日々読書、時々一杯、折々投資

モグパクです。都内で働くサラリーマンです。 新書・文庫を1日1冊読むのを日課にしてます。あと、酒(主に日本酒)を飲むこと、投資をすることが好きです。

成功する人とそうでない人の違い、これ以上分かりやすい説明はないと言える本です

感動をつくれますか?(著者:久石譲)、角川新書、2006年8月初版発行、2017年4月16版発行、

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久石氏といえば、映画「となりとトトロ」をはじめとする多くの映画音楽を担当し、この分野での日本における第一人者と言えるでしょう。そんな久石氏はこう言っています。

 

「作曲家として最もプライオリティを置いていることは何ですか?」と問われたら、僕は迷わず、「とにかく曲を書き続けること」と答える(19ページ)

 

「書き続ける」といっても、いろいろありそうです。さらに久石氏はこう言っています。

 

気分の波に揺るがされないような環境づくりも重要だ。ボクの場合、作曲の作業に入っているときは生活も一定のペースを保ち、できるだけ規則的に淡々と過ごすように心がけている(23ページ)

 

作曲というとまさに気分やインスピレーションでするという感じがします。久石氏が述べる仕事ぶりは、まるでふつうの事務の仕事をしているかのような錯覚を覚えてしまいます。ユニークですね。さらに、作曲家らしからぬ発言(?)が続きます。

 

「創作は感性だ」「作家の思いだ」と言い切ってしまうほうが作家としては格好がいいが、残念ながら自分独自の感覚だけでゼロからすべてを創造するなんてことはあり得ない。とすると、僕は漠然とした感性なるもので想像をしているわけではないということになる。作曲には、論理的な思考と感覚的なひらめきを要する。論理的思考の基になるものが、自分の中にある知識や体験などの集積だ。何を学び、何を体験して自分に血肉としてきたかが、論理性の根本にある。感性の九五パーセントくらいは、実はこれなのではないだろうか(30~31ページ)

 

「感性」という言葉自体はよく聞きますし、まさに作曲とは感性と思います。この曖昧な概念をここまで具体的に分かりやすく説明できる人はめずらしいと思います。久石氏のまさに論理的な考え方と、冷静な分析をうかがうことができます。

 

肝心な要素は、残りの五パーセントの中にある。それが作り手のセンス、感覚的ひらめきである。創作にオリジナリティを与えるその人ならではのスパイスのようなもの。これこそが”創造性の肝”だ。ものづくりにおける核心は、やはり直感だと僕は思う。こっちの方向に行ったら何か面白いものができそうだというのは、直感が導くものだ(中略)ところが、もっと突き詰めていけば、その直感を磨いているのも、実は自分の過去の体験である。ものをつくるということは、ここからここまでは論理性でここからが独自の感覚だと割り切れるようなものではなくて、自分の中にあるものをすべてひっくるめたカオス状態の中で向き合っていくことだ(31~32ページ)

 

やはり論理的思考だけではないということです。しかし、一方で、直感も過去の体験であるとすると、たしかに、論理的思考と直感は区別できないというのも納得です。けっきょくは、これまで自分が何をしてきたのか、ということが問われるということのようです。

 

最近では、結局はひたすら考えるしかないという心境になっている。考えて、考えて、自分を極限まで追い詰めていくしかないのではないか、といった感じだ。何かが降りてくる、その瞬間を自分自身が受け入れやすくすることに時間と力を注ぐ。つまりは自分の受け入れ態勢を整える状況づくりをすることなのかなあ、といった思いである。そこまでは毎回、非常に苦しい状態が続く(40ページ)

 

こういう苦労をして仕事をしていくことの先に、論理的思考や直感が自分の中に育っていくのでしょう。これもそうです。

 

人間だから失敗もある。が、その原因も必ず自分の中にある。どんな場合でもうまくいかないときには、自分の中の驕りだったり、何か重要な部分を見落としたりしている。うまくいかない理由は、自分を見つめ直せばわかる(70~71ページ)

何度やっても、ああ今回は楽勝だった、ということはない。毎回、自分自身の限界に挑戦している(86ページ)

 

一方、自分の何をしてきたのか、ということは、仕事だけには限られません。

 

最近いろんな人と話していて思うのは、結局いかに多くのものを観て、聴いて、読んでいるかが大切だということだ。想像力の源である感性、その土台になっているのは自分の中の知識や経験の蓄積だ。そのストックを、絶対量を増やしていくことが、自分のキャパシティ(受容力)をひろげることにつながる(48ページ)

 

自分がした仕事の量にはどうしても限界がありますが、知識として吸収するのであれば、何倍もの吸収ができます。どれだけ多くのものを観て、聴いて、読んでいるかは、大きな差となりそうです。そして、それをどこまでやればいいのか、というのも気になりますが、終わりはないようです。

 

自分も仕事も感性も、すべて確固たるものなどない、と考えられれば、非常に視界が開ける(中略)前シーズンも今シーズンも同じような好記録を残せるのは、同じ打法、同じやり方をしているからではなく、変えているからなのだ(137ページ)

 

こうすれば大丈夫と思い始めると、前に進めなくなってしまうということです。

 

日本で子どものことからクラシックを学んで音楽家になろうとする人たちは、コンクールという目標に向かって励む(中略)十代の後半とか二十代の初めに国際コンクールで入賞するなど、華々しい。だが、問題はそこからだ。コンクールに入賞して海外のオーケストラに入ったとする。最初のころはみんなよりも優れた技術があるから、威勢よく音を出している(中略)ところが、一年後には後ろでいじけていることが多い。だんだん自分の音が合っていないことがわかる(中略)そうして、自信を失って日本に帰ってくる。そういうケースがざらにあった。目標を持っているといいのだが、目先に目標がないと頭が真っ白になってしまう(159~160ページ)

 

これ、あまり口には出しませんが、みんなが何となく感じていたことではないでしょうか。日本人の芸術家とかスポーツ選手、ジュニアとかの小さいことはすごいんだけど、大人になってからなんかいまいちの人が多いなあって。なぜなんだろう?とわたしは不思議に思っていました。海外との違いを端的にこう久石氏は述べます。

 

音を出すことで何を伝えたいのか。音楽をやることで表現しなければならないのは、そこだ。ところが、技術的なところで自分の立派さを追い求め、そこに価値を置いているだけだと、どんなにうまくても、音楽にはならない。「あなたは音楽をしているというけど、気にしているのはピッチとリズムでしょう?」みたいなことになる(160~161ページ)

 

最後の一言みたいなことを言われたら、文字どおり体が固まってしまいそうです。この話は、音楽に限りません。

 

日本人はアイデンティティの中心に自分の好き嫌いをあまり置かない。人の意見や周りの反応を気にし、それに合わせようとする傾向が強いと思う。こうした習性に道は合っていたのではないだろうか。型の中で道を究めていけば、周りから大きく逸脱することはない(163ページ)

 

たしかに。いつも何か正解がどこかにあるという前提で、それと自分があっているかということを気にしていた。受験勉強はその見本ですね。だから、受験勉強ができることと、社会に出た後の活躍が一致するわけではない、という話になるのでしょう。この部分だけ読むと、久石氏は「道」を否定しているようですが、そうではありません。

 

本来、「道」の教えというのは、教わる側が課題を与えられてそれを受動的にこなしていくことではなかった。自分の意思で、次はこういうものを得たい、と自発的に目指していくもの。型を体得することで、その精神性を深めていくところにもともと意味があって、自分が成長するとともに、何を表現していったらいいかという奥義のようなものが見えてくるものだった。究極、何を伝えたいかということも自ずとわかるはずのものだったわけだ(163ページ)

 

本来の「道」の教えに忠実であった人は、音楽家としても成功するということでしょう。日本人の音楽家の中には、世界的にみても優れている人がいることは事実ですから。