日々読書、時々一杯、折々投資

私の趣味をそのままタイトルにしました。 趣味のことでこれいいなあと思ったことを書いていきます。それが少しでもみなさまの参考になればさいわいです。

食品ロスの話は、単にもったいないという話では終わらないけっこう奥の深い話であるということが分かる本

賞味期限のウソ 食品ロスはなぜ生まれるのか(著者:井出留美)、幻冬舎新書、2016年10月第一刷発行、

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海外と比べると、日本は賞味期限を短めに設定する傾向にあります。湿度が高いのも一因です。が、安全性に対する要求レベルが高いことも、また一つの要因でしょう(中略)賞味期限は、あくまでアバウトな「目安」です。でも、そんな「目安」に過ぎない数字を、一日たりともたがわず厳密に守ろうとしている人は、少なくありません。知り合いの食品メーカー勤務の人ですら、「賞味期限を過ぎたら速攻で捨てる」と言っていました(23~24ページ)

 

まさに自分はこのタイプの人だなあと思ってしまいました。賞味期限の「ウソ」とまでは思いませんが、わたしたち消費者の側に、何か問題があることは確かなようです。

 

松永さんいわく、一般の人は「食べ物は真っ白な状態であるべき」という捉え方をしている、すなわち、放射性物資だろうがナンだろうが、「食べ物には一点の汚点もあってはならない」と望んでいる、ということです。一方、食の専門家は、食品は、元来リスクだらけであると捉えています(中略)食の専門家は、このように食品はそもそもリスクを多く含んでおり、放射性物資も、one of them (その中の一つ)に過ぎないと認識している、ということです。松永さんは、「リスク=ハザード(有害性)×摂取量」と言います。私も常々、日本では、量の概念が抜け落ちて食が語られることが多いと話して印す。「何を食べると痩せる」「何を食べると若々しくなる」「何を食べると代謝がよくなる」などと言われる場合、「何」以上に重要なのは、その摂取量です。ですが、多くの人は、たとえばバケツ一杯分っくらいとらないと効果を発揮しない場合であっても、「何」のほうにこだわります(50~51ページ)

 

この指摘も、わたしには身に覚えがあります。たしかに、「何」にはこだわりますが、その量、「どのくらい」「どの程度」ということはほとんど気にしません。この話は、リスクの話だけでなく、例えば、健康のために何を食べるかという選択の場面でも重要です。少しぐらい食べても本当は効果がないのに、ちょっと食べただけで満足してしまって、時間とお金をムダにするということはないようにしたいものです。

 

野菜や果物、自分で料理したものであれば、においを嗅ぎ、目で見て、味見をし、自分で判断して食べたり飲んだりしているのに、企業が工業生産したものになるととたんに「人任せ」にして「思考停止」状態になっているのではないでしょうか(中略)メーカーが決めてくれた賞味期限によりかかって思考停止するのはやめて、自分の食べるものについて、自分で判断する姿勢を大切にしてほしいと思います(56ページ)

 

まさにそのとおりだと思います。なぜ企業が工業生産したものだととたんに「人任せ」「思考停止」になるのか、そのヒントはいぜん読んだこの本になると思います。

 

mogumogupakupaku1111.hatenablog.com

 

「自分で判断」と著者の井出氏は述べていますが、じっさいにすることは、それほど難しいことではありません。

 

免疫力が落ちていると、食べ物の影響を受けやすくなります。よく眠ることができていないとき、勉強や仕事が忙しいとき、疲れているとき、風邪をひいているとき、ちゃんと食事をとることができていないとき、などは免疫力が落ちています。ストレスがたまっているときも同様です。「少し具合が悪いかな」と思うときには、とくに、生ものなどには注意しましょう(58ページ)

店先に大量陳列してあると、たしかに、通りすがりの人の目にもとまりやすく、目立ちます。ただ、品質保持の観点からすると、最悪です。そのような店で食品を購入するのはやめましょう(66ページ)

 

これがすべてではないですが、これができれば、大抵のことは何とかなるような気がします。いがいと簡単だし、こんな簡単なことなら、すぐに始めようということです。

でも、賞味期限が短めならば、それはそれで安全なのは確かだし、別に消費者は困らないんだからいまのままでいいのでは?という疑問も思い浮かびますが、そうでもありません。

 

コンビニは、スーパーに比べて営業時間が長く、夜間にも閉店しているため、人件費や光熱費がかかることや、仕入れの単位がスーパーに比べて小さく、かつ多くの店舗に運ぶため、物流コストや仕入れ価格が割高になることが背景にあります。それに加えて、コンビニでは「捨てる前提」で、「捨てる費用」があらかじめ商品価格に織り込まれていることも理由の一つです(95ページ)

「捨てるための費用」が値段に折り込まれているのは、コンビニだけではありません。飲食店も同じです(中略)彼らは、コンビニ、ファミリーレストラン、居酒屋、弁当店、焼肉店、パン屋、ケーキ屋、ドーナツ屋、披露宴会場、ホテル(のビュフェ)などで、大量に廃棄せざるを得ない状況に生まれて初めて直面したときの衝撃と心の痛みを、よく話してくれます(96~97ページ)

 

短すぎる賞味期限でもそれを過ぎれば、コンビには商品を廃棄します。そしてそのコストは、販売価格にのせられている、つまり、わたしたち消費者が負担しています。賞味期限をすぎても問題ないのにそのコストを負担させられているとすれば、それは無駄なコストであり、負担する必要のないコストでしょう。

それに、わたしが思うに、企業が賞味期限を過度に短めに設定するのは、それにより、消費者に商品を廃棄させてさらに商品を買わせるためではないか、と疑っています。その意味でも、消費者にとって賞味期限が短すぎるのはマイナスです。

この無駄な廃棄、賞味期限だけが原因ではありません。

 

土用の丑の日にしろ節分にしろ、特定の日に特定の食べ物を食べることを煽る風潮は、そろそろ終わりにしたほうがよいと思います。需要予測が困難な中、欠品を無理やり防ごうとすれば、売れ残りが出てロスが生じるのは必至だからです。日持ちのする食品ならまだしも、消費期限のある食品だと、売れ残りは廃棄かリサイクルしかしようがありません。どちらの手段を選ぶにしても、コストとエネルギーのさらなる無駄を生み出します(中略)たとえばバレンタインデーのチョコレートは、包装紙を変えれば、2月15日から普通に販売できるような仕様にする、うな重やクリスマスケーキは予約販売制するなど、少しでも無駄になる分を減らす工夫はできないのでしょうか(107ページ)

 

土用の丑の日、節分というのは、文化や伝統ですので、それ自体が悪いとは思いませんし、終わりにする必要はないと思いますが、問題は、そういうのに便乗して商売をする企業のスタンスにあると思います。そういうスタンスはぜひ終わりにしてほしいものです。わたしたち消費者も、そういう企業のスタンスに踊らされないことが大事だと思います。もうすぐ2月14日のバレンタインデーですが、職場での義理チョコは、まっさきにやめるべきでしょう。