究する大学教授です。したがって、この本は、労働法についての本をということになるのですが、いわゆる通常の法律の本とは違います。通常の法律の本ですと、学説とか判例とかが条文ごとに整理してあって、とても難しいという感じです。また、労働組合とかそういう話かと思いきやそうでもありません。

 

例えば、ブログで社内事情を書いている場合、会社に秘密で副業している場合、社内不倫している場合、転勤を拒否する場合などなど、会社員の立場から、何をしたら会社をクビになるのかということを、具体的場面に応じて説明してくれています。

 

悪用は禁止ですが、本当はそこまで問題でないのに会社から一方的に重い処分を下されたり、不利益な処分を下されたりすることがないように、つまり、知らないことにつけこまれないようにするためにも、とてもためになる本です。

 

裁判所は、職場外でなされた職務遂行に関係のない労働者の行為であっても、企業の円滑な運営に支障を来たすおそれがあるなど企業秩序を侵害sるものである場合には、懲戒処分を行なうことも許される、と述べています(中略)いったんブログという形でネット社会に配信されると世界中の人がそれをみることができるのです(中略)会社の内部情報などを軽率に発信すれば、たちまち企業秩序侵害を理由に懲戒処分が課される可能性があるのです(19ページ)

会社についてネガティブな内容をブログに書くのは、それが事実であったとしてもかなり危険な行為ということが分かります。

 

裁判所は、次のように述べています。労働者がその自由なる時間を精神的肉体的疲労回復のため適度な休養に用いることは、次の労働日における誠実な労働提供のための基礎的条件をなすものであるから、使用者としても労働者の自由な時間の利用について関心を持たざるをえない(中略)兼業の内容によっては企業の経営秩序を害し、または企業の対外的信用、対面が傷つけられる場合もあるので、従業員の兼業を許可制とすることは不当とはいいがたい(26ページ)

会社員の副業についての裁判所の判断です。後半はまだ分かりますが、前半は意外でした。会社を出たらもう会社は関係ないといえるかと思っていたら、会社はプライベートでちゃんと休養をとることについて関われるんですね。会社員とはそこまで会社に縛られる存在であるとは知りませんでした。

 

「職場の風紀・秩序を乱した」とは、企業運営に具体的な影響を与えるものに限られるのであり、このケースでは(中略)二人の交際が会社の運営に具体的な影響を与えたとは判断できない(35ページ)

いったん、トラブルが明るみに出ると、会社によっては「世間の目」という厄介なものを意識せざるをえないこともあります(38ページ)

 社内不倫についての判断です。社内不倫をしたからといって直ちに処分されるものではなく、企業運営への具体的影響が必要と裁判所は判断しています。一方、大内氏は、社内不倫が対外的に明らかになった場合は、世間の評価がその企業運営への具体的影響に関わるとしています。さっこんの不倫に対する厳しい世間の風潮を踏まえれば、明るみになったときは企業運営への具体的影響が生じるおそれは高く、処分は避けられないようです。

 

判例では、居眠りにより高価な機械にキズをつけてしまったケース、債権の回収を職務としている社員が債権回収ができなかったケースなどで、会社が請求できるのは実際の損害の4分の1程度とされています(51ページ)

社員が不注意により会社に損害を与えてしまった場合の話です。全額かと思いきや、4分の1までが相場なのですね。これなど、会社から、あなたの責任だから全額弁償しろ、なんて言われると、ついつい、分かりました、と言ってしまいそうですが、そこまでの義務はないようです。知らないと損する知識ですね。

 

社員の労働条件は、本来は個別に(労働)契約をかわして決めるものです。就業規則を使って統一的に労働条件を決めているのは、一人ひとりの社員と個別に労働契約をかわすのが大変だからであって、それは便宜的なものなのです。ある社員が会社との間で勤務地を限定する約束をかわすというのは、本来の労働条件の決め方に戻るということでもあるのです。したがって、こういした約束は法的には有効と考えられています(55ページ)

知りませんでした。自分だけ転勤について特別な配慮をして欲しい、というのは、法的には何ら問題のない要求だったんですね。もちろん、それを会社が認めるかどうかは別問題ですが、少なくとも、就業規則があるからだめ、とか、他の社員に示しがつかない、という会社側の主張は理由になっていないことが分かります。

 

社員に通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせるような転勤も、濫用となります(中略)裁判所は、社員に「通常甘受すべき程度を著しく超える不利益」が生じているとは簡単に認めない傾向にあります。ただ、家族に病人がいるような場合は例外です(中略)数年前に、育児介護休業法(中略)のなかに、転勤によって社員が現在行なっている育児や介護が困難となるときには、会社はそうした状況に配慮しなければなrない、という規定が設けられました(26条)。したがって、こうした配慮をしないで発せられた転勤命令も濫用と判断される可能性があります(57、59~60ページ)

転勤については、一度、それを受け入れる条件で採用されてしまうと、なかなか断れないということがよくわかります。例外は、家族の育児、病気、介護ぐらいということですね。地元でずっと暮らしたいと思う場合は、転勤なしを条件としている会社に入るしかないということですね。

 

能力不足という理由の解雇は、先ほど述べたように、なかなか有効とはならないのですが、規律違反という理由の解雇であれば、その事実が確認されされすれば、解雇は有効とされやすくなります。そのため、会社は、どうしても辞めさせたいと考える社員がいるときは、その身辺を調査してなんとかして規律違反を探し出すでしょう。社員としては、普通であれば黙認されたりするようなささいなことが、大々的にあげつらわれてしまうかもしれません(72ページ)

 おそろしい話です。正直、ささいな規律違反ぐらいであれば、多かれ少なかれ誰でもやっているような気がします。会社に目を付けられると、そういうところも規律違反であるとして処分され、かつ、それが裁判所から有効と判断されてしまう可能性があるという話ですから、大変です。会社は戦場と同じですね。

 

過労による自殺については、有名な裁判例があります。A君は1990年に都内の私立大学を卒業し、大手広告代理店・電通に入社しましたが、入社2年目の夏、自殺してしまいました。A君の両親は会社に損害賠償を求めて訴えを起こし、結局、最高裁判所まで争われることになります(131ページ)

こんなことがあったなんて知りませんでした。最近も電通では若手社員が自殺していますが、電通は1990年の事件から何も学んでいないということですね。今後まだ同様の悲劇が起こらないか、不安です。

 

最高裁判所の判決は、一般論として被害者の性格などの要因を理由に損害額を減額はできると述べながら(中略)A君の性格は一般の社会人の中にしばしば見られるものの一つであり、上司はA君の性格をむしろ積極的に評価していたのであるから、A君の性格は通常想定される範囲内のものであると判断しました(137ページ)

裁判所の判断はもっともだと思いますが、過労死自殺において、自殺した本人の性格などを理由に損害額を減額できる、つまり、自殺した本人にも責任がある場合があるという考え方は驚きでした。本人は自殺していてもはや反論もできないという意味でも、違和感を感じる考え方です。

 

この裁判で、もう一つ争点となったのは、家族に責任はなかったのか、という点です。自殺に至るというのは、仕事だけが原因ではなく、家庭生活などの私生活面にも問題があったのではないか、というのです(中略)最高裁判所は、A君の損害は業務の負担が過重であったために生じたものであるし、彼は独立の社会人であり、両親は彼と同居していたとはいえ、勤務状況を改善する措置を採りうる立場にあったとは容易にいうことはできない、と述べて(中略)両親の落ち度による損害額の減額を否定したのです(137~138ページ)

この種の事件が起こると、たしかに、家族は何してたの、という疑問、批判が出ることがありますので、裁判でそれが争点になるのは致し方ないのかもしれません。しかし、最高裁判所が述べるとおりですね。家族には本人の仕事の状況は分かりませんし、それに、いくら休むように言っても、こういう場合はだいたい本人が出社しないといけないとして出社しているケースでしょうから、家族にできることはせいぜい、食事のお世話とか会社への送り迎えといった、いわゆる身の回りの世話ぐらいが限度ではないかと思います。

 

年金の面から、高齢者の就労という問題をみると、高齢者は働かなければ生活できない状況に追い込まれているといえるので、高齢者の雇用安定をめざす法制度のことを、高齢者は喜んでばかりいられないと思います。欧州では、年金制度改革(年金の支給開始年齢の引上げなど)は、労働者の就労期間の延長をもたらすことになるという理由で、大反対が起きて大規模なストライキもよく行なわれています(161ページ)

この本は2008年いまから9年前に発行された本ですが、まさに現状はこの本で書いてあるとおりに進んでいます。日本では欧州と違ってデモは起きませんがなぜでしょうか?この本は答えを述べていませんが、日本の場合、若者VS高齢者という形で、世代間対立の側面が強調されているためでしょうか?それとも日本の高齢者はじつは豊かなので年金ぐらいで目くじら立てないということでしょうか?

 

では自分の引き際は自分で決めるというのがいいかというと、それもなかなか厳しいものです。自分の能力は他人がみるより高く評価していることが多いからです(中略)定年というのは自分の職業上のプライドも傷つかず、周りにも迷惑をかけずに去っていけるという意味で、それほど悪い制度ではないと思うのです(163ページ)

おもしろい指摘です。定年についてのこのような評価は初めて知りました。それに、いまの時代では、ずーっと死ぬまで同じ仕事というのもどうか?という気がしますので、自分の意思から離れて一回リセットというのはありだと思います。

 

正義を国家権力によってエンフォースするのは、本当は最後の手段であるべきです。しかも、それにはコストもかかるし、実効性(ほんとうにまもってもらえるかどうか)の点でも問題が残ります。一番コストが安く実効性があるのは、相手が真に納得して自発的に正義の実現に協力してくれる場合でしょう。裁判所や労働委員会で和解が重視されるのは、こうした理由からです(172ページ)

これも初めて聞きました。よく、日本の裁判官は判決を出さずに和解に持ち込もうとするということが批判されることがありますが、こういう事情があるのであれば、裁判官の行動も分からないでもないです。うがってしまうと、和解に持ち込ませず裁判を長引かせて儲けようとする弁護士が、あえてそういう批判をしているのではないか?と思ってしまいます。