日々読書、時々一杯、折々投資

私の趣味をそのままタイトルにしました。 趣味のことでこれいいなあと思ったことを書いていきます。それが少しでもみなさまの参考になればさいわいです。

「日本人は12歳」という言葉を使う前に、ぜひ読んで頂きたい本

「エコノミック・アニマル」は褒め言葉だった 誤解と誤訳の近現代史(著者:多賀敏行)、新潮社・電子書籍、2012年7月発行、

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「日本人は12歳」、「エコノミック・アニマル」、「ウサギ小屋」。一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。そして、これらの言葉には共通項が2つあります。1つ目は、日本あるいは日本人に対するマイナス、あるいは侮蔑的な発言であること、2つ目は、外国人が外国語で発言した言葉であること、です。

 

従来、この種類の言葉が日本国内で使われる時、この言葉に賛成する立場からの主張、あるいは反対する立場からの主張があり、両者間で議論が行われます。この本は、いずれの立場にも立たず、これらの言葉が、実は発言した本人にそういったマイナスの意図はなくむしろ褒め言葉のつもりであり、それが、発言が和訳されて報道される過程で、誤解、誤読が生じ、発言者本人の意図とはまったく正反対の意味としてしまったという立場に立ちます。著者の多賀氏は、実際に発言が行われた内容、あるいは、発言が行われるに至ったその経緯、文脈、さらには、発言者の母国語(英語またはフランス語)での表記方法やその意味を丁寧に追跡し、実は、日本語に訳された言葉の意味と実際がかけ離れていることを示しています。

 

「日本人は12歳」は日本を擁護する発言だった

 

これは、マッカーサー元帥が、米国連邦議会で証言したときの発言ですが、その議事録をたどると、第二次世界大戦敗戦国である日本とドイツを比べ、日本はドイツとは違い、再び戦争を引き起こすようなことをするはずがないという文脈でこの発言が出ています。つまり、日本擁護のための発言であったことがわかります。

 

この話を聞いてしまうと、とてもこんごは、「日本人は12歳」なんて言葉を使う気に離れません。

 

きっかけは朝日新聞の報道だった

 

ところで、この「日本人は12歳」という言葉は、1951年5月5日になされ、同月16日に朝日新聞によって報道されています。

朝日新聞の当時の報道には、なぜマッカーサー元帥がなぜ、米国連邦議会で日本とドイツを引き合いにして比較したのかという発言に至る経緯が全く報道されていません。報道していないこと自体は誤報でも誤訳でもありませんが、しかし、発言の意図が正確に報道されていないという点で、不正確な報道に当たると思います。朝日新聞といえば、従軍慰安婦についての誤報問題がありましたが、この「日本人は12歳」という報道にも、それと同じスタンスを私は感じてしまいました。この点について、多賀氏はこの本で分析はしていません。

日本国内におけるマッカーサー元帥に対する印象は当時とてもよく、一時は、マッカーサー元帥を「終身国賓」とする動きもありましたが、この発言を契機にいつのまにか立ち消えてしまいました。

 

誤訳がなければ太平洋戦争はなかった?

 

この種類の話はマスコミだけではありません。というより、マスコミが行うのならばまだ軽症ですが、これが外交交渉において行われると大変なことになります。最悪の場合、戦争になりかねません。

この本では、太平洋戦争開戦直前までの日米交渉を例にあげています。このとき、日本側の交渉方針が外務省から米国の日本大使館に暗号電報によって伝えられていましたが、その内容は米国によって解読され、かつ、誤訳されていました。

日本の外務省は、米国とギリギリの妥協を得るべく外交交渉をするよう日本大使館に指示していましたが、米国により英訳されたその内容は、日本は真剣に交渉する気はなく、米国をただだまそうとしていると感じてしまう内容になっていました。

もちろん、これが戦争に至ったすべての原因であることはあり得ませんが、しかし、正確に英訳され、日本側の真意が米国にちゃんと伝わっていれば、戦争をしないですんだかもしれません。

 

言葉で何かを表現することは詭弁である

 

この本を読んで、ちょうどつい最近読んだこの言葉を思い出してしまいました。詳しくはこちらをどうぞ。

 

mogumogupakupaku1111.hatenablog.com

 

すべての言葉に詭弁があるのであれば、言葉の端々に注意が必要なのは当然でしょう。政治家、有名人ともなれば、その人の足を引っ張るために、言葉の罠が仕掛けられることがあります。この本は、発言者の使用する言語が、聞き手にとって母国語でないケースを取り上げているので、誤訳に焦点をあてていますが、母国語であるケースであっても同じです。

 

言葉のおそろしさ、発言することの重さを実感させる本です。