日々読書、時々一杯、折々投資

私の趣味をそのままタイトルにしました。 趣味のことでこれいいなあと思ったことを書いていきます。それが少しでもみなさまの参考になればさいわいです。

海外でのクールジャパン人気を一過性に終わらせないためのノウハウが学べる本

エルメス戸矢理衣奈新潮新書051、2004年1月発行

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タイトルから予想されるとおり、この本では、とうぜんながら、エルメスのすごさ、素晴らしさを紹介する内容が大部分を占めています。外国が素晴らしいと称賛する主張は、なんかうさん臭さを感じて、あまり好きではないのですが、それを割り引いても確かにすごい、と感じるところはありました。

まず驚くのは、いまでこそ圧倒的なブランド力のあるエルメスですが、歴史をみると、時代の変遷に翻弄され苦境に立たされた時期もあるものの、そこから脱却してこそ今があります。

自動車の時代に、エルメスがあくまでも馬具製造に固執することでその伝統を守ろうとしたのなら、現在の発展を見ることはなかっただろうし、あるいはすでに人々の記憶から消え去っていたかもしれない(27ページ)

フランスの顧客層に対しては、自動車の時代の「動き」に適応するよう、商品の多角化をすすめていった。1890年代にはエルメス最初の鞄「サック・オータクロア」など、旧来の馬具工房からは想像もつかない商品がつくられはじめた・・・一点一点、手間も時間も贅沢にかけるものづくりは、大衆消費社会そして自動車産業に代表される、工場大量生産の時代のそれとは対照的なものだった。原点との統一性の意識は伝統をつくりだし、存亡の危機のなかでエルメスが一工房から「ブランド」として飛躍していく起動力になった。しかも、馬具職人たちが生活苦から救われるとともに、結果的に馬具製造の技術が守られたのである・・・エミールの主張は関係者の間でスムーズに受け入れられたわけではない。共同経営者だった兄のアドルフは・・・あくまでも馬具という「物」の製造にこだわり、「技術」を重んじる弟と対立し、第1次大戦後に事業から身をひいてしまう。しかし、アドルフの判断の方が一般的なもので、エミールの柔軟な対応は特筆されるべきだろう(29~31ページ)

 いまのエルメスからは想像もできない受難の時代があったということに意外性を感じるとともに、それを克服した知恵の合理性を感じます。合理性は、後から振り返れば容易に分かるもので、いまの人からすれば、エルメスが成功している事実を知っているので、アドルフは分かっていない、エミールはすばらしいという評価しかありえませんが、この本は、そういった後付けの評価をせず、あくまでも、その渦中にいたときの目線で述べており、戸矢氏の公平なスタンスが感じられます。

デュマは次のように語っている。「エルメスは、百六十年にわたって時代の先端であるよう努めてきたが、六カ月ごとに変わるようなファッションの中に、実を置くことはしていない」(「日経流通新聞」1999年1月21日)

この本は2004年に出版されていますので、単純に考えると、5年前の記事から引用していることになります。この記事に行きつくまでの戸矢氏作業量を想像すると、事件を追っかける新聞記者のような執念を感じます(良い意味で)。

デュマ氏の発言もさすがですね。でも、目の前のファッションが6か月程度のものなのかそうでないのか、渦中に身を置くとなかなか判断に迷うのが普通ですが、デュマ氏がここまで言い切るのは、相当な経験と自信に裏打ちされていると思います。

広告率も他のプレミアム・ブランドに対して圧倒的に低い。1998年の日本の主要女性誌を対象とした調査ではシャネルの1割に留まっている(「BRUTUS」前掲)。広報活動のなかでも、メセナ、年間テーマ、そして広報誌の存在は特筆すべきものだ(104ページ)

エルメスの世界」は毎年発行され(1992年からは年2回)、1冊は約150ページ前後からなる。一般の企業の広報誌や商品カタログとはまったく異なるもので、しいて喩えるなら航空会社の機内誌を洗練させたような感じだ・・・学問や絵画、写真など様々な分野の古典の大家や現代の新進作家の作品が連なり、その合間に製品のポートレイトが、芸術性ゆたかに顔を覗かせる・・・これはすぐに「旬」が移り変わるモデルに依拠し、似たり寄ったりの広告をつくっている他のブランドとは対照的だ。よく見れば随分無理のある、滑稽なポーズをとって、睨むような表情で消費者を誘っている他のブランドのモデルたちの、なんだか皮相で悲壮な「セクシー」に辟易する向きも少なくないだろう。淡々とわが道をいく「エルメスの世界」は、ブランド世界の避難所のような落ち着きを見せているのだ(113~114ページ)

こんな感じで言われたら、「エルメスの世界」一度は読んでみようという気になります。おそらくエルメスの店舗に行く必要があるのですが、それにちょっと勇気がいりますけれど・・・。それにしても、他のブランドとの比較をするときの戸矢氏の筆は冴え渡っています。なかなか言語化の難しいことをここまで明確に指摘されたら、他のブランドの関係者は、一言もないでしょう。

 

最大の功績は1960年代以降、他のブランドがライセンスを濫発していた時期に、一切ライセンス生産を行わなかったことだ。この方針を貫いたのは、エルメスのほかにはシャネル、ルイ・ヴィトンなど、ブランドの原点を意識したごく少数のプレミアム・ブランドに限られる・・・なかでも日本は「出せば売れる」という「ライセンス天国」であったから、何にでもブランド名が踊っていたことをご記憶の方も多いだろう。イヴ・サンローランの炬燵布団など、今から見るとびっくりするような商品も多い。現在では、ライセンスを濫発したブランドは、堕ちてしまったイメージの回復に躍起となっている(41~42ページ)

この記述のおもしろさのひとつは、日本がライセンス天国であるという指摘です。そう言われてもいまいちピンときませんが、炬燵布団の例はとても分かりやすい。ブランドイメージに乗っかった便乗商品のことを言っていると思われます。消費者がついついそういう商品に手を出してしまうことは、個人的にとても実感しています。それゆえ、ライセンスの魅力にブランドが抵抗するのは至難の業であることも理解でき、それを排除したエルメスの判断は称賛に値します。とはいえ良いことだけでなく、その代償として、「古臭い」というマイナスのイメージも背負うことになります(42ページ)。

 

さいきん、クールジャパンということで、日本の文化が海外で人気となっていますが、そんなときを見越したかのような指摘もあります。

単なる「外国人受け」を狙った作品だと失敗するということはすでに19世紀におけるジャポニズムが、もっぱら日本側が粗製濫造に陥ったことから衰退したことからも明らかである。かつでデュマは次のように語っている。「日本では伝統は単に過去の承継となっている。一方、われわれは伝統に新しい要素を常に取り込み、揺さぶり続けてきた。そこが違う。京都にはエルメスに力を与えてくれるエネルギーの源があるが、日本はそれを生かしきれていない。われわれはどの国をイメージする時も、消化吸収してエルメスの世界に溶け込ませ伝統と新しさを溶け合わせてきた」(「朝日新聞」1991年11月16日)(98ページ)

鋭い指摘だと思います。この記述の意図するところとは違うのかもしれませんが、日本は謙遜を美徳とする(というかそうしておけば揉めないので安全、という単なるリスク回避術と思いますが)考えの下、自分の欠点を分析することには力を入れても、自分の利点を分析し認識することが疎かにされており、それが、この記述が指摘するような「粗製濫造」をもたらし、また、デュマ氏が指摘するような、単なる過去の繰り返しに陥っている原因かなあと感じました。

 

この本は、基本的にエルメスの素晴らしさを紹介しているのですが、一方で問題点も指摘しています。

スカーフのデザイン同様、やや高踏的な雰囲気と顧客に対する媚の無ささえも、いまやエルメスの魅力を高めるひとつのスタイルとなっている。とはいえ、「一見」で日本の直営店を訪れた場合少なからず見られる、店員のとってつけたような高踏的な対応は一般にとても評判が悪い。近年の絶対的な販売量、店員数拡大に伴なう弊害でもあるだろうが、デュマの語る「エスプリ」とのぶれを大きく感じるところで、上滑り感は免れない(125~126ページ)

エルメスに限らず何事についても、マイナスがひとつもないということは到底あり得ないと思いますが、この本のスタンスからするとそういう点を触れない(否定はせず単に述べない)ということもあり得ますし、それ自体は何ら非難されることではないにもかかわらず、マイナスも指摘しており、さらに、その辛辣な批判振りは、戸矢氏の公平なスタンスが感じさせます。

 

この本がどこまで真相に迫れているのか、私自身、もちろん分かりませんし、誰が分析したとしても、このような歴史と伝統のあるブランドの秘密を簡単に分析し尽くせるとも思えません。なので、この本の分析には、いろいろと異論があるのはある意味当然だと思います。しかし、先ほど少し触れたことに関連はしますが、ここまでエルメスの分析できたのは、戸矢氏の能力がいかんなく発揮されたものと思います。

筆者も、エルメス・ジャポンおよびフランスの本社に取材を依頼したが、受け付けてもらえなかった・・・そこで、本書では外部で入手することが可能な資料を出来る限り収集した。エルメスが他の企業に抜きん出て充実させている、顧客向けの広報誌やカタログ類をはじめとした過去約20年にわたる配布物など、希少な資料を参照している。過去にエルメス関係者と直接関わりを持った方々や、エルメスが強調する職人文化の共通性という面から、京都で伝統工芸に携わる職人の方々にもお話を伺うなどして、多角的にエルメスの活動を描くようにした(14~15ページ)

公表資料と周辺のインタビューで1冊の本をまとめてしまうというのは、ふつうは思いつかないのではないでしょうか。それも、取材力と分析力があればそれも可能といえ、戸矢氏はそれをこの本で実証していると思います。以前、アメリカ政府が対日交渉をする際には、日本政府が発行する白書など公表資料を主な情報源として交渉戦略を構築しているということを聞いたことがありますが、戸矢氏の手法はこれに通じるところがあると思います。この本の目的ではないと思いますが、戸矢氏の取材能力・執筆能力の凄さがとてもよく伝わってきました。