日々読書、時々一杯、折々投資

私の趣味をそのままタイトルにしました。 趣味のことでこれいいなあと思ったことを書いていきます。それが少しでもみなさまの参考になればさいわいです。

すべての会社員、いやすべての社会人が知り、そして習得すべき応酬話法

禁断の説得術 応酬話法ー「ノー」と言わせないテクニック(著者:村西とおる)、祥伝社新書、2018年3月初版第1刷発行、同年4月第2刷発行、

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著者の村西氏といえば、AVの帝王として有名です。こう聞くと、村西氏はずーっとAVの仕事をしてきたかのような印象がありますが、そうではなないんですね。学校を卒業後、さいしょは水商売をし、結婚を契機に転職した仕事が、英語の百科辞典のセールスです。 この本のテーマである応酬話法は、そのセールスマン時代に村西氏が掴んだ手法です。

 

〇 応酬話法とは

 

お客さまから投げかけられる疑問・質問・反論の答える ためのセールストークのことです。実は、お客さまの反応には一定の型があり、その型ごとに答えを用意するのです。誤解されやすいのですが、けっしてお客様を論破するものではありません。むしろ、お客様に自然に納得していただく、「ノー」と言わせない説得術です

 

「ノー」と言わせない説得術とは、なんとも魅力的です。わたしたちは、相手が自分の思い通りにならないからこそ、人間関係において苦労します。ましてや、営業のように、モノを売りお金をもらうとなれば、なおさら思い通りにならないのが普通です。村西氏はこの応酬話法により百科辞典をセールスした結果、多いときは、月40万円(現在の価値にすると200万円)以上の収入があったそうです。

 

〇 モノ消費からコト消費へ

 

村西氏は高卒。英語が得意なわけでもない。なのに、なぜ、村西氏は英語の百科事典をお客さんに買ってもらうことができたのか?

 

お客さまは、そうした英語を学ぶノウハウは学生時代に食傷していました。今さら、学習テクニックを熱く語っても興味を示すことはなかったのです(中略)私は、お客さまが英語の実力を身につけることで、いかに明るい未来を築けるかの説明に徹しました。英語で啖呵を切ることの実力を身につけることで、どれだけ企業戦士としての将来が有望になるか、を語ったのです

 

日本大百科事典(ニッポニカ)によると、コト消費とは、

 

ある商品やサービスを購入することで得られる、使用価値を重視した消費行動。コト消費ということばは、消費者の価値観やお金の使い方が、従来のモノ消費から大きく変化したことを印象づける意味で、2000年(平成12)ごろから使われるようになった。典型的な傾向は、所有のためではなく、趣味や行楽、演芸の鑑賞などで得られる特別な時間や体験、サービスや人間関係に重きを置いて支出することで、それが購買の判断基準となっている 

 

だそうです。村西氏のセールス、まさにコト消費のセールス手法です。そして、驚きのなのが、コト消費という言葉は2000年から使われるようになりましたが、村西氏が英語辞典のセールスをしていたのは、1970年代です。30年も先を行っていたことになります。

 

〇 笑顔は社会人の最低限の要件

 

応酬話法という言葉のイメージ、あるいは、お客さんの質問・疑問・反論にどう答えるかというのが応酬話法であるとすると、どうも硬い印象がありますが、まったく違うようです。村西氏はこういいます。

 

営業マンに限らず、人前で笑顔を見せることのできない者は社会的失格者です。笑顔を見せることができないのは、自分のことばかりを考えている自己中心的な考え方の持ち主であることを白状しているようなものです。他人の前で無防備に笑う、ということは相手を無条件に信頼しています、裏切りません、という意思の表明なのですから

 

笑顔にここまでの高い意義を認めている人をわたしは知りません。

村西氏は百科辞典のセールス時代に培った応酬話法をもって、AVの仕事を始めた後、「この人が!」と世間が驚く女性をAVに出演させています。しかし、ここまで笑顔を大事にする村西監督であれば、さいきん問題となっているAV出演強要問題とは無縁であったと思います。

 

〇 すべての会社員、いやすべての社会人に必要な応酬話法

 

ひょっとして、「自分は営業の仕事はしていないし、AVの仕事をしていない。だから、応酬話法は自分には関係がなく役に立たない。」なんて思っている方いないでしょうか?

とんでもありません!応酬話法は会社員、社会人すべてが持つべき技術のひとつです。営業担当でないとしても、社内で上司を説得しないといけない、あるいは、家庭で妻をあるいは夫を説得しないといけない、ということは、かならず起こります。そんなとき、この応酬話法が役に立ちます。

なぜなら、応酬話法は、「お客様(相手)に自然に納得していただく、「ノー」と言わせない説得術」だからです。

 

自分ひとりでできることには限度があります。しかし。応酬話法により、周りの人が自分の考えに賛成してくれたり、あるいは、協力してくれたりするようになれば、その人の人生が幸せなものとなるのは間違いないでしょう。

じっさい村西氏は、AVの仕事で50億円の負債をかかえ事業に失敗しますが、その後、様々な仕事をすることで、借金を完済しています。このときにも、応酬話法が大いに役立ったのは間違いないでしょう。

世の中意外と知らないことばかりだし、知ってる方がトクすることもあるということが分かる本

「価格」を疑え なぜビールは値上がり続けるのか(著者:吉川尚宏)、中公新書クラレ、2018年5月発行、

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誰もがより豊かな生活をしたいと願っています。

 

では、豊かな生活とは何か?ひとつの考え方として、どれだけ自由に好きなものが買えるか、というのがあるとわたしは思います。そして、どれだけものが買えるか、それは、その人の持っているお金つまり収入と、ものの値段つまり価格のバランスで決まります。

 

この本は、豊かな生活を大きく左右する「価格」についての本です。経済学では価格について、市場における需要と供給のバランスによって決まると教えています。しかし、この本によると、日本の価格の中には、そうでないものがある、つまり「官製価格」です。

 

こんな仕組みがあるなんて知らなかった

 

バターの話しです。少し古い話しですが、2014年にバターの品不足が大きな問題となったそうです。「バター不足?そんなの自分の生活に関係ないなあ。」と思うかもしれません。わたしもさいしょそう思いました。バター不足で一番困るのはケーキ屋さん、つまり洋菓子業界だそうです。2014年のバター不足はクリスマスシーズンに起こったのでより問題となったようです。

 

ふつうなら、品不足になればバターの価格が上昇し、それにより生産量が増えたり、あるいは、輸入が増えたりして価格も落ち着くというのがふつうの市場ですが、バターはそうではないんですね。

 

なんと、バターの輸入は国が一元的に管理しているんです。昔のソ連のような社会主義経済ではあるまいしという感じです。これが、安全保障とか軍事機密みたいな話ならまあ分からんでもありませんが、言い方悪いですが、たかがバターのためになんで国がここまで関わる必要があるの?と思います。

 

もっと驚きなのは、そういう制度があることをいままでわたしが全く知らなかったことです。この本、勉強になります。

 

日本の鉄道は海外より30年以上遅れている

 

意外ですよね。むしろ逆では?日本の鉄道はほとんど遅れず時刻表どおり運行しているんだからとふつう思います。問題は、運賃です。

 

東京には、JR東日本、私鉄、東京メトロ都営地下鉄と4種類の鉄道会社があります。そして、中には同じようなところを走っているところもあります。しかし、A駅からB駅まで移動するとき、鉄道会社によって運賃が違うことがあります。また、鉄道会社間での相互乗り入れや乗り継ぎ制度も充実していますが、その場合でも、初乗り運賃は2回取られます。

 

ようは、日本の鉄道は、運賃が各鉄道会社ごとに決まっているということですね。「それって当たり前でしょ、何が問題なの?」と思った人、じつは30年遅れています。

 

なぜなら、海外では通算制があります。これは、同じ距離の利用であれば、鉄道会社が違っていても同じ運賃になる制度です。つまり、鉄道会社単位での運賃設定にはなっていないということです。

驚きなのが、ヨーロッパでは、1970年代前後から議論が行われ、導入が進められたという事実です。ヨーロッパだけではありません。韓国、シンガポールといったアジアの国でも導入されています。

 

日本の鉄道、遅れていると思いませんか?

 

当局が無能だから物価が下がらない

 

こんどは携帯の話しです。携帯料金が高いと言われることが多いですが、なぜ高いのか?安倍総理は以前携帯料金の水準を問題とする発言をし(2015年9月)、監督官庁総務省は料金引き下げの政策をやっています。でも、うまくいっていません。料金が下がったという実感はまったくありません。

 

この本では、監督官庁である総務省、さらに、監督官庁ではありませんが公正取引委員会がいかに失敗をしてきたか、そして、そのせいで、携帯料金を下げるチャンスが失われてしまったのか、を説明してくれています。当局の無能ぶりを堪能することができます(笑)。

 

ただ、わたしたちとしては、携帯料金は下がって欲しいですから、当局にはほんとうはがんばって欲しい。当局の無能さを笑っているだけでは、いちばん困るのはわたしたちです。ではなぜ当局は無能なのでしょうか?

 

政策を決定している役人がシロウトだから

 

「マーケットデザイン」という言葉、聞いたことありますか?わたしはこの本で初めて知りました。経済学の一種だそうです。

 

大阪大学大学院経済学研究科准教授の安田洋祐氏によると「経済学(特にゲーム理論)で得られた最新の知見をいかして、現実の経済制度の修正・設計を行う新しい研究分野」として注目されているのがマーケットデザインである

 

その分かりやすい例が、携帯分野における電波オークションです。日本では導入されていませんが、じつは世界では常識的政策のようです。最初に導入したのはアメリカで、以後各国の導入が続き、この本によると、日本以外のOECD加盟国はすべて電波オークションを導入しています。つまり、日本だけ未導入です。

 

なぜそんなことになるのか?日本の役人は経済学の知識・感覚が乏しく、マーケットデザインといった学門を使いこなす能力がないためということです。それゆえ、価格を下げようと政策を出しても的外れな政策になってしまう、ということでしょう。

 

この話、役人だけではありません。経済学の知識がないのはわたしたちも同じです。では、わたしたちは、ふだんの生活や仕事をする上で知らなくて良いのかというとそうではないと思います。

 

mogumogupakupaku1111.hatenablog.com

 

 

大人になっても勉強は大事だなあとつくづく痛感し、また、これまでのわたしの不勉強を思うと、冷や汗ばかりです(笑)。

これさえわかっていれば人生で失敗することはないという大事なことを教えてくれる本

逃げる力(著者:百田尚樹)、PHP新書、2018年3月第1版第1刷、5月第1版第3刷、

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「逃げる」というと、いぜんはとても良くないイメージの言葉でした。困難や難しいことにぶつかっても逃げずに立ち向かう人、それが、日本人にとっての尊敬できる人のひとつでした。

 

さすがにさいきんは少しずつ変わりつつあります。たとえば、学校でいじめにあってしまった子供に対して、「無理して学校にいかなっくてよい」と言われることが増えていると思います。これは、逃げることを勧めていることになります。

 

しかし、日本人は逃げるのが下手というのは、意外と根深いもので、そう簡単には変わらない行動原理であるようです。たとえば、自分の働いている会社がブラック企業なのでさっさと辞める(逃げる)ことができるか、と考えてみると、できる人もいると思いますが、できない人も多いでしょう。逃げられない人が多いから、ブラック企業が存在するし、社会問題になるわけです。

 

いや、そんなことはない、わたしはちゃんと逃げることができると思っている方、本当に逃げることができるのか、この本を読んでみるとそれがわかります。わたしは、読む前には自分は逃げる力があると思ってましたが、この本を読んでみて実はそうでもないということが分かりました。この本では、こんな人が逃げる力の弱い人とされています。

 

今はうまくいかなくてもそのうち何とかなると思う人

 

この人は、逃げる力の弱い人です。仕事、投資、事業、なんでも一緒です。もちろん、一時的に苦境になるのが始める前から予想していたのであれば話しは別ですが、思ったようにうまくいかないときにそのうち何とかなると思っている人は、キケンです。おおごとにならないうちに逃げるべきでしょう。

この本では、分かりやすい例が紹介されています。強い碁打ちは形勢不利なときはじっと我慢して損失を最小限にし勝負には出ないでチャンスをうかがう一方、弱い碁打ちは形成不利なときに一か八かの大勝負をしてたいてい負けてしまうそうです。また、大東亜戦争のとき日本は約300万人が亡くなりましたが、もし1944年、つまり実際よりも1年早く戦争を終わらしていたら、約200万人が亡くならずにすんだと言われているそうです。

この話し、単に「諦める」とは違います。単に「諦める」のは逃げっぱなし、ここで言う逃げは、次につなげる、次は勝利するために力を温存するための「逃げ」です。

 

自分は責任感が強いので仕事から逃げ出さないと思っている人

 

職場の人に迷惑をかけたくないので、無理してでも自分がかんばるって思っている人、あるいは、それが良いことと思っている人、逃げる力が弱い人です。周りのことを気にしている暇があったら、自分のことを気にしましょう。

この本によると、じつは、このタイプの人の本音は責任感ではなく、単に周りの人に「嫌われたくない」という感情がベースになっていると指摘します。そうだとすると、そういう気持を「責任感」という言葉でごまかしていることになります。ちょっと偽善的です。

 

ほかにもこの本では、いろんなことから「逃げる」ことの大切さを述べています。人の生死に関わるような場合を除けば、最終的に、何からその人が「逃げる」のか、それは人により異なるということになります。だから、会社から逃げないからダメという単純なものではありません。また、百田氏は、何でも逃げていいとまでは言っていません。では、何か逃げて何から逃げないのか、それを各人はどう考えればよいのか、というのが問題になります。

 

自分なりの幸せの絶対的基準を持つ

 

何が自分にとって大事なのか、何が大事ではないのか、ということの基準です。そういわれると「そんなすぱっと割り切れない。家庭も仕事もみんな大事なんだ。」という声が聞こえてきそうですが、その悩み方はちょっと違うと思います。

 

この質問に対して、いまであれば、「自分にとって大事なのは家族である」と答える人が多いたと思います。昔であれば「仕事」という答えが多かったのではないでしょうか。こうすると、昔の人は家族を大事にしていなかったと見えますが、そうではないと思います。「仕事」と答える昔の人は、家族が大事ということは分かっていて、家族を大事にするためには仕事(お金)が必要なので「仕事」と答えるのではないでしょうか。今の人も同じです。家族が大事だからといって、仕事をないがしろにするということはないと思います。家族がちゃんと生活できるだけのお金を手に入れるためには仕事も大事にしないといけません。

 

何か1つを選ぶという話ではないんです

 

この話、目的と手段という言い方もできると思います。つまり、絶対的に大事なもの(=目的)を明確にし、それを達成するためにどうすればよいか(=手段)という関係です。家族と仕事の場合、「自分は家族が大事なので、そのために家族が生活するために必要なお金を仕事で稼ぐ」ということです。

「なーんだ、けっきょくどっちも大事ということでしょ。そんなの当たり前だし、この質問の答えを考えても意味ないのでは?」と思うかもしれませんが、意味は大いにあります。何から逃げるべきかがはっきりします。

 

例えば、自分の働く会社がブラック企業なのに辞められない人は、この目的と手段が見えなくなっている状態です。会社の人に迷惑かけられないから無理してでも働くというのは、仕事の目的である家族の存在は消えてしまってます。もし家族が大事と分かっていれば、「この会社は辞めて他の会社を探す」というふうに判断できます。

 

何から逃げるべきか、これは、人生を左右する大問題です。

「哲学?そんなの生活になんの関係もない」と思っている人、この本を読んでから判断してほしい

ツチヤ教授の哲学講義ー哲学で何が分かるか?(著者:土屋賢二)、文藝春秋、2014年12月発行、

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学門にはいろんなものがあります。

「法学」、「経済学」、「心理学」、「物理学」、「教育学」・・・・・・。勉強したことのある人はもちろん、したことのない人であっても、これらの学門がどんな学門なのか、だいたいのイメージはわかります。言い換えると、何を研究対象としているのかは、分かります。「〇〇学」なんだから、「〇〇」について研究するのだろう、という感じです。

「哲学」の場合どうでしょう?「哲」を研究するといっても意味がつうじません。

 

この本は「哲学」とはどういう学門なのか、ということを取り上げています。しかし、哲学といえば、「時間とはなにか」、「存在とはなにか」、「人生とはなにか」というのがお題です。ただでさえ難しいのに、その上、「哲学とはなにか」なんていう問いは、難しすぎです。

 

でも、心配はいりません。この本は、著者の土屋氏が、大学の1、2年生向けに講義した内容を収録しています。とても親しみやすく話してくれていて、わたしが学生のころにこんな授業があったらきっと受けていただろうなあと思う授業です。

 

いかに人間は誤りやすい動物か

 

この本のユニークなところは、偉大な哲学者の主張であっても、それは誤りだと思うとばっさり斬ってしまっているところです。たとえば、デカルトの有名な言葉「われ思う、ゆえにわれあり」。哲学を勉強したことのない人でも知っていると思います。私も知っています。
この言葉は、すべての存在は確かとは言えない、でも、疑っている自分がいまいる、それゆえ、自分の存在だけは確かであるという意味です。しかし、土屋氏はこういいます。

 

彼が見出した根本的な真理とは、結局は「言語の規則はこうなっている」という主張にほかならないようにぼくには思えるんです。デカルトは、世界の真理を探り当てたわけじゃない、と

 

「言語の規則」がなにかはこの本を読んでいただくとして、「何かすごいことを発見したと思われてるけどじつは大したことないんだよね」というのが土屋氏の評価であり、とてもユニークです。

 

哲学とは形而上学である

 

形而上学」という言葉、聴きなれない言葉です。そもそもこれなんて読むのかというとこから始まります。「けいじじょうがく」と読みます。わたしはこの本を読んで初めて正確な読み方を知りました。
でも、だいぶ哲学らしい感じになってきなあという感じがします。土屋氏の説明はこうです。

 

世界は、手で触ったり、目で見たり、感覚で捉えることのできるものから成り立っていると思えますよね。でも、そういうものや観察できる事実をさらに超えたものが存在すると考えられることがあります。それを「形而上学的なもの」と呼んでいます

 

この形而上学的真理を解明するのが哲学である、と言われれば、そうだなあと思ってしまいます。しかし、この本はそれでは話は終わりません。そこが、この本の面白いところでもあり、哲学の本としてはユニークなところでもあります。

 

哲学は原因を説明することはできない

 

形而上学はどこに行ったの?」と思ってしまいますが、土屋氏の立場はこれのようです。哲学者がこんなこと言っていいの?という疑問を感じてしまいますが、正直と言えば正直です。
これを聞くと、じゃあ哲学なんて学門は不要ではないか?と思ってしまいます。しかし、そうでもないところがまた面白い。土屋氏の説明はこうです。

 

哲学はものを知るというか、理解する営みです。われわれはいろんなことを知らないし、さまざまな誤解にすぐに陥ってしまうんですけれど、それに逆らってものを知ろうとするのが人間です(中略)何も知らないまま、誤解したまま、一生を終わりたくない、と思っているし、多くの人もそう考えるんじゃないかと思います。そういう気持に応えるのが哲学だと思います

 

わたしはこの部分をよんだとき、ちょっと感動してしまいました。知りたいことを知る、というのは、人間の基本的な欲求の一つだと思うからです。もちろん、知らないからといって死ぬことはぜったいにありませんが、でも、なんにも知らないまま死んでしまうのも、もったいない。

 

まるで神棚にあるかのような哲学が、このときから、自分の隣に降りてきてくれたような感じです。

 

 

はしかの予防接種を受けてみた。意外と高かったけど、受けて良かった。

「はしか」

 

感染力は最強といわれています。はしかになっている人と同じ室内にいるだけで感染は避けられないといわれています。

最初は沖縄で患者が発生し、その後、愛知、福岡、東京と全国に飛び火しています。

 

いぜんはしかになったことがある人、あるいは、2回の予防接種をちゃんと受けている人は問題ないのですが、そうでない人もけっこういます。

なぜなら、昔は、学校での2回の予防接種が実施されていなかったためです。厚生労働省HPにはこのように書かれています。

 

Q.7 ワクチン接種を受けた方が良いのはどのような人ですか?
A.7 定期接種の対象年齢の方々(1歳児、小学校入学前1年間の幼児)は、積極的勧奨の対象ですが、定期接種の時期にない方で、「麻しんにかかったことがなく、ワクチンを1回も受けたことのない方」は、かかりつけの医師にご相談ください。
 平成2年4月2日以降に生まれた方は、定期接種として2回の麻しん含有ワクチンを受けることになりますが、それ以前に生まれた方は、1回のワクチン接種のみの場合が多いと思います。また特に医療従事者や学校関係者・保育福祉関係者など、麻しんにかかるリスクが高い方や麻しんにかかることで周りへの影響が大きい場合、流行国に渡航するような場合は、2回目の予防接種についてかかりつけの医師にご相談ください。

 

このほか、あまり例はないと思いますが、予防接種もなし、はしかになったこともないという人です。じつは、わたしはこのパターンなのです。

 

ちょっとおそろしくなってきたので、この前、はしかの予防接種を打ってきました。そのときの体験をもとに、みなさんがはしかの予防接種について気になることをQ&Aにしました。

 

Q1 どの病院で打ってもらえるのか?

 

わたしはいつもお世話になっている近所の内科で打ってもらいました。ふつうのどこにでもある(失礼な表現で申し訳ありません)個人経営の町の病院で、大病院とかではありません。

 

Q2 すぐに打ってもらえるのか?

 

わたしの場合は、さいしょに病院に電話して「はしかの予防接種をしてもらえるか?」と聞いたところ、先生が薬屋(病院に医薬品を卸売りしてくれる業者)に電話してくれて、「1本なら手に入るから明日にでも来てください」と言われ、翌日には打ってもらえました。

先生によると、はしかが流行しているため、予防接種の注射はやや不足気味だそうですので、いつでも翌日注射してもらえるかはケースバイケースでしょう。ただ、はしかの予防接種の注射をいつも準備している病院は少ないと思いますので、事前に電話した方が確実でしょう。

当日は、さいしょに簡単な問診表に記載をしました。体温とか、他に薬を服用しているか、といったよくある質問ばかりの普通の問診表に記入をし、記入が終わるとすぐに注射してくれました。5分もかかりません。すぐに終わります。

 

Q3 予防接種のあとはどうなるのか?

 

予防接種ははしかの抗体を体内に入れることになりますので、それの反応があり得ます。注射の5日後~2週間後を目処に、はしかに似た症状が出ることがあるそうです。わたしは幸いでませんでしたが、これは個人差があると思います。

先生から私が言われたのは、注射当日は運動とか風呂に入らないようにすること、反応がでるかもしれない期間は、なるべく静かに生活するようにと注意を受けました。

 

Q4 いくらかかるの?

 

これが1番重要な話しです(笑)。わたしの場合、注射は1本で、

 

10000円

 

でした。健康保険は使えませんでした。全額自己負担です。保険外なので、病院によって料金が異なってもおかしくはありませんが、おそらくそれはないと思いますので、10000円というのが相場と思っておいて良いのではないでしょうか。

金額的にはけっこういい値段するなあというのが正直な感想です。2回打てば20000円ですし。

 

でも、これで自分自身がはしかになることを防げますし、また、自分を経由して自分のまわりの人にはしかをうつしてしまうということも防ぐことができるわけですから、決して高くないと思います。もちろん、予防接種しないと必ずはしかになる、というものではありませんが、そうだとしても、安心料と思えば、ありでしょう。

 

私自身は、予防接種を受けて良かったと思っています。

悩めるサラリーマンにうれしい本です。仕事、家庭いろんな悩みに答えてくれます

サラリーマンの悩みのほとんどにはすでに学問的な「答え」が出ている(著者:西内啓)、マイナビ新書・電子書籍、2012年7月初版第6刷に基づく

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タイトルが、かなり驚きです。なぜって、「学問」というと、理論的、専門的で、「学問」している人なんて一般人より頭が良いのは間違いない、けれど、実際の生活にはあまり役に立たないというイメージです。

しかし、この本のタイトルは、そんな「学問」がサラリーマンの悩みのほとんどを解決してくれるというのですから、驚きです。著者の西内氏のタイトルに込められた思いは、この文章に端的に出ていると思います。

  

日本のビジネスマンのほとんどが、経済学も、マーケティングも、会計学も、組織行動論も、直接的にビジネスと関連しそうな学問のこともほとんど理解していません。そして、自分と上司や先輩の「経験と勘」だけで国際的なビジネスの競争にさらされています。その一方で欧米の企業ではこのあたりの学問を当たり前のように使いこなせるよう教育されたMBAたちが、科学的な視点で日本的経営の強みを分析していたりもするのです 

 

(大学の)学問をバカにするな!という思いを感じます。

わたしも仕事では、たしかに「経験と勘」で仕事をしてきた覚えがありますし、それがおかしいと感じたことはありませんでした。では、そんな「学問」によって、どんなサラリーマンの悩みが解決できるというのでしょうか?

西内氏はこの本で、大きくわけて6つの悩みについて「学問」がどう考えるのか、説明してくれています。たとえば、

 

なぜ、お金が貯まらないのか?

 

どうすれば職場の人間関係はうまくいくのか?

 

なぜ、いくら仕事をがんばっても家庭がうまくいかないのか?

 

といった悩みに答えてくれています。

どの悩みもサラリーマンにとって、とても切実な悩みです。誰もが少なからず悩んだことのある悩みと言えるでしょう。悩みをもつサラリーマンの方にはぜひ読んで頂きたいのですが、読む前にあらかじめ知っておく必要のあることがあります。それは、

 

学問が教えてくれる答えの内容自体は、それほど珍しいものではない

 

ということです。言い換えると、「えっ、こんな素晴らしい方法があるなんて知らなかった。学問ってすごい!」と感動するようなことはないということです。言われてみれば、「たしかにそういう方法もあるよね」と思うでしょうし、「わざわざ学門を持ち出さなくてもそれぐらい知っているよ」と思ってしまうものもあるでしょう。

では、それでもこの本から学べることは何かあるのか?、という点が重要になってきますが、私の答えは「あります」というものです。

  

学問的に裏付けられた方法が的外れになる確率はとても低い

 

「経験や勘」から思いつくアイデア、方法は、当たっていることもありますが、的外れのこともあります。そのときは当たりの方法でも、偶然が重なった結果にすぎないということもありあすし、あるいは、環境がその時と今では変わってしまい通用しない、ということが原因です。西内氏もこの本で指摘していますが、有名人の成功法則をまねしてもうまくいかないというのと同じ話しです。

一方、学問的に検証された方法は、そういうばらつきがないかどうか、学者によって研究や検証がされた方法ばかりです。「学門」の実力、なかなかのものです。

 

食わず嫌いは損します

 

昔受けた大学の授業がつまらなかったからといって、「学門」が実用的でない、役に立たないと思い込むのはもったいない。食わず嫌いは損します。扱う内容はとても高度な内容を扱う本ですが、とても読みやすいです。西内氏の優しさを感じます。それに、各章の最後には「まとめ」がありますので、とっても理解しやすく、親切設計です。

もちろん、サラリーマンだけでなくサラリーパーソンみんなに役に立ちます(笑)

広岡氏が大谷選手の二刀流に厳しいのには訳がある。広岡氏、さすがただ者ではないと思わせる本です

日本野球よ、それは間違っている!(著者:広岡達郎)、幻冬舎、平成30年3月発行電子書籍

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著者の広岡氏は、1954年に巨人に入団し名ショートとして活躍。引退後は、監督としてヤクルトと西武で日本シリーズに優勝。つまり、野球の選手・指導者としてとても実績のある者です。この本は広岡氏が現在の日本野球の問題点を指摘している本ですが、けっこう過激な内容もあります。たとえば、

 

それでも大谷のポスティング移籍には反対だ!

 

大谷の二刀流は才能の無駄遣い

 

清宮はプロの前に大学に行くべきだった

 

筋トレの肉体改造は野球選手にとって有害

 

メジャーの猿まね制度改悪は間違っている

 

ビデオより審判を信じたい

 

といった感じです。

野球に興味のない方には、「何のこと?」という感じでしょうけど、野球ファンであれば、どれも知っている話ばかりだし、ふつうにマスコミなどで言われることは、だいたい、広岡氏の言うことの逆。

 

例えば、大谷選手の話しであれば、「ポスティング移籍、いいんじゃないの。若いうちからメジャーで頑張れ」「二刀流いいねえ。ふつうできないことをやってる大谷選手はすごい!」という感じでしょう。じっさい、大谷選手、メジャーでも活躍しているようです。しかし、それでも広岡氏はその主張をまげません。

 

ちゃんと考えるということはこういうこと

 

これだけだと広岡氏、ただの頭の固い頑固オヤジ(1932年生まれ)。日曜の朝に「喝!」と言ってときどきバッシングされている某元野球選手と変わらないように見えます。

しかし、この本を読むと、決して、ただの精神論とか気合みたいなことで広岡氏が主張しているのではなく、ちゃんと理由があることがよーく分かります。ちゃんと考える、というのはこういうことを言うのかと勉強になります。言い換えると、マスコミとかが知らずに報道していない(あるいは、知っていてもあえて報道していない)事情がいろいろあり、必ずしもマスコミが報道するような単純な話しではないということがよく分かります。

 

広岡氏の選手指導論は、実社会でも役に立つ

 

広岡氏は現役引退後、コーチ、監督して多くの選手を指導しています。この本では、そんな指導者としての経験から、あるべき指導論を述べています。もちろん、広岡氏は野球選手に対する指導の話ししかしていません。しかし、だから実社会では関係ない、というのは違います。

野球選手は、いわば野球のエリートばかり、プライドもあり、また実力もある人ばかり。つまり、人の言うことを素直に聞くタイプではありません。そんな選手を指導するのは、会社で部下や後輩を指導するのに比べれば、はるかに大変。だから、実社会でも役に立つんです。

 

野球に興味のある人だけでなく、興味のない人にも、勉強になるところがある本です。