日々読書、時々一杯、折々投資

モグパクです。都内で働くサラリーマンです。 新書・文庫を1日1冊読むのを日課にしてます。あと、酒(主に日本酒)を飲むこと、投資をすることが好きです。

ニート、高齢者に対するイメージが180度変わる本

とてつもない日本麻生太郎新潮新書217、2007年6月発行

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麻生元総理、現副総理兼財務大臣の本です。時々失言でマスコミをにぎわす政治家ですが、よく聞いてみると、けっこういいことを言っていたりする。でもそういう発言は報道されません。そんな麻生大臣が書いた本ということで、さっそく読んでみました。以前、タイトルは聞いたことがありましたが、なかなか読む機会がなく、やっとこんかい読むことになりました。というのは、単なる言い訳で、正直いうと、政治家の書いた本は単なる自慢ばかりではないか、と思って敬遠していました。

 

本を書いたころは、ちょうど外務大臣をしていたころということの影響かもしれませんが、外交問題の話がかなりでてきます。マスコミ報道では知ることのできない声が書いてあります。たとえば、麻生外務大臣のころといえば、「自由の繁栄の孤」という外交政策がありました。私は、てっきりこれは中国封じ込めの外交政策かと思っていましたが、そうでもないですね。こう述べています。

ある特定の地域を指して「危機の孤」や「不安定の孤」と称するのは、あくまでも西洋的尺度からみた危機であり、不安定でしかない。日本はアジアの実践的先駆者として、危機や不安定を指摘するだけでなく、共に生きていくために、仲間の繁栄に力を貸すべきである(165ページ)

外交の話はこのくらいにしたいと思います。この本を読んで感じるのは、麻生氏がとても柔軟で公平な考え方の持ち主であることがうかがえます。

ニート問題について、往々にして、彼らに「自己実現」という高いハードルを設定しているような論が見られる。むろん、ニートが社会に参加していくことには大賛成である。が、その議論の前提として「すべての人が仕事での自己実現をすべきだ」などという極端な理想論を置くのはいかがなものだろうか。それではむしろ、世の中に失意と落胆が満ち溢れる結果しか生まないのではないだろうか。豊かな時代には、「自己実現」を達成したくて頑張る者は、思う存分やればよい。しかし、すてべの人に創意工夫を求めて「自己実現」を要求するのは、間違っているのではないかとも思うのである(45ページ)

かなり遠慮がち、控えめに述べていますが、強い信念が感じられます。

私自身は、安易に「負け組」などという言葉を使う風潮も気に入らない。「負け組」を応援するという大義名分で、収入が低い人に新しいレッテルを貼って差別しているんじゃないか、という気がしてならないのだ(46ページ)

麻生氏は、ともすればニートを擁護するかのように見えますが、一方で、

何もニートの弁護人を買って出たいわけではない・・・大人が思う以上に日本の若者はとてつもない可能性を秘めているのである(47ページ)

と述べています。つまり、単に若者に媚びているのではなく、ちゃんと理由があるということですね。

団塊」「しらけ」「新人類」「おたく」などと十把一絡げにされ、伝統的な日本を破壊する「今時の若者」と嘆かれた世代の作ってきた文化に、アジアのみならず世界中が熱い眼差しを送っている。そう考えると、ニート世代が新しいものを作り出してくれる可能性は大いにあるのではないか(52ページ)

なるほど。こう説明されると、受け狙いとは違うということがよく理解できます。若者に対する理解が深い麻生氏だけに、教育についても鋭い指摘をします。

私は戦後の日本にはびこっている「平等」への信仰に対し、それは建前、偽りではないかと、常に疑問を持ち続けているのである・・・大人が勝手に決めた「平等」な教育の結果として、有能な若い人が何となく自信をなくし、生きる方向を見失ってフラフラしているのをみるのはとても残念でならないのである(65~67ページ)

戦後教育の「平等」に対する批判は麻生氏に限らず、さっこんでは珍しくありません。しかし、「平等」の名の下に行なわれている教育が果たして若者のためになっているのか、という問題提起とすれば納得です。もし、本当に「平等」が大事なら、いじめなどというのは人権を侵害する行為であって、真っ先に教師が根絶すべき行為ですが、昨今のいじめ問題に対する学校の無能ぶりからすれば、麻生氏の意見は納得です。

麻生氏の指摘はそれだけではありません。テーマはぜんぜん別ですが、とっても印象に残った記述を紹介します。

高齢化」を暗黒の未来のように考えることは、実は自分の未来を暗いと考えるのと同じことだ。そんなバカげた考えは、即刻捨てた方がよい(74ページ)

目から鱗が落ちるという言葉は、この記述のためにあるとも言えるでしょう。

もともとは国家がなすべき戦死者慰霊という仕事を、戦後日本は靖国神社という一宗教法人に、いわば丸投げしてしまった。宗教法人とはすなわち民間団体だから、今でいうところの「民営化」をした。それが現在の混乱した状況を招いている(146ページ)

このことを別の言い方をすれば、こうも言えます。

政治家が靖国神社に祀られた人について「分祀すべし」ということは、一宗教法人に対する介入として、厳に慎むべきことなのである(145ページ)

こういうことにこれまで全く気づきませんでした。そういえば、アメリカの戦死者慰霊施設は「アーリントン国立墓地」でした(ウィキペディアによる)。

 

再び麻生総理大臣というのもいいかなあという気がしました。秋葉原で麻生氏が大人気だったのは、単なるブームでも雰囲気でもなく、ちゃんとした理由があったんだなあと思いました。