日々読書、時々一杯、折々投資

私の趣味をそのままタイトルにしました。 趣味のことでこれいいなあと思ったことを書いていきます。それが少しでもみなさまの参考になればさいわいです。

すべての営業担当者がすぐに実行できてライバル会社に勝てる方法を教えてくれる本

キリンビール高知支店の奇跡 勝利の法則は現場で拾え!」田村潤、講談社+α新書、2016年4月第1刷発行、同年11月第21刷発行

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田村氏はキリンビール株式会社の元副社長です。この本は田村氏がキリンビールに勤めていた頃の話です。キリンビールは1972年以降国内ビールシェア第1位でしたが、1987年のアサヒビールスーパードライの登場により売上げが急落し、ついに、2001年にその地位をアサヒビールに奪われます。しかし、田村氏が副社長兼営業本部長として全国の営業の指揮を執り、2009年に首位奪還を実現しています(2016年時点ではキリンビールは第2位)。

一度奪われた首位の地位を奪還するのは、それを維持するよりもある意味難しいことで、このことからも、田村氏の営業担当者としての実力がうかがえます。しかし、全国の営業という話になると、どうしても一般的、抽象的ですし、こう言ってはなんですが、田村氏が実際に顧客のところに営業をしたわけではありません。実際に営業の現場で苦労している人にとっては、もっと現場感のある話が知りたいところですが、この本は、田村氏が高知支店長であったころの話です。高知支店での成功体験が全国での成功につながっています。

 

スーパードライへの流れのなかでもがいているキリン大逆風の時代。そのなかでも高知支店は負け幅が大きく、最下位ランクの支店でした。四国地区本部では、「お荷物」とまで見られていました(中略)誰が来ても一緒だよ。時代の流れは変わらないんだよ。そう思っているあきらめがにじみ出ていました(23ページ)

 田村氏が高知支店長に着任したのは1995年。つまり、スーパードライの登場にアサヒビールの追い上げを受けている時代。しかも、高知支店は最下位ランク。環境としては最悪と言えます。当時の高知支店は支店長含めて12名の社員がいたそうですが、この雰囲気はこれまた最悪ですね。こんな状態から田村氏はどうするのでしょうか?

高知支店に着任して3か月。わたしは相変わらず、ああしろ、こうしろ、ということは言えずにいたし、言ってはいけないと思っていました。何の解決にもならないことは明白でした(33ページ)

とっかかりがないなかで、これだけは絶対にやってはいけないということはわかっているつもりでした。ひとつは、自分が考えて確信をもてることしか言ってはいけない(30ページ)

 意外ですね。でも、ちゃんと理由のあってのことと分かります。何も言わないというのは、ある意味何か言うことよりも難しいことです。

もうひとつは、総花的な営業です。多くの施策を適当にこなしていては勝てるはずもない。「戦力の逐次投入」は必ず失敗する。敵の立場でいちばん嫌なのは、相手が繰り返し同じポイントをしつこく突いてくることでしょう。そのうち思いもよらぬことが起き、逆転のきっかけになる可能性があるからです(30ページ)

これも納得ですね。何をしていいかわからないけど、当時の高知支店のように状況はますます悪化する一方。そうすると、とりえあずやってみる的な発想になりがちです。社内的にもそうした方が得策という側面もあります。しかし、田村氏はそれを明確に否定しています。

まずやらなくてはいけないことは、なぜ高知でこんなに負け続けているか、その理由を探ることです。「現場の検証」が必要です(30ページ)

たしかにそのとおり。環境が良ければこういう冷静な判断もできますが、悪化しているときにこのような判断をするのはなかなかできることではありません。

まずは11人のメンバーに「なんで負け続けているのか」とヒアリングを行いました。しかし、予想できたことではありますが、何の答えも見出すことができませんでした(30~31ページ)

田村氏自身も予想通りと言っているとおり、高知支店の社員が答えを知っていれば、こんなに状況が悪化することはありません。

わからないときには聞くしかない、ということで、あらゆる場所で聞きました。営業ではなく、飲みに行っても、「なんでキリンビールは売れなくなっちゃったと思いますか」とか「今何を飲んでますか」と、お店の人だけでなく、お客さんにも聞くのです。お客さんはけげんな顔をしますが、名刺を出してお伺いする。それでもわからない。それから問屋に行っても必ず聞くけども、わからない。酒販店に聞くと(中略)まあいろんなことを言われるのですが、やはりピンとこないのです。もう、これはわかるまで、県民に聞き回るしかない、ということを覚悟しました(中略)「ビールはどんな銘柄を飲んでいるのか」「なぜその銘柄を選んでいるのか」。宴席で、調査の手法のひとつであるグループインタビューを毎日やっていたようなものです(中略)高知の人が何をどう好むのか、何がきっかけでブランドスイッチが起きるのか、飲酒量に比例して(笑)わかったような気がしてきました(31~32ページ)

社内がだめなら社外で。これも、誰でも思いつくことです。問屋、酒販店に聞いてみる。でも、はっきりした答えは得られない。ありがちな結果です。ふつうですと、そこであきらめてしまうのですが、田村氏はちょっと違います。宴会の場などでお客さん、県民に直接聞いていきます。そんなシロウトの意見を聞いてもしょうがないと思いがちですが、田村氏はどんどん聞いていき、答えにだとりついています。徹底することが大事ということでしょうか。当時の田村氏は、年間270回以上の宴会に出席していたそうです(32ページ)。

大きな施策として、わたしは「料飲店のマーケットに集中して営業をかけよう」という戦略に絞り込みました。料飲店で飲まれているビールはビール全体の25%でしかありません。75%は家庭で飲まれているのです(中略)本来なら大きい市場に注力すべきですが、わたしは営業力の効きやすい料飲店にターゲットを絞りました。高知の人の生活を今まで観察し、宴会に年間270回出て、いかに外で飲む機会が多いかということがわかっていました。また、料飲店でビールを飲んで「やっぱりキリンが旨い」となったとには家庭で飲むブランドスイッチもあり得ます(38~39ページ)

現場で聞き回った結果が戦略に反映しています。あえて25%の市場を攻めるというのは、いっけん意味不明、非合理的な戦略に見えますが、じつは合理的であるということが分かります。これが、その後の高知支店の快進撃につながっていきます。

「月に30~50軒という訪問数では失ったキリンへの支持を回復するのは無理だろう。我々ができることは接点を増やすしかない。そのために、お得意様を何軒回るか、料飲店を何軒回るかを自分で考えF課長と相談して合意してください」(中略)わたしは高知支店の壁に「バカでもわかる単純明快」と大きく書いた紙を貼っておきました。100人いたら100人がすぐにわかるような施策が必要だと考えたのです(中略)単純なことを愚直に地道に徹底してやる、ということです。これが、わたしが高知支店に来てから支店のメンバー全員に伝えた最初の指示になりました(40~41ページ)

料飲店を他社よりも頻繁に訪れてキリンを置いてもらえるようにお願いするということに尽きています。たしかに「バカでもわかる単純明快」です。てっきり何かすごい秘策とか、これまでにない新しい方法を田村氏がとったのかと思いきや、ぜんぜんそんなことはありません。唯一違うのは、その徹底度でしょう。実際に何軒回ったのか、目標は何軒だったのかはわかりませんが、それまでの高知支店の常識では考えられないような相当高い水準であったことは間違いないでしょう。

不思議なことに、結果が出ずとも、ガマンして4カ月目に入ると、皆、身体が慣れてきました(中略)スポーツの練習と同じで、しんどさを超えると、それが普通だと思える状態になってくるのです(中略)すると不思議なことに、いい反応が少しずつ返ってくるようになってきました(50~51ページ)

田村氏は「4カ月の法則」と呼んでます。料飲店を訪問しても、さいしょは、相当厳しい反応ばかりだったのではないかと思います。高知支店の社員は相当つらかったでしょう。同じ戦略を採用しても、そこであきらめずに続けることができるかが、成功の分かれ目のようです。この戦略を開始した後の1996年9月、ついに高知県でのキリンビールのシェアがアサヒビールに抜かれ、首位の座から転落しています。

すでにその方向に向かっていたとはいえ、その敗北感はわたしだけでなく、必死に料飲店を回っている営業マンの心に大きな穴を穿ちました。しかしその一方で、なぜ雪崩のようにキリンの売り上げが落ちているのかと全員で聞き回っているうちに、なぜブランドスイッチが起こるのかというメカニズムがだんだんわかってきました。こうして、ようやく高知での敗因分析の入り口に立つことができました。

1 スーパードライ高知県民の、スッキリ辛口好みという味覚思考に合った。

2 スーパードライの勢いや躍動感がある男性的なイメージも高知の消費者が好む傾向に合った。

3 生活習慣が酒販店に届けてもらう瓶ビールから量販店で買う缶ビールに移行し、ラガーからスーパードライに移行しやすくなった。

4 スーパードライが売れているからスーパードライを買う。アサヒがキリンを抜いたと報道があったから飲んでみる。周りがアサヒと言うからアサヒにした。

5 料飲店に行ってもアサヒが多いから、注文のときにアサヒと言う。(59~60ページ)

戦略の有効性が疑われかねない状況ですが、それでも継続していることは、驚異的です。現場の実態を分析(敗因分析)した上での合理的な戦略であるという確信があったからでしょう。

1997年に37%と落ち込んだシェアは、1998年に反転し、その後も着実に上昇を続け2001年に44%となり、ついに高知県ではトップを奪回しました(中略)高知がトップを奪回した2001年に、キリンビール全社は逆に、四十数年ぶりに2位に転落したのでした(106ページ)

田村氏は2001年秋に高知支店長から異動になってますので、約6年間高知支店長をしていたことになりますが、その間に、これだけの成果を挙げています。それ自体も素晴らしいことですが、同時期に全国的にはキリンビールのシェアが落ちています。つまり、全国的な逆風の中で高知県のみが首位を奪還したということですので、なおさらです。逆に、アサヒビールの高知支店の社員は、相当社内で肩身が狭かったのではないかと推測します。

わたしは文書はA4用紙2枚以内にまとめるというルールで長年過ごしてきたため、それ以上の文書を書いた経験がありませんでした(188ページ)

田村氏は、この本の出版について、関係者の方への感謝の気持を述べるためにこのように述べています。この本で田村氏が述べている法則はとてもシンプルで、それが額面どおりであることがよくわかります(本には書いてないけど、実は当時、裏事情があったといったことがないという意味です)。