日々読書、時々一杯、折々投資

私の趣味をそのままタイトルにしました。 趣味のことでこれいいなあと思ったことを書いていきます。それが少しでもみなさまの参考になればさいわいです。

本のタイトルを読んで「そんなのないない(笑)」とおもった人にぜひ読んでいただきたい本

サラリーマンの悩みのほとんどにはすでに学問的な「答え」が出ている

(著者:西内啓、マイナビ新書)

 

〇なぜ『学問的な「答え」』が活用されないのか?

 

日本企業においては、

経済学、マーケティング、組織行動論などの

直接ビジネスに関連する学問の研究成果が

全く活用されず、

社員の「経験と勘」だけで、

そういった研究成果を使いこなす欧米企業と

競争している

と著者の西内氏は指摘します。

  

「なぜ活用されないのか?」

とわたしもずっと不思議でした。

とくに不思議なのが、

日本企業は社員に海外でMBAをとらせる一方、

企業の現場ではそれがまったく活用されてない、

というギャップの存在です。

 

この本では、

なぜ活用されないのかという疑問への答えは

明示的に書いてありませんが、

この本を読んだおかげで、

その答えにたどりつきました。

 

『学問的な「答え」』をこの本で勉強し、

それをじっさいに自分の仕事で活かすためには、

「なぜ日本企業では活用されないのか」

ということを意識しながら読むことがとても大事

と痛感しました。

 

〇『学問的な「答え」』で何ができるの?

 

この本は、

給料、出世、職場の人間関係、家族関係など

についてのさまざまな悩みについて、

『学問的な「答え」』を紹介しています。

 

中には、

ここまでの悩みまで「答え」があるのか!

とおもわず衝撃を受けたものもあります。

 

自分で自分の性格を変える方法がわかります

 

「三つ子の魂百まで」と昔から言われていますが、

それとまったく正反対の「答え」です。

わたしはじぶんの性格が好きではありませんので、

とても勇気づけられました。

 

働き方改革」が失敗する理由がわかります

 

この本の内容は、

2012年7月に発行された内容に

もとづいています。

つまり、その数年後にはじまる

働き方改革」の失敗を予言した本

なのです。

 

〇いちばん大事なのは日本人の知恵である

 

人生で一番だいじなことはなんでしょうか?

 

仕事、家庭、健康、お金など

いろいろかんがえられますが、

わたしは、

自分が幸福であると感じられること

だとおもいます。

 

この本は、

それについての『学問的な「答え」』も

ちゃんとおしえてくれます。

 

じつはこの「答え」が、かなり意外です。

 

この本でとりあげている学問は、

もともと欧米起源の学問ですし、

また、

欧米企業はそれを使いこなす一方で、

日本企業は使いこなせていない

というのがこの本の問題意識です。

 

つまり、

欧米>日本

というスタンスです。

 

しかし、

この人生でいちばん大事な問題への

『学問的な「答え」』は、

日本人がもともと意識している

ことばかりで、いわば、

日本人がもっている知恵

と言うべき内容です。

 

「日本人はすごいんだ」

と理由もなく自信をもつのはよくないですが、

逆に、

「日本人はだめだめだ」

と理由もなく自信を失うのもよくありません。

 

明治時代に造られた言葉に、

「和魂洋才」

という言葉がありますが、

この本にサブタイトルをつけるとすれば、

この言葉がぴったりです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だれもがといちどはあこがれる「粋」ですが、その「粋」とはなにかを教えてくれる本

「粋な男たち」

(著者:玉袋筋太郎、角川新書)

 

〇弟子による「北野武論」

 

玉袋氏は、

ビートたけし北野武)の弟子です。

弟子として北野武を身近で見た体験から、

北野武」=「粋な男」

と言い切っています。

 

テレビやマスコミの情報から知っている北野武を、

「粋な男」と言うことはむずかしいです。

しかし、

玉袋氏は弟子として等身大の北野武

いってみれば、テレビやマスコミからは伝わない

わたしたちの知らない北野武

も見ています。

 

この本で紹介されている北野武のエピソードに、

わたしは思わずうなってしまいました。

「じぶんは北野武とおなじように行動できるか?」

とじぶんに質問してみると、

「できる」とは言えませんでした。

 

テレビでマスコミで伝えられる北野武は、

北野武のほんの一部にすぎません。

 

〇 「粋」=「やせ我慢」

 

北野武以外の多くの人の「粋」な振る舞いが、

この本で紹介されています。

いろんな「粋」があります。

さらには、振る舞った人もいろんな人がいるし、

また、そのときの状況もさまざまです。

 

それゆえ、

自分が同じように振る舞えるのか、

マネできるのか、

つまり、

「粋」についてじぶんはこの本から何を学べるか、

というと簡単ではありません。

 

そこであえて私なりにまとめてみました。

それが、

「粋」とは「やせ我慢」である

という結論です。

 

「やせ我慢」とは、

自分がいまこれをしたいという欲望があるけれど、

いまは欲望をじっとおさえてあえてしない、

ということです。

喉から手がでるほど欲しいものを、

もしも誰かが「あげる」と言ってくてれても、

「いりません」

と言い切るということです。

 

〇 だれでもできる「粋」とは?

 

やせ我慢はけっして楽ではありません。

それゆえ、

なぜやせ我慢する必要があるのか?

というぎもんがでてきます。

 

玉袋氏自身はこの本で、

あのときじっと我慢したことが、

あとで振り返るとけっかとして良かった、

というエピソードを紹介しています。

 

やせ我慢すると、

そのときには欲望は実現しませんが、

あとでいいことがあるので、

長い目でみると自分にとってプラスです。

それゆえ、

自分にとって得だからやせ我慢する、

というのは、

いちおう説明としてはありです。

 

でも、ここでちょっとひっかかります。

やせ我慢するといずれいいことがある

というのは、

自分の利益になるからそうする

という当たり前のことで、

それをもって「粋」というのは

なんか違和感があります。

悪いことではないので、

やってもいいことではありますが・・・

 

でも、

自分の利益はそっちのけで、

滅私奉公みたいに行動するのが「粋」か?

というと、

「粋」かもしれないけど、

ほとんどの人にはできないことです。

 

そこで、

誰でもできる「粋」とは何か、

を考えてみます。

 

それは、

「自分の欲望はある程度じつげんすればよしとする」

「そのぶん周りの人の欲望を実現してあげる」

という2つを満たす振る舞いである、

とわたしは思います。

 

さっそく明日から「粋」に振る舞いましょう。

毒舌キャラの坂上忍はじつはこんなことを考えていたんだなあという感じで、坂上忍にたいする見方が変わる本

「おまえの代わりなんていくらだっている-覚悟の仕事論」

(著者:坂上忍新潮新書

 

〇タイトルから判断しない

 

「おまえの代わりなんていくらだっている」

 

まるでブラック企業で、

上司が部下に言い放つかのような言葉です。

テレビで見る坂上氏は毒舌キャラですので、

タイトルだけ見ると、

人に対するダメ出しでいっぱいの本

であるかのように思えます。

 

まあ、ダメ出しあることはあるのですが・・・

 

でもそれは、この本の一部にすぎません。

 

抜きんでて優れた才能を持つごく一部の人を除き、

ほとんどの人は仕事人としては、

「代わりなんていくらだっている」存在。

芸能人だってほとんどそうでしょう。

 

この本は、そんなきびしい現実の中で、

「代わりなんていくらだっている」人が、

どう仕事に向き合えばいいのか、

という仕事論を教えてくれる本です。

 

〇人は本音で動けばいい

 

本音で動くといっても、

ただわがままに動けばいいということではなく、

気をつけることが3つあります。

 

1つ目は「媚び」ない

2つ目は「言い訳」をしない

3つ目は「周りが自分をどう見ているか」把握する

 

「媚び」ることと「言い訳」をすることには、

共通するダメ要素があります。

それは、自分に考えや判断基準がないあるいは、

ブレブレであるときにやってしまう行為である

ということです。

 

「自分の考えをちゃんと持て」と言われても、

そうかんたんにできるものではありませんが、

「媚び」や「言い訳」をやめるであれば、

かんたんです。

そして、やめると決めてしまえば、

いやでも自分で考えなければいけません。

自分は本当はどうしたいのか、どうすべきなのか、

と考えます。

そしてそれがはっきりすれば、

その自分の考えとおり動けばいい、

つまり本音で動けばいいのです。

 

ただし、そのときに大事なのが、

「周りが自分をどう見ているか」

という視点です。

「周りが自分に何を求めているのか」

ということでもあります。

この視点をわすれてしまうと、

自分の考えはただの独りよがりにすぎません。

仕事人としての自分の評価を決めるのは、

自分ではなく周りである

ということを忘れずに・・・

 

〇若者にこそこの本はためになる

 

この本の内容は、坂上氏が50歳のときのもの。

それゆえ、ところどころに、同世代を意識して、

おじさんおばさんに対して、

「もっとしっかりしろ」

というメッセージがちりばめられています。

 

「媚び」たり「言い訳」する人が、

おじさんおばさんにおおいのは確か。

なので、まずはその世代が読んで、

わが身をふりかえるべきなのは間違いない!

 

でも、そんなおじさんおばさんも、

今から10年、20年前は若者であり、

当時その若者はおじさんおばさんの悪口を

言っていた。

そして、10年、20年後に自分が、

悪口のとおりのおじさんおばさんに

なってしまった。

 

ということは、現在のおじさんおばさんは、

現在の若者の10年、20年後のすがた

ではないだろうか?

 

坂上氏は、

若者に対してきびしいというイメージですが、

ちゃんとこの本の中で

若者の将来のことを考えています。

 

だって、おじさんもおばさんも若者もみんな、

「おまえの代わりなんていくらだっている」

存在なのですから・・・

日本酒好きでまだ飲んだことのない方はぜひとも一度飲むべき日本酒。「わかむすめ」(山口、荒谷酒造)

「わかむすめ 月草 純米無濾過、原酒」(山口、新谷酒造)、
精米歩合70%、アルコール分16度、
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こんかい頂く「わかむすめ」。いぜんから名前は知っていましたが、なかなかお目にかかれないお酒。なんと、山口県山口市ふるさと納税でもらえることを知り、こんかい入手できました。

 

ちょっと驚いたのが、ふるさと納税の返礼品として送られてきたとき、クール便で送られてきたことです。これまでふるさと納税で日本酒を返礼品で送ってもらったことは何回かありましたが、常温での配達がふつう。クール便は初めて。さらに、蔵元からのお手紙つき。これも初めてです。ダブルで初めての事に感動するとともに、蔵元の酒へのそうとうなこだわりを感じました。

 

【1日目】

開封しお猪口に酒を注ぎます。口にする前にちょっと香りを確認すると、ちょっと酸味の強そうな香りがります。

それを感じながら一口目をいってみます。口当たりは香りの強さとは異なり、予想に反してやわらかいです。しかし、口に含んだ酒がのどをどおった後、口の中に辛さがきます。けっこうきつめで、「きつっ!」と一瞬思ってしまうほどで、その瞬間、この酒、個人的には苦手なタイプかもとも思ってしまいました。でも同時に、芳醇な味わいも一緒に楽しむことができます。

なかなか表現の難しい酒、「複雑系」とでもいうのでしょうか。「わかむすめ」というおとなしそうな名前でありながら、油断していると、予想外にかなりガツンと来る、のみ応えあります。「おぬしなかなかやるなあ」という感じです。

 

そして、2口目、3口目と飲みすすめていくと、口当たりがだんだん滑らかになっていき、そのぶん、口の中で感じる辛さががちょうどいいアクセントになり、ついついもう一杯飲もうという気持ちにさせます。いい刺激です。一口目を飲んだときのガツン感を感じさせない味になっています。

お酒の味が変わったのだろうか?いや、そうではなくて、変わったのは避けではなく飲み手の私の方だろうか?お酒と私の相性が合うようになってきたのか?答はでませんが、「このお酒うまいかまずいか?」と聞かれれば、答えは「うまい」で確定です。

味わいは食事とあわせやすい感じです。あっさり味の料理ならば酒の味をじゃませず、濃い味の料理なら料理に負けない味の強さです。

 

【2日目】

翌日、引き続き「わかむすめ」をいただきます。

口当たりがやわらかいのは昨日と同じですが、違うのは、そのすぐ後に来る味わいです。ピリッとした辛さはあるけれど、それほど気にならなくなり、むしろ、ごくりと飲み終わった後になお舌に残る芳醇な味わいが、1日目よりも強くなった気がします。だんたん飲み口が穏やかになった感じです。

1日目とは明らかに変化しています。まるで七変化のようにお酒の味が変わっています。お酒が変わったのか、私が変わったのか、きょうも答はでません。しかしおいしかった。

孤独老人なんて関係ないと思っている人、すでに孤独老人になってしまった人、みなさんに読んで頂きたい本

「さみしさ」の研究(著者:ビートたけし)、小学館新書、2018年12月初版第一刷発行、

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「「さみしさ」の研究」というタイトルからすると、さいきんよくある孤独でも構わない、孤独を楽しもうといった内容が推測されますが、この本の内容はぜんぜん違います。

また、「さみしさ」という感情は、年齢にかんけいなく心にうまれてくるものですが、この本は、ある程度齢をとった人の「さみしさ」の問題をとりあげています。とくに男性老人の孤独がさいきん問題となっていますが、まさにそういう人が、特に会社をやめてからの人生を楽しく生きるためにはどうすればいいのかということを教えてくれる本です。

この類の本はさいきん何冊もでていますが、この本の内容は一味違いますし、秀逸だと思います。


〇 自己を客観視する

 

この本では、老人は「さみしさ」とどう付き合っていけばいいのかということについて縷々述べられていますが、その中でも強烈な印象なのは「若者に媚びるな」(22ページ)だと思います。これは、一見すると、老人は老人らしくという生き方とは反対の生き方のようですし、いわゆる暴走老人を擁護しているとも読めないこともありません。おそらくこれを表面的に実行すれば、確実にそうなるでしょうし、周りからとうてい受け入れられないでしょう。

 

一方でビートたけし氏は、「自己を客観視する」ということの重要性を述べています。本の中で明示的に述べられているわけではありませんが、この本で述べられている内容を表面的に実行するのでは意味がないし、おそらくとうてい幸せな老人生活は送れないと思いますが、「自己を客観視する」ことをした上でであれば、きっと幸せな生活が送れるということではないかと思います。その意味で「自己を客観視する」ことは、この本の基礎をなす重要な言葉です。

 

ではなぜ「自己を客観視する」ことが重要なのか?

それは、無理に背伸びをせず、また逆に無理に萎縮せず、自分らしく生きるためには、自分が何をしたいのか、何ができるのか、何が必要なのかを見極めることが必要なためでしょう。「自分らしく」という表現もできます。

「自分らしく」というとどうしても若い人向けの言葉に聞こえますが、そんなことはありません。年齢に関係なく「自分らしく」生きることは、楽しい人生を送るためにぜったい必要な条件です。暴走老人などと周りから言われてしまう老人は、おそらく「自己を客観視する」ことができていないので、自分は望めば何でもできる、何でも実現すると思い込んでいるのでしょう。空回り状態です。

 

〇 疑り深くなる、本を読もう

 

「自己を客観視する」ことができていれば、じつは疑り深くなります。ぜんぜん関係ないような2つの事柄ですがそうでもないんです。ビートたけし氏は、定年になったら新しい趣味を持ちましょうなんて無理と述べていますが(30ページ)、私はこれを読んで、定年間際の老人をターゲットにいろんな業界が、あれしましょう、これしましょうと誘ってくる、これを疑わなければいけないのだなと感じました。ビートたけし氏が述べているとおり、いきなり趣味が上達するわけではなくすぐに挫折するのがオチなわけですが、業界はしっかり儲けることができるわけです。

「自己を客観視する」ことができていれば、業界からそういう誘いがあっても、「自分がそんな簡単にできるわけない」とすぐに気付けるわけで、そうなれば、すぐに挫折してしまうような趣味に大金をつぎこむといったバカなことにはなりません。業界は「やる気さえあれば上達します」とか耳障りのいいことを言いますが、しっかり疑うべきです。

 

話が少しそれますが、疑り深くなるというのは、老人だけでなく、若い人にもとっても重要です。この本ではいつくかの事例を紹介していますが、お金の動きがどうなっているのか、誰が得をして誰が損をするのかという観点から疑り深くなれば、変なことにはならないでしょう。学校教育ではこういうことは教えてくれませんが、世の中を生きる上ではとても重要なスキルのひとつなのは間違いありません。道徳教育の話しはとても分かりやすい(P128ページ)。

 

老人に話を戻すと、ではどうすればいいのか?まだ30代、40代であれば、ゆっくり時間をかけて趣味を育てればいいのですが、50代、あるいは、あと数年で定年という人にとっては、問題はちょっと深刻です。これは、ビートたけし氏も少し述べており(32ページ)、また私の考えでもあるのですが、お金もそれほどかからず、しかも、誰でも簡単にできるもの、それは「読書」です。「読書」を趣味にすべきです。

 

「読書」が趣味だとしても、それはひとりで行うもの。それがすぐに誰かとつながりができるわけではありませんし、別にみんなと「読書会」をするという話しでもありません。「読書」を重ねていくと、しぜんとその人の知識が増えていき、話の間口がどんどん広がっていきます。もちろん、ひとりで読書をするのもよしですが、話しの間口が広がれば、人との付き合いもひろがっていき、楽しい老人人生が送れるでしょう。それに、「読書」を通じて知識が増えれば、人の話しの裏も疑うことができるようになります。一石二鳥ですね。

 

〇 老人はお金をケチってはいけない

 

この本でこういうことが言われているわけではありませんが、俳優の故松方弘樹氏が生前どれだけ豪勢だったのかということが、死後も人の記憶に残っているという話が紹介されています。この話を聞いて、年をとればとるほどお金をケチってはいけないということを痛感しました。もちろん、老人だけでなく若いうちからできればなおさら良いでしょう。以前読んだ本にもそんなことが書いてありました。

 

mogumogupakupaku1111.hatenablog.com

 

和田氏は本の中で「ケチでない」ことを、楽しく老人生活を送る上で必要な3つの条件のうちの1つとしてあげており、かつ、その3つ全部が必要とまでは言っていません。

「ではケチでもいいのではないか?」と思うかもしれません。たしかにそのとおりです。それでも私がケチってはいけないと思う理由は簡単です。とても簡単に実行できるからです。じ

もちろん松方氏のような豪勢なことはとうていできませんが、さっそく明日から、自分より若い人と飲みに行ったり、あるいは、ランチに行ったりしたら、全額だしてあげましょう。それぐらいは何とかなるのではないでしょうか。楽しい老人生活のためであれば安いものです。

人生つまらない、楽しくないと悩んでいる人、自分にコンプレックスを感じている人に読んで頂きたい本

さよなら自己責任 生きづらさの処方箋(著者:西きょうじ)、新潮新書、2018年12月20日発行、

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著者の西きょうじ氏は予備校講師。予備校で英語を30年以上教えている大ベテランです。その風貌は、予備校の人気教師というよりは、哲学者を思わせる風貌です。たしかにとても哲学的な本ですが、その内容は決して固い一方ではないし、難しすぎる一方ではない。予備校で多くの生徒を教えているだけあって、その語り口は読み手の目線にたってとても分かりやすいものとなっています。


サブタイトルにもあるとおり、今の世の中はなにかと生きづらい。なぜ生きづらいのかという原因はうまくいえないけど、その気持ち悪さだけは確かに感じます。この本は、そんな生き方に苦労している人に、そっと肩の力を抜いて楽にさせてくれるような本です。

 

〇 自分にできることには限界がありその限界はけっこう近い

 

生きづらさを感じしまうのはどういうときでしょう?そのひとつが、自分ができるはずのことをしない、あるいはしたけどミスしてしまい、その結果何らかの問題を起こしてしまったときでしょう。でも、自分ができることってどこまでなのでしょうか?そんなにその範囲は広いのでしょうか?

 

この本では、アインシュタインの話が紹介されています。天才物理学者ですからアインシュタインの頭脳はすごいレベルなのでしょう。しかしアインシュタインでさえこう言います。

 

「理詰めで物事を考えることによって、新しい発見をしたことは、私には一度もない」(138ページ)

 

であれば、アインシュタインには到底頭脳レベルの及ばないふつうの人々が考えたところでそれはたかがしれている、言い換えれば、できることはそうとう限りがあるのでしょう。つまり、失敗したとしても、それを回避することは不可能であったと言えます。そう思えれば、だいぶ生きづらさはなくなるでしょう。あの時なぜああしなかったのかと自分を責めることもなくなります。

 

このことは頭で考える前段階にも当てはまります。人は目や耳などからさまざまな情報を得て、それを頭の中で処理して行動に移します。しかし、そもそも目や耳などから得ている情報がすべてではないとしたらどうなるでしょう?どんな頭脳でも、あるいは最近はやりのAIであっても間違えてしまうのではないでしょうか?この点については、科学者からも主張されています。

 

mogumogupakupaku1111.hatenablog.com

 

西氏はこの本で、人の目に見えないもの、認識できていないところにこそ価値があるということを力説しています。であればなおさら、認識が及ばないところがありその結果間違えてしまっても、それは避けられないことだし、むしろ普通のことなのでしょう。認識できないことにこそ価値があるという主張を西氏だけでなく、過去の歴史をさかのぼると昔から言われているということがこの本で紹介されており、この点はとても興味深いです。

 

ひょっとして、文明が発達し人は自分の力を過信するようになったがため、それが逆に人の生きづらさを(とくに近年)招いているかもしれず、そうであれば、なんとも皮肉な話です。

 

 

 

〇 人生を構成するいろんな要素の本質に触れることができる

 

生きづらさの問題を考えると、これまで何気に行ってきた行為に何の意味があるのだろうと考えてしまうのは必然でしょう。その行為自体が生きづらさの原因かもしれず、また、原因ではないとしてもそれをすれば生きづらさは解消されるのか、という意味において、行為の意味がとても気になります。

 

この本を読んでいると、ところどころで、人生を構成する行為の意味を教えてくれるところがあります。行為の意味を説明するために記述しているところもあれば、そうではなく話しの展開上必要なので触れているところもありますが、いずれにしても、その内容はとても本質的です。

 

たとえるなら、雨雲のせいで薄暗い日にとつぜん雷がとどろきピカッと光ったような感じでしょうか?なんかいままでいちおう何となく見えていたものが、本当はこうだったんだと確認できた気分です。私がこの本を読んでそんな気分になれたのは、

 

「なぜ人は愛を求めるのか」(P47)

「本を読むのはなぜ楽しいのか」(P109)

「どういう時に人は笑うのか」(P36~40)

 

ということについて、答えをこの本に見たときです。

 

 

〇 けっきょく、思ったまま感じるまま行動するのが生きづらさのない人生への近道

 

生きづらさを感じないで生きたいと誰しもが思いますが、じっさいにそれができている人はけっして多くない。そう聞くと、生きづらさを感じないで生きるということはけっこう難しいことなのかもしれません。

でもこの生き方の難しさは、じつは、ではどうすればいいのかということを自分自身がなかなか気付けないということでしょう。でもこれは当然のことです。そもそも自分が考えて分かることなんていうのは相当限られているからです。だから、自分はこういう人生を歩みたいと思ってそのとおり進めたところでそれが生きづらさ無しの人生であることを常に意味するわけではありません。

であれば、思いつくまま感じるまま、とりあえずやってみる、行動してみる。そして、生きづらいかどうかはそれから考える、というのが生きづらさを感じない人生を得るための、遠回りのようでじつは近道なのかもしれません。西氏はこの本の最後にこう言っています。

 

過去の偶然性を積極的に受け入れると、現在を肯定しやすくなるだろう。また、未来を確定したがるよりも、未知の世界に足を踏み入れていく方が楽しいだろう。ランダムな、予測を超えた出会いを求めて、偶然性に満ちた世界に飛び込んでいこう(217ページ)

 

半沢直樹にあこがれている人、行動する前にぜひ読むべきです。組織とは、喧嘩せず利用するべきもの

組織の掟(著者:佐藤優)、新潮新書、2016年4月発行、同年5月4刷、

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この本の帯にはこう書いてあります。

 

「逆らうだけが能じゃない」

 

このコピー、おそらく、半沢直樹を意識したのではないでしょうか?半沢直樹は、銀行上層部に徹底的に反発し、それが世の中の共感を得、ドラマは大ヒットします。この本が言いたいのは、おそらく、半沢直樹は小説の中の話しにすぎず、実際はそうはならないということでしょう。ドラマを楽しんだ人にとっては興ざめでしょうけど、ドラマはあくまでもドラマ、現実は現実というのは認めざるを得ません。では、組織の現実とはどんなものなのか、という話が大事になります。

 

〇組織は上司の味方

 

この本は、「組織がどのような原理で動くのか」ということを明らかにしています。みんなが何となく気付いているけれど、でも誰も言わないこと、というのは、世の中に一定程度存在しますが、これもそのひとつです。佐藤氏は、こう言っています。

 

組織は基本的に上の味方だ。コンプライアンス遵守などということを額面通りに受け止めて、上司と対立すると決して良いことにはならない

 

おもわず「それはおかしい!」と言いたくなるところですが、これが現実だということは、認めざるを得ません。現実は現実としても、組織なはぜ上司の味方なのかということの理由を、わたしなりに考えてみると、上司に味方する者の思考回路はこんな感じでしょうか。

 

「次は、その部下が上司の上司である自分に逆らうかもしれない」

「部下が自分の思い通りに動かなくなり、自分の立場が危うくなるかもしれない」

 

ようは、上司に逆らう部下が怖いということでしょう。その部下の言動が正しければ正しいほどなおさら怖いということになります。無能な人ほど出世するのと同じ構造かもしれません。

こういう思考回路は、人間である以上避けられないものだと思います。人間の集まりが組織である以上、組織にいる人間の思考回路がおよそこんなものであれば、どんな組織、会社でも起こり得ると言えるでしょう。

 

〇そんな組織でどうやって生き延びるか

 

ただ生き延びるだけであれば簡単です。でも、それでは満足できないという人、たとえば、組織には属するが、組織を通じて自分の思っていることを実現したいと考える人もいるでしょう。でも、それが上司とは対立してしまうときどうすればいいのか、それがここでの「生き延びる」の意味です。

 

この本ではそのために役立つ様々なテクニックを紹介してくれています。自分の実力をいかに身に着けるか、社内に味方を作るにはどうすればいいのか、直属の上司が味方にならないときにどこで味方を探せばいいのか、といったことについて、とてもおもしろい方法論をこの本は教えてくれます。

これらのテクニックに共通しかつ特徴的なのは、組織に属しているがゆえにできることであるという点です。それゆえわたしは、組織で「生き延びる」ために必要な心構えとして、2つのことが言えると思います。

 

組織を簡単にやめてはいけない

組織で自分が潰れるかどうかはすべて自分次第

 

ということです。組織で「生き延びる」のはなかなかたいへんですが、うまく活用すれば、個人で働くよりも可能性が広がりそうです。

ただし、簡単にやめないとはいっても、ブラック企業はさっさとやめるべきです。ブラック企業とは、そこで働いても企業に搾取されるだけで自分に何も身につかない企業のことです。

 

 

貴乃花親方と相撲協会

 

2018年9月25日、貴乃花親方が引退を表明しました。その理由として、相撲協会から、親方が内閣府に提出した告発状の内容を事実無根と認めるよう圧力があったということをあげています。一方、相撲協会側は、そのような事実はないと否定しており、事実関係はよくわかりません。親方は、今後の相撲協会・大相撲の在り方について独自の考え方があり、それを実現すべくこれまで行動してきたものの、親方は相撲協会内部で孤立し、それが引退の大きな原因であったことは間違いないでしょう。

 

この本のケーススタディとして、親方と相撲協会の関係について考えてみたいと思います。

 

親方は、相撲協会上層部との対立もいとわないし、むしろそれを積極的に外に発信していたと思います。しかし、この本の考え方を当てはめると、この行為は極めて危険です。組織は上司の味方、つまり相撲協会上層部の味方です。相撲協会の理事等の選任・解任は評議員会の権限ですが、評議員会議長の池坊氏は、親方にとても冷淡でした。

 

一方で、相撲協会内部での味方づくりは不十分でした。親方はどの一門にも属しておらず、それが今回の引退の一因となっています。また、相撲協会上層部にも味方はいませんでした。これと反対に、相撲協会外部の味方、特にマスコミに親方は人気がありました。じつは、この本でも組織の外に味方を作れということをテクニックとして紹介しています。その点では親方の行動はこの本の考え方に沿っているように見えますが、じつはぜんぜん違います。

じつは、外の味方を作るのは、外の味方を通じて組織内部に味方を作るためです。親方は、内部に対抗する勢力としてマスコミを味方にしていました。やっていることが正反対です。

 

まとめると、貴乃花親方は、自分の力、人気を過信してたがために、味方がいなくても大丈夫と考え行動したが、結果、追い詰められ、とうとう相撲協会に居場所がなくなったのでしょう。

 貴乃花親方のように実力、人気どちらも抜群の人でさえ、組織と対立した末路はきびしいものです。ましてや、そんな実力、人気もないふつうの人は、組織とは対立せず、そして利用していくべきでしょう。半沢直樹はあくまでもフィクションです。