日々読書、時々一杯、折々投資

私の趣味をそのままタイトルにしました。 趣味のことでこれいいなあと思ったことを書いていきます。それが少しでもみなさまの参考になればさいわいです。

だれもがといちどはあこがれる「粋」ですが、その「粋」とはなにかを教えてくれる本

「粋な男たち」

(著者:玉袋筋太郎、角川新書)

 

〇弟子による「北野武論」

 

玉袋氏は、

ビートたけし北野武)の弟子です。

弟子として北野武を身近で見た体験から、

北野武」=「粋な男」

と言い切っています。

 

テレビやマスコミの情報から知っている北野武を、

「粋な男」と言うことはむずかしいです。

しかし、

玉袋氏は弟子として等身大の北野武

いってみれば、テレビやマスコミからは伝わない

わたしたちの知らない北野武

も見ています。

 

この本で紹介されている北野武のエピソードに、

わたしは思わずうなってしまいました。

「じぶんは北野武とおなじように行動できるか?」

とじぶんに質問してみると、

「できる」とは言えませんでした。

 

テレビでマスコミで伝えられる北野武は、

北野武のほんの一部にすぎません。

 

〇 「粋」=「やせ我慢」

 

北野武以外の多くの人の「粋」な振る舞いが、

この本で紹介されています。

いろんな「粋」があります。

さらには、振る舞った人もいろんな人がいるし、

また、そのときの状況もさまざまです。

 

それゆえ、

自分が同じように振る舞えるのか、

マネできるのか、

つまり、

「粋」についてじぶんはこの本から何を学べるか、

というと簡単ではありません。

 

そこであえて私なりにまとめてみました。

それが、

「粋」とは「やせ我慢」である

という結論です。

 

「やせ我慢」とは、

自分がいまこれをしたいという欲望があるけれど、

いまは欲望をじっとおさえてあえてしない、

ということです。

喉から手がでるほど欲しいものを、

もしも誰かが「あげる」と言ってくてれても、

「いりません」

と言い切るということです。

 

〇 だれでもできる「粋」とは?

 

やせ我慢はけっして楽ではありません。

それゆえ、

なぜやせ我慢する必要があるのか?

というぎもんがでてきます。

 

玉袋氏自身はこの本で、

あのときじっと我慢したことが、

あとで振り返るとけっかとして良かった、

というエピソードを紹介しています。

 

やせ我慢すると、

そのときには欲望は実現しませんが、

あとでいいことがあるので、

長い目でみると自分にとってプラスです。

それゆえ、

自分にとって得だからやせ我慢する、

というのは、

いちおう説明としてはありです。

 

でも、ここでちょっとひっかかります。

やせ我慢するといずれいいことがある

というのは、

自分の利益になるからそうする

という当たり前のことで、

それをもって「粋」というのは

なんか違和感があります。

悪いことではないので、

やってもいいことではありますが・・・

 

でも、

自分の利益はそっちのけで、

滅私奉公みたいに行動するのが「粋」か?

というと、

「粋」かもしれないけど、

ほとんどの人にはできないことです。

 

そこで、

誰でもできる「粋」とは何か、

を考えてみます。

 

それは、

「自分の欲望はある程度じつげんすればよしとする」

「そのぶん周りの人の欲望を実現してあげる」

という2つを満たす振る舞いである、

とわたしは思います。

 

さっそく明日から「粋」に振る舞いましょう。