日々読書、時々一杯、折々投資

私の趣味をそのままタイトルにしました。 趣味のことでこれいいなあと思ったことを書いていきます。それが少しでもみなさまの参考になればさいわいです。

池上彰氏の話はなぜあんなに分かりやすいのか、その理由がよく分かる本

「相手に「伝わる」話し方」著者:池上彰講談社現代新書、2002年8月第一刷発行、2006年9月第七刷発行、

ーーーーーーーーーー

池上氏は、1994年から「週刊こどもニュース」にお父さん役として出演し、子どもたちに世の中のニュースを分かりやすく説明しています。

血みどろの争いが続く中東。イスラエルパレスチナの紛争は、たびたびニュースに登場します。パレスチナ人による自爆テロが発生し、イスラエル国民に犠牲者が出ると、イスラエル軍は直ちに報復攻撃に出て、今度はパレスチナ住民に大きな被害が出ます。この悪循環は、止むところを知りません。私が担当する「週刊こどもニュース」で、この問題を取り上げたときのことです(中略)私の説明が終わった途端、出演者の小学校四年生の女の子が、「それって、子どものケンカみたいだね」と一言(7ページ)

愕然としました。思わず私は「(中略)そういう言い方はよくないと思うよ」と反論を試みました(中略)しかし、考えているうちに、むしろ、子どもにそういう反応をさせてしまう私の説明にこそ問題があるのではないか、と思うようになりました。まるで「子どものケンカ」であるかのような印象を与えてしまう説明であったなら、それは、その説明の方が不十分だったのではないか、ということです。私の説明を聞いた後、「それは大変な問題だ。どうすれば解決の糸口が見つかるのだろう」と子どもが考え込むような、そんな説明こそすべきだったのではないか(7~8ページ)

 この本の冒頭で紹介された出来事です。「子どものケンカ」という言い方は、人の命がかかってる問題を軽く考えているとも言え、発言した者の受け止め方や考え方がちょっと変であるという話に落ち着きます。あるいは、この場合、相手が子どもなので、子ども相手ではそういう反応もしょうがないよという結論もあり得ます。いずれにしても、説明した者ではなく説明を聞いた者の問題ということですね。しかし池上氏は、このような場合でも、自らの説明の仕方(話し方)に原因があるのではないかと考えます。話し方とは、どんな相手(テーマ)であっても、内容を正確に理解してもらうことができるようにする技術であると池上氏が考えていることがうかがえ、池上氏の述べる話し方のレベルの高さがうかがえます。

週刊こどもニュース」での出来事をさらに紹介します。

子どもたちが「安全性の問題あるって、どういうこと?」とたずねます。あわてた私は、こう説明してみました。「ウーン、たとえば、自動車の部品が壊れていたとするよね。それを知らずに自動車を運転していたら、そのために自動車が事故を起こし、運転していた人がけがをしたり、死んでしまったりするかもしれないでしょ。これを安全性の問題がある、と言うんだよ」これを聞いた子どもたち、「だったら、そう言ってよ」おっしゃる通りです。(10ページ)

「安全性」をここまでかみ砕いて説明するなんて、想像もできません。「安全性」は「安全性」だろうというのが、普通の説明でしょう。しかし、池上氏の話し方は、そのレベルなんですね。これも「週刊こどもニュース」からです。

「うーん、官房長官っていうとね、よく総理大臣の女房役という言い方があるんだけれど・・・」「女房役って、エプロンして、総理大臣の家事を手伝っているんですか?」と柴田さん。「いえ、決してそういうわけではなくて・・・。うーん・・・」自分たちがいかにものを知らないか、思い知らされました。同時に、子どもや視聴者が何を知らないのか、私たち伝え手が、何も知らなかったということにも気づかされたのです(145ページ)

大人のスタッフが、「わかりません」と堂々と言ってくれるのを見て、はじめは「わからない」と言うのが恥ずかしかった出演者の子どもたちも、どんどん「わかりません」と言ってくれるようになります。何がわからないのかわからなかった私にとって、「わからない」と正直に言ってくれるスタッフは救いでした(中略)出演者の子どもたちが、「わからない」と言ってくれるとき、「そんなこともわからないのか」と言ってはなりません。「そうか、そこがわからないのか。うーん、だったら、こういう言い方だとわかるかな?それでもわからない?では、これで、どうだ。えっ、わかる?それはよかった。うん、この方がずっとわかりやすくなった。ありがとう。君がわからないと言ってくれたおかげで、こんなにわかりやすすくなった」常にこういう言い方をするように心がけました(147~148ページ)

こうしたやりとりを通じて、池上氏は話し方の技術を磨いていったのだと思われます。

 

ここからは、池上氏の述べる話し方の技術を紹介します。

こうした経験の結果、私なりに、「わかりやすい説明」の方法を編み出していきました。そのポイントを五つにまとめてみました(中略)

①むずかしい言葉をわかりやすくかみ砕く

ニュースにはむずかしい言葉が数多く登場します(中略)その言葉がキーワードだったら、視聴者にはニュースが伝わらなくなります。逆に言えば、キーワードをわかりやすく説明することができれば、見ている人は、「ああ、そういうことなんだ」と腑に落ちることでしょう(148~149ページ) 

 ②~⑤は後ほど順番に紹介します。池上氏は、①の具体例として、「亡命」ということばの意味、「所信表明演説」だって「初心表明演説」とは言わない理由、「書類送検」とは何か、「臨海」とは何かについて説明しています(150~157ページ)。次の話も①の具体例に含まれそうです。

1995(平成7)年12月、福井県敦賀市にある高速増殖炉もんじゅ」がナトリウム漏れを起こしました(中略)これについて、「もんじゅ」を運転していた動力炉・核燃料開発事業団(その後、核燃料サイクル開発機構に改組)の担当者は、記者会見で、「このたびの事象につきまして・・・」と話し始めました。これを聞いた記者たちは、「重大な事故を引き起こしてきながら、事故と言わずに事象と言って、事柄を過小評価しようというのか」と事業団の担当者を追及しました(中略)この場合は、意図的なものではなかったのではないかと私は思っています。というのは、原子力業界では、さまざまなトラブルの発生全体を総称して「事象」と呼んでいるからです。原子力発電所でトラブルが発生した場合、そのトラブルの程度に応じて、「事故」と呼ぶか「事象」と表現するか、国際的な基準があります(中略)その違いをおおざっぱに表現すれば、「事故」は、放射性物資が発電所の外に漏れ出すような重大な事態のことを呼び、「異常な事象」は、放射性物資が漏れても発電所内部に留まっているようなケースのことを指します(99~100ページ)

専門用語、業界用語を外部に対して安易に使ってはいけないというのが、池上氏の言いたいことです。このこと自体に反対の意見を持つ人はおそらくいないと思います。しかし、実際の言葉遣いにどこまでそれが反映しているのかとなると、話しは別です。「もんじゅ」のケースでは、ひょっとしたら担当者は、国際的基準に従って正確に表現しただけなのかもしれません。そうなると、一般論としては分かっていても、ついつい私たちも実際にやってしまう可能性は、否定できません。

②身近なたとえに置き換える

むずかしいニュースをわかりやすくするとき、わかりやすいたとえを使うと効果的です。出てくる数字があまりに大きすぎたり、遠くの場所のことで想像しにくかったり、小さすぎたり大きすぎたりして理解しにくいテーマのとき、この手法が威力を発揮します(157ページ)

日本の国家予算の借金の大きさを家計に例えて伝える、エルサレムの面積(1キロ四方)の狭さを東京ディズニーランドの面積に例えて伝える、人体に害を及ぼすダイオキシンの量が1ピコグラム(1兆分の1グラム)という極めてわずかな量であることをアーモンドに例えて伝える(アーモンド1粒が1ピコグラムとすると、1グラムはアーモンドを東京ドームいっぱいに入れた量になる)、ロケットの大きさを奈良の大仏と比較して伝えるという具体例が紹介されています(157~163ページ)。どの例えも分かりやすく、それゆえ、思いつくまでの苦心のあとがうかがえます。

③抽象的な概念を図式化する

概念を図や模型で示すことはできるはずです。図や模型になれば、「見てわかる」ということになります(164ページ)

 池上氏は、「セーフガード」の例を紹介しています。この言葉を「セーフ」と「ガード」に分けて、それぞれに対応する図を考えています。「ガード」という言葉から、ガードレースを連想し、それに内側を守るというイメージがあるので、ガードレースで日本全国を囲ってしまい、国内の農家を守る図を描きます。これで同時に農家が安全つまり「セーフ」になっていると対応させます。さらに、関税も図にしています。「セーフガード」という言葉にはでてきませんが、具体的には外国の農産物に高い関税をかけることで国内に入ってこないようにして国内農家を守る制度のためです。そこで、「関税」とは「関門」でかける「税金」であるとして、ガードレースの1か所だけ門を設け、そこでお金を取る図を描いています(164~166ページ。図自体をここで紹介できないのが本当に残念です)。「セーフガード」という言葉やその内容ときっちり図の内容が対応していることに驚きます。それゆえ、図が分かりやすいのでしょう。

しかし、図を描くだけで安心してはいけません。もうひとつ大事なことがあります。

出来事を、地図にする。立体的な見取図にする。俯瞰図にする。ニュースの意味を概念図にする。登場人物の関係を図式化する。まずは大掴みに全体像を把握してもらうことです。こうした試みを通じて、視聴者の頭の中に「絵」を描いてもらうことを考えました(中略)この手法は、企業のプレゼンテーションや学会での発表でも役立つ方法だと思います。学会の発表を見ていると、大画面でさまざまな絵や図を表示しておきながら、発表者を用意した原稿を読み上げる、という姿をしばしば目撃します。発表の準備には十分な時間がとれるのですから、映像を解説する原稿に書き直すべきだと思うのです(139ページ)

池上氏が指摘するとおり、いまは、パワーポイントで作成した図や絵を使って説明することは普通です。わたしも時々使いますが、説明内容をビジュアルにしたのがその図や絵なので、それ自体までの説明は不要というか、図や絵を示すことで説明したつもりになっていました。

④「分ける」ことは「分かる」こと

わかりやすく伝えるためには、伝える内容をきちんと分けてみることです(中略)雑多な情報の中から必要な要素を取り出し、その要素を的確に分け、適切な順番に並べて伝えることが、「分かる」ことになります。必要な要素を分けて再構成して見せることで、視聴者の頭の中が整理でき、理解しやすくなるのです(171~172ページ)

「失業者」とは誰のことなのか、という具体例が紹介されています(172~173ページ)。 失業者という言葉で検索をしてみますと、人口全体から、Aを除き、Bを除き、Cを除き、残ったのが失業者であるという説明がよく見られます。池上氏の述べている手法は一般的にみられる説明方法ですが、特徴としては、それを図にしているという点でしょう。

⑤バラバラの知識をつなぎ合わせる

バラバラの知識に「関係性」があることを示すことです。ある出来事について、ひとつひとつの言葉や数字を説明するだけでは、本当にわかったとは言えないこともあるのです。自分が持っている断片的な知識をつなぎ合わせ、ジグソーパズルのようにはめ込みながら、全体像が作りあげられたとき、「わかる」ということになるのです(中略)「わかる」とは、自分がこれまで持っているバラバラの知識がひとつの論理のもとにまとまったときです(173~174ページ)

 池上氏は、ポルトガルイスラム原理主義(過激派)、中国の武装警察官と日本の文民警察官といった例で説明しています(175~180ページ)。ある2つ(以上)の言葉があったとき、それらがぜんぜん関係ないということはなく、何となく関係しているのは分かるけど、どういうふうに関係するのかがよく分からないというときが、「バラバラの知識」であり、それらの間の関係を具体的に理解できたとき「ひとつの論理のもとにまとま」るのでしょう。5つのポイントの話は以上です。

 

ここからは、話す内容についてです。 

こうした報告の方法は、何も事件や事故に関する記者リポートにかぎりません。あなたが会社で報告するときでも、友人に近況を報告するときでも同じです。どんなときでも、まず「相手は何を一番に知りたいのかな。次は何かな」と話す内容に優先順位をつけながら、話す内容を組み立てていくのです。「相手は何を知りたいのだろう」ということを、常に考えます。そして、そのためにはどんなことを話せばいいのか考えます。これが相手の立場に立ったしゃべり方です(87ページ)

会話は、相手が参加してくてこそ成立します。だったら、相手を話題に引き込む材料が必要です。それが、具体例なのです。あるいは、お互いが良く知っている固有名詞なのです。さらには、「いつ、どこで、誰が、なぜ、どのようなことをしたか」という事実をはっきり示すことで、話がより具体的になります。抽象論は眠くなる。具体論は相手が身を乗り出す。この原則を忘れないことです(204~205ページ)

相手に何かを尋ねられたときは、「この人はなぜこの質問をするのだろう」と常に判断する習慣をつけておくと、いつも状況にふさわしくわかりやすい答えができるようになるのだと思います(213ページ)

このほかにも同じぐらい大事なことがあります。「つかみ」です。

1981年6月17日、東京深川で、通り魔殺人事件が起きました。男が突然路上で包丁を振り回し、通りかかった子ども連れの母親などを次々に襲って死亡させた上で、近くの中国料理店に人質をとって立てこもったのです。このとき、夜7時のニュースのリポートは、「何とも痛ましい、何ともやりきれない事件が起こりました」と始めました。事件の概要や、現場の様子より、事件を聞いた人たちの自然な感想を代弁することから始めたのです。ニュースを見ている人たちも、このコメントに同感しながら、その後のリポートを聞いてくれるだろう、と考えたからです(91ページ)

この「つかみ」から入る手法は、大勢の人の前での挨拶や講演会などの際にも応用できます。聴衆にとって思いもかけない意外な話から始めたり、とっても身近な話題から入ったりすると、注目を集めます。ユーモアあふれる自己紹介や、ちょっとした小話から始める、という工夫もいいでしょう。まずは相手に、「おやっ」と思ってもらい、その後の自分の話に興味を持ってもらうための大事な手法なのです(93ページ)

 「つかみ」というのはマスコミ業界でよく使われる言葉で、冒頭から視聴者や読者の興味関心を一気にひきつける手法のことを指します(90ページ)。同じ内容を話すのでも、「つかみ」があるかないかでは、ぜんぜん聞き手の反応が変わってしまうということですね。しかし、「つかみ」自体は、内容的には本来話すべきことに含まれませんので、話す内容をちゃんと整理するだけでは、「つかみ」の内容までは決まりません。ではどうすればいいのか?

まずは、「とにかく大変なんです」というコメントから始める文章を考えます。その上で、その後の話の流れを作ります。ただ、「とにかく大変なんです」というのでは、あまりに漠然としています。そこで、放送で実際に発言するのは避け、全体の文章ができたところで、最初の「とにかく大変なんです」という部分をカットし、その次の文章から語り出すのです。これだけで、視聴者に語りかける文体が出来上がります(92ページ)

「つかみ」の作り方です。でも、その際に注意すべきことがあります。

相手が、「ああ、ありきたりの表現だ」などとうんざりしながら聞いていたのでは、挨拶の時間だけ無駄だというものです。ありきたりの表現を避けて、どういう表現を使えば、相手に新鮮な驚きをああ得ることができるだろうか、と考えることが大事なのです。「本日はお日柄もよろしく・・・」と言わずに、たとえば、「きょうはとんでもない日ですが・・・」などど口火を切ることをまず決めてしまいます。こんな表現で聞き手を驚かすことにして、「さて、その後にどんな言葉、表現を持ってくれば、失礼に当たらない挨拶にすることができるだろうか」と考えてみるのです(98ページ)

「ありきたりの表現」では「つかみ」にはならないということです。この話は、「つかみ」の後に続いて話す内容にも当てはまります。

 

続いては、話し方です。

上手に原稿が読めない私としては、発想の転換をはかることにしました。読みにくいなら、読みやすいように原稿の方を変えてしまおう、ということです(中略)他人が書いた長い文章を、自分が読めるように、短い文章に分けていったのです(中略)文章が短くなることで、結果的に、ひとつひとつの文章が伝える内容が整理されたのです。ひとつの文章の中に、いくつもの要素がごっちゃに入っている、ということがなくなりました。ひとつの文章は、ひとつの要素だけを伝える。これを原則にしました。すると、読んでいて、独特のリズムが発生し、聞き手の頭に入りやすくなることを発見したのです(24~25ページ)

ひとつの文章を短くということは、書く文章でよく言われることです。池上氏の述べることは同じことですが、しかし、話す文章でもそれが必要という点が意外です。話す文書の場合、「、」や「。」は聞き手に意識されませんので、一文の長さは関係ないかと思いきや、そうではないのですね。

相手に理解してもらうためには、話す「間」やリズムが大切です(中略)調べてみると「FIFA国際サッカー連盟)が決めたこと」としか答えられないことがわかりまいsた。これでは答えになっていないのですが、仕方ありません(中略)たとえば、「代表選手は23人とFIFAが決めているからです。以上、説明終わり」と言い切ってしまうのです。すると、聞いている側は、「おい、おい。それでは回答になっていないよ」と突っ込みを入れたくなります。相手にその突っ込みを言わせた上で、「確かに、これでは答えになっていないよね。実は、ワールドカップの大会のたびにFIFAが代表選手の数を決めているのだけど、今回は23人と決めたんだって」と補足します。すると、「なぜ23人という半端な数に決めたのか?」という根本的な質問に答えたとは言い切れないのですが、何となく「わかった」という気になります。こういうやりとりだと、一方的な説明ではなく、会話のキャッチボールが行われます(中略)ただひたすら淡々と説明するのではなく、「間」やリズムを大切にして、相手との会話のキャッチボールができるように留意すると、会話ははずむのです(180~182ページ)

 答えの不十分さを意識しているからこそ、その分、会話のキャッチボールを相手とすることで、説明不足をカバーしようとしているのでしょう。ちょっと高度なテクニックですね。

さらに話すときには、文章を書くときには発生しない、さらに特有の問題があります。

たとえば、「〇〇鉄道は、運賃の引上げを決めました」というニュースは、一方的なお知らせでしかありません。「〇〇鉄道を利用しているみなさん、来月から運賃が上がりますよ」と言えば、テレビを見ている人に語りかけることになります。鉄道会社の立場に立つのか、鉄道利用者の側に立って伝えるのか(中略)さらに、「みなさん」と呼びかけることで、特定の視聴者に対して語りかけることができれば、該当する視聴者は、「キャスターが自分に語りかけてくれた」と受け止めてくれるはずです。それだけ親近感が増し、自分に関係するニュースとして熱心に見てくれるはずだと考えました(27~28ページ)

話すときは聞き手の存在を意識する必要があります。文章にも読み手はいますが、読み手と書き手の間には文章が存在しその関係は間接的ですが、話し手と聞き手の関係は直接的です。それゆえのおそろしさもあります。

若いアナウンサーが読んでいるニュースを何気なく聞いていて、その内容が、私の頭の中に入ってこないことがあります(中略)実は、その原稿の意味をよくわからないまま読んでいるので、そんなことになるのだと思います。自分が理解できない原稿を読んでも、聞いている人が分かるわけがないのです(119ページ)

話し手が理解できていないことまで伝わってしまう、さらには、話し手自身に伝える意図のないことまも伝わってしまう。おそろしいです。わたし自身も経験があります。

余談ですが、これを読んで、アナウンサーは大変だなあと思いました。ただ原稿を読むだけではアナウンサーは勤まらないということですね。ちなみに、(意外ですが)池上氏はNHKに記者として就職しており、この本執筆時点でも記者です(21ページ)。アナウンサーではないのですね。それゆえ、アナウンサーが理解しているかどうか、客観的に区別できるのでしょう。

そもそも、話すことと文章を書くことは本質的に違うようです。

書き言葉は、「読む文章」です。「話す文書」は、本来全く異なるもののはずです。いわば「文章の生理」の違いのようなものだと私は思います。記者リポートとはいえ、画面で記者がしゃべるのです。日常会話よりは改まった言い方になるのは当然とはいえ、私たちは、誰かと話していて、「あの人は、〇〇〇したいとしています」などとしゃべるでしょうか。そんな奇妙な会話はないのですね(中略)これは、一般の人の挨拶の場合も同じです。「書く文書」をそのまま読み上げても、聞き手を感動させることはありません。聞き手の心に届くような話し方をしたければ、「書いた文書」を読み上げるのではなく、「自分の言葉」で語りかけなければならないのです(82~83ページ)

よくスピーチは、自分の言葉で語らないと相手に伝わらない、と言われます。また、原稿を読み上げるのはダメとも言われます。その理由は、池上氏がここで述べていることになります。先ほど「ありきたりの表現」では「つかみ」にならないという話を紹介しましたが、それにも通じます。

 

話し方の話は以上です。ここからは少し違った話を紹介をします。

話す以前の問題、話すような関係になるにはどうしたらよいか、という話です。池上氏は、NHK入局後、島根県に赴任し警察担当の記者となります。しかし、最初は、ぜんぜん警察の刑事などと話しができない。取材もできない。そこで、どうしたら話せるようになるか、といろいろ工夫します。

あるときふと私は、「これって、セールスマンと同じではないか」と思いつきました。営業のセールスマンは、商品を売り込むために、お客のところへ足しげく通い、親しくなろうとしいます。お客には、別にセールスマンの応対をする義務はありません。セールスマンは、最初は冷たくあしらわれるのがオチです。それでもめげずにせっせと通っているうちに、次第に親しくなり、言葉を交わすようになります(中略)そこで学んだことは、「自動車を売り込むためには、まず自分を売り込め」ということでした(中略)自分も警察を回っているときに、相手のデカに、「こいつは信用できるヤツかどうか」と観察されているのだということに気づいたのです(中略)記者が情報を得るためには、「自分」を相手に売り込む、つまり「自分が信用できる人間である」ということを相手に理解してもらうことが必要だということに思い至ったのです(41~43ページ)

とても分かりやすいですね。お客とセールスマンの関係は、警察と記者の関係と同じです。ちょっと意外だったのは、売り込みの基準が、「信用」できる人間かどうかであって、「利益」をもたらす人間かどうかではないという点ですね。とはいえ、そもそも話すらできないのに、どうやって信用してもらえばいいのか?という疑問は残ります。

共通体験があると、人はそれについて話しやすく、会話がはずみます。次第に親しくなれるのです。そのとき、相手がどんな反応をするかで、相手が信用できるかどうかもわかります。私が当初、警察署で相手にされなかったのも、事件や事故を実際に取材したことがなく、刑事と話す材料がなかったからです(中略)「ご出身はどちらですか?」という質問には、「郷里が近いかも知れない」「前に旅行した所かも知れない」という期待が込められています。自分が知っている土地だったら、そこから話が始まるかもしれない、と考えるのです(44~45ページ)

気がつくと、先輩記者も、共通体験作りに工夫していました。警察のデカ部屋では、昼休みになると、囲碁や将棋を始める刑事がいます。ここで、デカと囲碁の対戦をする記者がいました(中略)休日にデカと一緒に釣りに行く先輩もいました(中略)一般企業で、取引先の人をゴルフ接待したり、一緒にカラオケに行って接待したりするのも、共通体験作りの一環でしょう(47~48ページ)

なるほど。接待というと、媚をうっているとか、意味のないこととかよく言われますが、こう説明されると、意味がよく分かります。

共通体験作りに成功して、話せるようになっても、課題はまだあります。

私がたびたび失敗したのは、自分がしゃべり過ぎることでした。何とか会話を成立させようとしているのに、相手が乗ってこないと、焦ってしまい、「とにかくなんかしゃべらなければ」と考えて、こちらから一方的に話してしまうのです。でも、これでは会話のキャッチボールにはなりません(中略)自分から話かけないと会話は始まらないかもしれませんが、話を続けるためには、相手の言うことをよく聞くことが必要です(51、53ページ)

よい聞き手になるこのは簡単なことではありません。しかし、それをめざして努力する方法はあります。それは、相手に教えを請うことです(中略)相手と会話になりにくければ、まずは「聞き手」に徹することです。そのためには、相手に口を開いてもらわなければなりません。そこで、自分が知らないことを、相手に教えてもらうのです。謙虚な立場で相手に教えを請う姿勢を見せれば、大抵の人が口を開くものです。その人にいろいろ教えてもらいながら、その「教え」を共通体験にして、会話を進めることができるはずです(53~54ページ)

 ここまでくると、この本は、単なる「話し方」についての本というよりは、人間関係全般についての本とも言えます。人間関係は会話から成り立っているということの現れとも言えますが、日常生活に広く応用できるお話しです。