日々読書、時々一杯、折々投資

私の趣味をそのままタイトルにしました。 趣味のことでこれいいなあと思ったことを書いていきます。それが少しでもみなさまの参考になればさいわいです。

これからの安倍政権の政策が気になる方におすすめの本

「新しい国へ 美しい国へ 完全版」安倍晋三、文春新書、2013年1月第1刷発行

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現総理の安倍氏の本です。2006年に「美しい国へ」という本を書いていますが、この本は、2007年に総理を辞職した後に再度総理になり、「美しく国へ」を改訂して再刊したものです。改訂とはいえ、「美しい国へ」の内容には一切手を加えず、具体的政策を追加しています。2017年の総選挙で安倍政権が勝利していますが、あらためて安倍総理の政策が何なのか、勉強しようと思いました。

わたしは政治家を見るとき、こんな見方をしている。それは「闘う政治家」と「闘わない政治家」である。「闘う政治家」とは、ここ一番、国家のため、国民のためとあれば、批判を恐れず行動する政治家のことである。「闘わない政治家」とは、「あなたのいうことは正しい」と同調はするものの、けっして批判の矢面に立とうとしない政治家だ(7~8ページ)

政治家としての原点ということでしょう。

国家が他国の国民を拉致することなどありうるのか、最初わたしは半信半疑だったが、調べていくうちに、北朝鮮の犯罪と信じざるをえなくなった(中略)衆議院議員として、拉致問題の解決に向けてできるだけのことをしようと決意した。しかし、自民党の中でも拉致に関心のある議員は少なく、わたしの思いは空回りするばかりだった(4ページ)

いまでこそ多くの政治家が拉致問題に言及しますが、最初はこのような状況だったんですね。よく考えてみると、今もあまり変わっていないのかもしれません。言及はしても何もしない政治家も多いような気がします。

企業の駐在員をはじめ、海外で活動している日本人はたくさんいる。犯罪者やテロリストにたいして、「日本人に手をかけると日本国家が黙っていない」という姿勢を国家が見せることが、海外における日本人の経済活動を守ることにつながるのである。アメリカは、朝鮮戦争で五万人余りの戦死者を出したが、半世紀以上たった今日でも、当時の遺骨を最後の一柱まで収集するという姿勢を貫いている(56~57ページ)

拉致問題は、単に北朝鮮との間の問題ではないということですね。

森嶋氏は、核兵器の時代に通常兵器で武装しても無意味で、どうせ降参するなら武装はゼロでよい、としたうえで、「不幸にして最悪の事態が起れば、白旗と赤旗をもって、平静にソ連軍を迎えるより他ない。三十四年前に米軍を迎えたようにである。そしてソ連支配下でも、私たちさえしっかりしていれば、日本に適合した社会主義経済を建設することは可能である。アメリカに従属した戦後が、あの時徹底抗戦していたよりずっと幸福であったように、ソ連に従属した新生活も、また核戦争をするよりもずっとよいにきまっている」と述べた(65~66ページ)

1970年代の発言です。時代が違うので、森嶋氏の認識がどうこうということは言いませんが、現代ではあり得ない発言でしょう。アメリカの支配下で日本はたしかに復活しましたが、それは、様々な偶然が重なったおかげであり、極めて例外的なケースであり、通常あのようにうまくいくことはなく、ソ連支配下に仮に入っていたら、同じような結果になるとは考えづらいです。

たとえば、拉致された日本人を取り戻すために、わたしたちが北朝鮮にたいして強い態度に出ると、「それは偏狭なナショナリズムだ」とかれらは批判する(中略)かれらがナショナリズムを「偏狭な」と形容するのは、拉致事件をきっかけに日本人が覚醒してしまい、日本のナショナリズムを攻撃してきた旧来の論理が、支持を得られなくなってしまったからではないか。日本人が日本の国旗、日の丸を掲げるのは、けっして偏狭なナショナリズムなどではない。偏狭な、あるいは排他的なナショナリズムという言葉は、他国の国旗を焼くような行為にこそあてはまるのではないだろうか(103ページ)

とても鋭くかつ明快な主張ですね。

故・坂本多加雄学習院大教授によれば、聖武天皇の大仏建立の詔には、「天下の富も権勢もすべて自分(聖武天皇)が所有している。それを用いれば大仏造営はたやすいことである。しかし、そのようにして大仏を建立しても何の意味があろうか。人々がまことの信仰心から、一枝の草でも一握りの土でも持ち寄って大仏の造営に力を注ぐことが貴いのである」と書かれていたという(108ページ)

詔の前半は知っていましたが、後半は知りませんでした。あわせて読むと、全然意味が違うことに愕然とします。

戦後日本は、軍事費をできるだけ少なく抑え、ほかの投資にふりむけてきたからこそ、今日の発展がある、というのがほぼ定説となっている。たしかに戦争で破壊されたインフラ整備に国家資源を集中することはできた。しかしいっぽう、戦後、相当の軍事費を費やして重武装した旧西ドイツも、日本同様経済発展をとげているのである(130ページ)

先ほどの詔もそうですが、これまで自分が知っている、分かっていると思っていたことが、必ずしもそうではないということを痛感します。

当時の社会党共産党をはじめ多くのマスコミは、このPKO法を、憲法違反であり、侵略戦争への道を開くものだと非難した。あれから十四年たったいま、PKOへの参加は、都合九回(二〇〇五年十一月現在)におよぶが、はたして日本は侵略戦争への道をたどっているだろうか。自衛隊が独自に戦線を拡大していくようなことをしただろうか(142~143ページ)

このように振り返って検証してみると、社会党共産党、マスコミに限らず、誤った発言が多いかということがよくわかります。確信的に間違えたのではなく、当時の状況からして間違ったのはやむなし、ということも一般的にはあり得ますが、そうであればなおさら、自分も含め発言が100%正しいと考えることは、軽々しくはできないなあと感じます。

アメリカ議会の公聴会で、ただ一人、天安門事件を予測したある専門家が、わたしにこう語ったことがある。「中国を冷徹に、かつ客観的に判断することはなかなかむずかしい。とくに中国専門家にとってはなおさらだ。なぜなら、中国は悠久の歴史と文化をもつ、きわめてチャーミングな国だからだ。エドガー・スノーばかりではない。多くの専門家は、恋におちる」(157~158ページ)

なるほど。中国専門家の発言は多少、割り引いて聞く必要がありそうです。この話、中国を日本に置き換えることもできるような気がします。

政治家という職業柄、わたしは全国を遊説して回るが、若い人たちと座談の機会を持つとき、たしかにそうした彼らの政治に対するクールでニヒルな態度が気になることがある。でもわたしは、それは若者特有の表現の仕方であり、特性の一つではないかと思う。なぜなら、よくよく話すと、彼らは人のために何か役に立てればいいなと考えているし、必要とされている自分を確認したいとも思っている。また、声こそ大きくないが、間違いなく世の中を良くしたいと願っているし、政治に参加したいと希望しているのがひしひしと伝わってくるからだ(232ページ)

安倍政権が、若い人の間での支持が高い理由がわかるような気がします。

例えば日本の平均関税率は3.3パーセントですが、対してアメリカは3.9パーセント、EUは4.4パーセント、韓国は8.9パーセントです。農産物はアメリカの5.5パーセントと比べると、11.7パーセントと高くなりますが、これもEUの19.5パーセントよりは低い。韓国に至っては、62.2パーセントです。この数字を見る限り、日本は十分開国しているのに、菅直人総理(当時)は「開国しないといけない」と言ったものだから、「じゃあ、開国しろ」と相手に強い立場に立たされてしまった。交渉術としては、あまりに稚拙です(244ページ)

鳩山総理は会談の冒頭でいきなり「今まで日本はややもすると米国に依存し過ぎていた。日米同盟は重要だが、アジアの一国としてアジアをもっと重視する政策を作り上げていきたい」と口走ったのです。この発言を聞いた、ある知日派国防総省高官は、私にこう述べました。「ハトヤマは日米関係の本質をわかっていない。日米関係と日中関係がまるで同じ重さであるかのように語っているが、日米関係は同盟関係、すなわちアメリカの若い兵士が、日本が侵略された際には日本のために命を懸けて戦うということをまったく理解していない。中国はこの発言を聞いて、飛び上がって喜び、同時のその浅はかさを軽蔑したことだろう。民主党が政権の座にあるうちに日本から奪えるものはすべて奪ってやろう、と考えたはずだ」不幸にして、この高官の予言は、まさに的中しました(中略)中国側は一度に七隻もの船を接続水域内に送り込むなどして、この実効支配を奪うチャンスをうかがって、明確にチャレンジしてきている(247~248ページ)

 TPPや尖閣問題に対する具体的な政策の内容はともかく、日本の政治家の発言が海外でどのように受け止められ、かつ利用されるか(日本にとって不利なように)という例です。菅総理や鳩山総理の発言は、国内から見ると、特に珍しいことは言っておらず、それほど問題視するような内容ではないように見えます。おそらく、両総理とも、諸外国が受け止めたような意図では発言しておらず、また、そのつもりもなかったと(おそらく)思われます。それゆえに、話はとても深刻です。