日々読書、時々一杯、折々投資

私の趣味をそのままタイトルにしました。 趣味のことでこれいいなあと思ったことを書いていきます。それが少しでもみなさまの参考になればさいわいです。

個人として仕事することや副業に興味はあるけど、どうすればいいのか悩んでいる方に読んでいただきたい本

「書いて稼ぐ技術」永江朗平凡社新書、2009年11月初版第1刷、2010年1月初版第2刷

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この本は以前紹介してました。

 

mogumogupakupaku1111.hatenablog.com

 

こんかいは少し違った角度から、物書きかどうか関係なく、仕事をしていく上で必要なことを教えてくれる本として紹介します。

永江氏は、1958年生まれ。大学を卒業し洋書店勤務の後、文筆生活つまりフリーライターとして活動し、文筆家業25年。25年個人として生き抜いた方のノウハウは勉強になるに違いありません。また、有名人ともなると、その人のノウハウがどんなに優れていても、一般人には真似できないと思ってしまいますが、(失礼ながら)永江氏は有名人というレベルではありません。したがって一般人である私でも真似できるぐらいの距離感かもしれないという気持も持っています。

 

ひところ「やりたいことをやりなさい」とよくいわれました。あれはウソです。ウソはいいすぎにしても、本当にやりたいことをやれる人間なんてめったにいません(中略)そもそも、やりたいことがわからない(中略)やりたいことなんて、探して見つかるものでしょうか。これとよく似ているのが、「本当の自分探し」です(中略)「本当の自分探し」なんていうのは、そうやって定職につかない若者を増やして、労働力を流動化させようとした財界と役人と政治家の陰謀です。求人情報誌を出している出版社なんかも一枚噛んでそうです(中略)大切なのは、「やりたいこと」より「やれること」、「できること」です。いまできることをやればいい。手持ちの札だけで勝負する。いちばん堅実で間違えないやりかたです。やれることをやりながら、少しずつやれることを増やしていけばいい(27~29ページ)

個人で働くというと、ついつい、自分の好きなことができると思ってしまいますが、現実はそうではないということですね。しかし、完全にそれを否定しているわけではなく、現実的なアプローチを述べているところがうれしいです。少しそれますが、陰謀説の部分は、永江氏のライターとしての鋭い観察眼が発揮されています。

 

営業で編集者が見るのは“ひとがら”です。“感じ”といってもいい。「この人は信用できるかどうか」と思うかどうか。これは文章のうまい・下手とは関係ありません。おもしろいネタを拾ってくるかどうか、おもしろいものの見方をするかどうか、取材先などといい関係をつくれるかどうか、そして何より編集者といい関係をつくれるかどうか。ミもフタもないいい方をすると、「一緒に仕事をしたい」と思うかどうか。これは採用試験と同じです(中略)彼らは「オレ/ワタシはこんなに優秀なのに、なんで不合格なんだ」と思っている。でも、採用試験は優秀な学生を決めるものではなく、部下にしたい・同僚にしたい人をきめるものですからね(46~47ページ)

求人情報には一切掲載されないが、これが、採用する側の本音ということなのでしょう。もちろん、あまりにスキルが低いとそこで終わりなのでしょうが、一定水準以上であれば関係なくなるのでしょう。自分の能力は、自分が思っているほど周りより優れている訳ではなく、そんなに変わらない、とも言えるでしょう。

 

行ったことのない出版社に行って、会ったことのない編集者に、「ライターとして仕事をさせてください」とお願いしたことはありません。しかし別の形での営業はしょっちゅうしていました。そのときは営業という意識が自分でもなかったのですが(中略)わずか六〇〇字程度のコラムでも、編集部まで届けに行きます。担当編集者は、せっかく来たのだからと、しばらく相手をしてくれます。内容はとりとめもないこと。最近読んだ本だとか見た映画のこと。最近おもしろいと思っていること。その雑談から「じゃあ、今度こんな特集をやってみる?」なんていう話に転がったり、あるいは通りがかった別の編集者に紹介してくれたり。原稿を届けに行って雑談することが営業活動になっていたのでした(48~49ページ)

営業では相手に、うちの商品を買ってください、仕事ください、と頼むものだと思われますが、そうではないということですね。別の箇所(52ページ)では自分の価値観を知ってもらい問題ない人間であることを知ってもらうことが必要と述べています。

 

黙って待っていてもだめで、編集者などに会うたびに「編集もできるんですけど、何ページかやらせてくれませんか」としつこくいっていれば、何かの折に、「じゃあ、ちょっとお願い」となったりします。「何か」というのは、たとえばそれまで担当していた人が病気になったとか、親の介護が必要になって郷里に帰ったとか、宝くじに当たって働かなくてもよくなったとか、もっと大きな会社に引き抜かれたとか。出版界には「何か」がたくさん転がっています(192~193ページ)

用事のあるときだけ顔を出したり、話をする、という態度では、こういう流れにはなりませんね。また、営業してすぐに効果がでないからといってあきらめてしまうのもダメということですね。永江氏は出版界のことを述べていますが「何か」は、他の業界でも起こりそうです。

 

おもしろいことはたいてい一言二言で伝わります(中略)世の中、正しい、正しくないは、関係ありません。おもしろいかつまらないかです。正しくてもつまらないものは、意味がありません。くだらないけどおもしろい、というのが最高です(54~56ページ)

私は、この部分を読んで、衝撃を受けました。正しいか正しくないかが大事と思っていましたから。世の中が何で動いているのか、ちょっと分かった気がします。

 

私がたどりついた結論は、最初から、メモ術は不完全であり、いつか飽きると思いながら使う、ということです。今はたまたま最良に見えるけれども、来年は飽きているかもしれない。飽きたらかえればいいじゃないか、と気楽にやればいいのです。「すぐれている」というよりも、「気に入っている(ただし今のところ)」という感覚ですね(85ページ)

ふと思いついたことでとても大事なことって時々あります。でも時間がたつと忘れてしまう。そこで永江氏はメモをとるのですが、様々なメモ術を試した後、この結論に達しています。このぐらい気楽にやらないと、考えすぎて疲れてしまうし、結局何もできなくなってしまう気がします。考えるだけで何もしないというのは、ある意味最悪です。先ほどの正しいか正しくないかは関係ないというところと、つながっている気がします。何となくですが。

 

検索エンジンはキーワードの微妙な違いによって検索結果が大きく異なります。そこで、少しずつ表現を変えて何通りも検索してみてください。また検索エンジンによってもどんなサイトが出てくるかが違います(中略)上位に出てくるサイトだけでなく、できるだけ下位にあるものにも目を通すようにすることです。検索エンジンは基本的に参照者の数が多いほど重要だ、というロジックでつくられています。参照者の数が多いということは、それだけすでに知っている人が多い情報だということであり、情報の希少性は薄れます(中略)ネット上の情報を鵜呑みにしないのはいうまでもありません。というか、ネットに限らず、あらゆる情報は眉唾物である、と考えるべし(102~103ページ)

いまや生活に不可欠となったインターネットでの検索について述べています。みんなと同じことだけしていてはダメということですね。

 

ネット上の図書検索でおもしろいのが「想 IMAGINE」です。これは書名や著者名ではなく、知りたい文章を入れるとそれに関連がありそうな本を教えてくれる検索システムです。書名や著者名、キーワードだけでなく、内容的な関連性、あるいは思いつき的な連想までフォローしています(中略)アメリカのGoogleは全文フルテキスト検索できるGoogleブック検索を実用化しました。フルテキスト検索は一見よさそうに聞こえるけれども、ひとつの言葉で引くとヒット数があまりに多くて、使いこなすにはそれなりのトレーニングが必要です。「想」のほうが調べ物には使えるんじゃないかというのが私の感想です(105ページ)

これもインターネット上での情報の探し方の話です。情報が多いほどかえって使うのが難しいというのは、逆説的ですが、世の中の実際のような気がします。「想」を私は実際に使ってみました。「最近の若者はなぜダメなのか」という言葉で検索したら、表示された本の中には「古代ローマの若者」という本もありました。なかなかユニークです。

 

取材相手が「イエス」「ノー」に終始した場合、話が弾みません。相手の口はどんどん重くなってくる。ところが「イエス」「ノー」ではなく具体的に語り始めると、だんだん饒舌になっていく。おそらく人は誰でも自分の話を聞いてもらいたい、聞いてもらえると嬉しい、という本能があるのだと思います。話を聞いてもらえるということは、自分の存在が認められるということでもあります(119ページ)

取材という行為は非日常的ですが、人と話をすることは日常的です。そのときにこの話はとても大事ですね。私はついつい逆をやってしまう傾向がありますので、ちょっと耳が痛いですが。

 

できるだけ具体的にエピソードを話してもらいます。そのときも基本は5W1H。いつ・どこで・だれが・なにを・なぜ・どのように、です。具体的な地名や人名、店名、数字などをよく聞いておきます。着ていた服、聴いていた音楽や読んでいた本の名前も大事です。そうした固有名詞から新たな記憶が呼び戻されることもあります(146~147ページ)

これも取材の話です。しかし、何かを考えたり、人に話したりするとき、できるだけ具体的に行うという点で、私たちの生活に関係してきます。