日々読書、時々一杯、折々投資

私の趣味をそのままタイトルにしました。 趣味のことでこれいいなあと思ったことを書いていきます。それが少しでもみなさまの参考になればさいわいです。

仕事をしていてどうしても怒りが収まらなくなったときに考えなければいけないこと

仕事をしているとき、なにかの理由で、まわりと対立してしまう、あるいは、まわりの言動に対して怒りを感じるということがあります。そういうことがそもそもないのが良いという考えもありますが、新しいことや、難しいこと、今までやったことがないことをやろうとすれば、そういった摩擦はとうぜんに起こり得るものですし、起こらなければ仕事をする意味がないと思います。なので、ここでは、そういう摩擦じたいは避けられないという前提で話を進めたいと思います。

こういう摩擦が起こると、とうぜん、こっちからすると、何言ってるの?、あり得ない!とか、バカじゃないの?といった感じで、反発する気持がわいてきます。場合によっては、相手に対して文句を言いに行くといった、攻撃的な行動にも出たくなります。でも、こういうとき、たとえば、まわりの人(このまわりの人は、じぶんと一緒に仕事をしている人など、じぶんのことを理解してくれている人です)とか、上司とか、先輩とかが、

「そんなすぐに怒るなんて、大人気ない。」「がまんした方が良い」

といったことを言います。これを言ってくれる人は、もちろんじぶんの味方の人なので、言っていることになにか悪意があるわけではないのは分かっているのです。でも、どう考えてもじぶんの方が正しい、としか思えないときまでがまんしなないといけないのはいまいち納得できませんし、そもそも、相手のほうから仕掛けてきたのではないか、という疑問、反発が起こってしまいます。

こういうとき、多いパターンとしては、まわりからの説得に応じて、

「そんなやつらの相手をしている暇などない!」

として、文句を言いに行くのをやめるというのではないでしょうか?とくに私の場合、「反応反発しない」ということを、仕事をする上での心構えとしていますので、なおさら言いに行ってはいけないということになります。
たしかに時間の無駄というのはそうかもしれませんが、ひょっとして、単なる逃げだったり、負け惜しみに過ぎないのではないか?と内心では不安になります。

それに、相手から何を言われてもガマンする、相手からは言いたい放題、ということで良いのか?という疑問もありますし、今の世の中は、言うべきことはちゃんと主張するというのが求められているような気もすますので、なかなか気持の整理がつきません。

そこで、ぐうぜん思い出したのが、こんな話です(「小説 徳川家康」(著者:山岡荘八講談社文庫)にある話です。本からの引用ではなく、わたしの記憶ベースですので、たしょう間違っているところがあるかもしれませんが、おおすじは大丈夫です。)。

京都の有名な刀鞘師の本阿弥光悦が、豊臣秀吉からこんなことを頼まれます。
「戦で手柄をたてた部下には名刀を褒美としてあげることがあるが、こう戦が長引くと、褒美にあげる名刀が不足してしまう。そこで、いまは名刀といわれていない無名の刀から、本阿弥光悦が目利きで名刀と言えるものを探し出すように。かくれた豪傑を世に出してやれ。」
これに対して光悦は激怒します。
「刀はどんなに名刀と見えても、製作した刀鍛冶師にとっては納得できない場合があり、そういうときにあえて無名とすることがある。それを、自分の目利きで名刀にしろなどという話は、どれだけ、刀鍛冶師や刀鞘師をバカにした話だろうか!」

光悦はさすがに秀吉の前ではこれを言いませんが、千利休の前でこの怒りをぶつけます。以下、利休と光悦の会話です
利休「おぬしはまだ若い。そもそも、秀吉がこういうことを言いかねない人だいうことが分からなかったのか?」
光悦「・・・・・」
利休「秀吉という方は、とてもスケールの大きい方。その発言は秀吉の一面に過ぎない。」
光悦「では、秀吉の言うことに何でも従え、ガマンしろ、と言うのですか。」
利休「そうではない。誰でも、ここだけは絶対に譲れないという一線があるはず。そのときは覚悟をもって行動しなければいけない。ただ、それを見極めずに、怒り散らすのはやめるべきだ。」
光悦「・・・」

利休が言っていること、そして、光悦が理解したことは、

当然起こることにぶつかってそこでイライラしたり怒ったりしているようではまだまだ若く、ぶつかることを前提に、しかしここだけは絶対に譲れないという一線を内心見極めておいて、それを実際に超えるようなことが起こったら怒るべき

ということです。

この話、そのまま、いまのわたしに当てはまります。もちろん、光悦の方です。自分にとって、ぜったい的に大事なことは何か、絶対ゆずれない一線は何かを考えなければいけません。

また、仕事において何かもめていて相手からおかしなことを言われたり、求められたとき、

それについてぜったい自分は譲歩できないのか

ということをつねに考え続けることが大事ということでしょう。その上でであれば、それに反発しないとき、「そんな奴らの相手をしているのは時間の無駄である」と本心から(負け惜しみではなく)思うことができそうです。ストレスフリーになれそうです!