日々読書、時々一杯、折々投資

モグパクです。都内で働くサラリーマンです。 新書・文庫を1日1冊読むのを日課にしてます。あと、酒(主に日本酒)を飲むこと、投資をすることが好きです。

まわりの人とより良い関係を作るためにぜひおさえるべきことを教えてくれる本

「痴呆老人」は何を見ているか(著者:大井玄)、新潮新書、2008年1月発行、

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「痴呆老人」というのは、いまで言うと、「認知症」と判断された人のことを指します。誰でもそうはなりたくないものですし、仮になってしまったときのことを考えると、なんとも言えぬ不安感に悩まされてしまうのが普通ではないでしょうか。しかし、大井氏はこう述べます。

 

われわれは皆、程度の異なる「痴呆」である(9ページ)

アルツハイマー病という病気が、実体として独立して存在することはない。むしろ「関心」と「心配」の根底にある恐怖が、古来同じ装いのままである対象に「病気」という異称をつけたように見えます(13~14ページ)

 

「痴呆」とは人の認識の相対的な違いの問題にすぎず、しかも、現代に限ったことではなく昔からあったものであり、近年それを病気として取り上げるようになったにすぎないというのが、大井氏の主張です。

「痴呆症」「認知症」とされる人は、夜間にはいかいしたり、会話が困難となったりと、その言動を合理的に理解することが難しいと考えられます。しかし、通常の人の間でも誰とでもコミュニケーションができるわけではないですが、大井氏の主張からすると、それと同じ種類の話ということになります。この本では、「痴呆症」「認知症」の人とのコミュニケーションの方法論を述べています。

 

認知症のケアにあたる人の間でよく知られた「偽会話」、つまり「会話」であっても情報共有という働きが失われたコミュニケーション形態ですが、「共に楽しむ」という情動レベルでは、コミュニケーションは立派に成立しています。偽会話の成立は、彼女たちが喋られた内容を論理として理解はできないし、また直ぐに忘れてしまうことを考慮すれば了解できます。しかし、楽しい情動を共有するという経験を重ねると、理屈を超えた親しい関係が成立します(60ページ)

 

情報共有がなくてもコミュニケーションが成立する、その意義があるというのは、通常では想像もできないことですが、しかし、よく考えてみると、あえて相手に反論しないというようなコミュニケーションはこれに近いのかもしれません。

 

「君、我々は今同じ部屋にいるから同じ環境にいるよね」

「はい、そう思います」

「では我々は同じ世界にいるのかい」

ここで大抵の研修医は困った顔をしますが、すぐに「いいえ、そうではないと思います」と、まずはほとんど正答を出します(81~82ページ)

子ども好きにとっての子ども、異性に惹かれる青年にとって若い女性は特別の存在です。他方、わたしの知る成功した実業家はこういいました。「女、子どもと喋っても金にならん」(83ページ)

 

しばしば、同じ立場、環境にある人に対して他人は、とうぜん自分の言うことをわかってくれるだろうと思い、話してみると、実際はぜんぜん伝わらないということはよくありますし、人と人の間のコミュニケーションがもめる原因の一つです。この大井氏の話は、わかってくれるだろうと思うことが実は違っているということを、とても分かりやすく指摘してくれます。

 

神経システムは、外部からの刺激を受容してそれに対応した反応をするのではなく、むしろそれ自身の能動的活動によって視角像を構成するところが大きいのです(中略)わたしの意識を表している心的システムは外的刺激に対応して作動しているのではなく、むずからの産出的策動を反復しているのです(97~98ページ)

 

専門的な言葉が多いですが、大井氏はこのことを、「ヒトは見たいものを見る」(97ページ)と述べています。相手が見ているだろう、知っているだろうと他人が思っていることが、じつは相手がぜんぜん認識していないというギャップは、ここから発生します。このギャップも円滑なコミュニケーションを妨げるよくある原因のひとつです。

 

彼女は時や場所の見当がついておらず、つるりとした肌の市松人形を自分の娘と思っていました。亡き母が生きていると感じ、見知らぬ男性を自分の夫と錯覚している彼女に、「認知障害」があるという診断を下すことは誰でもできます(中略)彼女はその行動を支える世界認識をほぼ全面的に過去の経験の記憶に頼っていることです。わたしたちが客観的な「現実」だと認識するような環境を、彼女を共有していません。彼女にとって、いま自分が置かれている環境は、基本的には過去に住んでいたところに見えているようです(中略)現在とのつながりは在ってなきようであり、過去とのつながりが強くなるばかりです(147~148ページ)

 

じっさいに「認知症」とされた人の例です。その人の言動が周りからすると理解不能となってしまうのはなぜかということを、大井氏は分かりやすく説明しています。前提としている認識が過去か現在かの違いです。つまり、いま同じ時間同じ場所を共有していても、その人と周りの人は世界を共有していないし、また、その人の見たいものは現在の世界ではないということです。

 

認知症」「痴呆症」の人たちとコミュニケーションと適切にコミュニケーションがとれれば、そうでない人たちとのコミュニケーションはもっと簡単にとれるのではないでしょうか。この本は、「認知症」「痴呆症」の人だけでなく自分のまわりの人たちと円滑なコミュニケーションをとる上で、とても役立つ方法を教えてくれています。