日々読書、時々一杯、折々投資

私の趣味をそのままタイトルにしました。 趣味のことでこれいいなあと思ったことを書いていきます。それが少しでもみなさまの参考になればさいわいです。

人が何を考え、なぜそんな行動をとるのかを知ることのできる、人とは何かという疑問に答えてくれる本

ヒトの本性ーなぜ殺し、なぜ助け合うのか(著者:川合伸幸)、講談社現代新書、2015年11月第一刷発行、

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ヒトの行動をほかの動物とくらべてみると、ヒトが同種の仲間を殺すということが、とても不思議に思えます。意図的に自分の仲間、つまり「同じ種族を殺すのはヒトしかいない」からです。じつは、このような動物行動学では「当たり前」のことは、一般にはあまり知られていません。同種の仲間を殺すのは、鋭い牙も強い力も持たないヒトだけなのです(3ページ)

 

ぜんぜん知らなかった。ヒトも動物の一種ですから、他の動物と比べてみると、ヒトの本質に迫れるという考え方は理解です。著者の川合氏は特に書いていませんが、「人」ではなく「ヒト」と書くのは、動物行動学の独自の文法かもしれません。しかし、なぜヒトだけヒトを殺すのでしょうか?

 

動物行動学の始祖の一人であるコンラート・ローレンツは、動物は攻撃行動とともに、それを抑制するメカニズムを進化させたといいます。実際、動物は儀礼的な闘争で攻撃をおさめ、自分も相手も致命傷を受けないようにしています(中略)ローレンツによれば、ヒトも動物と同じような攻撃の衝動を持っているものの、厄なることかな、人間は武器を発達させたので、それに見合う抑止機構を進化させないまま戦いを拡大させたというのです(4~5ページ)

 

武器を持つという行動は、ヒトと他の動物とでちがう点です。それゆえ、武器の有無が、ヒトの行動を動物の行動と区別させるというのはよく分かります。

 

それより古い時代の化石で殺人の証拠は見つかっていません。600万年以上におよぶ人類の進化を考えれば、40年前というのは、ごく最近といえるでしょう。人類の歴史のほとんどは、仲間を殺さずに過ごしてきたのです(8ページ)

 

40万年前に何があったのかはわかりませんが、ヒトが元々ヒトを殺す本能があるわけではないようです。ここまでの流れですと考えられる仮設としては、40万年前にヒトが武器を手にしたということです。

 

比較認知科学の研究から、仲間の心の状態がわかるのは、ヒトだけだ、ということもわかってきました(8ページ)

 

ちょっとほっとする話しです。ヒトというのは複雑な動物です。

 

身体的な罰やきつい言葉などを使わなくても望ましくない行動を減らすことはできます。行動科学の技法を用いることで子どもの望ましくない行動は現象します(中略)何十年にもわたって行動科学の手法は、好ましくない行動を変容させるために用いられてきました。ヒトだけではなく、さまざまな動物の訓練方法にも応用されています。日本では行動科学の手法が有効であることがほとんど認識されていませんが、教育の場や家庭でさらに行動科学についての理解が深まることが期待されます(31ページ)

 

ヒトはどういう原理で動くのか?ということを行動科学は研究しています。それゆえ、子供をしつけ、教育するときに、行動科学の知見が活用できます。たとえば、体罰やいじめをなくす上で、行動科学は有効に思えます。刑法は殺人をしてはいけないと規定するのではなく、殺人をしたものは(最高で)死刑に処すと規定しています。これなどまさに行動科学の考えと同じです。

 

「人を殺すことはいけない」と教えられますが、その理由を合理的に説明できる人はほとんどいません。たとえば戦争で人を殺しても罪には問われません。過失によって人を殺してしまった場合、よほどのことがなければ書類送検ですまされます(中略)わたしたちは人を殺すことをよくないと考える理由は、「自分がそうされると嫌だから」ということにもとづいています。自分が嫌なことをされてもよいという社会にしておくと、自分がいつ殺されるかわかりません。このような動機にもとづいて「人を殺してはいけない」という合意を形成することで(つまり法により規制されることで)、お互い殺さないように抑制し合っているのです。その際に、「何となく嫌」という感覚は非常に重要なのです。この感覚がわたしたちを人間らしくふるまわせているとさえいえます。ところが犯罪を起こす人のなかにはその「何となく嫌」という感覚が欠如している人たちがいます(58~59ページ)

 

行動科学を用いると、なんとなく分かっていても明確に言語化できない概念をはっきりさせてくれます。殺人は「何となく嫌」なんていう軽いレベルの嫌悪感の話しではありませんが、しかし、この説明は納得です。

 

裕福な人が向社会的である(寄付をする)のは、妬まれないようにするための方略だと指摘しています(中略)彼らの慈善活動や寄付行為はもちろん善意にねざしたものですが、いっぽうで裕福な自分たちが嫉妬されることで「仲間はずれ」にされないようにしている、との見方もできます。「仲間はずれ」を避けようとする行動は、ほとんど意識されることがないので、おそらくこの慈善家たちも、自分では社会の批判をかわすための行動とは考えていないと予想されます(138~139ページ)

 

行動科学はすごいです。本人が意識していなくても、その無意識の中にある意識を具体的に示してくれます。この説も納得です。たしかに、批判をかわすためでなければ、なぜ寄付したことを世間に公表するのかという行動が理解できません。と同時に、日本が欧米ほど寄付が盛んではない(寄付したことが公表されない)理由もわかります。日本の場合、寄付したことを公表すると、売名行為などと批判されてしまい、むしろ逆効果になりかねないからでしょう。

行動科学にかかると、何も隠し事はできない気がします。行動科学をマスターした人には、ヒトの行動、心理はすべてお見通し、そんな人はいわば、人を超えた存在、神レベルでしょう。ただし、悪用禁止です(笑)