日々読書、時々一杯、折々投資

モグパクです。都内で働くサラリーマンです。 新書・文庫を1日1冊読むのを日課にしてます。あと、酒(主に日本酒)を飲むこと、投資をすることが好きです。

文系の学部を卒業した人、怒ってはいけません。むしろ、そんな人の為になる本です。

「文系バカ」が、日本をダメにする なれど“数学バカ”が国難を救うか(著者:高橋洋一)、WAC BUNKO、2018年5月初版発行、同年6月第2刷、

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著者の高橋氏は元大蔵省(現在の財務省)のキャリア官僚。大蔵省のキャリア官僚といえば、東大法学部卒という文系出身者が多数を占める組織ですが、高橋氏は、東大理学部数学科卒という異色の経歴です。

ちなみにわたしは、高校では文系コースを選択し、大学は経済学部なので、わたしも「文系バカ」のひとりです。

 

〇 高橋氏の言うことは良く分かる。高橋氏のほかの本も読んでみたくなる

 

この本を読んでいちばん強く感じるのは、高橋氏はほんとうに頭がいいんだなあということです。取り上げている内容は経済の話が多いですが、そのほか、教育、AIなど他の分野にも及んでいて、かなり難しいことを取り上げているところもありますが、すっと理解できてしまう、難しいことを難しいと感じないまま理解させてくれます。これは驚きです。たとえば、こんなことを言っています。

 

「日銀の仕事はAI化できますか」と聞かれることがあるが、もちろんできる。総裁以下、委員はロボットでもいいかもしれない(笑)。AI化できないと思っている人は、日銀の仕事の中身をわかっていない人だ。仕事内容がわからなければ、プログラム化はできない 

 

高橋氏はおそらく、本気で日銀の仕事をAI化すべきと言っているわけではないと思います。

AI化するかどうかの話しは置いておいて、この発言のすごいところは、高橋氏が、日銀の仕事をプログラム化できるぐらいシンプルに理解しているということです。そうでなければ、この発言はできません。じっさい、この記述に続いて、日銀の仕事は何かということを極めて簡単、簡潔に定義しています。

 

この本では高橋氏が書いているほかの本も紹介されています。高橋氏は経済政策の専門家かと思いきや、なんと、安全保障の本まで書いています。安全保障の専門家が書いている本よりも、はるかに分かりやすく説明してくれているような気がします。こんどかならず読んでみます。読んでみて、これも分かりやすかったら、ここで紹介します。

 

〇不幸にして「文系バカ」の自分はどうすればいいのか?

 

高橋氏が頭がいいのは分かりました。そうすると、高橋氏が「文系バカ」と主張するのも理由があるということになり、「文系バカ」は役立たず扱いされる日も近いことになります。では、わたしのような「文系バカ」はこれからどうすればいいのか、ということがとっても重要になります。

 

時間がある人は、いまから勉強をしなおして、高橋氏のように数学科に進学して、「専門バカ」になればよいでしょう(笑)。しかし、それは誰もができることではない。数学科進学は極端としても、今からでも多少は理系的勉強をすることを高橋氏は勧めています。

 

わたしがこの本を読んだ感想としては、理系的勉強以外にも、高橋氏は「文系バカ」がすべきことを2つ提案しています。これはわたしはまず間違いないと思いますが、2つとも、それを実際にすること自体は難しくない。もしそれが実際できないとしたら、その人は「プライド」が高いのだとわたしは思います。「プライド」さえ捨てれば、「文系バカ」もこれからなんと名借ります。

 

 

〇 理系と文系の区別ってそもそも何なのか?

 

おそらく今もそうだと思いますが、文系、理系という区別に初めて出会うのは、高校生のときではないでしょうか?英語はどちらも共通で、文系を選ぶと、英語に加えて、国語、歴史、地理といった科目の勉強がメインになり、理系を選ぶと、英語に加えて、物理、化学、数学といった科目の勉強がメインになるという感じだと思います。

 

しかし、わたしもそうですが、別に「文系バカ」になりたいから高校生の時に文系を選んだわけではない。わたしが通っていた高校では当時、文系の方が圧倒的に生徒に人気があって、理系科目の先生が必至に理系の良さを生徒にアピールしていました。いま思えば、その先生の言うとおりにしておけばよかったと後悔します(笑)。

 

何が言いたいかというと、「そもそも、文系、理系なんていう区別は本当に必要なのか?」ということです。文系か理系を高校生に選ばせ、その結果、文系を選んだ生徒は数学をちゃんと勉強する機会を失ってしまい、それゆえその生徒が「文系バカ」になってしまうのであれば、こんな文系、理系という区別は生徒の役に立っていません。わたしの記憶では、もっぱら、大学受験の受験科目が文系学部か理系学部かでぜんぜん違うので、受験勉強を効率的にするために、当時、文系、理系で分けていたと思います。

 

 

いまは少子化のため、受験戦争なんて完全に過去の遺物になりましたし、それに、昔みたいに有名大学に入れば人生安泰なんて時代ではないんですから、受験のための勉強にエネルギーを注ぐのは無駄。むしろ、社会に出て生き抜く能力を身に着けるのが大事。ぜひとも「文系バカ」を生み出さないためにも、文系、理系なんて区別は廃止して、幅広くいろんな科目を勉強できるようにして欲しいと思います。

「こんな簡単でいいの?」と思ってしまうぐらい分かりやすく哲学を説明してくれる本

世界のエリートが学んでいる教養としての哲学(著者:小川仁志)、PHP文庫、2018年6月第1版第1刷、

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この本が取り上げる「哲学」とは「西洋哲学」のことを基本指します。哲学と言うと、たとえ理屈としては勉強した方が良いと思っていても、「ふだんの生活に役に立つのか分からないのに、なぜあんな難しいことを勉強する必要があるのか?」という疑問をもつ方も多いと思います。

わたしもこの本を読む前にそういう印象を哲学に持っていました。ただ、ものは試しということでこんかいこの本を読んでみましたが、その印象が必ずしも当たっていないああという感想を持ち、新たな発見を得ることができました。 

 

〇 西洋人が何を考えているのかがわかる

 

べつに心理学の話をしているわけではありません。読心術みたいな話しではなく、西洋人のものの考え方のベースとなっているところが何なのか、ということを、この本で知ることができます。

 

この本からわたしが感じた西洋人の考え方のベースは、神と人間はぜんぜん別もので対立関係にあり、その上で、どっちが主役なのかということをめぐって、様々な哲学があり、哲学の発展があるのだなあと感じました。「神との契約」という言葉を聞いたことありませんか?「旧約聖書」、「新約聖書」の「約」とは「契約」のことです。

 

でも、こういうと、人間と神が別なんて当たり前ではないかと思うかもしれません。でも、日本ではそうではありません。人間が死ぬと神様になるというケースがあります。たとえば、菅原道真が死んだ後に神として祀られました。すべての人間が死んで神様になれるということはなく、ごく一部だとは思いますが、それでもあるわけですね。こは、日本人と西洋人の考え方がぜんぜん違うところだとおもいます。

 

 

〇 哲学がどう役に立つのか、そんな難しいこと考えて何のメリットがあるのかを感じることができる

 

「神と人間の契約」なんていわれてしまうと、ますます哲学が縁遠いものに感じてしまいますが、そんなことはありません。出発点は確かにそこですが、ただ、「神ではなく人間の認識が真理を決めるのだ 」という考え方が哲学において確立すると、では、「何を真理と考えればよいのか」という段階に、哲学の議論が進みます。

 

ここにおいて、哲学が私たちの生活に役立つ場面が出てきます。もちろん、「真理」を何と考えるかについて、答えはひとつではありませんし、現時点においても、これが答えであると決まっているわけではありません。

ただ、哲学を知ることの最大の利点は、「思わぬ気づきがある」、「言語化をしてくれる」ということだとわたしは思います。

 

「思わぬ気づきがある」というのは、「なるほど、そういう考え方や見方もあるんだなあ」という新たな体験のことです。それって「体験」ではなく単に「考え方」「見方」ではないかと思うかもしれませんが、わたしは「体験」だと思います。哲学によりこれまで知らなかった考え方や見方を得ることは、まさにそれまでと世界の見え方が変わることを意味します。これって、単なる頭の中の話ではなく経験の話しだと思いますので、「体験」という表現がぴったりです。

言語化」というのは、それまで自分の頭の中で何となく思っていてたいわゆる「モヤモヤ」みたいなものを、哲学が明確に説明してくれることを指します。もし、目の前に哲学者がいてそう言ってくれたら「それそれ、わたしが言いたかったことは」と思わず言ってしまうような状態です。

 

〇 この本で、いろんな哲学を早分かりし、自分のお気に入りの哲学が見つかる

 

そうは言っても哲学は難しいというイメージはなかなか消えないと思います。でも、ご安心ください。この本は、二千数百年の哲学史を振り返り、ビジネスシーンに役立つ哲学を厳選して紹介しています。

さらにすごいのが、どの哲学についても、その哲学の内容さらには、ビジネスでどう役立てればいいのかを、たった2ページ見開きで説明してくれています。この本を読むと、たった2ページでその哲学を理解し自分のものにしてした気にさせてしまいます(笑)。「こんな簡単でいいの?」と戸惑ってしまいますが、とても不思議かつ、ありがたい本です。

 

どうでしょう、たった2ページなら読めると思いませんか?

 

わたしはこの本から、お気に入りの哲学を見つけることができました。それは、「上部下部構造」、「弁証法」、「否定弁証法」の3つです。つぎは、みなさんが見つける番です。

震度6の地震で交通機関がかんぜんに麻痺してしまった世界を経験しました。2018年6月18日(月)・大阪市

2018年6月18日(月)午前7:58頃、大阪府北部で震度6弱地震が発生しました。

なぜわたしが、このブログで地震の話をするかというと、わたしはその日仕事で大阪にいました。大阪で朝早い時間に約束をしていたため、前日の日曜に大阪市内のホテルに宿泊していて、地震が発生したその時、わたしはホテルを出て梅田駅に向かって歩いていました。

 

〇 地震が発生した瞬間

 

ちょうど近くにビルの建築現場があり、むき出しの太い鉄骨が組まれ上にはクレーンが設置されていました。そこからとつぜん、鉄骨が揺らぐ「ゴワーン、ゴワーン」という大きな音がし、続いて、「ガラガラ」というような鉄骨が崩れていくような音がします。現場をみると、鉄骨がゆらゆら揺れているようにも見えます。

わたしはてっきり、ビル建築現場で何か事故が起こったのかと思ってしまったのですが、すぐに、自分の身体が揺れていることに気づきます。鉄骨が崩れた振動かとさいしょおもったのですが、すぐに勘違いに気づきます。

なぜなら、下から突き上げられるように身体全体が上にジャンプしてしまったからです。これにはびっくり。そして、スマホから、「ウィーン、ウィーン」というエリアメールの音が。これでやっと地震が起こったということがわかります。

人間、とっさの予想外の事態が起こると、まったく判断能力を失ってしまう、という好例です。

 

〇 地震が発生した後も梅田駅を目指す

 

地震があったわけですが、ああなんか揺れたなあという感じで、そのまま梅田駅向かって歩き出します。ところが、ちょっとして異変に気づきます。

バスがやってくるのですが、バスが満員なのです。来るバス来るバスみんな。変だなあ、なんでバスなんか乗るんだろうと思っていますが、まだ気づきません。後から振り返ると、「このあたりでいいかげん事態の深刻さに気付け!」と言いたくなる自分の鈍感さにあきれます。

 

だんだん梅田駅に近づくにずれ、なぜか歩道を歩いている人がやたら多い。すれ違うときちょっと歩きづらい。梅田駅が近づくにつれ、ますます人は増えていきます。歩いている人だけでなく、立ち止まっている人もいっぱい。コンビニの制服を着た人数人が、仕事中のはずなのに歩道で立ち止まっています。これで、やっと気づきます。

 

「そっか、地下鉄が止まったんだ」と。これで、こんかいの地震がそうとうなものであることに気づきます。

 

〇 梅田駅にやっと到着

 

予定の時間より遅れて梅田駅にやっと着きます。さすがにどんかんなわたしももう気付いています。自分が乗る予定の電車はきっと動いていないだろうと。

改札に行ってみたら予想通り、「全線運転見合わせ。復旧までにはそうとうな時間がかかる見込み」とのアナウンスが連呼されています。

 

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7時59分発の電車が一番上に表示されたまま、ずっとそのままです。

 

〇 どこに移動するもとにかく歩く

 

なんとか梅田駅に着きますが、こんな状態ではとても仕事どころではない。わたしもつらいし、先方もそれは同じ。とうぜん、この日の予定はすべてキャンセルということになります。キャンセルの理由で先方が言っていた理由で意外だったのが、「エレベーターが止まってしまったので」というもの。こういうことです。

 

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階段で10階、20階まで上るのはとても無理。こうしてみると、エレベーターも立派な交通機関です。

予定していた仕事がなくやることがないので、地下のホワイティに行ってみると、なんと地下鉄梅田駅が封鎖されています。

 

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こんなことあるんですね。というか、シャッターあったんだーと、ちょっと的を外した驚きをしています。

このように地下鉄は全線運転見合わせ。なので、どこに行くにも歩くしかない。もちろん、バス、タクシーというのもいちおうあるけど、バスは満員、タクシーはぜんぜん空車が来ないという感じです。けっきょく、四ツ橋筋経由で、梅田から本町までひたすら歩く羽目に。

地震のときに何のんきなこと言ってるの?」とお叱りをうけるかもしれませんが、歩いてみて、あらためて大阪は、街中を川がゆったり流れていて、とっても気持の良い街だなあと感じました。

 

〇 東海道新幹線が驚きの運転再開

 

そうすると、こんどは、東海道新幹線は止まったままということで、次は、今日のうちに東京に帰れるのかという心配が出てきます。仕事もなく、新幹線も乗れないので、しょうがなく、本を読んだりして適当に時間を潰していると、午後1時ころに運転再開との情報が入ってきます。

これはびっくり。この時点で、JR西日本の在来線はまったく運転再開していません。なのに新幹線が一番早く再開するとは。 

御堂筋線もJRも使えませんが、そこは何とか車で新大阪駅に行きます。

 

〇 新大阪駅東海道新幹線ホームで驚きの光景

 

新大阪駅についてみると、予想通り、人人人。改札前、みどりの窓口、行列が出来ていて、乗客も駅員もそうとうあせっているのがよくわかります。

「この分だと、ホームは相当ひどいことになっているに違いない。大行列だろう。相当待たないと電車に乗れないだろう」と思い、覚悟しながら新幹線ホームに行きます。

 

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ほとんど人がいない。あれっ?

みんなどこ行ったの?という感じです。地震があったのが嘘のようですが、もちろんそんなことはありません。

 

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ダイヤは大幅に乱れています。写真からはわかりにくいですが、売店も閉まっていました。いつもの新大阪駅ではあり得ない光景です。

どの電車が何時に何番線から発車するのかまったく情報がなく、おそらく駅員もよく分かっていないと思います。とにかく発車できる列車はどんどん発車させるという感じなのでしょう。わたしが持っていた特急券で指定された列車と、わたしが実際に乗った列車はぜんぜん違っていました。指定席なのに自分で座る席を選べるという、なんか不思議な体験。

 

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車内はガラガラです。

新大阪を出たときだけでなく、東京に着くまでずーっとこのガラガラ状態は変わらず。なんか不思議な感じです。でも、新幹線は大幅に遅れています。これが現実。

 

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約2時間遅れています。

 

でも、こんかいの地震への対応をみて、あらためて新幹線の技術力とか、駅員の対応能力、いわば危機管理能力の高さには感心しました。震度6地震があり全線運転見合わせになったにもかかわらず、たった5時間で運転再開させるというのは、とてもすごいことだと思います。おそらく海外ではこんなに早い対応はできないでしょう。日頃の教育、訓練の賜物としか言いようがありません。

野球の本ではありません。こんごの世の中をどうやって生き抜くか、シンプルに教えてくれます

なぜ日本人は落合博満が嫌いか?(著者:テリー伊藤)、角川ONEテーマ、2010年5月初版発行、同年6月三版発行、

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タイトルの質問にどう答えるでしょうか?

 

嫌いですとはっきり言い切る人は少ないとしても、好きですと言い切る人は少ないでしょう。落合氏といえば、中日の監督としての落合氏がもっとも記憶にあると思いますが、たしかに、マスコミの報道はあまり好意的ではなかったと思います。でも、落合氏が監督をした2004年~2011年の中日の成績は、リーグ優勝4回となっており、指揮をとった8年間のうち半分優勝しています。これは、監督しては十分立派な成績ですが、名将というイメージはない。元ヤクルト監督の野村克也氏とは大違いです。

 

イメージがどうであれ、成績は成績であり、落合氏が名将であるのは間違いありません。そんな落合氏が何を考えているのかは、その考え方自体もそうですが、なぜ評価にギャップが生じてしまっているのか、とても興味があります。

 

〇 常識を疑え

 

落合氏の監督時代の言動をみると、通常の野球の常識からすると考えられないようなものがあります。たとえば、こんな言葉が紹介されています。

 

落合は2004年に中日の新監督に就任するなり、こう宣言した。

「補強は一切、しません。いまの戦力でも、十分に優勝できます」

 

 

ちなみにそれまでの中日の成績は、2003年は2位でしたが優勝した阪神とのゲーム差は14.5、2002年は3位ですが優勝した巨人とのゲーム差は15.5、2001年は5位でした。このような成績した残していない戦力で優勝できるとはふつう思いません。しかし、2004年つまり落合監督就任1年目、中日は優勝しました。

 

なぜ落合氏にはそんなことができるのか?テリー伊藤氏は「常識を疑え」という考え方があることを指摘します。たしかにそれはそのとおりでしょう。でも、この言葉ほど、「言うは易し、行うは難し」という言葉がぴったり当てはまる言葉はないでしょう。どうすれば、それができるのか?テリー伊藤氏はこう言っています。

 

いつでも冷めているということだ。常に自分を客観的な目で見ることができるのだ。どんなときでも、みんなと一緒にその場に入り込んでしまうことがない。いつも「第三者的視点」を持っているのだ 

 

なんとなく分かってきたような気がします。落合氏がこういう考え方の持ち主であれば、常識を疑うこともできますし、それがゆえに、その言動が、「常識のある」周りの人からその実質ほどは評価されないという評価ギャップが生じてしまうということも理解できます。しかし、それにしても、そういうまわりの評価にめげない落合氏のメンタルはとてもタフです。

 

なんとなく分かってきましたが、ざんねんがら、まだ抽象的、あいまいさがあるのも事実。まだまだ簡単に自分ができるとは思えない。そこで、もう少し考えます。

 

〇 自分なりの目標を持て

 

落合氏の話しではありません。藤原和博氏は元リクルート社員で、民間人から杉並区の中学校の校長先生に抜擢されたことで有名な人です。藤原氏リクルート時代、仕事関係の飲み会を本当は早く帰りたいけど帰れないとこぼしていたが、何年からしたら、途中でさっさと帰るようになったというエピソードがこの本で紹介されています。なぜ変化したのか?藤原氏はこう言っています。

 

「目標ができたからです。いまの自分には、はっきりとした目標があるから、いつまでもダラダラ残ってなんかいられません」 

 

テリー伊藤氏は、落合氏と藤原氏の姿勢が共通していると指摘しますが、わたしはさらにもう一歩踏み込んで、こう考えます。周りに付き合ってダラダラ飲み会に参加しないということは、周りの人の考え方にもあわせないという姿勢に通じます。そして、周りの人の考え方とはそれは「常識」です。

つまり、自分なりの目標を持つことが、常識を疑うという考え方を持つことに通じるのだと思います。「常識を疑え」という行為が少しは、「行うは易し」に近づいてきた気がします。

 

落合氏の場合、目標とは何か?最高年俸、三冠王など、それは野球人生のその時その時で変化していますが、共通しているのは、夫人の落合信子氏が時々で目指すべき目標を示してくれていたそうです。どれも相当高い目標であったようですが、それゆえ落合氏は、周りの常識など気にしている暇などなく、目標達成のみを考えて行動したのです。

 

〇 みんな落合氏の考え方を真似するべき

 

さいしょにも少し書きましたが、落合氏は決して、その能力、実績に見合う正当な評価を日本で受けているとはいえません。テリー伊藤氏はそんな評価しかできない日本人の考えを嘆いていますし、落合氏が正当に評価されることが日本にとって必要と考えています。それは確かに、わたしもそう思います。

 

ただ、わたしは、この本を読むことで読んだ人にとっての最大の収穫は、落合氏の行動をみんなが真似することだと思います。

昔と違いいまは、会社が社員の人生を保証してくれることもなくなりました。会社の言うとおり仕事してもある日とつぜんばっさりなんてことも起こる時代です。であれば、自分の生活を自分で守るためにはどうすればよいか、そのために必要なことを目標化し、その達成に向けて行動するしかありません。周りの常識を気にしている暇はありません。常識は自分の生活を保障してくれません。

 

この本は2010年、つまり今から8年前に書かれました。この本では、年配の野球ファンほど落合氏に批判的な人が多いが、若い世代の野球ファンには、落合氏を支持する人が比較的増えている気がすると指摘されています。ということは、それから8年たてば、ますます落合氏の言動を支持する日本人は増えていることになります。

わたしは40代ですので、年配の方に分類されますが、ウカウカしていられないなと感じました。日本は少しずつですが変わりつつあり、自分も遅れてはいけないと。ひょっとしたら、そのうち落合氏の考え方が「常識」になってしまう日も近いかもしれません。

 

 

日本酒「長門峡」(山口) ひとりでじっくり飲むもよし、みんなで一気に飲んでしまうのもよし、そんなお酒です。

長門峡(山口、 岡崎酒造場)、特別純米無濾過、原材料:米、米麹、原料米:西都の雫75%・山田錦25%、精米歩合:60%、日本酒度:+3、

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「ちょうもんきょう」と読みます。山口の日本酒といえば「獺祭」がおそらくもっとも有名ですが、山口の日本酒、ほかにもいろいろあります。わたしが好きな日本酒でいえば、「雁木」、「日下無双」、「東洋美人」といったのがありますが、この「長門峡」も好きな日本酒のひとつで、ときどきお店でお目にかかると買うようにしています。

 

こんかいは4合瓶を買い、これを3回に分けて飲みました。飲み方はすべて冷やで。もちろん飲みきるまで、冷蔵庫でちゃんと保管しています。

 

1回目 (開封当日)

 

はじめて栓をあけると最初に感じるのが、とってもさわやかな香り。夏らしさも感じます。一方で、米由来のふくよかさも感じます。飲んでみますと、さいちょちょっとぬるっとした感触です。米の粘りのようなものを感じます。まさに日本酒という感じ。後味はすっきり、辛口。辛さはちょっと強めです。

 

2回目(開封翌日)

 

1回目よりふくよかさが際立ってきました。酒が空気に触れることで反応が起こっているのでしょうか。くわしくは分かりませんが、いい感じです。味わいもちょっと変化しています。1回目よりも口当たりがまろやか、滑らかになってきました。一方、後味の辛さはしっかり感じることができます。でもお、1回目よりはちょっと辛さがやわらいだ感じです。

 

3回目(開封3日後)

 

3回目の飲みですが、1日お休みがあって、開封からは3日後です。どんな感じになっているか楽しみにしながら栓を開けてみると、とっても米っぽさが伝わってくる香りです。「古酒」というと明らかに大げさですが、方向としてはそんな感じです。そして味わいもちょっと変わってきて、甘みが増してきました。さいしょの口当たりはかなり甘さを感じることができます。後味の辛さはちゃんと感じますが、かなり和らいでいます。

 

わたしは甘めの日本酒が好きなので、日数をかさねるにつれてどんどん香りや味が好みになってきましたが、でも、1回目の味わいも十分おいしかったです。逆に、辛めの日本酒が好きな方はどんどん1回目のときは、くいくいいけてしまうと思います。ひとりでゆっくり飲むのもよし、みんなで一気に空けてしまうのもよし、そんな日本酒です。

 

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「情報分析」というと縁遠いですが、生き抜くために必要な能力を身に付けるための「勉強法」の話しです

勉強法 教養講座「情報分析とは何か」(著者:佐藤優)、角川新書、2018年4月初版発行、

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著者の佐藤氏は元外務省主任分析官です。それゆえ、佐藤氏が「情報分析」について語るのはよくわかります。佐藤氏は外務省という世間一般から見ると特殊な仕事をしていたため「情報分析」が必要であったのはわかりますが、ふつうに暮らしている一般人からするとどうでしょうか?

「べつに、外務省で外交するわけでもないし、警察、情報収集といった特殊な仕事をするわけでもなく、「情報分析」って関係あるの?」と思ってしまいますが、佐藤氏はこう述べています。

 

講義を聴く前と後では少し風景が違って見える、少しでも得をすることがあればいい、という思いで話しています

 

あいまいな言い方とは思いますが、でも、佐藤氏の言っている意味、まったくわからない訳ではありません。

たとえば、16~17世紀のイングランドの哲学者であるフランシス・ベーコンの言葉に「知(知識)は力なり」という有名なものがあります。佐藤氏の言っていること、この言葉と近いのかなと感じます。また、具体的にその知識が本人に利益をもたらすかどうかは別としても、今まで知らなかったことを知ること自体に人は喜びを感じることもあります。

そして、知るための方法が「勉強法」であり、この本のテーマです。

 

〇 受け入れて良い情報とそうでない情報を取捨選択する

 

インターネットの普及というのはとても大きいです。インターネットのおかげで、いまや誰もが簡単に多くの情報にアクセスできるようになりました。一方で、そういった情報がすべて受け入れて良い情報かというとそうではありません。取捨選択が必要です。

こう言うと、「ネットの情報が怪しいというのは決め付けにすぎないのではないか?」という疑問が出ます。しかし、佐藤氏はこう言います。

 

インテリジェンスは常に物語として出てくるということを、認識しなければいけない

 

その例として、陰謀論が好まれることをあげています。何か大事件とか紛争が起こると、「表には出てこないが、背後で糸を引いているのは〇〇に違いない」といったものです。「〇〇」に何が入るか、アメリカ政府、フリーメーソン、ロックフェラーなどなどいろいろあり得ます。つまり、人々は陰謀説が好きだからこそ、インテリジェンスは物語の形で現われるということです。それゆえ佐藤氏は、ネットやウィキペディアに何らかの意図をもって書き込みをしていけば、人々を誘導することができるかもしれないと指摘しています。

つまり、ネットの情報を鵜呑みにしてはいけないということです。佐藤氏によると、ウィキペディアの精度は国によって異なり、それはその国の文化の反映だそうで、インテリジェンス関係の調べものをするとき、日本語版のウィキペディアは使わないと言っています。

わたしもついついウィキペディア(もちろん日本語版)を使って調べものをし、そこに書いてある内容を読んで調べ終わった気になっていましたが、危ないようです。ネットで調べるのはやむなしとしても、ウィキペディアのみに頼るのは止めます。

でも、どうやって情報を選択すればいいのか、「勉強法」がそこで登場します。

 

 

〇 他人の行動の理由が分からないとき、それは、分からない人に原因がある

 

ある他人の行動が理解できないとき、「あいつの行動は理解できない」と言います。意味合いとしては、「理解できないような行動をとるあいつはおかしい」というのが含まれています。しかし、そういう言い方は、どうも違うようです。

佐藤氏はインテリジェンスでの具体的ケースをあげて、一見理解できないように見える国の行動もじつは、背景事情を丁寧に踏まえればちゃんと合理的な理由があるのであり、それが分からないときは、自分の知識が不足しているか、あるいは切り口を間違えているか、またその両方が原因であると述べています。

 

この話しは、日常生活にも関係します。たとえば、ビジネスにおいて、こんご新しく取引をすることになり、その取引の条件について他社と交渉している場面で、相手が何らかの条件を提示してきたとします。そのとき、その条件を受け入れるべきか断るべきか、あるいは別の案を提示すべきか、ということを選択しなければいけません。

判断基準は、どの選択をするのが自社にとって最も有利であるかという点ですが、それを判断するための材料として、そもそも相手の会社がなぜそんな条件を提示してきたのか、という提案理由があります。このとき、「なぜ提示するのか分からないけど、たぶんこんなとこだろう」といったような中途半端な理解のままでは、とても自社の利益を守ることはできないでしょう。

 

この話し、自分が何を分かっていて何を分かっていないかを分かっているかどうかという話しと言い換えることもでき、そして、このようなミスは自分の知識不足から起こっている可能性があり、そうならないためにも、「勉強法」が大事になってきます。

 

〇 どんな「勉強法」をとればいいの?

 

じつは高校までの勉強が大事です。これに対しては、「自分は学校でまじめに勉強していたから今更いらないでしょう」、「学校の勉強がふだんの生活と関係があるとは思えない」という反応が多いと思います。佐藤氏は、もちろんこういった反応が出ることは十分おりこみ済みで、どの反応に対しても、「それは違いますよ」というのが佐藤氏の答えです。

 

あらためて考えてみると、みんな中学校までは必ず勉強し、そして、ほとんどの人が高校でも勉強しています。そういった勉強で得た知識が直接役立つかどうかは別として、そういった勉強を通じて、特に考える力、というのは形成されていきます。であれば、たしかに、高校までの勉強が、情報の取捨選択や、自分が何を分かっていて何を分かっていないかを分かることについての能力にリンクしていることも理解できます。

 

ただ、今さら教科書なんて読むのかと考えると、ちょっとめんどくさいと思ってしまいます。しかしこんかいは、そんな人のために、根気がなくてもやれる「勉強法」を紹介してくれています。佐藤先生とても優しいです(笑)

であるがゆえに、これを実行する人と実行しない人の間の差は相当なものになるでしょう。

ただの伝え方、営業テクニックの本ではない。伝え方を通じて、どの分野、業界でも生き抜くために必要な本物の力を教えてくれる本

90秒にかけた男(著者:高田明、木ノ内敏久)、日経プレミアシリーズ、2017年11月1刷、

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著者の高田氏は、長崎のテレビ通販会社として有名な「ジャパネットたかた」の創業者であり、テレビショッピングで商品の魅力を紹介するMCとしての高田氏はとても有名です。そんな高田氏の「伝える」力のノウハウは何か、誰もが興味を持つことですし、この本を読むときはそれを期待します。こんな言葉が紹介されています。

 

例えばMC(司会)の力。作家・井上ひさしさんの言葉に「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」というものがあります。MCもまったく同じです

 

商品というのは体験的に腑に落ちるシチュエーションを頭にまず思い描いて、商品の先にある本来の役割と価値を、使用者目線で伝えていくことが大切だと思っています。それは結果的に開発者の真の想いを伝えることにもなるでしょう 

 

では、この部分を読めば、この本から学べることは全てかというと、そうではありません。もちろんこの部分もおもしろいですが、この本の面白さは、その後ろにあります。なぜ高田氏がこのようなことを言うのか、という考え方の理由、背景です。

 

〇 高田氏は世阿弥に弟子入りしていた?

 

世阿弥」とは、室町時代の能役者で、能を大成させた人です。日本史の教科書で見たことのあると思います。この世阿弥の著者に「風姿花伝」という本があります。高田氏は、この「風姿花伝」の内容をこの本のところどころで紹介しています。

 

テレビで商品を紹介するときにどういう話し方をしたらいいのか、会社の経営方針はどうあるべきかなど、高田氏のビジネスのあらゆる場面において、「風姿花伝」の話しがでてきます。いかに高田氏が「風姿花伝」の内容に感銘を受けそして影響を受けたのか、ということが良く分かります。

2004年3月にジャパネットたかたは顧客情報流出事件を起こしていますが、なんと、そのときの対処の仕方にまで「風姿花伝」の影響が現われています。この対処は後に危機管理の専門家から評価されるほどのものでした。

 

室町時代というはるか昔に書かれた本であり、また、能という芸術に関する本なので、現在のビジネスとはまったく関係ないように見えますが、高田氏の傾倒振りは半端ではありません。

600年のときを超えて高田氏は、世阿弥に弟子入りしてしまったかのようです(笑)

 

 

〇 「本物」は「つもり」を絶対に許さない

 

高田氏の言葉のひとつです。この言葉は、「本物、つまりプロの目をごまかすことはできない」という意味として理解することはできます。そういう表面的に理解することもできますし、それだけでもこの言葉にはそれなりの深い意味があるとは思いますが、高田氏がこの言葉に含めている意味は、さらに深いです。

 

よく、人は慢心してはいけない、謙虚でないといけないということが昔から言われます。さいきんは、必ずしもそうでなくて良いという意見も強いですが、高田氏のこの言葉の真の意味を理解すると、昔の人の言っていることは確かにそうだなあと納得することができます。じつは、私自身も、どちらかというとそういう昔から言われていることに反発するタイプなのですが、高田氏のこと言葉を理解してしまうと、納得せざるをえません。

 

高田氏自身は、自分は伝えることしかできない、と言っていますが、その考え方は、仕事の内容、分野を問わず通用します。その分野で成功しようと思う人は、高田氏のことの言葉をしっかり記憶しておくべきです。

 

〇 何事からも逃げない。高田氏は、本当に逃げない

 

「何事からも逃げない」という人生の処し方自体は、とくに珍しいものでもなく、「それは違う」と言う人はあまりいないと思います。しかし、本当に実際に逃げないのか、という行動を見てみると、その時々の状況によって言動が一致しないケースが多いのが、現実です。

 

しかし、高田氏はその言動がかんぜんに一致しています。例えば、2004年3月に顧客情報流出事件が起こります。このとき高田氏は、テレビショッピングの番組の放映を49日間自粛し、なんと、その結果、150億円の減収となりました。いくらふだんから「逃げない」と言っている人でも、150億円の減収から逃げないことは本当にできるでしょうか?ほとんどの人は、「逃げない、とは言ったけど、150億円となるとちょっとねえ。」とか、「それはそれ、これはこれ」とか、「法的には自粛する義務はない」みたいな口実を並べて逃げてしまうと思います。

口実を並べて逃げようと思えば逃げられるのにあえてしないところに、高田氏の「本物」を感じます。そうだからこそ、なぜ高田氏は、そういう行動をとることができるのか、高田氏の考え方はとても興味深いです。

 

これだけではありません。高田氏は、「人口減少」、「格差」ということについても、そんなのは言い訳にすぎないとし、決して逃げません。高田氏は、現在、ジャパネットたかたの経営には一切関与せず、長崎のサッカーチームで経営危機に陥った、サッカーV2リーグ「V・ファーレン長崎」の社長を2017年からしています。ここでも、言動がしっかり一致しています。

 

この本は、高田氏の伝える力を説明してくれていますが、それだけを吸収して終わりとするのは、まったくもってもったいない。伝える力という技術的なところだけでなく、その背景にある高田氏の考え方、姿勢も含めて吸収すれば、本当の伝える力が身につきます。そしてそれが身に付けば、どの分野、どの業界の営業の仕事もできるでしょうし、また、伝える力があれば、周りを巻き込む力を持つことになりますので、営業以外の仕事であったとしても、成功するでしょう。

世阿弥に弟子入りするつもりで、この本を読んでみましょう(笑)。