日々読書、時々一杯、折々投資

私の趣味をそのままタイトルにしました。 趣味のことでこれいいなあと思ったことを書いていきます。それが少しでもみなさまの参考になればさいわいです。

思いきったことを言う本です。ちょっと古くさく見えますが、みんなが楽しく暮らすためには必要なことを言っています

.「心の傷」は言ったもん勝ち(著者:中嶋聡)、新潮新書、2008年6月発行、

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とっても大胆な本です。この本の内容をネットで書けば、大炎上間違いないと言えるような内容です。

 

PTSD、適応・パニック障害、セクハラ、痴漢冤罪、医療訴訟、体罰などさまざまな場面で「心に傷を受けた」と言えばそれが絶対視される風潮に、大いに異議を唱えたのがこの本です。著者の中嶋氏は現役の精神科医です。つまり、心の傷に関する専門家です。この中嶋氏が「『心の傷』は言ったもん勝ち」と言っているのですから、思わず、どういうことだろう?と、中嶋氏がそう言う理由が気になります。

 

疾病利得

 

たとえば、職場の人が精神的に辛いので休みますと言い出すと。表向きは誰も言いませんが内心ではじつは、あいつただのサボりではないの?と思っているケース、けっこうあるのではないでしょうか。

そんなとき、本人は仮病のつもりではないものの、症状を主張することで何らかの利益が得られるということで、無意識に「休みたい」「さぼりたい」という願望から、そういう症状が出てしまうという可能性のことを、こう呼ぶそうです。こんな専門用語があるんですね。知らなかった。

 

被害者帝国主義

 

セクハラ、パワハラアルハラなど「~ハラ」という言葉がふつうに使われるようになってだいぶたちます。なにが本当にあったのかは、その場にいた当事者しかわかりません。それにもかかわらず、被害者の主張が大前提とされるのはおかしいと中嶋氏は主張します。

たしかに言われてみればごもっとも。たとえば、車が歩行者をはねるという交通事故があったとき、歩行者は「私は悪くない。車がつっこんできた」と主張しても、警察がそれのみで決めるつけることはありません。ドライバーの話もきいたりして捜査してから判断します。しかし、ハラスメント系の事件では、そういう過程が一気に省略されて、いきなり被害者の発言がすべてという取扱いになっているのは否定できません。

それはちょっと極端な考えではと、違和感を感じる方もいるかもしれません。しかし、中嶋氏は過去に実際にあったセクハラ騒動を紹介していますが、紹介された経緯をみると、被害者の声のみで一方的に判断されているという印象をわたしは持ちました。

 

「辺縁」「裁量」「ある程度」

 

中嶋氏は、ハラスメント系の行為自体を是認しているわけではありません。問題なものは問題です。

しかし、何が問題かの線引きにおいて、なんでもかんでも問題であるというカテゴリーに分類されているところが問題とされることを問題としています。おそらく、形としては問題行為に当たるけれども、その行為が行われた流れとか目的を考えれば、実質的には問題とすべきではない、言い換えれば、そういう行為には行為の相手方にとってもメリットがある行為であるというような概念と思われ、そのような範囲を、タイトルのように呼んでいると思われます。

こういう概念を使いこなすには、柔軟な発想が必要と思います。ここまでという具体的なラインが誰にもわからない中で、じょうずにバランスをとっていく必要があります。ともすれば、周りからすれば、優柔不断にみえますし、分かりにくいです。

でもとても重要だと思います。日本は海外に比べて、豊かさ、便利さ、親切さなど、とても暮らしやすい環境の国だとわたしは思いますが、一方で、なんか息苦しい、疲れるというような感じがあるのも事実で、「辺縁」「裁量」「ある程度」といった概念が失われつつあることが原因の一つと思います。

 

ちょっと古くさい内容にも見える本ですが、みんなが楽しく暮らす上で必要なこと、大事なことを教えてくれる本です。