日々読書、時々一杯、折々投資

私の趣味をそのままタイトルにしました。 趣味のことでこれいいなあと思ったことを書いていきます。それが少しでもみなさまの参考になればさいわいです。

世の中には、ボケる人とツッコむ人の2種類しかいないのかもしれないと考えさせられる本

一億総ツッコミ時代(著者:槙田雄司)、星海社新書、2012年9月第一刷発行、

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安倍内閣の政策に「一億総活躍社会」というのがありました。さいきん、マスコミでもぜんぜん取り上げられることがありませんが、この本のタイトルを読んで、ふと思い出してしまいました。

 

何かを語っている人に対して、「で、オチは?」なんてことを言わないであげてほしい。「今、噛んだ!」なんて指摘をしないてほしい。そんな言葉で袈裟斬りにしないでほしいのです。これに留まらず、日常でもお笑いの世界から自然に学んだ「ツッコミ」によって他人を容赦なく斬っていることが多々あります(中略)今の日本は、価値観の多様化、多趣味化と言われていますが、その裏側では、「面白い」という一つの価値観への信仰みたいなものが蔓延してしまっているのです。そこから自由になったほうが、どれだけ「面白い」だろうか。そう強く思います(27~28ページ)

 

ふだんの会話で、こういうことを言ったり、あるいは言わないとしても、内心それを意識して話してしまうことはよくあります。もちろん、そうした方が面白いとおもってやっているのですが、むしろそれは逆という指摘は、新鮮です。著者の槙田氏は、「マキタスポーツ」という芸名で芸人もしています。

 

私は、せっかくお笑い的な能力を身につけるなら、他人を笑うためのツッコミの技術ではなく、「自らまわりに笑いをもたらすような存在」になったほうがいいのではないかと思います。もしくは、他人を笑わず、自分で面白いものを見つける能力を育てたほうがいい。ツッコミ的な減点法の視点ではなく、面白いところに着目する加点法の視点を身につけるべきだと思っています(41ページ)

 

減点法と加点法のたとえは面白いと思いました。ツッコミという表現からは伝わってこないけど、やってることは要は、相手をけなしている、ということです。

 

加点法のものの見方は、物事に対して自分で面白みを見つけていくことです。たとえば、一度見ただけではとっつきの悪かった、理解しにくかった映画があったとしても、「あの映画はつまらない」と切って捨てるのではなく、資料などをもとにしてその物語の組成や映画の背景を読み解いていく。味わい方を見つけたとき、新たな面白さは発見されます。それが加点法的なものの味方です。加点法は文化的な修練などいくつもの訓練が必要ですが、減点法は誰でも割と簡単に行うことができます。だから多くの人が安易に減点法を採用してしまうわけです。ツッコミの視線とは、すなわち減点法の視線です。減点法は「あ、これはダメだ」「ここがダメだね」と簡単に評価を下せます。「噛む」ときのように、失敗を見つけたらすぐにツッコミが入るのです(112~113ページ)

 

槙田氏の考える加点法、減点法がとても分かりやすく説明されています。また、加点法と減点法の違い、とても鋭いです。日本企業の人事がすぐに減点法に終始する理由もここにあるような気がします。槙田氏は述べていませんが、同じツッコミでも、本来のツッコミは、槙田氏の言う減点法的のツッコミではなく、加点法的なものではないかともわたしは感じました。ただ、一億総ツッコミ社会になってしまい、そこがあいまいになったのでしょう。

 

多くの人たちは、すごくツッコミを入れたい人たちなのだから、自分はボケになるというスタンスがこれからは有効です。ツッコミを入れられる側になる。場合によってはヒール(悪役)になってもいいでしょう(中略)ツッコミをしたい人が芸人以外にもこれだけたくさんいて、そこにボケがいれば絶え間なく突っ込みが入ってくるでしょう(中略)ボケはこれからの時代「オイシイ」わけです。「オイシイ」のは芸人に限った話ではなく、一般の人々だって同じなのです(68~69ページ)

一度、自分の「しょうもない部分」を認めてあげたほうが楽になるのです。そこからさらに進んで「しょうもない部分」を持つ自分を「ボケ」として周囲に提示し、周囲からツッコミを受けてみる(中略)私自身、ツッコミを受けながらそれを自分なりに整頓し、今の自分を形作ってきたと感じているので、これは有効な方法だとお薦めできます(73ページ)

 

ボケも加点法と言えます。自分の欠点とかマイナスと思われるところを、あえてさらけだすことでツッコミの対象とすることで、それをプラスに変えてしまう。

 

作品を作っているとき、「これがベストだ、これで完成だ」と思うポイントはいつもなかなか見つかりません。たいていの場合、出来には満足していなのですが、納期があるから提出しなければならない。つまり、他人が設定した納期で形ができがあがる。納期の時点で、「ああ、これが自分の力なんだ、ベストなんだ」とわかるわけです。それが世に出て、お客さんの目に触れる。評価を下される。それが自分自身への評価なんだと思います。世の中に出してみて、反響があって、自分は初めてこういう人間なんだということがわかるのです(142ページ)

 

ふつう、自分が満足していないものを他人に提出するなんて、ある意味プロ意識に反しているという批判もできます。でも、こういわれると、それもありかなあと思います。自分の中だけで完結していてもしょうがない。自分がこれは完璧と思っても、まわりがそう思わなければ、それが最終的な(正しい)評価になります。ボケ、ツッコミでいえば、満足していないものをさらすというボケをし、周りがそれを評価するというツッコミをしてもらうことで、いまの自分を正しく認識できます。それに、そもそも、自分が完璧と思っていること自体、ほとんどの場合、それは勘違いですから、自分の中で完璧かどうかと悩むぐらいなら、さっさと外にさらけ出した方が良いです。

 

理不尽なものに接する機会が減ってくると、今度は逆にイライラすることが増えていくということです。「思い通りになること」が増えていけば増えていくほど、思うようにならないことに出会うとストレスがたまっていく自分がいることに気付きました。負荷がかかっていないことに慣れすぎてしまうと、少し理不尽な目に遭っただけで大きなストレスを抱えるようになるのです(160ページ)

 

ふだんツッコミばかりしていると、逆に自分がツッコミをたまにされると、それに過度に反応してしまいます。ツッコミは弱い、ボケは強い。

この本、ボケ、ツッコミというお笑いの話から始まりましたが、内容はそれにとどまらず、けっこう深いです。世の中には、ボケる人とツッコむ人の2種類しかいないのかもしれません。自分はどちらの人になりないのか、考えさせられます。