日々読書、時々一杯、折々投資

私の趣味をそのままタイトルにしました。 趣味のことでこれいいなあと思ったことを書いていきます。それが少しでもみなさまの参考になればさいわいです。

データを見て分かったような気がしてしまったときに読む本

「データの罠 世論はこうしてつくられる」田村秀、集英社新書0360B、2006年9月第一刷発行

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何かを相手に説明し理解してもらうとき、どれだけ分かり易い文章を並べるよりも、データを示すこと以上に効果的な方法は存在しない、ということがあります。それゆえ、データの使い方次第では、この本のタイトルにあるとおり、間違った方向に話がいってしまうことがあります。

例えば「読売新聞」の世論調査では、消費税率が上がったときに次のように質問した。

四月一日、消費税の税率が3%から5%に引き上げられました。高齢化が急速に進む中で、いま消費税の引き上げを行わないと、財政状態がさらに悪化して、次の世代の負担が重くなったり、福祉の財源が不足するなどの影響が出るといわれています。あなたは、今回の消費税の引き上げを、当然だと思いますが、やむを得ないと思いますか、それとも、納得できないと思いますか。(読売新聞、1997年5月2日、傍線筆者)

・・・この世論調査の場合・・・傍線の部分は、明らかに税率アップを容認する回答へ誘導するために加えたとしか考えられない・・・誘導するのがいけないのは選択肢も同様である。選択肢の中に「やむを得ない」という曖昧な表現のものが含まれているが、これでは賛成か反対かはっきりしない・・・他を「当然だ」「納得できない」と強い調子の選択肢にすれば、「やむを得ない」に答えが集まってしまうのも当然だ。実際、この調査結果では、

〇当然だ 5.4% 〇やむを得ない 50.7% 〇納得できない 42.6% 〇答えない 1.2%

となり、「読売新聞」の一面には「消費税上げ56%が容認」の見出しが踊っていた・・・このような結果に誘導したのは紛れもなく、「読売新聞」そのものである(15~18ページ)

 少し古い例ですが、いまでもこのような調査結果はありそうです。

ある比率の精度をプラスマイナス5%の誤差で推定する場合、母集団が大きくても400弱(正確には384程度)のサンプルを無作為抽出すれば十分だといわれている。例えば400人の日本人成人を無作為抽出で選んで、憲法改正に賛成ですかと質問して、45%(180人)が賛成と答えた場合、実際の母集団(日本人成人)の賛成が50%超または40%未満となる確率はわずか5%以下である。また、精度を5倍に、つまり精度を1%近くまで高めるためには、サンプル数はだいたい5の二乗の25倍必要となる(22~23ページ)

世論調査をはじめとするアンケートの有効回答率については、60%以上必要であるという指摘もある・・・未回答者が過半数となれば、なぜそれだけ多くの人が回答を拒否したのか、アンケートの手法に問題はなかったか、あるいはアンケート項目のなかに拒否感をもたせるような内容はなかったのかなど再検討する必要がある(24ページ)

 よく一部の人しか調査対象になっていないからそのアンケート結果は疑問、つまり、全体の声を反映しているとは言えない、という批判がありますが、科学的には意味のない批判であるということがよく分かります。勉強になります。

調査結果によって回答結果に違いが生じうる点について・・・「同時期に同じ質問をしたにもかかわらず違いが生じているのは、調査手法の違いによる影響が大きいと考えられる。一般に、調査員の前で回答しなければならない面接法では、個人にかかわる質問などでは率直に回答しにくい傾向があり、郵送法では、対象者が直接調査票に記入するため、率直に回答しやすいという特性がある」と的確に指摘されている(36~37ページ)

これも勉強になります。調査員の目の前で回答しない郵送法(電話、インターネットによるのも含むと思いますが)だと、適当な答えをしてしまうからむしろ面接法が優れていると思いがちですが、誤りであることが分かります。

ランキング結果を比較すると、北陸を中心とした中部地方の各県の順位が高いものと、東京都など大都市部の都府県の順位が高いものの二つに大きく分けられる・・・横浜銀行系のシンクタンクである浜銀総合研究所の「都道府県別くらしやすさ指標」では、「駅まで1km未満の住宅割合」や「男子大卒初任給」を採用し、面積当たり(あるいは可住地面積当たり)で処理するデータがほかのランキングより多いなど、大都市部、人口密集地域で値が高くなる傾向のデータを数多く採用している。その一方で、北陸地方の県が上位に並ぶランキングでは、持ち家率や住宅の広さ、貯蓄額、通勤時間など生活のゆとりを現すデータを数多く用いている(86~87ページ)

この種の都道府県ランキングは、マスコミでもよく取り上げられ、よく話題になりますが、田村氏の分析にかかると、あまりまじめに受け止めても意味がないような気がします。極論すれば、47種類のランキングを実施して、47都道府県みんな1位という結果も出せるような気がします。

国別競争力は、技術力、公的制度、マクロ経済環境の三つの分野から構成される。通常のランキングであれば、これら三つの分野に関して単純平均するのであれ、加重平均するのであれ、国ごとで手法を変えることはない。しかしながら、この国別競争力では、アメリカでの人口当たりの特許取得数を指標に、技術力のある国とない国に分け、双方で異なった重み付けを行なっている。ダブルスタンダード(二重の基準)を採用してしまっているのである。技術力のない国ではすべての分野を平等に扱い、技術力のある国では技術力の重みを他の二倍としている点で異なっている(98ページ)

国別信頼度を統計データに含めれば、質問と統計データはほぼ半々の重み付けとなる・・・国別競争力の結果は、経済界へのアンケート結果に大きく左右されることになる(100ページ)

田村氏はここで、ダボス会議を主催する世界経済フォーラムが実施する「世界競争力報告」の手法を分析しています。このような緻密な分析結果を聞いてしまうと、急に胡散臭いものに見えてしまいます。なにか、意図的なものも感じてしまいます。

受験者数に関しては、毎年トップは日本で、多い年には十万人を超えることもあった。近年は韓国に抜かれるようになったが、それでも二番目である。アジアに限ると・・・一万人を超える受験者の国がある一方で、二十人に満たない国もある(2004~05年)・・・高額な受験料を支払ってまでTOEFLを受験するのは、ラオスのような途上国では留学の必要に迫られた政府職員などごく一部に限られてしまう。当然のことながら、少ないチャンスをものにするために、受験に際して死に物狂いで勉強していることは想像に難くない。その一方で、日本では学校によっては、すべての学生に強制的に受験させるところもあるように、さまざまな層が受験している。留学を気軽に考えている受験者も少なからず含まれているだろう。このような受験者層の差や受験者総数(国民に占める割合)を考慮すれば、日本人の英語能力はアジア最下位クラスと断定してしまうのはあまりにも自虐的だ・・・日本に関しては平均的な国民の英語力を示していると仮にいえたとしても、比較の対象としているアジア諸国の受験者の多くは、エリート層にほぼ限定されていて、比べること自体に無理がある(123~125ページ)

日本人の英語力の弱さを指摘する根拠の一つとして、TOEFLの結果に関する国際比較が使われますが、田村氏は、この国際比較を根拠に日本人の英語力が低いとする主張に疑問を呈しています。私自身も、いままでこの主張に何の違和感も持っていませんでしたが、田村氏の分析内容はとても説得力があります。

公共事業の多くは、用地を取得することが必須となる・・・国の公共事業費に占める用地費の比率は、九九年度当初予算では15%だった。その後の地価の下落傾向を考慮すれば、現時点ではもう少し低くなっているだろうが、これはあくまでも全国平均の姿である・・・東京都心の都市計画道路のなかには、総事業費に占める用地費の割合が九割を超えるものもざらにある(175ページ)

関東自動車道の場合は、建設費に占める用地費の割合は93%、これに対して大分の場合は18%にすぎない・・・それこそ土地の公有化や強制的な用地収用でもしない限りは、地価の高い大都市部で公共事業を効果的、効率的には実施できないのである。公共投資は、民間部門の需要を創出する効用はあるものの、東京などでは公共事業の量を増やしても大部分は用地代に消え、結果として土地成金を増やすことになっている側面も無視してはいけないのである(177ページ)

 知らなかったことばかりで、ただただ唸るしかありません。なぜ都市部の道路建設がぜんぜん進まないのか、その理由にもなってます。

イギリスの一戸建てはわずか21%であるのに対して、日本は実にその約三倍の59%となっている。また、ロンドンに限ると一戸建てはわずか5%しかなく(二〇軒に一軒)、住宅のほとんどが集合住宅である。一方、東京二三区では26%と、四軒に一軒は一戸建てである。一戸建て以外の大半を占める共同住宅でも、約三割は二階建てか平屋である(186ページ)

ヨーロッパの街が広々とした感じにみえるのは、人口密度が東京よりも低いということもあるが、それ以上に住宅がコンパクトに集合化しており、これによって道路や歩道、公園といった都市に欠かせないオープンスペースが十分確保できているからである・・・我が国では、地方だけでなく都市部でも一戸建て志向が根強く、また、行政の規制も少なかったために、いわば間延びした町並みが形成されてしまったわけである・・・欧米の街の豊かさは、個々人の住生活に一定の縛りをかけて、住宅の集合化、共有化によって醸成されている部分が大きい。日本の場合、建築自由の代償として公園などの公共空間は貧弱となっている・・・都市部では原則五階以上の建物しか認めない、といったようなことでもしない限り、住環境の抜本的な改善は望めないのである(187~188ページ)

データの話自体ではありませんが、なるほどなあと思います。23区内、あるいは、山手線の内側だけでもいいので、田村氏の提言する規制を実行すれば、大幅な改善が期待できるような気がします。